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第一章 24

 赤林普応は己が内から湧き上がる烈火のごとく怒りに身を苛まれていた。

 普応からしてみれば、女乃上世津以外は木っ端である。安倍英菰と西臣明道、両名は重要な役目も特別な力も無い取り巻きの一つ。その程度の認識だった。

 

 そして、そのどちらも、火と毒に冒され満身創痍。惨めにお迎えを待つだけの瀕死であったはずなのに。普応の思惑は外れ、安倍英菰も、西臣明道も復活した。あろうことか立ちはだかってきている。

 普応にとってそれは『奇跡』に等しく、それは許されざること。断じて認められない。だから、腹の底からグツグツと沸き上がるこの怒りは間違いではなく、正当な怒りである。と、無意識のうちに唇を噛んでいた。


「なんで、今更…………」


 普応の唇が裂けた、血が血涙の如く滴る。その意味は、こんなはずではなかった。これまでだって起きなかったのに何で今更。と、忌々し気に物語っていた。

 だって、奇跡なんて生易しい代物は、力のない弱者の拠り所で、力を得た普応にとっては、忌むべき呪い。不倶戴天の敵へと堕ちていたからだ。

 

 だって、そんなものがあるのなら、普応自身はこんな人生を歩んでいない。

 今になってそんな代物を用意されたって、要らないと唾を吐く。扱き下ろして足蹴にするだろう。

 だからきっと、これは悪夢。今頭が沸騰しそうになっているこの熱が見せる悪趣味な悪夢なのだと悪態をつく。 


「くそ」


 丁度、その時轟いた霹靂が、普応の顔に醜い影を作った。そして、その霹靂は普応にとって閃きでもあった。スクラップと成り果てた、土御門のパスワードスーツを一瞥して、すぐさま軽く細工を施す。

 その直後、普応は、激情のままに、魔力を滾らせた。熱く雨粒が蒸発するような怒りをその全身から漏らす。

 

――――下ごしらえは済んだ、

 

 ゆえにまずはあの女。と、普応は英菰を睨みつけた。忌々しいお嬢様。西とはいえ大企業土御門財閥の庇護をその身に受けるに飽き足らず、死の淵からの生還を成し遂げた、奇跡の象徴。

 あれだけはこの手で滅ぼす。そう固く決意する。奇跡の不在証明をこの手で成すのだと。

 それでも、冷静に、今後の事を考え、女乃上世津だけは殺さないと決める。もっとも、四肢をもぐことは決定していたのだが、


「問題は、どういう趣向で痛めつけるか…………ですね」


「も、もう三対一だよ、降参すれば、アタシ達も悪いようにしない、から…………」


 世津の世迷言に対して、ジロリ。と、普応は状況を見やる。今の口調からも分かる通り、女乃上世津は満身創痍。

 その後、もう一人を視界の隅に捉えた。西臣明道である。だが、こちらは問題はない。普応はそう感じていた。なぜならば、パワードスーツを破壊してから、とんと動きがみられない。

 実際、今普応は、屋上からの攻撃を警戒していない素振りを見せ、隙を誘発させている。しかし、屋上の気配に動きはないのだ。

 

 普応にはこんな絶好な機会を無下にしている意味など分かりきっていた。あの光の矢は今は放てない。

 普応はそして、なぜ光の矢を放てないのかの裏付けを、圧縮された思考の中吟味し始める。

 あの西臣明道は一般人であったはず。つまり、人を殺す覚悟が出来ていない。と、最初に考えた。

 とは言っても、他にも理由は考えられる。例えば、数十分前から死霊を取り憑かせた人間の信号が嫌に鈍いことだ。魔力の阻害により、操るための信号がジャミングされていると普応は思っていた。

 しかし、こちらは可能性は薄いはずである。なぜなら魔力単体で相手の術を阻害するなど、並外れた魔力量がなければできない芸当。しかし、事前調査上そのような魔力量の保持者は確認されていない。


 そんな様々な憶測、連想が普応の脳内を音速より早く駆け抜けていく。しかし、証拠不十分。結局は西臣明道が光の矢を放てないという結果にたどり着きはするも、その過程たる理由は分からない。 


――――()()()()()


 否。と普応は頭を振った。最もらしい理由ならば既に己が内に在るではないか。と、ほくそ笑んだのだ。

 要は、代償を払わず、力を得る事は出来ないと思いだしたのだ。

 普応が絶望の末に悪徳の力を得たように。奇跡の不在証明を挙げるのだから、そう理由付ける。

 

 果たして、屋上の上の当人たちはどうなのかと言えば、

 

「玉藻の前、もう一回、あいつを狙って…………」


 普応の考えは当たっていた。屋上ではニシが、右手の白皙の弓――――その身を弓へと変化した玉藻の前に対して、ごね続けていたのだ。


()()言うたやんかぁ…………無理やて。誰がゾンビはん沈静化させとる思うてんねや…………うち今結構気張っとんやでぇ、魔力もう回せんわぁ…………』


 玉藻の前は爆弾を撤去してくれるに飽き足らず、ゾンビの沈静化も行ってくれているという。その上で、彼女の声には余裕を感じるものの、あと一撃には頑として首を縦に振らない。

 でも。と、ニシは真剣な表情を作る。言わずにはいられない。


「けど、そこをなんとか。今は、あなたが俺の頼りなんだ!」


 ニシの吐く白い息は覚悟のあらわれである。

 雨の中、防寒対策もまともにしていない。魔力をほんの少し操れる程度の実力では、魔力による心肺機能の低下を防ぐ事は叶わない。ゆえに四月の雨は堪えるだろうに、そんなそぶりも見せず、気丈に振舞っている。

 

 でも、ニシは玉藻の前をその手に持っている。つまり、その手の震えが直に伝わってくる。隠しようもない程に、小刻みに震えているのだ。

 きっとそれは、寒さに由来するものではない。大部分を占めている気持ちは、英菰と世津を心配する焦燥感によるものだと、玉藻の前は気付いていた。

 でも、だからこそ、彼女は強く、そして厳しく言い放った。聞き分けの悪い子供をしかりつける様に、


『やったが最期…………今度は、手綱を離してまぅ…………別のモンが猛威を振るうことになりよるよ?』


「別のモンって…………」


『意思疎通が出来るアランカヌイ(べっぴんさん)と、意志疎通が出来へんアランカヌイ(狂犬)どっちが易いか、ちぃと考えぇ…………ほぉんま…………子守はたいへんやんなぁ…………』


――――これだけ隙を見せても、やはり、撃っては来ないですね。


  と、くれば…………そう思い、普応は安部英菰に標的を絞った。彼女は英気がみなぎっている。だが、それだけのこと。砲弾を止めた膂力は大したものだが、


「物理でなく、現象に頼ればいいだけのことです」

 

 激情を魔力へと変換し、その上で未だ余りある魔力で身体を強化する。

 パワードスーツという備品が壊れたとしても、それは普応の力とは何の関係も無い。ここからが本当の闘い。

  世津もその事に思い至っていた。だからこそ、


「その前に、凍らせる――――」


 ――――しかし、魔力も体力も万全でない世津の動きは緩慢で、やはり捉える事は叶わず普応が消えた。今の世津が追いつく事などやはり、不可能だった。


「どこっ…………!?」


 英菰の索敵に対し、言う訳があるか。と、雨ゆえの視界の悪さを利用する普応。

 フッ…………という刹那の間。まずは世津の背後に回り込むと、その肝臓へとフックを叩き込み、吹き飛ばした。


「ぉげぇ…………っ」


 美少女から縁遠いえずき。メキメキといった固いものが砕ける手応えに、普応は世津のあばらを砕いた感触を得た。

 一方、その場にいた英菰も屋上から見ていたニシも、最初は何が起こったか分からなかった。

 人間の限界を超越した普応の速度。そして、その目にも止まらぬ強靭で正確な身体操作が繰り出す、もはや凶刃の域へと達した拳。

 人体が発してはいけない鈍い打撃音につられて、英菰とニシがそちらを見やった時には、世津が三回程バウンドして、校舎の壁にたたきつけられるところだった。 


「っせっちゃ――――」


――――火の揺らめき、我が瞳にて投影せし、巻き上げん。


 普応は脳内で詠唱を口ずさみ、世津へとよそ見をする暢気な英菰の後頭部へと回り込む。


「しまっ!?」


 もう遅い。

 英菰の振り返りよりも早く、その手の平から術が放たれた。


「どうです、あなたのヘアスタイルも悪くないですよね」


 英菰の背面が燃え盛った。それは、雨水では決して鎮火しない、魔の炎。悶え、狼狽えながら英菰は自身の頭を叩くかのような仕草で上体を右へ左へと逸らし、炎から逃れようと躍起になる。


「英菰!!」

 

 しかし、ニシの心配をよそに、英菰は、ピタリと動きを止め、そしてすぐさま普応へと姿勢も低く振り向いた。

 

「っが!?」


 あろうことか、英菰は燃え盛る炎を背負い、赤い髪をまるで怒髪天だと燃え上がらせるように、己の右腕を普応の顔面へと叩きこんだのだ。

 鉄球を止める膂力を持って放たれたストレート。

 こちらも、鼻の骨が砕ける激痛が普応を襲った。


「…………っ本当に人間ですかっ」


 潰れた鼻を右手で庇う普応。その指の隙間からはたらたらと鼻血を垂らす。

 その、ツーンとする激痛に強制的に押し出された涙目で、普応は英菰を睨む。おかしい…………すぐにハッとなって少し顔が前へ出た。

 今しがたまで英菰の背面を焼いていたはずの炎が、消えていた。


「ぁ…………あなたか、女乃上世津ぅ」


 英菰の背後には、世津が戻って来ていた。

 ふらふらと前かがみになりながら。左腕で、右わき腹を抑えながら、右腕は英菰の背中へと伸ばしている。己が冷気で鎮火させていたのだ。

 しかし、彼女の青い瞳は既に血で赤く染まっている。うつろで、意識も朦朧としているだろう。もはや敵ではない。

 実際、普応がそう思った直後、世津の肉体が大地へと投げ出されたのだから。


「せ、せっちゃん!」


 英菰が世津へと駆け寄った。その腕に世津を抱き留め、まじまじとその体を見て、居た堪れない気持ちになる。

 世津の体はボロボロで。それだけ、あの砲弾を受け、耐え、校舎を守ってくれていたのだと察した。

 顔は傷だらけで頭からも、鼻からも血が流れている。綺麗な白い髪は見る影もなく泥まみれ。

 右肩の袖が破れ、そこからは赤黒い打撃痕が覗いている。

 そして、誤って世津の右わき腹へ軽く触れてしまった瞬間。まるで雷にでも打たれたかのような痙攣と、嗚咽が漏れた。

 もう満身創痍だった。彼女の献身は限界だった。


「ひどすぎる、ねぇ…………っねぇなんでここまでできるの!?この子が何をやったって言うのよ!土御門はここまでしてこの子に何をさせたいのよ!」


 普応は近づく。そして、世津を狙い、思いっきり拳を振りぬいた。


「や、やめて!」


 案の定。英菰は世津を庇うようにわが身を犠牲にする。その背中へこれでもかと蹴りと殴打をお見舞いした。

 そして、炎でじっくりと、炙る…………が、それは毎回、世津に邪魔される。

 その時、良い案を思い付いた。と、普応は英菰の顔に雨水を張りつけた。


「ごぅぼぐごぅぼ…………!?!?」


 金魚鉢を被ったように、水球に顔を埋める。

 しかし、それも、凍らされ、器用にも英菰の顔の形に内部が割れ、地面に落ちた。


「はぁいい加減にしてください。だ、か、ら、言っています。『彼』の居場所を吐けと」


 「げっほげっほ!…………そ、それだよ!!」と苦しそうにあえぐ英菰。

 しかし、今しがた死にかけたというのに、気持ちを折らない。


「誰の事!?何のこと…………その彼ってのが何をして…………せっちゃんをこんな目に合わせることをしたのよっ。この子は、優しいよ。アランカヌイじゃない。こんな目に合っていい子じゃないぃ!!」


 泣き叫び、許しを乞う。無様に顔面を崩すその姿に、普応は既視感が駆け抜けた。

 かつての自分がそこに居たのだ。女乃上世津を愛おしそうに抱き留める安部英菰に、弱者だった自分が重なった。

 だから、嬉しくて、笑みがこぼれた。

 やはり、私はもう貪る側に立っているのだと…………気分が晴れやかになっていく。この土砂降りが、小雨に弱まったような錯覚すら感じるほどに。


「…………冥土の土産です。いいですよ。」


 きっと雨のせいだろう。濡れた唇は摩擦が減り、つい口が滑った…………。


「分かっているのは『力』と、通り名のみ。『彼』というのも暫定です」


「は…………どういうことよ…………」


「『彼』の力は術などとは程遠い。まさに『権能』に近いと言われています。幾度となく刺客を差し向けては、その全てが消息を絶った。理外のアランカヌイ。女乃上世津は『彼』と行動を共にしている可能性が高い。ようやくつかんだ尻尾なのです。」


「可能性って…………そんな不確かなものでっ!?」


「『彼』の権能は不安定で強力だ。あらゆる事象、概念、運命にすら干渉されかねない。あなた方も一度は呼んだことが有る筈だ。その名は…………ん――――」


 ()()()()()

 光が差し込んだ。


「――――いいや違う、ここだけ、止んでる?」 


「え…………」


 英菰につられ、その場の皆が空を見上げた。

 雨は止んでいない。首を左右に振れば、雨が降っている。今、この場所。世津と普応と英菰の居る場所だけが、局所的に雲が張れている。

 まるで、雨という名のカーテンコールが開くかのように、校舎側には滝のような雨の壁が出来ていた。

 そして、ぴちゃり。ぴちゃり…………と、雨音を靴から鳴らして、男が校庭へと登場した。


「こっちでずっと黒い煙が上がっていたから…………この間の学校閉鎖の件もあるし、世津が心配で急ごうと思ったんだけど、やっぱり『()』になっちゃったよ。あの踏切、本当に長いよね」


 男はどこからであろうと、道程を歩いてきたはずなのに、この土砂降りの中、傘もさしていなかった。着ているコンビニの制服にも、濡れた痕跡は一切無く乾燥している。

 校舎のこの場所から、まっすぐと、コンビニまでの天が割れている。


「…………ごめん世津、遅くなって」


 男はしっかりと世津へと近寄り、濡れた地面へ臆することなく乾いたズボンを着けた。

 英菰の困惑の表情に対しては苦笑を零し、そっと世津の髪を撫でた。

 するとまるで、おとぎ話のように、口付けをされた姫が目覚めるように、世津は瞳を開き、


「…………ふふ、昔、雪山であった事…………思いだすね」


「うん、あの時は、君が僕を助けてくれたね。今日は『逆』だ」


 その男のことを英菰は知っている。悠馬がいつも行くコンビニの店員。いつも箸を入れ忘れるおっちょこちょいのおじさんだ。


「おじさんが、『彼』なの?」


 問いかけられた男は、眉を八の字に下げ、困ったように「たぶんね」と言う。

 そのやりとりを普応は見た。だから、叫んだのだ。お前がそうだったのかと、お前が――――


「――――『逆神様(さかがみさま)』かっ!!」


 普応の叫びに耳も貸さず、男は、ゆっくりと顔を上げた。屋上を見上げたのだ。そこにいる恰好いい主役を見たのだ。

 しかしながら、ニシからでは分かる筈はなかった。未だに土砂降りのカーテンがニシと男を隔てているのだから。

 そうだ、分かる筈がないのに…………、 


「…………まさか…………」

 

 ニシは男の顔すら覚えてはいない。憶えているのは、優しいまなざしだけ。

 それが、こちらを見ていると気付いた。知った。()()したのだ。

 共演を望む。と。そう、優しいまなざしで訴えているのだと。察した。


「あのときの…………逆神様(にいちゃん)?」


 その呟きはやはり、男には聞こえない筈なのに、男はきちんと答えた。


「そうだね…………そうだった、()()()()()()()()()()()。」


 男は、屋上から視線を赤林普応へと流すと、初のセリフを呼び上げた。


「僕が『逆神様』――――榊信也(さかきしんや)だ。強くは言わないよ。逆になったら大変だ。」


 男は英菰と世津の前へと、盾となるように歩み出た。

 そして、つとめて平坦に、平らかな声音で、気持ちとは逆にこう言った。


「だから、君を弱弱しく懲らしめるよ…………ねぇ、お嬢ちゃん、世津を連れて逃げてくれるかな」


「え、ちょ、おじさんは!?」


 英菰の戸惑いよりも早く、


「はっ、手間が省けた!これで女乃上世津も用済みです!!」


 普応から炎が迸る。それは業火となり、男どころか、英菰と世津すら飲み込まんと迫る――――


「――――英菰…………逃げて」  


 世津に言われるまでも無かった。既に英菰は世津を抱え、二十メートル以上離れている。もう背中には土砂降りの壁がある。

 対して、信也には炎の大波が襲い掛からんとしていた。 


「おじさん!!」


「だい、じょうぶ、うちの人は…………全てを逆転させる」


「それって、どういう――――」


「――――どういうことだこれは!!??」


 自身の言葉を代弁された英菰は顔を世津から信也へと向け直した。

 そこには、炎にまとわりつかれ、魔女狩りのようであるにもかかわらず、一切身じろぎする事も、慌てふためく様子も無い黒い人影がある。不思議なことに着ている衣服も、身体も、まるで燃えていなかった。


「魔力の気配も感じない、あなたはいったい何をしている…………っ」


 ありえない現象を目の当たりにして、普応は尋ねずにはいられない。しかし、信也は普応の事など意にも返さず、自身の気持ちを押し付ける。


「最近は…………あんまり世津の前では言わないようにしているんだけど、僕はね、死にたいんだ。だから君が僕を殺してくれるって言うんなら、それで世津を僕から解放してくれるなら喜んで命を指し出すよ。そう、()()()()()()()()()()()()()()…………」


 普応は信也が話す間にも、出来る限りの火炎を生み出しその身を焦がさんとした。ともすれば、辺り一面を覆いつくしている雨を利用し、水の球体の中に信也を閉じ込めた。

 しかし、一向に信也は傷一つつかない。呼吸もしていないはずなのに死なない。

 ならばと、水球に対して、大気を操る事で加圧し、深海千メートルに匹敵する水圧を作り出した。だが、


()()()()()()()


 しかし、信也は何食わぬ顔で水から抜け出し、雨を指さしこういった。


「ぁあ…………()()()()()()()()()()()()…………」


 信也の言葉とは『逆』に、周囲の水が、普応へとすさまじい勢いで付着していく。


「…………この雨粒の動きはっ…………?」


 このままいけば、今度は普応自身が水球に閉じ込めれるだろう。

 ゆえに、そうはさせるかと、己が炎で全て蒸発させた。


「君が…………()()()()()()()()()()…………」


 次の瞬間。物理法則が乱れた。

 普応の足がふわりと地切りしたのだ。

 

「なんだとっ!?」


 普応の体は校舎屋上の高さまで浮き上がり、屋上にいるニシと視線が交差した。瞬間、重力が思いだしたかのように普応に重しを課せ、重い頭部が地面へ落ち始める。正しく落ちるという言葉を使える。

 そしてあっという間に普応が地面へ落とす影が濃くなり――――


「――――なめないで下さいっ」


 間一髪だった。普応は猫のように翻りながらも、致命傷を避け地面へと衝突した。

 受け身は取れなかったが、頭から真っ逆さまに落ちるのだけは何とか防ぎ、榊信也へと苦渋と困惑の混じった顔を向ける。

 魔力ということばだけでは説明ができない。

 いや、魔力を使用している気配も無い。それにも関わらず、世界へ現象を反映する。ありえないことだ。

 空を駆ける。飛んでいるように跳躍する化け物は確かに存在はする。しかし、身動き一つさせないままに空へ浮かす。宙へ浮く。なんてことはどの術にも存在しえないはずなのに、


「…………それが、あなたの『権能』ですね。言う事成す事全てが逆転する…………因果の敗北者――――天邪鬼の先祖帰り。しかとこの目で見ましたよ…………」


「ああ、そこまで分かっているんだね」


 普応は思う。土御門財閥の方針は、決断は間違いではなかったと。 

 実際、空を割って見せたのだ。権能の効果範囲は少なく見積もっても二千メートル以上にまでは及ぶことは明白。いや、事態は常に最悪を想定しなければならない。つまりは日本全土とはいかなくとも、一県域程度には及ぶかもしれないと考慮するのがベターだろう。

 だとすれば、やはり、今目の前にいる榊信也は世界を混乱に陥れる力が間違いなくある。


「なんて危うい。その力をコントロール出来るのならば、今の世界を崩壊させることなど造作も無い。だって、偽札が流行らなければいいのに…………政府がずっと居ればいいのに。と願えばいいだけだ」


「あはは…………いやぁ、そんなにいいものじゃないんだ。僕もコントロールしきれていない」


「その弱気も、力をコントロールするための良い訳でしょう?何もかも逆にする。逆神様とはよく言ったモノです…………」


「そこまで分かっているんなら、もう、何が起きてるか、予想できているんだろう?」


「何のことです…………」


「…………この戦況はもう――――」


 信也は口角を上げてほのめかした。


「――――『逆転劇』に移行し始めているってことさ」


 安い挑発であった。今日日子供でも引っかからない質の悪い煽り文句。

 しかし、不応は言うじゃないか。と凶悪に笑って言う。


「………ふざけないでください。私が負ける?いいですか?分かっていないようなのでお教えしますが、あなたの面が割れた時点でこちらの勝ちなんですよ。これは、これから幕を開ける土御門との、いいや、全世界のハンターとの長い戦いの始まりにすぎません…………」


 不応はその挑発に乗ったのだ。もちろん、目論見は別にある。実は、普応はじりじりと後退していた。激情にかられながらも、女乃上世津を殺しはしない冷静さを兼ね備えていた一流のハンターは、己の役目を終え、ノルマは果たしたのだと心の中で嘲り笑いながら、逃げる算段を着けていたのだ。


「…………なにより、あなたの力が本物だと分かった!ねぇ気付いていますか?私はずっと、このコントロールパネルで、()()のコレで、このパワードスーツを操っていたんですよ。これは指向性を持った電波障害なんですよ。パワードスーツを通してあなたの顔はもう向こうに知れ渡っている!これで一生あなたは逃亡生活だ。面目躍如!私はAのままです。」


 言ったが最後、普応が踵を返す。その背中へと、


()()()()()()()()


 信也が言葉とは裏腹な言葉を投げるが、


「…………ええ。応援ありがとうございます」


 瞬きの間に普応はその場から消えていた。まったく強制力がない。力のコントロールは本当にできていなかった。「あぁ失敗しちゃった…………」そう言って、信也はバツが悪そうに頭を掻く。その直後だった。


「ちょ、おじさん!」


「え?」

 

 信也が英菰の悲鳴に何事かと、そちらを見やった。

 だがもう遅い。今や信也には大きな影が覆いかぶさろうとしていた。

 唐突にも、今まで沈黙していたパワードスーツが再起動し、火花をまき散らし、なから暴走したように、信也へ向けキャタピラを回転させ襲い掛かったのだ。

 信也はその光景に驚いたのか、目を瞑り、己が力を忘れたかのように身を縮めこむが、


「ほんま…………えらい世話焼けるなァ…………」

 

 しかし、はんなりとした女性の苦言と同時、そのパワードスーツの巨体は、信也の目前でバラバラに分断される。

 不可解で摩訶不思議なパワードスーツの破損。それをやってのけたのは、やはり、屋上から降りてきた魔性のアランカヌイ――――玉藻の前であった。 

 

「おーい、にいちゃん」


「…………坊や」


 信也の近くへと降り立った玉藻の前。

 彼女の腕にはお姫様抱っこをされたニシがいた。そして校庭へと降りると、信也へと近づいていく。

 英菰も信也へと近づくと、その場に世津をそっと下ろした。すると、すぐさまに信也が世津を抱き寄せ支える。世津もおとなしくその胸板に顔をうずめていた。

 そんな二人の様子にニシは少し心打たれていたのだが、英菰は納得がいかないとニシへと鋭く訪ね、そんな束の間の和やかな雰囲気を壊した。


「ニシなんでその狐と居るのっ」


 本当に空気を読まないながらも、英菰からの疑問も当然である。ニシはしどろもどろに、どう説明したものか。と頭を掻いた時、


「あらあら…………うちに助けてもろたくせに、威勢ええなぁ…………」


 ニシへ助け舟を出したのは、その張本人たるアランカヌイ。

 「どういう意味よ」と威嚇する英菰に対し、ニシは後で説明するから今は待ってくれ。と、逃げるように信也へと顔を向けた。


「おお、坊や。恰好よくなったねぇ」


 ニシは、信也の全身をまじまじと見た。

 もう、背丈はニシが追い越してしまっていた。おそらくは悠馬と同じくらい。

 コンビニでの時は基本買い物袋と料金表示にばかり目を取られており、分からなかったのだが、意外と長い髪をしている。

 ただ、その優し気な眼差しだけは全く変わっていない。


「もう脇役だ何だってはぐらかすなよ?俺は西臣明道。」


 ニシから握手を求められた信也は世津と顔を見合わせた。そして、軽く笑い合うと数年越しに自己紹介を済ませる。


「ああ、僕は榊信也。よろしくね。」


「でぇ!!!ニシ!!!お前なんで、コイツと一緒に居たの!」


 英菰に半分怒鳴られるように肩を掴まれ、ニシはそちらへおそるおそる振り返った。

 ただ、そこにはもう、英菰の姿しか見られない。今回の功労者といっても過言ではない、はんなりとした女性の姿はもうなかったのだ。


「あぁん!?あの性悪狐どこじゃ!」


 英菰の憤りはこの際、隣に置いておくとして、ニシは世津と信也へと「もう大丈夫だ」と声をかける。


「ああ、今回の件、本当にお世話になったね。皆ありがとう」


 世津を抱きかかえたままに、信也は皆の顔を見て、頭を下げた。

 対して英菰ははんなりとした女性への怒りの矛先を変えたのか、今度は信也へと噛みつく姿勢を見せ始める。


「…………いいけど、おじさん強いんなら最初から加勢してよ」


「あ、はは…………僕別に強くないよ。今回も正直心臓バクバクで。もう、力のコントロールまるで出来ないんだから僕って…………まいっちゃうよね…………」


「そうだね、だからいつも私が矛やって、信也君はもっぱら盾だもんね。まったく困ったものだ。」


 そう言いつつも、世津の表情は甘えるようで。

 また英菰は納得いかないなぁ。と、ニシと信也を見比べた。幼馴染補正があるとはいえ、いや、無くても、ニシの方が格好いいし、頼りになる。と自信を持って言える。

 そして、だからこそ、ニシはタイプではないのだろうとも察してしまう。要はおそらく世津は、ダメ男に引っかかるタイプなのだろう。と、英菰は彼女の明確な欠点を見つけてしまった。


「ニシ。自信を持て。お前はカッコイイ」


「英菰さ、ほんと空気読んで?こんなイチャイチャの前で言われても惨めになるだけだから…………」

 

 言ってもらえるのは嬉しいけどさ。と凹み始めたニシを見て、英菰は気持ちを引き締めるためにも、厳しい声音で話題を戻す。


「じゃあ、これからはおじさんも作戦に組み込んでいこう」


 ニシは、そんな臨戦準備万端といった英菰を見て、何事だと尋ねた。すると、英菰は何を当たり前のことを、といったキョトン顔でニシを見る。


「何って、これから始まる土御門との戦いの話でしょ」


 普応は言っていたのだ。面が割れた以上、今後一生追われ続けるのだと。

 英菰の聞くまでも無いでしょという顔を見て、ニシは「…………あっ!!」と、今しがた思いだしました。とばかりに顔を手で覆った。

 そして、苦笑しながらも結論だけを言う。


「その件はもう片付いた。にいちゃんも世津も今後はもう大丈夫だから」


 信也は「おぉ!」と事情を知らぬゆえの感嘆を零した。

 一方、上役が死んだゆえの事情をしっている女子二人は「「はぁ?」」と綺麗に声を合わせ、英菰が続けてどういう意味だと、ニシへと詰め寄った。


「ああ、たぶんその件で、玉藻の前も行ったんだ」


「おいニシ。もったいぶんな」そう言って英菰は片眉をひそめたが、次に放ったニシの言葉で表情を緩めることになった。


()()()が、あとは何とかしてくれるってよ」

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