第一章 14
学校が閉鎖になり五日目。明日には学校が始まる。日曜日の夕方。
二週間に渡る日照りは陰を見せ、今は重たく厚い雲が世界の明度を下げている。
この天気はこれから一週間は空を覆いつくす予報だった。
鉛色の曇天の下。肉のぶつかる鈍い音と、風を切る空隙が素早く振るわれる肢体から生み出される。
音は、世津の家。その裏庭から響いていた。
ただただ、土をまいただけの九畳半の裏庭は、花壇も無ければ、ペットもいない。手つかずな質素。
プライベートの最低保証としては、隣人との境界線へ、長さ二メートルの白い木の板を隙間なく敷き詰め、目張りされているのみ。
裏庭に通じる家の縁側には英菰が座っている。退屈そうに後ろ手に体重を預け、足をパタパタと揺らしている。
宅村に引きちぎられそうになっていた首元の傷は、もうほとんど完治しており、化粧品で上から覆えば誰の目から見てもわからないだろう。
「ぐぁ!?」
英菰の顔が、大きな喘ぎを上げ、土の上で体勢を崩し、そのまま二回転半転がったニシを追った。
転がしたのは世津だった。涼しい顔でリラックスして立っている。その青い瞳はやれやれと細められ、わんぱく小僧を相手する保育士のようだった。
今、ニシと世津は組み手を行っている。ルールは単純に魔力による体内強化のみ。ニシが世津へと一撃くわえる事が出来れば終わり。というシンプルなもの。
「うぅ~…………」
喉から唸りを上げ、プルプルと立ち上がったニシ。もう何度転んだのか。といいたくなる程、土と埃に塗れている。
痛みを発しているのは、今しがた掴んで投げ飛ばされた右腕の肘関節と、払われた右足首。
以外にも、背中にはもうほとんど傷みがない。理由は英菰と同じである。
この五日間。ニシは魔力の制御の中でも、初歩的な血流の活性へ重点を置き、魔力を感じるようにしてきた。その作用として細胞分裂や新陳代謝がすこぶるよくなり、怪我の治りが常人の三倍速くなっていた。
「こなくそぉ」
ニシは叫ぶと同時、脚を魔力で活性化させる。
思いのほか早く、魔力を扱う感覚は掴んでいた。手足のように自在。と、まではまだいかないが、聞き手とは逆の手で文字を書く。それぐらいの要領は得ていたのだ。
それは、世津が言っていた通りだった。例えば、怒りで体が沸騰するが如く力がみなぎる感じ。あるいは、命の危険に瀕した時に火事場の馬鹿力が出る時に似ていた。
そして、ニシの両足に力がこもった。ピリピリと電気信号のような刺激が起こり、直後、ウォーミングアップが終わった事を告げるように熱く滾った。
姿勢を低く、まるで倒れる様な仕草で、重心を前に置くと、ニシは土をまき上げ、世津目掛けて一直線に突進した。
「おりゃあっ!」
その動きは素早かった。
三メートル以上あった両者の距離を一瞬で縮めたニシは、アシンメトリーの髪がオールバックになる勢いのまま、世津の右肩を狙って拳を放った。
「ん、んー…………直線的だね…………」
しかし、世津は苦笑し、余裕な態度でニシを補足したまま、ひょいっと半身捻るだけで避けられる。
その際に、足を引っかけられた事でまたニシは転がった。
しかも今回はそのまま隣人の境界線たる板へと顔面から衝突して、辺りへ発砲音にも似た乾いた音が響く。そしてそれがまた、今回の勝敗を示していた。
「はぃーい。せっちゃんの勝ちねぇ」
「…………ちくしょぉ」
世津と英菰へと振り返ったニシは鼻血を出して、困り眉だった。
この組み手は、二日前から始まった。それというのも英菰曰く、夜寝ている時に見る夢が最も危ないかららしい。
夢は本人にとって本物の事として見る。よって、寝て覚めると角が生えていた。鱗が合った。等々、ゆめで本人が体験していたことが、魔力の暴発として起こりやすいらしい。
そうならぬよう、転ばぬ席の杖として、日常的にも、非日常的にも昼夜問わず。魔力を感じ、扱うことをおろそかにしないようにとの訓練。
ただもちろん、今後はアランカヌイに遭遇した時の生存力を上げる目的も、英菰には在った。
「はぁ…………ちょっと休憩させてくれよ」
もうクタクタ。空を仰ぎ、苦しそうに肩で息をするニシの懇願を聞き、英菰が家の中へと振り返り、壁掛け時計を見た。
「ん、もう四時か、もともと魔力の操作が目的だったし。及第点かな。良し今日は終わり」
「ニシ君、お疲れ様」
世津が差し出した白魚のような手を、臆面もなく掴み、ニシは起き上がった。
この五日間、二人と一緒に生活してきたおかげか、緊張したり、どぎまぎしたりといった言動の行き違いは全く起こらくなっていた。
最初の頃こそ、世津のお風呂上りや、英菰のトイレに出くわし、正座で怒られたりもしたのだが、今はもう、そのようなことは無い。きちんと、声を出すし、ノックをするのだ。
「じゃ、夕飯の支度ちゃうね。」
しかし、この五日間生活を共にして、気がかりなこともあった。
「なあ、今日も親御さん。帰ってこねーの?」
ニシと英菰が厄介になってから一度も、世津の同居人は家に戻っては居なかったのだ。
「ん。明日帰るって。まったく、困ったもんじゃんね。あ、そうだ二人のうちどっちか食器用洗剤買ってきてくれない?午前中買い忘れちゃって…………」
世津のお願いの直後、
「ニ~シ!」
話し合いも、公平なじゃんけんすら無かった。
英菰はニシを見る事すらなく、おい、お前が行くに決まってるよな。とその名を呼んだのだ。
「ちょっと待って、俺一人!?人質とかなんとか言ってたじゃねーかっ」
「む…………それもそうか。せっちゃん、一人でもいい?」
聞かれた世津は絶賛料理中。
ニシと英菰は気付かなかったのだが、世津は午前中の間に、いつのまにやら夕飯の仕込みを終えていたらしい。
それゆえ、丁度味見に差し掛かった時だったようで、左手に味見用の皿を持ち、空いた右手でオーケーサインを作っていた。
「ん。じゃ、行こう」
「了解でありますっ」
英菰の呼び出しに、空元気の敬礼で返すニシ。
俺疲れてるんだけどなぁ。という気持ちはおくびにも出さず、引きつった笑顔で世津の家を出た。
この五日間、何度か買い出しに出ていたこともあり、この土地も慣れたもの。
少なくとも、いつものコンビニと、最寄りのスーパーマーケットまでの道は完全に把握していた。
「どっちいく?」
と、言う。英菰の上目使いには、一瞬の逡巡の末、コンビニの方向へ指を差したニシ。
「…………コンビニのが坂道ねーから」
スーパーマーケットは緩やかながらも坂道を登っていかなければならず、この疲れ切った体では両足の腱が切れたようなもの。たどり着く前に息絶えてしまう。と、ニシは考えた。
コンビニへと進路を取るが、だが、それはそれで、ニシの態度はしぶしぶといった感じだった。
当然である。実はコンビニへの方が、距離的にはずっと遠い。
この疲れ切った体で…………いいや、でも、コンビニの坂も苦しいし…………。
ニシは葛藤の末、やはり、坂道の方がつらい。行きはよいよい帰りは恐い。下り道では、きっとよろけてこけてしまう。そう自身を説き伏せた。
しかし、こうして、英菰と二人だけでいると、否が応でも、もう一人を思い出してしまう。そのせいで、また別の不安が大きなしこりとなり、足取りを重くする。
ニシは、スマホのホーム画面を開いた。そこには、返信の無いメッセージアプリが表示されている。
「なあ、ユウマのことだけど」
今日の昼頃。悠馬の母である香織から電話が来たのだ。
息子が昨晩犬の散歩に出かけてから帰っていないのだが、行方を知らないか。と。
たった一日と思うところだが、悠馬は無断で外泊する事などめったにない。ニシとつるんでいはいるが、ニシよりは優等生なのである。
「私も分からないわよ」
英菰もニシ同様、スマホの通知を確認した後、ぶっきらぼうとも思える返し方で言った。
彼女が悠馬に好意を持っているのは、誰の目からでもわかる。きっと、内心穏やかではないだろう。
ニシ達が通う高校は特殊で、クラス替えは三年間行われない。人数の変更があるとすれば、転校か、ニシ達のいる普通科から進学科への転科の時だけだ。
だから、ニシのクラス――――二年三組は英菰の気持ちに誰もが気付いている。と、いうより、一年の時、入学して二か月経つ前には既に羞恥の、いや、周知の事実になっていたが。
一年間、英菰の健気なアプローチを見守ってきた二年三組の面々は、悠馬が阿呆な対応をするたびバッシングを浴びせてきた。
「ユウマめ。何してんだあのヤロ…………」
ゆえに、今回は別の理由で小さく小さく、ニシは毒付いた。親友に対する不安や、早く安否の連絡を寄越せという焦燥感によるものだ。
事故や事件なんて線も捨てきれないが、最近知ったアランカヌイの脅威。持っているすべての知識が最悪なパターンとして連想され、様々な憶測を脳裏によぎらせる。
世津とか変わりは薄かったとはいえ、その件で巻き込まれた可能性だって捨てきれない。
「なあ、今更だけど、応援とか呼べないのか?、それで関係者を守ってもらうってのは」
「出来たらとっくにやってる。言ったでしょ、私、西派閥なの。そんな余裕あると思う?」
確かに、英菰の言を思い出しても、東と西。勢力差は歴然で、西から応援を呼べるだけの理由も、余裕も確保できないだろう。
「その上、理由はどうあれ、世津は正式に下った討伐対象。私は助けてもらった義理があるけど、土御門の西も、肩入れする義理は無いの」
ドライともいえる内容を、ピシャリとニシへ突き付けた。
この、学校閉鎖の間に、ニシ達の方でも、討伐依頼を取り下げる抜け穴がないかと、土御門規約事項や、ハンターの掟について話し合いを進めてきた。
結果、不正な手続きは一切見当たらず、むしろ、世津が行った掟破り――――ニシへ対するセリオン粒子の情報漏洩に加え、政府高官から直に依頼を受けているという、ナンセンスなほこりが世津からこぼれてしまった。
この子、討伐した方が世のためなんじゃ…………と、一触即発の空気になり、そこで裏工作はとん挫したのである。
「…………てゆーかね、あんたも、自分の影響力自覚しなよ」
いったい何のことだ。話の脈略が無く、意味が分からないと首をかしげるニシ。
対して、英菰はというと、すぐそこまで見えたコンビニへと足を早めた。
説明をしろよ。と、英菰を追いかけコンビニへと近づいた時気付く。コンビニの中は異様な程混んでいる。外を見やると、コンビニ弁当半額セール中。との見出しが店舗内のガラスに張り出されていた。
「弁当の廃棄セールかぁ?スーパーマーケット行けばよかったかな、レジも長蛇の列じゃねーか」
ニシの言葉に対しての反応は無かった。代わりに英菰は「独り言だよ」と世津の居ぬ間に、先ほどニシへ放った言葉の真意をぽつりぽつりと吐露した。
「せっちゃんは運がいいよ。もしも、あんたを助けてなかったら、私だって絶対信用しなかっただろうから」
その溺愛っぷりと過保護っぷりを聞き、ニシはげんなりと口を開けた。
そして、俺はお前のお姫様か何かか。と、少しむくれっ面になりながら、苦言を呈した。
「自覚してます。でも、あんたが悪いのよ。あんたは帰る道を照らしてくれるから」
「…………そんな、歯の浮くようなセリフよく言えるな。みろよ、鳥肌立ってきた」
ニシはわざとらしく身震いすると、コンビニの二重扉を掴む際、袖がまくり上がった己の腕に視線を集中させた。
だが、その視線誘導の理由を、英菰はあっさりと見破った。
「ん~なんか、顔赤くなぁい?どうした照れたか??ヒヒヒ」
悪戯に歯を見せ、いやらしく瞳を細める赤髪の幼馴染。
ニシは「うざぁ」とまた、げんなりし、懲らしめるためにとある話題を放る。
「…………その余裕をさぁ、ユウマに向けられればさぁ…………ヘタレがよぉ。おめーにもごりっぱな玉が二つ付いてんだろうが、それでも男か、嘆かわしい」
「乙女だよっ!てか、これは玉じゃなくておっ…………!?て、てめぇ何言わすんだ、ぶっとばすぞ!」
「緩急よ…………何?どうなってんのお前の情緒。一か百しかないの。世津を見習えよ。あんなに綺麗でがさつじゃないし」
どう考えたって、ニシの過失。失言なのだが、そんなこと知った事ではないとばかりに、追撃を食らわせた。
「ぁう…………やっぱユウマもそっちのが好きなのかな…………」
シュンという擬音が聞こえてきそうな程、翳が差した英菰。あ、言い過ぎたなかな。と、思い直し、今度はありったけの本音をぶつけた。
「英菰。今どきの男は一緒に居て楽しいやつがすきだ。その観点から見れば、お前はパーフェクトだ」
「ぉぉうう…………」
「お前は世津以上の魅力がある。明るいし、話してて楽しいし、顔だって悪くない。その上スタイルもよくおませさんだ。そしてなにより、ユウマとこれまでの歴史がある。アドバンテージはばっちり」
「へ、へへへ…………なんだ、どうした、お前私の事好きすぎだろ…………へ、へへへ…………」
猫のように頭を掻いて、照れ隠しをする幼馴染に対し、「だが」と、沈痛な面持ちで、ニシは現実をオチとしてつきつける。
「…………へ?」
流れ変わったな。と、英菰の照れが一瞬で引いた。
「その全てをドブに捨てるアプローチの下手さ。小学生男児が如きちょっかいのかけ方。俺は悲しい。涙がちょちょぎれる…………」
「…………コ。ロ。ス。」
「はぁい、どうどう。混んでるからな、店内はお静かに」
「オデ、オマエ、コロス。ポッキポキ」
「哀しいモンスターを生み出してしまった…………残飯処理はユウマに任せよう」
「オデ、オマエ、コロス。ザンパンチガウ。」
「お、自我の芽生えだ、ちょうどいい、洗剤って知ってるか?探してくれ」
アリクイのような英菰の威嚇を背中に受け、何食わぬ顔で洗剤の在りかを探す。と、陳列棚に残り一個だけ残された目的のものを見つけたニシ。そして、手を伸ばした…………が、
「っとぉ?」
隣から、伸びてきた艶めかしい黒の手袋に触れてしまい、驚いて飛びのいた。
「あらまぁ…………堪忍な…………」
その手の人物は、はんなりとした女性。なのだが、黒色の喪服姿をしている。洗練されたシックな装いはひどく人目を惹くというのに、どうして今まで気づかなかったのか。と、ニシは心の中で首を傾げた。
しかも、何故か分からないが、その姿を見ているといやに情動的な感覚を刺激される。
頭には喪服同様、黒色のチュールが付いたつば付き帽子を被り、そこから、黄色い瞳を細め、軽く会釈していた。
滅多にお目にかかれないべっぴんさん。ニシは大慌てで、かつ、本人には聞こえない様、英菰へと耳打ちした。
「お、おぃ英菰っ!すっげぇ美人!!…………ど、どうした?」
しかし、英菰の表情は強張り、目を見開いて驚愕をあらわにしている。
まるで、幽霊でも見た様な緊張感。嫌な予感が、ニシを駆け抜けた。
「…………な。んでお前がここにっ――――」
ほとんど叫ぶ勢いだった英菰の唇に人差し指を当てたはんなりとした女性は、
「――――しぃ…………場所うつそかぁ」
と、密会を誘う。
「え、英菰」
「ニシ、あんた洗剤買ってすぐ帰れ。走ってな」
「え、でも」
「お願い」
「行かんでもええよ」
ニシも馬鹿者ではない。英菰のは本音の懇願であると分かった。
でも、逃げられなかった。黄色い瞳に魅入られたが最後。本能が、女性に従うのが正しいのだと告げていたのだ。
「ふふふ…………さ、それ買うてきなはれ…………その間ぁにぃ終わるさかぃ…………」
女性の言葉に従い、ニシは彼女から目を離さないよう慎重に洗剤を手に取って動く。
じりじり、じりじりと。まるで殺陣で間合いを測りながら。そして、その瞳は、決してはんなりとした女性から話すことなく、じれったくも、長蛇の列の最後尾へと着く。
視界の隅では英菰とはんなりとした女性が、テンポのガラス越しに公衆電話の方へと移動していた。
一方、そうして、はんなりとした女性と英菰の二人は、コンビニの外。室外機が数台置いてあるコンビの裏へと歩み入り、両者向かい合う。
もう、今は夕方、四時半頃。はんなりとした女性と英菰の影は、黄昏時の中、あってないようなものとまで低い明度に溶け込んでいる。
室外機があるというのに、空気も冷たい。昨日までの暖気はどこへやら。また、これまで通りの四月の冷え込みに苛まれることとなった。
緊張か、寒さの影響か、はたまたその両方か…………英菰は一度身震いすると、己を鼓舞するが如くこぶを握り、魔力を錬りつつ唸る。
「おまえは、今、京都に封印されてるはず…………」
英菰の口撃を皮切りに、はんなりとした女性も話を始めた。
「ふふふ…………こないなしけた場ぁでうちが人間さんと話すぅなんて…………人生わからんもんどすなぁ」
「アランカヌイの分際でぇ、質問に答えろっ」
「悠馬はん、亡くなったぇ」
突然で唐突な発言に、
「…………なに?」
英菰は理解が遅れた。彼女は世界が停止したかのように、動きを止めたのだ。
しかし、その硬直を見たはんなりとした女性は、さも楽しそうに嬉しそうに、笑いを抑えるように、声を上ずらせて続けて言うのだ。
「ぽっくり逝きはった…………ぁあ見せたかったわぁ、あん間抜けずら。口ぽかーん開けててなぁ…………ふふふ…………」
「そんなっ」
そんな訳があるか。とは、英菰は言い切れなかった。
目の前のはんなりとした女性は、悠馬が封印したのだ。その命を絡めて…………。だから、つまり、女性が現世に居る時点で、悠馬に何かあった事は確実で。
英菰の思考が最悪を巡らせた時、はんなりとした女性は、さらに追撃を、確固たる証拠を突き付ける。
「あぁせや…………写真見はる?」
女性が懐から取りだしたのは、悠馬のスマホ。
英菰はその時点で、いやな予感が冷や汗となって掌を濡らした。
はんなりとした女性は英菰の動揺など、知ってか知らずか、慣れた手つきでロックを解除すると、ある画像を見せつけた。
「…………っ」
それは、最初、暗くてよくわからなかった。いや、脳が理解を拒んだのだ。
だって、人間の形ではなかった。薄暗い芝生の上で、赤黒い彼岸花が鮮血を撒いて横たわっている。
「…………ひっ…………ひぃ…………!?」
首のない胴体。でも、なぜか、それが誰のものであるか分かってしまう。長年連れ添ったゆえの直感もそうだが、着ている衣服が見覚えがある。
それはかつて、ニシと悠馬を交え、買い物に行った際、ふざけて買った限定品。
つまり、否が応でもその死体が本物であると告げていた。
「ふふふ…………ぁあええなぁ人間さんの見せる苦痛、沈痛、悲愴、諦観、あらゆる負ぅの顔…………ゾクゾクさせてくれはる…………」
「……………………うそ…………」
「…………楔が、朽ちたぁ…………」
ビクリと弾けるように黄色い瞳を見やった。
「やから、うちの封印が解けはったんよぉ?言わんくても分かってはるくせにぃ…………」
「うそだ…………私はそんなの信じないっお前の戯言だ!だ、だってじゃあ悠馬が殺されてすぐお前がここまで復讐に来たってのか!そんな訳――――」
「――――分かってるんに認められないぃんやねぇ、あぁ気持ちええぇなぁ…………どないな美酒よか、ずぃっと…………えらぃ胸に染み渡るわ、そん顔」
英菰がスマホを取り出し、どこかへと掛けた。そして、数回のコール音の後、英菰の顔は完全に感情を失った。かけた先は、京都土御門総本山。だが、
「あぁ~あぁ~…………あきまへん。やっこさんは、今頃てんやわんややさかいに、なぁんぼかけても出やせんよ」
はんなりとした女性の言う通り、コールは繋がらなかった。つまり、何かが起こっている。
異常事態。緊急事態であると、繋がらない事がなによりの証拠だった。
「ちなみぃにぃ…………殺ったんはぁ…………ふふふ……ぃや……これ言うたら面白ないなぁ…………ん?」
英菰にはもう、はんなりとした女性の声は届いてはいない。
いや、聞く耳を持っていない。英菰は放心状態で。それでも瞳に涙を浮かべ、現実を受け入れぬよう、固く唇を噛んでいた。
「あぁ…………気丈な振舞やなぁ…………ほんまに…………ひんむいてしまぉか…………」
そう邪に舌なめずりをしたその時、コンビニのドアが勢いよく開き、一つの陰法師が英菰と女性に割って入った。
「英菰!どうした!?」
ニシは洗剤片手に英菰へと駆け寄った。そして、傍らに幼馴染を抱き留めながら、その原因を作ったであろう女性を睨む。
「何者なんだてめぇ…………」
「さっきはどうも…………西臣明道はん…………ょねぇ?」
「…………なんで俺の名前をっ」
「やっぱり…………忌々しいあの小僧とは大違い。えらい男前やなぁ…………」
その言葉は、はんなりとした女性が初めてこぼした不快感だった。
だが、このバケモノが不快感を表すほどの相手など、英菰には一人しか思い浮かばなかった。
茶髪でニシより低い身長の幼馴染。瞬間、先ほどの画像が脳内へフラシュバックする。その事実がまた、英菰の顔を曇らせる。
その様子を見て、嬉しそうに英菰へと視線を移したはんなりとした女性。
「また、そないな顔でうちを誘って…………あかんなぁつまみ食いしとうなってしもたわぁ…………」
ニシはそうはさせるか。と、英菰を己の体に隠し、庇うと、
「おい質問に答えろよ、なんで俺の事知ってんだ」
「ふふふ…………そら知っとるよぉ、耳にたこさんできはる程、聞かされたんやから…………」
「どういうことだ」
ニシが睨みをさらに険しく陰らせた。
その整った顔が放つ鋭い眼光は、暗闇が落ちる間直の黄昏時において、獲物を狩る獣ように鈍く光る。
「もう、うちは愉しんださかいに、あとはそのお嬢ちゃんに聞くとええょ…………ぁあなんてうちは優しいんやろか…………」
はんなりとした女性は優雅に踵を返すと、
「…………ほな、うちは行くけども、意中のおらん人生、ええ口直しやおもて、せぇいぜぇい楽しんでおくれやす…………」
言い終えた直後、数歩先でフッと消えたのであった。




