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短編集

アメがおちますのでご注意下さい

作者: 汐見かわ


 駅の柱に貼られている注意書き。『雨がおちますのでご注意下さい』

 柱の下にはバケツが置いてある。地下鉄の駅のため、水が地面を伝ってどこからかしみ出てくるのだろう。バケツにはぽつりと雨が落ちていた。

 今日も雨の日。貼り紙のある柱の下にバケツが相変わらず置いてある。どれくらいの勢いで水が溜まっているのかバケツの中を覗いてやろうという気になった。

 柱に近付くと、にじんだ「雨がおちますのでご注意下さい」の「雨」の文字の部分だけが後から紙を貼り付けたようになっている。

 まさか「雨」の漢字を間違えたのだろうか。もともと平仮名で書かれていたものを漢字に書き直したのだろうか。

 それにしても「雨」の漢字を間違えるだなんて何てのんきな駅だろうか。何だか可愛らしいなと思っていると下に置いてあるバケツにぽつりと滴が落ちた。ぽつりぽつりと雨は頻繁に落ちてくる。

 そんなに地下鉄の駅構内に水がしみ出るものだろうかと雨の落ちて来る場所を見上げると、きらりと何かが光った。


「え?」


 その時、ぽつりと私の額に滴が落ちた。驚いて体が動いた。滴は冷たかった。

 額の滴を手で拭うとべたりとなぜだか少し粘っこく感じた。雨にしては少し粘度がある気がする。気のせいだろうか。

 再び天井を見上げると無骨なパイプの上、アスベストのごつごつとした天井とパイプの間に黒い影が乗っている。暗くて良く見えない。猫くらいの大きさに見える。猫だろうか。

 黒い影をじっと見つめていると、黒い影はくるりと向きを反転させた。白くと光る点が2つ見えた。猫だ。猫の目が暗いところで光っている。


「おーい、おいで」


 腕を伸ばしこっちにおいでと手を振ると、


「みー」


 黒い影は下を覗き込むようにして顔を出した。真っ黒な毛並みの綺麗な黒猫だった。


「おーい、猫ちゃんおいで」

「みー」


 おしりをふりふりとさせ、パイプの上から勢い良く飛び出した。

 どすんと重い衝撃を胸元で受け止めると、黒猫は人懐っこく頭をすりすりと腕に擦り付けてくる。

 まさか地下鉄に猫が住んでいたとは。名前は「アメ」だろうか。『雨がおちますのでご注意下さい』の雨とはこの黒猫のことだったんだ。なんだ可愛い可愛い。可愛い過ぎて驚いてしまう。

 さっそく地下鉄にいる黒猫を撮ろうとアメを下ろしてバッグからスマホを取り出す。アメは床に下ろしてもなお、すりすりと頭を足に擦り付けてくる。何て人懐こい猫だろう。

 スマホのシャッターをアメに向けてカシャカシャと切っていると、スマホの画面にぽつりと滴が落ちて来た。今、いいところなのに勘弁してよと手で画面を拭うとべとりと粘り気があった。


「何これ、気持ち悪……」


 上を見上げると、ぱっくりと大きな口が見えた。とんでもなく大きな口だった。口の中には大きな歯と舌が見えて、その先に喉の奥へと繋がっているらしい暗闇が見える。


「え、何?」


 足元にいたアメはいつの間にか消え、私は動けないまま暗闇に包まれた。押し潰された感覚も無く、痛みは無い。

 とっさに閉じていた目を恐る恐る開けてみる。真っ暗だ。目を閉じても開けても同じ暗闇の中。自分の手の感覚があるのがわかった。手にはスマホを持ったままだ。

 辺りは真っ暗で何も見えない。生暖かい湿気を感じる。まだ私は生きているらしい。かと言ってスマホの画面をつける勇気も無かった。画面の光で辺りを見るのが怖い。

 私がいる場所が、本当に何かの口の中だとしたらどうしたら良いのかわからない。このまま理解が追いつかない状態で頭をぼんやりとさせたままやり過ごした方がたぶん楽な気がする。深く考えると頭がどうにかなりそう。

 ずっ、ずっ、と何かがすぐそばで這うような音を聞きながら、私はただ暗闇の中をじっと立ち尽くしていた。

 突然、辺りが激しい光を放った。眩しさのあまり、額に手をかざし目を細めると次第に周りの景色が見えるようになってきた。どうやら自分は大きな根があちこちから出ている狭い空間にいるようだった。


「はいはい、ありがとうアメ」


 声がしたと同時に大きく辺りが揺れた。

 何かにつかまっていないと立っていられないくらいの大きな揺れだった。めきめきと辺りが軋んでいる。

 とっさにそこら中から出ている根っこにつかまり、振り返るとウロコのある太い何かがこぶし大程の大きさの穴に吸い込まれていった。揺れはいつの間にか止まっていた。


「ここは冷えるからね。とりあえずお茶でもどうかな」


 男は何でも無いことのように、すぐ側にある太い木の根に置かれているティーカップを勧めてきた。 ぽっかりと空いた空間に男が一人。大きな木の根に腰を下ろし、手にはランプとティーカップを持っていた。


「あの……ここは?」

「知らなくて良いよ。僕の敷地……とだけ。時々、僕に狩りの練習をさせようとして拾って持って来ちゃうんだよ。人を。飼い主は僕なんだけどね」


 私がティーカップを受け取らないと見ると、男は手にしているティーカップをゆっくりと口につけ、くいと何かを飲んだ。紅茶だろうか。

 ティーカップをゆったりとした仕草で木の根に置くと


「けっこう深くまで来てるでしょう? 最近。ギリギリっていうか、入っちゃってるんだよね。注意書き無かった? おかしいな。あの人達に頼んでたんだけどなぁ。こうして時々獲物と間違えて連れて来ちゃうんだよ。ごめんね」


 獲物とは何だろう。人間のことだろうか。この男の人は見た目も私と何ら変わらないけれど、人間とは何か違う生物なのだろうか。


「さてと、君を帰さないと。アメは上からの方がやり易いみたいなんだよね。引っかからないですんなりいけるらしいよ。安全じゃないけど、許せる感じの安全かな」


 男は膝をぱしんと叩くと立ち上がった。


「はい、じゃあさようなら」

「あのっ、ここは一体どこであなたは誰?」


 男がぱんぱんと手を叩くと再び辺りが大きく揺れた。揺れはだんだんと大きくなってくる。私は慌てて木の根につかまった。


「地下の張り紙の前で立ち止まってるとまぁそういうことだから気を付けてね」


 揺れはいよいよ大きくなり、地鳴りのような音とともに辺りの土や根もぱらぱらと落ちている。


「ここはど──」


 手をひらひらと振る男の姿を最後に私の目の前はまた真っ暗になった。

 ぱっと辺りが明るくなったと思ったら、私は「雨がおちますのでご注意下さい」の張り紙のある柱の前に立っていた。

 見上げてもアスベストの天井とパイプがあるだけで他には何も見当たらない。変わったところは何もないただの駅構内だった。

 柱の下に置かれているバケツには相変わらず上から滴がぽつりと落ちている。


「何なの……?」


 気味が悪くなって、その場から足早に離れた。手の中にスマホがあるのを確認した。 私の髪や服が少し湿っぽくなっているのは気のせいだと思いたい。




2022年6月作成

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