第一章 22
「こ…………英菰!!」
保健室のベッドの上で、予備の体操服に着替えさせられて寝ていた英菰は瞼を開いた。
でも、瞳孔が機能していないのか、焦点も合わなければ、光の取入れ量も間違えている。
眩しい。白い世界。でも、この己を呼ぶ声だけは、間違えるはずがない。
「ぅ…………あれ…………に、ニシ?」
言い当てたと思った矢先、感極まったニシは英菰へと抱き着いてしまった。
昨日はあれほど、丁重に、繊細に扱ったというのに。今はもうそんなことはなかったかのように。
それはきっと、悠馬の件がニシ自身の心の中で、無視できない棘のように突き刺さり、チクチク、ジクジクと苛んでいたゆえの反動だろう。
幼馴染を失ってしまったのではないかという不安が溢れ、つい行動を伴ってしまったのだ。
「英菰!よかった気付いたか!?」
「…………ニシっ…………え!」
英菰の目の前にいるのは西臣明道その人に他ならない。
整った容姿に収められた垂れ眼は安堵によってさらに引き下げられている。
口は半開きながらもゆるやかに口角が上がり、英菰を呼んでいた形に固定されていた。
まったくもって普段通りの幼馴染がそこにはいて、
「え、なんであんた、傷は!?」
ニシを押しのけ、いや、押し倒す形でベッドの上で彼へのしかかると、その傷があるはずの腹を見るために、両手でブレザーをめくり上げた――――しかし、無い。
「傷が、無い。な、なんで!?」
いくら探しても、赤い血液の痕も、切り傷の治った後特有の癒着痕も見当たらない。
むしろ、英菰がのしかかり、強く手を押し当てているせいでそちらの方が赤く、凹ませてしまっていた。
「そ、それが、わかんねーんだけど…………」
ニシ自身困惑しているといった表情で、眉を八の字に曲げてから笑いをした。そして、そのまま見つめ合うような姿勢で固まった二人を引き裂いたのは、「こほん」というわざとらしい咳払い。
「あのーお見合い中の所、悪いんだけれどね、お二人さん」
呼び止められ、ニシと英菰は保健室中央の方を見やった。
そこには、ゆかりが安堵に胸をなでおろし、その隣にいる智成は血涙を流す勢いでハンカチを噛み締め、ニシを睨みつけている。
そして、二人を呼び止めた張本人である通利は、
「…………不純異性交遊はよろしくない」
彼は既に己のブレザーを着直し、腕組をして片眉をあげていた。
その顔は少し朱色に染まり、目のやり場に困ると訴えていた。
英菰とニシの二人は、通利の言葉を聞き、冷静になってお互いの体制を見直す。
ベッドに寝転ぶニシとその上に馬乗りになり、腹をさすっている…………ように見える体制。
見ようにとっては、情事に及ぶ直前。そう言って差し支えない状況に、
「おい、ニシ。おかしいだろ、なんで私じゃなくて、お前が顔赤くするんだよっ」
「…………ぃゃ…………もうお婿に行けない…………」
ニシは目も向けられない。なんてはしたないと言わんばかりに両手で顔を覆い、顔を背けた。
「きめーんだよ!顔を隠すな!」
ニシと英菰はそのままベッドの上で夫婦漫才さながらに言い合い、ひねくれながらもお互いの無事を堪能し始める。
もちろん、友達のいちゃいちゃを至近距離で見せつけられるなど、たまったものではない。
智成にとっては、幸せのお裾分けなど、負け犬の遠吠えなのだ。
「…………おい、小鳥遊。俺許せねーよ。なんで俺が助けたのにアイツがこんなにいい思いしてんだよ!?」
嗚咽に塗れた智成。もうはや号泣の勢いで保健室の床へ涙を零すと友達を見て、通利は何も言わず、智成の目の前へと、己の白いハンカチをすっと、差し出した。
「ズビーー!!!」
「うわー!?鼻をかむな!?ちょ、やめろ!いらない!ボクに返そうとするな!!せめて洗濯をしてからにしろ!!!」
「おい、うるさいぞ!!外野共!!ちょっとは話を整理させろ!」
英菰のもっともな意見に、ようやく保健室へと静かな空間が訪れる。その静寂が英菰の思考を助けた。つまりは、あれ。なぜ、ここに通利と智成も合流しているのだろう。と、もっともな疑問が浮かんだのだ。
英菰の疑問を見抜き、ここまで沈黙を守っていたゆかりが、説明をかって出た。
「実はな――――」
――――ゆかりは語った。
英菰が放送室で何かがあった後。ゆかりは、ニシを看病するため、保健室へ残ったこと。
そして、なぜか気配が無かったものの、その場に居合わせた、通利と智成の二人が英菰を救出しに放送室へと向かった事を。
最後に、校内放送で世津は校庭へ呼び出され、既に三十分以上かかっている事を。
「じゃあ何!?今せっちゃん一人って事!?待ってよ…………この保健室にはその間、誰も来なかったの?上の階はどうなってるの!?」
「上の階は…………行かない方がいい」
そう言ったのは智成。先ほどまで嫉妬で泣きじゃくっていたその顔は、今は、悲痛に瞳を潤ませている。
彼はこう言った。
英菰を保健室へと連れ戻した後、恐る恐るながらにも、二階の廊下まで数段といったところまで登り状況を確認した。と。
そして、その時の状況は、まるでゾンビ映画のようだったというのだ。
さっと見渡しただけで、非常勤の外山恵理子らしき人物が廊下に倒れ、他にも副担任の川村龍平は正気を失った態度で、壊れたNPCのように、廊下の壁へ向かって歩き続けていたと語る。
教室内からは悲鳴が聞こえ、廊下には他にも倒れ臥した人がいたらしい。
そして、下の階に来ないのは、おそらく階段を降りれないんじゃないのだろうか、との予想で締めくくった。
その凄惨な地獄絵図はB級映画のようで想像が雑に容易かった。
普段であれば、面白くも無い。見る価値も無いと映画館に足を運ばない映画が、今は同じく、面白くない状況として現実にここにある。
その事実が、保健室の面々を曇らせる。
中でもゆかりは、英菰が寝ている間にこの話を既に聞いていた。土御門の伝言役として、戦う力は待たずとも、状況の分析や戦況の判断は、智成やニシ、そして通利よりも秀でている。
しかし、それでも答えは見つからなかった。ゆえに今、最も答えへと至りそうな英菰へと己の疑問を問うた。
「私の指示で外へと安全地帯を確保に行った職員もまるで帰っては来ない。英菰。おまえの見解はどうだ」
「…………分からない。智成君はどうして死霊――――ゾンビが下に降りれないと思ったの?」
聞かれ、智成は顔をしかめた。
きっと、英菰の問いかけにこたえるため、二階の状況を思いだしたせいだろう。
「あいつら、段差――――倒れた生徒に躓くようなふらつき具合だった。階段を上り下りできるきもしなかった。あくまでも俺の予想だけどな…………ハッキリ言って、俺は怖くて、クラスには戻れなかった…………」
ニシへの嫉妬でハンケチを噛んでいたその口は今や、友達を見捨てた。そういう後ろめたさの歯ぎしりへと変わっていた。
「おまえに責任はない」そう言って智成の肩へそっと手を置いた通利は軽く慰めた後、英菰とニシへ視線を向けた。
「ついでに言うと、ニシについては、ボク達もわからん。英菰さんを保健室へと連れ戻してきたときには、もう既に元気いっぱいだった。まったく…………どういう状況なのか説明してほしいものだね」
「…………ちょっと考えさせて」
英菰は眉を八の字に曲げ、ニシから降りると試案を始めた。
まずニシの傷の件だ。治っているのだから理由はどうあれ、こちらは優先度は低いとした。
――――…………いや、待てよ。
と、英菰はハッとし己の体を隅々まで見渡して驚愕する。
そう言えばなぜ私も傷が直っているんだ!?その疑問が浮上し、叫んだのだ。
「誰が私を治療した!?」
「…………と、言うと?」
通利は英菰の次の言葉を待った。後出しをするために。
「私は…………焼かれてボロボロだった、あの状況から治せる技術はこの世にないっ」
英菰の記憶を聞いてから、通利はその事を言い忘れていたと肩をすくめた。
「ごめん、ボクもパニックだったみたいだ。英菰さん、はんなりとした喋り口の人物に心当たりは?」
ドクン。と英菰の心臓がリズムを踏み外した。
そんな口調の人物、いや、アランカヌイ。一人しか知らない…………。
ギギギ、と油の切れたブリキのように、ゆっくりと英菰は通利へ顔を向けると、が鳴り声を飛ばした。
「ソイツが、放送室にいたっての!?」
「ああ、やっぱり知り合い?ボクが行った時にはその人が英菰さんを治した後だったようでね、ニ、三言葉を交わして、ㇷッと消えたよ。誰だいあれは。マジシャン?」
対して、「は?」と怪訝を顔にしたのは智成だ。
「俺、そんな人ふぐおあ!?――――」
――――通利は智成の口へハンケチを押し込んで黙らせた。
幸いにも、誰も通利と智成のじゃれ合いには口を挟まない。普段から仲良くしていてよかったと、通利は内心息をついた。
しかし、通利の安堵とは裏腹に、英菰の脳内は混乱でいっぱいとなった。
「…………分からなくなった。なんでアイツが私を治すんだ…………」
それ以前にも、あのハンターの手ごまが階段を降りれない程度の練度の訳がない。きっと何か理由がある。
その上で、玉藻の前までこの校内へと侵入しているらしいときたのだ。しかもまだ爆弾が校内へ残っている問題も解決していない。
その事は、赤林普応と対峙し、致命傷を負わされたニシも同じ考え。「英菰。どうする」と、情けなくも幼馴染へ指示を仰ぐ。
「…………仮に、これまで安全だったのだから、とりあえずはここを拠点とするしかない。その上で…………残された爆弾の撤去も、憑りつかれた――――ゾンビの対処も今は後回しだ。」
「ちょっと待てまだ爆弾があるってのかっ」
智成と通利はそんなもの初耳だぞ。と驚愕に目を瞬かせる。だが、その場にいたゆかりは違った。
彼女は冷静に、不安を煽らないよう、努めて冷静に驚愕に顔を強張らせている二人へと説明をしたのだ。
そして、ニシと英菰は、ゆかりのその淡々とした様子から、望んだ形ではないにしろ、ある程度の事情は知っていたのであろうと悟る。
もちろん、悟ってしまえばその件を問い詰め、責め立てたくなる気持ちも少なからず湧いたのだが、今はそんな場合ではない。
爆弾の説明が終えた頃を見計らい、ニシは英菰に指示の続きを頼むと声を出した。
「どこに爆弾が有るのか、全く分からない。そして、上階は既に占拠されている。最悪の場合、そのゾンビたちの内誰かに爆弾を持たせている可能性だってある」
だから、英菰は保健室から校庭の方へと視線を投げた。窓は校庭方角に取り付けられていないため、ここからでは壁を睨む形になるが、英菰はさらにその先、今も赤林普応と対峙しているであろう世津を思う。
「私は、世津の加勢に行く」
英菰は一人で行くつもりなのだ。と、ニシには分かった。
戦う面持ちを浮かべる英菰の眼中には、ニシなど眼中も入っていない。
当然である。
ニシは少し魔力を操作できる程度の一般人。むしろ武道を嗜んでいる一般人の方がニシよりよっぽど役に立つ。その程度の実力しか今のニシにはない。
だから、自身もついて行く。なんてお荷物になる事を言えるわけがなく、己の拳を固く握って、喉の奥から絞り出したのだ「わかった」と。
「…………英菰、俺達一般人に出来る事はあるか?」
彼女達に並びたい気持ちを我慢して、押し殺して、ニシは聞き分けよくも、己の範疇での指示を待つ。
「近くから、長い棒でも、さす股でもいいから確保して、この保健室に立てこもってて。最悪すぐ逃げられるように、窓は開けっぱなしで、退路の確保をしておいて」
聞いたニシは、すぐさまゆかりへと顔を向け、目当ての道具はこの学校にあるか。と、問う。
「ああ、さす股なら、職員室に二つある」
ゆかりは言うや否や、保健室の出入り口へと体を向け「私が行く」と言い放った。
「…………さす股の場所を知っているのは私だ。バリケードも男手の方が強固なものを作れるだろう」
「決まったね、じゃあ私は行くよ」
英菰は勇み足でゆかりに背を向ける。そして直ぐ保健室の窓を開け放ち、片足をかけた。
その後姿に対し、ニシが声をかけた。
数日前の英菰の言葉を思い出し、少しの悪戯心が芽生えたのだ。
「ここは任せていってこい」
でも、その言葉は決して前振りというわけではなく、ニシからすると日常の延長線を演じる気持であった。
ここが帰ってくる場所なのだと。西臣明道の下へと戻ってきてくれという遠回しなお願いだった。
「この前の意趣返しのつもり?趣味悪いったらありゃしない」
英菰が肩越しに見たニシの顔は普段通りだった。
整った顔をクシャっと崩し、サムズアップでお茶らけて魅せる。帰るべき日常を再確認させたのだ。
「はいはい、大丈夫よ。じゃ」
帰りのチャイムが鳴ったからお開き。その程度の軽いノリで英菰は保健室を後にした。
そうして、英菰を見送った後、保健室へと振り返るニシ。
今のやり取りの間にゆかりは既に職員室へと足を運んだらしくその姿はもういなかった。
次に通利へと視線を向けると、彼はニシへと柔らく笑いかけ、予備の体操着が入っていたロッカーを出入口へ運べと顎で指した。
一方、智成はというと、苦虫を噛み潰した顔で、歯茎をむき出しに威嚇していた。
「これだから、イケメンは…………顔じゃなくて、手を動かせや!」
「へーへー、わーってますよ。」
すぐにニシがロッカーの中身を外へと放りだしてから倒し、長さ方向に回ると一息に持ち上げようとするが…………流石に重い。一人では難しい。
「トモ、ロッカー持つの手伝ってくれよ」
「ほんと仕方ねーなァ」
智成は声を掛けられると、ニシの反対方向へと周り、掛け声と共に持ち上げる。
何だかんだといいながら、智成は友達のいう事ならば渋りながらも聞いてくれる。なかなかに良いやつなのだ。
クラスではムードメーカーとして、一人はいてほしいキャラクターとして皆から愛されている。
だからだろうか、智成が放った次の言葉に対しても、ニシが不快感を催すことが無かったのは、
「ニシさぁ、おめーと英菰ちゃんって、付き合ってないよね?」
流石に距離が近くない?と智成はこの際だから聞いてみたらしい。
この状況下においては慢心ともいえる程の緊張感の無さだが、むしろ今はその軽率さがニシには嬉しかった。
「おい、変なこと言うなよ、あいつが好きなのは…………」
と、ニシは言いかけて、悠馬の名前を言うのは一瞬ためらわれた。なぜなら、言ってしまえば影が差すのではないかと恐れたからだ。それはもちろん悠馬の影ではない。
悠馬を殺したと告げたあの魔性のアランカヌイの影だ。あのはんなりとした女性が今、校内へ居るのであれば、それに付随する物、関連する者は言わぬが吉ではないかと、ニシは思ったのだ。
しかし、通利は臆面も無くその名前を言った。
「智成、英菰さんが好きなのは悠馬だ」
その時だ。
「――――きゃあっ」
小さい悲鳴がたしかに保健室へと届いた。
押し殺そうとしたが、無念にも漏れてしまったといった感じの悲鳴が廊下から響いたのだ。
「先生!?」
きっと、さす股を持ってきた先生に何かあった。
そう思った保健室にいた三人は、ロッカーを床に放り投げ、一目散に廊下へと駆け出た。
「どうしたんですか先生っ」
果たして、そこに、小山ゆかりはいた。
廊下に差すまた二本をばら撒き、腰が抜けたといった状態で廊下にへたり込んで、ニシ達へと横顔を向けていたのだ。
その視線が見上げているのは、
「あぁら…………また会うたなぁ、小鳥遊はん」
黄色い瞳が爛々と光り、四人を収めている。
「その声、君はもしかして、さっきの…………」
その着物姿を現し、魔性の声を廊下へと響かせるアランカヌイがそこには居た。
腰まで届く見事な烏羽色の髪を振り、優雅にニシを見やった。
「それと、西臣明道はん…………ごきげんよう。ぇ~え天気やねぇ。嵐の最中や…………」
魔性の大化生。傾国の化け狐が、情欲をこそばゆくもカリカリと刺激する。
「おまえ、コンビニの…………」
ニシは驚愕しながらも、その全身像を初めてよくよくと見やった。
彼女は、袖を胸元に置き、腕を組むように、ともすればさも大事そうに何かを抱えていた。
切れ長の瞳をさらに研ぎ澄まし、くすりくすりと上品に笑う。その姿に、
「お、おい、ニシ誰だこの美人!!」
智成が好奇に叫んだ。
かつてニシがコンビニで通った行動の既視感が、奇しくもニシを現実へと引き戻した。
「いや、おいトモ。今そういう雰囲気じゃなかっただろうが。空気読めよ阿呆」
「ふふ、うちはそういう子嫌いやないよ…………ゆーもぁ?を、忘れてしもたら人生楽しさ半減やさかいになぁ」
はんなりとした女性は横文字を使い慣れていないのか、あざとくも小首を傾げてそう言った。
しかし、惑わされてはいけない。ニシは、鋭く訪ねた。何をしに来たのだと。
「なぁんで、みんなうちん事を親の仇がごとく睨むんやろなぁ、ちぃ~とばかしお話しよ。思ただけやんになぁ…………」
はんなりとした女性がそう言って甘い溜息をついた直後、その存在感が、急激に膨れ上がっていく。
魔力を齧ったニシでなくとも、その場にいた全ての人物が、緊張に顔を強張らせ、彼女の一挙手一投足に全神経を注いだ。
そして、緊張が最高潮に達した時――――
「――――梵っ!!」
廊下を悲鳴が支配した。
「なんだ!!」というニシも、「きゃぁ!?」と頭を抱えたゆかりも、「うおぉ!」と腰を抜かした智成も、「っ」と、一人だけ気丈に耐えた通利ですら。結局は四人共廊下へと伏せた。
最も張力が掛かった緊張の糸を、玉藻の前は唐突に放った己が口で作った爆発音で断ち切ったのだ。
「…………ぷっ…………ククク…………あぁははははっ!!!」
そして、笑う。大笑い。さもおかしい。いとおかしい。ああたまらない。
そう言った感情を隠すことも無く、余すことも無く、包み隠さず。
玉藻の前は、上品を笑い飛ばして、四人を一笑に伏せてみせたのだ。
「ククク…………ぁ~おもろいなぁ…………ふふふ…………あんたはんらと一緒にいると飽きひんわぁ…………ほんま」
はんなりとした女性に、いいようにしてやられた。
掌で、いや、舌の上で転がされたと理解したニシは「いったいどういうつもりだ!!!」と強く唸った。
ニシの問いかけに対する答えは、玉藻の前が胸元へ抱えていたとある物を、その場に落とす音で返された。
がちゃがちゃがちゃ…………と、廊下に落ちた粘度材。
それは、つまりは爆弾だった。
しかし、一行は皆それが何を意味するのか分からず、一転して呆けた顔で、それぞれの顔を見つめ合った。
それでも答えは見つからず、結局は皆の顔を、視線を独り占めしたのは、やはり魔性のバケモノだった。
「これで寺子屋ん中のは全部やよぉ…………ふふふ…………」
その言葉の意味を意味深に捉えずに、正直に受け取っていいならば、爆弾は既に撤去したということだろうか。しかし、なぜ、はんなりとした女性がそんな事をするのかの意味が分からないニシは、なぜこんなことをしたのかと吠える。
いったいどういう風の吹き回しなのか。と、噛みついた。
途端。
ニシの唇へと人差し指をあて、
「……………………っ!?」
ニシの吠え面を黙らせる。
いや、それだけでではない。ニシ以外の面々も、自ずと口を結んで息をひそめた。潜めざるを得なかった。声を出すなんてもってのほか。息をするのすら憚られる。そんな独裁的な静寂を作り出した。
代わりに、はんなりとした女性がうっすらと微笑み、艶やかな唇を震わせたのだ。
「ちぃっとばっか口結んどきぃ…………色男はん…………うちなぁ悠馬はんから伝言もろてるんゃ」
はんなりとした女性がそう言うだけで皆、恐ろしかった。怖ろしくて、畏ろしいのだ
ニシはまた、コンビニでの出来事が蘇る。
これだ。この存在感が、絶大な魔力の本流が、全ての有無を沈黙させるのだと。
「明道はん…………」
呼ばれ、
「なんだよ」
ビクリ。と、それでも強がって返した。
その返事は震えていたが、上ずらなかっただけ上等だろう。
「なぁ、悔しないん?」
「何が――――」
「――――友達ばぁっか戦場送り出してからに、悔しないん?」
その言葉を聞いて震えたのは、恐ろしさに由来したものではない。図星を突かれたゆえのもの。
例えるなら、親に隠していた秘密を、机の上に置かれていた時のような、秘め事をつめびらかにされた時に似ていた。
だから、反抗期のように声を荒げた。
「…………悔しいに決まってんだろ、でも、俺は弱いし、行ったら邪魔になるんだから、この選択が一番正しいんだ。俺は、俺が英菰と悠馬の日常だってんなら、俺はそこからアイツらが帰ってくるのを待ってやるのが一番、アイツらのためになるんだっ!」
「ふぅん…………ほぉんま…………真逆の性格やなぁ…………聞き分けよぉて、でも、平らかでなぁんもおもろないぁ…………」
「なにがっ」
「もう、あんたはんは壇上へ上がったんやないん?」
あの眼差し優しい男に、主役だとそう言われた。
「…………」
「もう、あんたはんは待ってる側じゃあないやろ。一緒に、行ってきます言うて、一緒にただいま言う時期来とんのとちゃうん?」
魔力を知った。でも、練度が足りない。と、こぶしを握った。
「明道はん…………悠馬はんはなぁ、力足りずとも、なんなら無ぅてもこういう時、うちに対して立ち向かって来はったで?あぁいうんが、恰好ええ言うんやろなぁ…………」
でも…………できればそうしたいが、その力はまだない…………力?と、玉藻の前を見た。
「はぁ…………やっこさんらが、あんたはんのお守しとった気持ち癪やけど、ちぃっと分かってしもたなぁ…………ここまでお膳立てされても、言う事ないん?矜持も外聞もかなぐり捨てて、汚らしくも声を出す事あらへんのぉ?」
目の前の女性は、爆弾を取り除いてくれた。いや、それどころか、通利の話を信じるならば、英菰すら助けてくれたらしい。
悠馬を殺した容疑もあるが、ニシ自身はその眼で現場を見たわけではない。
もしかしたら。と、ニシは楽観的ながら思ってしまう。
素直じゃないが、いいや、彼女からしたらとても譲歩した形で、敵対の意志は無いと示してくれていたとしたら――――
「――――るか」
「…………ん~聞こえへんなぁ?」
「俺にその力貸してくれるかっ」
その眼差しはまっすぐで、悠馬とは似ても似つかない垂れ眼だが、瞳に宿った意志は彼を彷彿とさせた。
「…………試しは終いゃ。ほな、悠馬はんの伝言伝えたるさかいよぉ~聞きぃ――――」
その時、玉藻の前は、邪知を捨てた慈愛にも似た笑みを浮かべたのだ。
次に聞いた言葉は、コンビニでの悠馬の言葉であった。
「――――ニシ、お前の力になってやる」




