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第一章 8

「おい、どうし…………!?」


 校舎裏の地面を蹴り上げ、一階の廊下へ戻ったニシの瞳に映ったのは、倒れ臥した生徒の数々。ざっと見ただけでも六人。

 さらに、廊下を見渡すと、視界の端にちらほらと数が増えていく。そのうえ、何か霧がかっているように見通しも悪い。原因を探し首を回すと、近くに赤い菅――――火災対策のための消火剤が落ちていた。十中八九これだろう。だが、どうしてこんなものが落ちているのか、そう思いニシが近づいた時、原因はさらなる謎を生んだ。

 その消火剤は正当な方法を省略されて中身をばら撒かれていた。要は、中心からひしゃげ、破裂するように周囲を白く染め上げていたのだ。


「なによこれっ普通じゃないでしょ」


 ただ事ではない。

 あんな鉄の塊をいともたやすく変形させる方法などそうあるものではない。加えて、倒れている生徒達。

 英菰が一番近くに倒れている生徒の首に手を添え、脈を計る。その手つきは嫌にこなれているのが分かり、ニシを日常から非日常へと誘う、手招きのようにも感じさせた。

 

「英菰?」


「大丈夫、気を失ってるだけ見たい…………ニシ、今すぐ帰って、警察呼んできて」


「は?な、なんで!?警察ならスマホでっ」


 ニシが取り出したスマホの表示画面の右上にはアンテナがなかった。つまり、今ここは圏外。


「なんで、こんな事今まで一度だって!?」


「だから言ったでしょ、普通じゃない。何が起こってるかまだ明確には分からない、だから早く行って」


「ちょ、英菰はどうするんだよ」


「私は大丈夫、荒事なら何度も経験してる。それに、避難誘導だって出来る人がしなきゃ」


「じゃあ俺も残――――」


 次の瞬間、ニシは天井を見上げていた。何をされたのか分からなかった。数秒して、自身の襟元を掴む英菰の腕に気付き、ようやく彼女に投げ飛ばされたのだと、背中の傷が痛みを発した。

 

「――――この程度もよけれないのに?足手まといになるから行け、って言わないと分かんないのこのバカ」


 これまで、見たことも無い英菰の表情。懇願に歪み、愛おしい子供を危険から遠ざけようとする母親のようだった。

 

「っ…………」


 英菰と喧嘩などしたことはなかった。しかし、体格で勝るニシは、自身が負けることなど考えたことも無かった。

 ニシは己の無力、不甲斐なさを編み締め、英菰のいう事は間違っていないと飲み込んだ。


「…………ごめん、でも、私達にとってアンタは日常なのよ。」


「なに?」


「あんたのあっけらかんとした顔見ると、荒事から帰って来たって思えるの。だから、早く応援呼んできて私に楽させてよね」


「~~っわかった、わかったよっ。でも、無茶はしないでくれよ、約束してくれるならすぐに逃げ帰ってやるっ」


「大丈夫大丈夫。ほら、ここは任せて早く行けっつの」


「お前そのセリフ、死亡フラグなんだけど…………」


「縁起でもないこというなバカニシ!」

 

 ニシは職員玄関を内履きのまま、抜け出し、校庭へと躍り出ていった。


「アンタみたいなお人好しはね、こういう血なまぐさいのとは無縁でいなきゃダメなのよ。そのためにハンター(私達)がいるんだから…………」


 ニシの後ろ姿が見えなくなって、「さて、と…………」そう言った英菰はその視線を鋭く絞った。

 この場にニシが居たらならば、その眼光の鋭利さ、雰囲気の重厚感に息を飲んだことだろう。


「…………よくも、私のニシ(日常)を穢してくれたわね。高くつくぞこのやろ…………」


 遂にニシを巻き込んでしまった事実を冷静に捉え、はらわたが煮えくり返る憤りを吐露し、まずは長い廊下を見渡し、気配を探った。

 今回の騒動はきっと強盗やテロといった人間の仕業ではない。根拠はないが、英菰そう思うのだ。

 ニシが襲われたと聞いた時点で腹の内からざわざわと不安を催す嫌な予感が英菰には既にあった。

 これまでに幾度も相まみえてきた怨敵。人外と相まみえる際の予兆ともいえる感覚である。


「アランカヌイ…………今回のはどんなタイプ?…………霊的か魔物か…………」


 アランカヌイは対峙するタイプによって戦い方ががらりと変わる。

 霊に対してならば魔力による手段にうったえるのが効果的だ。それは念仏でも祝詞でもよい。魔力を込めて放てば効果を発揮する。その代わり、物理手段はあまり効果を示さない事が多い。

 逆に魔物や妖怪のような実態を持つタイプならば肉体言語で対応できることが多い。ただし、こちらも不安要素はある。それは、相手が生物であるという事。すなわち、相手にも魔力があり、魔術や妖術の反撃を受ける可能性を考慮せねばならない。


「…………霊的な気配はない、なら、魔物ね。でも、なんでここを狙うの、私がいる上に、邪気除けの結界だって張ってる。それに…………」


 校舎に入ってからずっと感じている視線が気がかりだった。それは、おそらくは今回の騒動を引き起こしたアランカヌイとは別物。その証拠にこちらが隙をみせるため、ニシの背中を見送っている無防備な状態を装っても割り込んでは来なかったのだ。


「いや、思考は後ね」


 まずは、今回の敵の補足が最優先。

 被害が大きくなれば隠蔽もさることながら、助かった後も、被害者たちの心に傷が残ることになる。

 それは、よしとするところではない。


「ここを見た後は、二階か」


 倒れ伏している生徒たちは気絶させられただけ。

 人を襲っているくせに殺しても食べてもいない。何か目的があっての行動に間違いはない。おそらくは意中の人物ではなかったかそれ以外に目的があったのか。そう、英菰は結論付けた。

 生徒指導室の扉を開け放つと、合計六人をその中へ収容した英菰。

 

 そのまま、隙を見せない身のこなしを持って、全ての教室を廊下側に備え付けられた窓から軽く様子をうかがった。

 職員室には倒れ臥した教師が何名か見受けられたが、そちらも外傷はなく身じろぎしている所を見るに生徒同様気絶させられているだけだろう。

 残念ながら、避難誘導を手伝ってもらえる人物はいなさそうだった。

 その際、約五十メートルはある廊下をわずか二秒ほどで走破し確認し終えると、その足取りのまま、二階へと駆けていく。


――――…………まだ追ってきてるな


 視線は付かず離れず、英菰に付きまとっていた。

 常人では追いつく事など不可能な速度にしっかりと対応している所を見るに、相手も常人ではない事は明らか。しかし、未だ姿は見せず、何処に潜んでいるのかもわからない。まどろっこしい焦燥感が英菰の額にじわりと汗を浮かばせる。

 本来相手の詳細が分かっていない場合の任務においては集団行動で当たる事が多いゆえに、英菰は挟み撃ちの形になることを恐れていた。


「…………?」


 二階の廊下へ足を踏み入れた時、英菰の鼓膜を打ったのは微かな吐息。否、広い校舎で拡散し、途切れ途切れとなったか細い悲鳴だ。

 英菰の身体強化した敏感な耳は、それがこの場所ではなく、さらに上、三階から降りてきているとうったえた。

   

 場所が分かればこっちのもの。

 英菰は三階の廊下に駆け上がる。すぐそばにの廊下には三人の男子生徒と二人の女子生徒が壁に背をかけ項垂れている。しかし、呼吸音は聞こえるものの、二階で聞いたか細い悲鳴とは似ても似つかない。

 と、すれば…………英菰はそこからさらに焦点を絞り、廊下の中央を見やった。今回の騒動の相手が警戒もせずそこに居たのだ。


「…………なんでっ」


「……………………」


 廊下の中央付近で生徒の首を掴んでいる人型。

 それは、恰幅がよく、肩幅があり、筋骨隆々とした中年の男性。間違いなくアランカヌイではない。


「宅村先生っ」


「……………………」


 返答はない。それどころか、正気ですらなかった。

 白目をむき、口は半開き、ただただその太腕を持って、逃げ遅れたであろう、女生徒の首を締め上げ持ち上げている。

 遠目からでもわかる。女生徒の口からは泡が溢れ、伸び縮みする足は床上を空回りしている。

 間もなくして、女性徒のバタ足はぶらりと重力に垂れ下がり、意識が途絶えた。すると、あろうことか、宅村はこちらを見る事も無く、そのまま女生徒を英菰へと放り投げた。


「ぶっ!」


 少なく見積もっても五十キロは下らない肉の塊が剛速球と化し、英菰に迫る。だからといって避ける訳にもいかない。

 そんな事をすれば、女生徒が大けがをしてしまう。


「ぐぅうあっ」


 なんとか、飛んできたその体を捉え、掴み、腹部に受けた鈍い痛みを我慢して、廊下の隅に優しく置くことに成功する。女生徒の首には痛々しい赤い手形が残っているものの、他に外傷は見当たらない。

 ほっと息をついたのも束の間、英菰の視界の左端にわずかな影が映り、次の瞬間には左脇腹へ広がった衝撃が彼女を数メートル後方へと吹き飛ばした。


「っつ…………ぅうおげぇ、ェっ…………うぇ」


 右の脇腹を殴られた。おそらくは、女生徒の陰に忍び接近してきていたのだろう。

 理解した時には、四つん這いに起き上がり、昼食を廊下へ吐き戻していた。

 だが、なにかおかしい。酸っぱい口元を拭い、違和感の正体を探る。


「頭は叩くし、腹は殴るし、どいつもこいつも、乙女の体を何だと持ってんのさ…………」


 こんなことはありえない。と喉に残った吐しゃ物を飲み込んだ。 

 宅村は鍛えただけの常人であるはず。魔力で強化したはずの自身にこれ程のダメージを与えられるはずがない。

 周囲に広がるツンとした己が異臭を吸い込みながら、英菰はおぼろげながらとある結論に至る。


「…………っあぁ霊――――憑依型ね。見誤った…………どうりで、気配が分かりずらい」


 霊の中でも厄介。人に憑りつき被害を被るタイプ。

 実態がある分、肉体言語での手段にうったえかける事は出来るがその場合、憑依された被害者も無視できない負傷を負ってしまう。加えて、憑りついた霊が強ければ強い程、人体の可動域を凌駕した動きを強要され、被害者の命も危ない。

 したがって、一刻の猶予も無く、その上で何か拘束手段を講じなければ相対するのも非常にまずい相手。

 敵前ながら、一度瞳を閉じる。そして息を整え、魔力を体内で循環させると、大股を開いて腰を落とす。ここにきて英菰は初めて臨戦態勢をとった。


「…………宅村先生、後遺症は無いようにするから許してね」


 先手必勝。

 強く床を蹴り、瞬きの間に宅村の懐に潜り込むと、体勢を崩すべく重心の高い顎を打ち抜いた。

 そしてすかさず、床に伏せり、回転しながら足を払う。しかし、こちらはよんでいたのか。英菰の足払いは空を切る。


「身軽~」


 軽口の直後、英菰に覆いかぶさらんとする大きな影が彼女の明度を大きく落とす。

 頭上を確認する事も無く、英菰はその場から大きく飛びのいた。間髪入れず、英菰がいたであろう場所へは震脚が落とされ、コンクリの廊下に異音を響き渡らせる。

 その後、体勢を立て直した両者は四メートルほどの距離を保ち、間合いを計るように視線を交わしあう。


――――術は流石にない、みたいだけど、私も傷付けるわけにはいかない手前、完全な格闘戦か…………


 宅村の口からよだれが垂れ、床に落ちる。それが第二ラウンドのゴングとなった。


「…………っ!!」


 重心も焦点も定まらないままに迫りくる宅村の動きはまさに操り人形。

 宅村のしなる剛腕が右こめかみ振るわれた最中、英菰はあえて間合いを詰めた。そのまま宅村の右肘を起点として左手を滑らせると、右肩を掴み、そちらへ全体重を持ってひねりを加える――――ゴドンっ。

 人体が発してはいけない鈍い音が、宅村の右肩が外れたのを告げたのだ。


「まず一本」


 糸の一つが切れたかのように宅村の右上がだらしなく揺れる。

 このまま、左腕、右鼠径部、左鼠径部と英菰が戦いを組み立てた時だ。

 背後からのもの音に、一瞬意識と視線を奪われた。


「うそでしょ」


 しかし、もう遅い。そこに居たのは、先ほど英菰が助けた女生徒。英菰の困惑も空しく、女生徒は英菰の背後から胴体へ腕を回し、がっちりと掴んだのだ。

 状況は最悪。宅村同様憑りつかれているのか涙と鼻水を垂らしたその顔面はとても乙女のさらけだせる表情ではない。

 そして、この状況非常にまずい。おそれていた挟み撃ちの形となってしまった。


「…………なによこれ、さっきまで気配なんて感じなかったのに」 


 宅村がゆっくりと迫る。まるで獲物を嬲るように、怯える表情を楽しむように一歩ずつ丁寧に、そうして、目と鼻の先に来た宅村は英菰の首を締め上げる。


「…………っ」


 なんともむごいことに、宅村の手はそのまま英菰を持ち上げようと引っ張るのだが、英菰にしがみ付いた女生徒のせいで、体は床に付いたまま。要は英菰の首のみが胴体から引きちぎられようとしていたのだ。


「…………ぁ…………」


 伸縮限界を超えた皮膚が千切れ、鮮血が舞う。命が飛び散る。これから赤黒いヒガンバナが廊下を彩るだろう。

 今わの際。脳裏をよぎったのは悠馬とニシとの日常だった。ああこれが走馬灯か。と、一世一代のス人生劇場の前へ腰を下ろそうとした時にはもう、体の温度が冷えていた。

 鋭く凍てつく黄泉の冷気がこの戦いの終わりを告げる。


「どもども~…………って雰囲気じゃないよね」


 瞬間冷凍とはまさにこのこと。

 英菰の千切れかけた皮膚は氷に覆いつくされ止血されていた。

 当然、宅村と、女生徒も霜が降りたように青白くかたまり、その動きを停止している。

 辺りは極寒の地獄へと変わっていたのだ。


「ぇ」


 宅村の腕は冷たくも、霜の影響でするりと英菰の首を逃した。同じく女生徒も胴体にかかっていた力が緩和され、英菰は廊下に落ちると声の方を見やった。

 白い輪郭、魔性の佇まい。知らない女性だ。

 まるで新雪のようにふわふわで真白な雪を錯覚する髪。雪解け水を彷彿とさせる青い瞳。

 名の有る彫刻家がほったと思わしき端正な顔には申し訳なさそうに困り眉を作っていた。

 

「だれ?」


「ごめんね、巻き込んで」


「ぇ…………その声…………」


「英菰無事か!」


 世津の後ろからニシが英菰へと駆け寄った。その顔は安堵の涙で濡らしている。

 よく聞けば、サイレンの音も遠方から聞こえてきている。


「どういうこと?」


 英菰の首の傷を確認した世津は、場所を移そうといった。


「私の家に来てくれる」

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