第一章 11
「ん、んーんん?あれ、あれあれ」
ニシは今、スマホのアラームを止める事に悪戦苦闘していた。
普段ならば、枕元に置いてある筈のスマホの感触が、いくら手を伸ばしても帰ってこない。
アラーム音はリピートするたびに大きくなっていく。三回目の時には我慢できずに布団をはぐって起き上がる。スマホの目覚ましさまさま。その恩恵を賜ったのだ。
「んー寒い…………あ、そうかここ世津の家か…………」
五畳ほどの部屋の中央に敷布団がぽつん。
この部屋はもともと押し入れ程度にしか使われていなかったらしく、置いてあった段ボール二つを廊下に出すと容易に寝支度が出来たのだ。
起き上がった当初の目的、スマホを手の届かない壁際に見つけ、どうしてそんなところへ追いやらているのだろう。と首をかしげてアラームを切った。
待ち受け画面には面倒くさがって開いていない、溜まったメッセージが七件ある。そして、時刻は六時半。この時間ならば学校へ遅れることも無いだろう。
大きく欠伸をすると、世津から借りた家の人の洋服を脱ぎ、制服へと着替える。
「そう言えば、世津の親御さん、昨日帰ってこなかったな」
どうしてだったか思い出せず、ニシは、部屋を出ると寝ぼけ眼のまま、階段を降りてリビングへとはいった。
瞬間、トーストとコーヒーの匂いが食欲を誘う。
「おはよー。良く寝れた?」
「遅よー。早く食べちゃいなよ」
世津と英菰は既に起きて朝食を齧っている。
「オハヨーって、早くない?」
「アンタが遅いのよ。ま、これから五日間はそれでもいいけどね」
「どいうこと」
「ニシ君、見てないの、学校からの連絡」
言われ、ニシはスマホを開く。
七件あるうちの一つは確かに学校からの連絡で、内容は簡潔に今日水曜日からから日曜日までの五日間学校閉鎖になるとの旨だった。
「あ、クラスの奴からは遊ぼうって来てる…………あ、ユウマからも」
「おい、ダメだからな。ニシはこれから五日間魔力の鍛錬をやることになったんだから」
「え…………話が早くない?」
「阿呆、出来るうちにやっとくのが一番賢いんだよ」
「……………………」
「どうしたのニシ君」
「んーこのことさ、ユウマには教えない方がいいよな?」
「当たり前だろ。言ってどうするのさ」
「そうだよな、分かってる。でも、いつも三人で行動してただろう?だからちょっと」
「センチメンタルってぇ?はぁ~あ、いーいかニシ。せっちゃんにも改めて言っとくけどね、セリオン粒子についてうっかり喋らない事。それが一番安全なの。もし喋って幽霊やら見えるようになってみなさいよ。日常生活が本当にしんどくなるからね」
「っわ、わかったわかった。肝に銘じときます。じゃ、じゃあ俺はまずどうすればいい?」
「朝飯食ってからね」
「了解、そういえば世津。昨日家の人ってどうしたの?」
「あははは、若い子で楽しんでってメッセージ入ってた。たぶん、職場に寝泊まりしたんじゃないかな」
「なんか悪いことしたか」
「そ、そうね」
「いやいや気にしないでいいよ。たぶん、そっちの方が彼も楽しんでると思う…………」
「え?どゆこと」
「あははは、ううん、なんでもない」
「そうなの?なら、まあいっか」
「あははは…………」
世津の言い方、態度には引っかかりがあるが、家庭の事情というものに首を突っ込むほどニシも英菰も野暮ではない。
それというのも昔、悠馬がその都合で複雑な事情を抱えていたことが有ったからに他ならない。
当時のニシは、そのことで悠馬が日に日に浮かない顔をして塞ぎ込んでいくのを沈痛な面持ちで見ていた。
一方、英菰はといえば、土御門宗家の血筋ゆえに家督争いや妾の子、本妻の子と、家庭事態に問題が多くある。
デリケートな問題は見守る。もしくは、相手の準備が出来てから。と思うようになっていたのも致し方ないだろう。
そうこうしているうちに、ニシは食事を終え、キッチンへと席を立つ。そして、よい空気の切り替え点になった。と、皿洗いもほどほどにリビングへと戻った。
リビングには、テーブルから離れ五畳ほどの何もない空間のフローリングへと移った英子と世津がこちらへ来い。と手招きをしている。
そして、すぐに魔力の修行に入った。
ニシは促されるままに近づくと、二人ので胡坐をかいて座る。視線が下がり、女子二人のスカート丈よりも頭が下に来たとなれば、多感な思春期男子ともなればする事は一つ。
「へー白かぁ…………」
「んなっ!?」
慌てて英菰がスカートを抑え、数歩西から遠ざかる。顔は髪色と同じ赤。けしからん。絶対懲らしめる。そう直情的に拳を振り上げた時、なぜかニシの鼻からは既に、血が垂れていた。
「…………く、黒っ!!!!????」
言葉にするのもはばかられるのか。あまりの動揺。衝撃を受けたかのように、体を痙攣させ、鼻時を垂らす幼馴染の視線の先にいるのは世津。
彼女は、緩やかな手つきでスカートの端を摘まみ上げると、悪い子だなぁと苦笑した。
「ダメだよ?」
「はい、すみませっぶは!?」
「ニ~シ!お前、まじ許さんからなっ変態がっ!」
眉をひそめ、息を荒げた英菰の鉄拳制裁を受け、ようやくニシの修行のゴングが鳴ったのだ。
内容は、目を閉じ、呼吸を整え、体内の血流を感じろというもの。要は瞑想だった。
「…………そんなことでなんとかなるん?」
「魔力ってのは、体内に誰しも蓄積してる。中でも最も動きが活発なのが、血流。とりあえず、魔力を感じられさえすれば、あとはこっちのもの」
「コツは?」
「コツねぇ…………」
と、軽く口元をへの字に歪ませた英菰は世津へと顔を向けた。教師としてのバトンを渡された彼女は、すぐにその意味を理解した。
世津は今要経過観察中。英菰は自身の手の内を見せる事が出来ないのだろう。
白魚のような白い掌を開き、そこへ、以前にも見せた大きな雪の結晶を作り出した。
「コツは、シンプルに言うと感情じゃんね。アタシだったら、冷たく冷静に。人によっては、荒ぶる感情の波を感じること。ほら怒りで顔が熱くなる。血流がよくなるってあるでしょ。あの時、魔力はその人に反応している」
「ほう」
「だから、目をつぶって、喜怒哀楽何でもいいから思い浮かべろ。それで感じられたもんが、あんたが魔力を扱うトリガーになる。ま、人によってはその人となりの原典…………といってもいいかもね」
「でもさ、仮に魔力のトリガーを引いたとしても、俺は、俺から発せられるどの感覚が魔力かなんて、わかんねーよ。」
「阿呆。それも感じれば分かる。いいからやってみろって」
つりつく島もない英菰に代わり、助け船はもらえないだろうか。と世津の方を見上げるも、「あはは」との苦笑い。どうやら、感覚に依存するため、これ以上言いようがないらしい。
しぶしぶニシは目を瞑り、己の呼吸に意識を向けた。
肺が稼働する事で上下する胸。クッションも省いてフローリングへ直に座ってしまったゆえに感じる冷え。静かなリビングに響くのは、世津と英菰の衣擦れの音。
雑音も誘惑も多すぎる。なんとも集中できない。
「…………無理」
「無理じゃねぇ―ヤレ!」
「ウス」と再度目を瞑り、深く暗い意識の意味へと沈んでいく。いいや、違った。数分経った頃にはニシの口からは寝息が零れ始めていたのだ。
「コイツっ~」
英菰が拳を握り、ラブコールで起こしてやろうとした矢先、世津がその手を制した。
「待って、様子が…………」
世津は、英菰の腕を掴んで下がらせ、ニシのその後を見守る姿勢を見せた。
英菰も何事かと、ニシを注意深く見始める。先ほどと同じ、寝息を立て、舟をこぐ幼馴染の姿に異変はない…………そう思っていたのだが、
「思いのほか、筋がいいかもね」
ニシの周囲がパチパチと火花を挙げていた。断じて静電気ではない。だって、これまで感じたことのない魔力気配が漏れていたのだから。
世津の纏う冷気とは違う、温かみのある雰囲気。季節外れな夏のノスタルジーを感じさせるわびしさが、ゆっくりゆっくりとリビングを侵していく。
その時ニシは、夢を見ていた。忘れてしまっていた遥か彼方の記憶。逆神神社の公園に居る夢だ。
夏の入道雲が空を占める。湿った熱さが額に汗をにじませる夏の夕暮れ。ヒグラシの音がせわしなく響きわたり、早く帰れと鳴いている。
公園に在るのは、今ではもう撤去された遊具。
球状のジャングルジムの中心には地面と球を繋ぎとめる一本軸が入り、その軸を中心に回転する事で遠心力を楽しめる仕様のもの。ニシが子供の頃の遊具の中でも、特にお気に入りだった遊具。
幼いニシは球状のジャングルジムへ胴体だけ入れ、足はジャングルジムから外へ出す形で、一人座って泣いていた。
最近友達の元気がない。遊びに誘っても避けられる。今日にいたっては、声を荒げて突き放された。それがショックで、一人しょぼくれていた。
もうずっと、地面に龍が如く線を描いている蟻の行列を眺め続けていた。すると、ふいに、龍の幅が広がった。
「坊や、一人かい」
広がったのは龍ではなかった。もちろん蟻でもない。しょげた眼差しの先に影が差したのだ。
夕暮れ時に相成り、その影は黒く、濃く、光を逃さない。
まるで地面へ人型の穴が開いたようだった。ゾクリ。と、その影法師から視線を逃がしたくなり、影の主を見上げた。
「にいちゃんだれ」
影の主なのだから、容姿も怖そう。そんな思いは一瞬で打ち砕かれた。
そこに居たのは真逆の印象。温和な男だった。頼りなさそうな垂れ眼がこちらを見ているが、それ以外のパーツは覚えてられない程に特徴がない。
「あはは、名前はないよ、脇役だ。」
男はしゃがみ、視線をニシと平行にした。
垂れ眼がこちらを見ている。普通の黒目。特出する事も無い瞳。でも、暖かな眼差しだ。
「おれに何の用?」
「坊やが陰に憑りつかれたように泣いていたからさ。実は僕はろくでなしでね。悪い事を考えたら、反省として良い行動を心掛けているんだ。彼女の献身へ答えるために。」
「どういうこと」
「まぁ何も考えず、理由を話してごらんよ。何か力になれるかもしれない。そうでなくとも、君を独りのさびしさからは紛らわせることが出来るかも」
その声音は喜怒哀楽が抜け落ちたように平坦で、感情は読み取れない。しかし、態度から敵意はない。と感じ取れ、緊張がほどけた。
「友達が…………お母さんが変わったみたいで、ずっと元気がなくて…………」
ニシは語った。見ず知らずの人物だというのに。つつみかくさず。一部始終知っている事全て。
友人の母が死に、その後すぐ後妻として若い母が出来た事。それに伴う態度の変化。
これまで楽しく遊んでいたグループからも不評となり、今、友達が腫物を触るように扱われ始めている事。
そして、今日ついに、突き放されたことも。
泣きながら、突き飛ばされた時の胸の痛みを思いだしながら。
つまびらかに、胸の内に溜まった膿を全て吐き出すかのように…………。
「…………それは難しい問題だね。でも、その友達の気持ちは分かるよ。僕も家族を亡くしたからね。」
「でも、にいちゃんはアイツよりも、楽そうだ。なんで?」
「あはは、楽って訳じゃいんだけど…………そうだね。僕には支えてくれる人ができたから、かな」
「そうなの?それで楽になるの?」
「ああもちろん。うんと良くなる。実際、彼女がボクに献身を尽くしてくれたおかげで、僕はようやく、善行を積もうと思えるようになったんだ。僕の優しいヒーローさ。」
「アイツはどうやってそれを見つけたらいいかな」
「坊やが、友達で居続けて上げればそれでいい」
「ほんとに?それだけでいいの?」
「だけなんて、謙遜が過ぎる。普通そこまで他人のために心を痛める事は出来ないよ。坊やはお人好しだ。坊やみたいな子は荒事と無縁でいてほしい。なんて、僕が願っちゃダメだね。『逆』になったら大変だ…………」
その時、男は優しくニシの頭へ手を添えると、髪の流れに沿ってさらさらと頭を撫でた。
「そっか…………へへへ」
「笑顔になったね。さて善行は済んだかな…………僕は行くよ、元気でね」
「待って、にいちゃん名前は?」
「…………僕は脇役。名前はないよ。主役は坊やみたいなカッコイイ子って相場が決まってる。そしてきっと、今度は『その人』がキミを助けるヒーローとして現れるはずさ。僕はその事に気付くまで、随分かかってしまったけれども…………」
「はぁ?しゅやくぅ?」
「そう、主役ってのはね。力があるから主役になるんじゃない。坊やみたいに、力が無くても誰かのために真っ直ぐ動ける人の事なんだ。」
「にいちゃんは、ダメなの?」
「そう、力だけあってもダメさ。その力を良い方向へ導けるだけの善き心がないと…………。そこいくと、僕なんてね、力があっても、本当にろくでなしなんだから」
「んー?…………」
「あはは、ごめんごめん。難しかったよね忘れていいよこんな――――」
「――――主役とかわきやくとか、よくわかんないけどさ、にいちゃんは今、俺の事助けてくれたじゃん。それじゃあダメなの?」
ニシの言葉を聞いた男の眼が、鳩が豆鉄砲を喰らったかのように大きく開いた。
それは、ニシとの対話の中で、彼が見せた初めての感情だった。
子供特有のなぜなぜ口撃。しかしその一撃だけは、とてつもなく重く、男へと響いたのだ。
まさか、助けるつもりが、助けられる側になるなんて…………と。
「…………あははは!!一本取られたかもね。うん、やっぱり君は主役に相応しい。カッコイイなぁ…………。願わくば、そのまま健やかに…………いや、間違えた。不健全に成長してくれたまえよ…………」
そう、男が去ろうとした時、ニシはもう一度名前を聞いた。その顔はまた涙を溜めており、男は困ったように唸ると、観念して首を回した。そして、「あぁ」と合点したのちこう告げた。
「言うなれば…………逆神様」
それから数日後、逆神様の願いとは裏腹に、ニシは友人と夜中に小学校へと抜け出し、アランカヌイに遭遇することとなる。
その時、友を見捨てず逃げ出さなかったのは、逆神様の言葉がまだ心に残っていたから。
それ以降忘れてしまっていたのは、額に傷を受けてしまったから。
そして、忘れても、問題ない程に、ニシの魂に刻まれていたからだ。




