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第一章 19

 小山ゆかりが昼休みに入って、数分後の事だった。

 ゆかりはその時既に、職員室は自身のデスクに座り、持参している弁当箱の包みを解いていた。


「小山先生。今日なにか、元気ありませんね」


 ずばり言い当てられたゆかりは、背筋を伸ばし、背後から声をかけてきた女性を見上げた。

 外山恵理子(とやまえりこ)。美術の非常勤講師をしている仲の良い同僚だった。


「え、ええ。まぁ、少し体調が悪いかもしれません」


「あぁ、最近暑かったですから、気温の変化にやられちゃったのかもですね。お大事に」


 本当の原因は気温などではない。


「…………ありがとうございます。外山先生」


 ゆかり自身は分かっている。この体調不良は悠馬の死に関与してしまった罪悪感によるものだ。

 そのせいで、今日のホームルームでも逃げるように教室を出てしまった。

 実は、午前中の授業終わり、英菰の呼びかけも聞こえていた。でもあえて無視をした。

 それはもちろん、彼女が土御門の人間だからだ。きっと、今日の悠馬の欠席について聞かれると思った。いいや、もしかしたら、悠馬の死に深く関連したところまで既に知られているかもしれない。

 

 思えば思う程、考えれば考える程、胃が重くなる。延々、首なし死体の映像が脳裏に流れる。

 いっそこんな思いをするならば、逆神神社に行かなければよかった。そう思わずにはいられなかった。

 いいや、それを言い出すならば、あの女生徒――――赤林普応(あかばやしふおう)と病院で面会した際、私情をこらえ、冷徹に、伝言役に徹していれば済んでいた。と、悔やんでも悔やみきれない。

 

 でも、結局、冷静に対処していても、妹がどうなっていたかは分からない。

 普応は狡猾だ。そして卑劣。共感性がなく、表面を取り繕うのは易く行うサイコパス。戦闘も潜伏も高い性能を誇る。

 土御門のハンターランクで測るならば、『A』。つまり最高ランクに位置する化物だ。

 で、あるならば。当時の感情の揺らぎはは不可抗力。自身は悪くない。そう、自身を騙し、大義名分を装って、責任から逃げるのに必死であった。


 ゆかりは周りに気付かれぬよう、小さく、小さくため息を吐き、普応の今後に意識を投げる。

 彼女は、ゆかり以外からも人質を取ると言っていた。それも、この学校から。

 その上で、学校閉鎖の五日間を使い、根回しもじっくりするとも…………。 

 世津たちはお人好し(馬鹿)だから、また暢気に学校へ登校してくるのだと。そして、だからこそ、学校の人物を人質に取るのが最も効果的なのだと。そう言っていたのだ。

 

 でも、と眉をひそめる。つまり私はまた…………っ。そう考える。

 そう。言ってしまえば、ゆかりはまたこれから起きる惨劇について、見て見ぬ振りをすることになるという事。また、被害者面をして、のうのうと生きていくのだ。

己の悍ましさにまだ何も収めていない胃袋の中身を戻しそうになった、その時だった。

 

 轟音と、それに伴う許容できない振動が、ゆかりのデスクを、職員室全体をゆらしたのは。 

 ゆかりには閃きも、直感も必要なかった。あぁ、きっと始まったのだと。諦観があった。

 非常事態に慣れていない先生たちは、行儀良くも机の下に隠れた者も居た。他には身を寄せ合って、何事かと推測している群れもいる。

 でも、ゆかりのみは、それらの輪から一歩引いた目線で、冷静に声を出した。 


「皆さん何かあったようです。まずは、状況確認と生徒達の安否確認を優先に動きましょう。担任でない教師は、公的機関へ速やかな連絡。それと、余った手の者は必要書類を持って、速やかに安全地帯の確保を。」


 ゆかりの指示を聞き、すぐさま、職員は行動に移す。その際、職員の中には、ゆかりの鮮やかな手腕に対し、感嘆の声を挙げる者も居る。

 やめてくれ。と、内心で吐き気がした。あなた方と違って、私には事前情報があっただけだ。こんなのは八百長なのだ。むしろ、生徒に手を出したごみなのだ…………そう、自覚すればするほど、惨めになる。


「小山先生も、二年三組へ行かれるんですか?」


 ハッと、そちらを見やると、恵理子が心配そうにのぞき込んでいる。おそらくは、体調が悪いと言われたことを気にして声をかけてくれたのだろう。

 しかし、甘えてはいられない。自業自得なのだから。


「ええ。すぐさま――――」


「――――あ、小山先生待って下さい。クラスには先に俺が行きます。先生は確か養護教諭の資格もありましたよね。念のため、薬箱を持ってきてもらえませんか」


 そう言ったのは、二年三組の副担任。川村龍平であった。

 たしかに無いよりはいいか。と、小山は川村へクラスを任せ、職員室を出ると保健室へと入った。

 保健室内には、養護教諭が居座るためのデスクが部屋奥に一つ。

 室内中央には簡易的長机が置かれており、パイプ椅子も無会話う形で四つおさまっている。

 入室して、左の壁には、体操服の予備が入ったロッカー。右の壁際には生徒の心のケアをするときにも使われる手遊び用の玩具がある。

 そして、ゆかりが今いる保健室へ入室してすぐ右隣りにはベッドが二つ。薄黄色のカーテンに仕切られ設置されている。


「薬箱は…………」


 あった。ロッカーのすぐ脇に、引き出しが置いてあり、その上に分かりやすく置いてある。

 近づいてそれを手に取る。木製の長方形。上蓋が開くが、普段は打掛錠で閉じて在るタイプのものだ。

 

「さて…………」


 手に持つと、薬箱内部の治療道具が傾いたのか、少し座りが悪く。重心を持っていかれそうになった。我ながら貧弱だ。そう自虐した時、保健室のドアが開き、生徒が入ってきた。


「小山先生」


 英菰と世津の二人であった。 


「…………お前たち、いったい」


 どうした。と言いかけて、気付いた。二人ではなく三人だったのだと。

 世津の後ろにおぶさるように、西臣明道がぐったりとうなだれている。

 女子二人の表情は焦って肩で息をしており、一方ニシの方は虫の息。

 ただ事ではない。何が。そう思い、ゆかりが下を向いた時、血の気が引いた。世津の左わき腹から左足に掛けて、血液が滴っていたからだ。

 それは、ニシの血液であると世津が答えた。続いて、途中、先生方を見かけたから全力で逃げながらここまで来た。と英菰からも説明を受ける。肩で息をしていたのはそのせいのようだ。


「その傷は、赤林普応(ハンター)に…………?」


「…………やっぱり、先生やっぱり誰がそうなのか、知ってたんだ!」


 英菰は悲鳴と遜色ない声を挙げる。なぜ言ってくれなかったのか、土御門の伝言役とはいえ、あなたは私達の先生でもある筈でしょう。そんな感情が孕んだ残念である。

 しかし、今はそれよりも優先すべきことが有る。そう言って、世津は叫んだ。


「英菰!何度言わせるの、ニシ君が先」


 世津はカーテンを勢いよく開け放ち、ベッドへとニシを寝かせた。そして、ゆかりが手にしていた薬箱を見ると…………しめたっ。と口角を上げ、ゆかりから奪い取り目当ての包帯を取り出す。

 そして、ニシのブレザーとワイシャツを躊躇いなくハサミで切った。

 傷があらわになる。普通の刺し傷と違い、傷口の周りがなにやら膿んだように薄く紫かかっていた。


「英菰、傷が深い。早く病院へ行かないとまずいよ」


「そ、んな…………」


 傷口からは血液がとくとくと流れ出ている。見るからに痛そうで、目を背けたくなる。

 そんな状況を目の当たりにして、ゆかりは、北東悠馬の死体がフラッシュバックする。だから、もう勘弁してくれ。うんざりだ。そう、歯ぎしりをした。


「おい、素人がむやみに触るんじゃ」


 ゆかりはもう関わりたくないとばかりに、専門家に任せろと匙を投げた。しかし、英菰は首を振った。そして、「また、電話がつながらない」と現実を告げた。


 言われ、ゆかりが自身のスマホを見やると、やはり圏外で、


「それに、例え救急車が来ても、ニシは乗せられない。そう脅されてる…………」


 英菰は沈痛な面持ちで、世津へと次の処置をどうするか聞く。


「そう、だから今は応急処置でも何とかするの。英菰、消毒用エタノールで包帯濡らして。ニシ君、これ痛い?」


 世津がニシの背中へ手を回し、傷の真後ろを少し押した。


「ぐっぁ!?」


 大地に打ち上げられた魚のようにニシは反応を示す。まず間違いなく、傷は内臓まで到達している。

 ただ、不幸中の幸いなことに、刺し傷は腹部。おそらくは大腸の部分。すぐさま死に直結はしないはずであった。


「…………内臓あいてに、こういうのはやりたくないんだけど、ごめん。ニシ君」


 世津は言った瞬間、ニシの傷を氷結させ止血する。

 以前にも英菰に対し、行った手段だ。しかしこれは、時間制限がある。あまり長く氷らせていると、今度は凍傷になる恐れがある。


「ニシ君、全力で魔力を回して、細胞を活性化させて、血の流出と、凍傷を遅らせるの、できる?」


「あ、ああ、わがっだ…………ゃってみる…………」


 ろれつも回っていない、濁音が占めるニシの返答を聞いて、世津はゆかりへ顔を回した。


「よし…………先生お願いがあります。先生も土御門の人なんでしょう。英菰に聞いた」


 時間は一刻を争う。世津は戦う覚悟を決めた。だから、ゆかりへニシを託す。


「ニシ君の傍にいて上げて下さい、氷は、剥がそうと思えばはがせるから、先生の裁量で処置をお願い。英菰は力を貸して、あいつを倒して早く病院送るよ」


「うん、私もアイツ一発ぶん殴らないと…………気が済まない」


「お、お前たち、本気か…………」


 ゆかりの、驚愕に対し、世津と英菰は真剣に言うのだ。


「私達は、友達傷つけられたのが許せないの」


 ゆかりはそれを聞いて、無意識に顔を伏せた。胸中でえも言えぬ感情が巻き起こったのだ。

 だって、ゆかりなんて、身内を傷つけられたのだ。でも、泣き寝入りをした。それどころか、赤林普応に従い、この事件を引き起こした共犯と言っても過言ではない。

 もやもやとした気持ちを引きづり、何も言いだせなくなったゆかりを尻目に、世津と英菰は今後を決めていく。


「…………英菰、放送室に行って、やつにわかる形で挑発的に呼び出して、校庭で決着をつけようって」


「いいけど、それでアイツ乗ってくるかな?」


「たぶんね、アタシの考えが正しければ…………」


 世津は、ニシが襲われた時、最も冷静にその出来事を見ていた。そして思い至った事があった。

 あの赤林というハンターは、生徒達を霊で使い操っても、己が前に出ないと気が済まない質なのだと。

 その証拠に以前の宅村の件も、今回も、身をひそめて生徒を使って物量で押せばいいものを、自身の姿を見せるだけに飽き足らず、わざわざ世津たちを逃がし、まるで獲物を追い詰めるのを楽しむように、狩りに興じている。

 彼女は己が力をひけらかしたい。自己顕示欲と承認欲求の強いタイプだと分析したのだ。


「何度かああいう手合いとは戦ったことが有るけど、皆、相手の魂胆に乗った上で、自分が上だと分からせるのを愉悦にするタイプだった。そうでなくても、この雨でしょう。相手だって顔がバレずに済むならそうしたいはず」


「わかった、じゃあ――――」


 話が決まりかけた時、性懲りも無く、ゆかりはまた、己が可愛さで水を差した。


「――――待て!、私は、この件に関われない。妹が…………人質で…………」


「…………じゃあ仕方ないね…………英菰、悪いけど放送室へ…………」


「うん、ニシを凍らせてるのはせっちゃんだし、ここに残った方がいい、私が行くよ」

 

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