表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

リズマリーの苦悩

「駄目よ!」

バンッと机を叩く音が、部屋に鳴り響いた。


「私はこの婚約はできないわ。まして王太子妃なんて、死んでも無理よ! はぁ、はぁ」


「お姉さま・・・・・」


激昂し侍女に宥められているのは、このボルイック侯爵家の長女リズマリー。その様子に、悲しい眼差しを注ぐのは、異母妹サンベルナ。

母は違えど、深い歴史を持つ由緒正しき家門の娘達。



リズマリーの亡き母マリーアナは、隣に位置する大帝国の公爵家の出で、彼女らの父となるアーモンに一目惚れし、半ば強引に嫁いでいた。アーモンはサンベルナの母アメリアと結婚間近であったが、マリーアナの父ローラン公爵がこの国の国王に圧力をかけ、彼らの婚約は白紙にされた。その後鳴り物入りの王命で、アーモンとマリーアナは結婚。


騎士団長であるアーモンが遠征の間、羽目を外して愛人とのバカンス途中、崖から馬車が転落してマリーアナと愛人は死亡。醜聞を隠す為に愛人のことは伏せられ発表されたが、派手な逢瀬は普段から目撃者も多く、虚偽も織り混ぜられ面白おかしく人の口に上った。


その当時、リズマリーは3歳。

その1年後にアーモンはアメリアと再婚し、翌年サンベルナが生まれた。



リズマリーの婚約は、祖父(マリーアナの父)のローラン公爵がごり押ししてきたものだ。この国パステルの王太子スティーブンと孫のリズマリーを結びつけ、この国(パステル国)での発言権を大きくする為に。ちなみにローラン公爵は皇帝の実弟である。


思えばアーモンとの結婚だとて、旨味が無ければ無理を強いなかっただろう。きっとアーモンの容貌が美しく家柄も申し分なかったことと、自国での彼女の奔放さで高位貴族との婚姻が叶わなかったことで、こちらで婿(生け贄)を探し当てたのだ。マリーアナの兄は次期公爵として有能であり、足手まといを切り捨てたい思いもあったのかもしれない。軍事面で弱味のあるパステル国は、餌食にされたと思われた。



様々な思惑で混乱を強いられるボルイック侯爵家だが、家人達は割りとのほほんとしていた。

何と言っても『生きていれば何とかなる』が家訓である。


そしてとても優しい人柄だった。マリーアナはさすが王女だけあり、非常に美しい亜麻色の艶髪とエメラルド色の輝く瞳を持っていた。そしてスタイル抜群の妖艶な美貌である。ほとんど女慣れしていないアーモンは、我が儘も気にならず “可愛いなぁ” と愛馬を愛でるように接していた(※アーモンの愛馬は、戦友と言っても過言ではない)。ヤキモキするのは、使用人達だけであった。




そもそもアーモンとアメリアは、愛と言うよりも気楽だから結婚しようとした仲である。いわゆる同じ騎士団員の相棒(パートナー)で狩り仲間。アメリアは子爵家の三女であり、ちょっと侯爵夫人は荷が思いなと考えていたくらいだった。それでもお互い素でいられるからと、アーモンから望まれていたのだ。



そんな所にやって来たマリーアナ。

マリーアナにはいろいろ打算もあったのだろうが、アメリアは結婚しなくても良い理由ができてホクホク。表立って嬉しそうに出来ないが、マリーアナの結婚を本心から祝福していた。それを知らないマリーアナは、アメリアの前でアーモンに腕を絡ませご満悦だった。


(ありがとうございます、マリーアナ様。お陰様でこれからも気楽に狩りを楽しめます)


アメリアの生家、ストビース子爵家は辺境に近い田舎だった。一家揃って魔獣狩りをしている。




◇◇◇

その昔、田畑だけを耕作して糧を得ていたストビース子爵領は、非常に貧しかった。何を植えても土壌が魔素に侵されていて満足に育たず、実ったものも魔獣に食い荒らされた。時に魔獣は人さえも襲う。


「もう、駄目だ・・・・・」


資金力もなく実りも叶わず、誰もが餓死を避けられないと諦めて絶望した時、一人の騎士が現れた。煌めく剣先が、熊のような大型魔獣を一刀に切り捨てる。


「おりゃあーーー!!!」

「ぐぎゃあおおおっ!!!」


ドスンと、魔獣の首が飛び、ぶわーっと血飛沫が舞う。

そして騎士は皮を剥ぎ、ひょいひょいと肉塊に切り分けていく。次に大きな岩をコの字に置いて火をおこし、枝に肉を刺して岩の上で焼けるように並べていく。布の袋には、先程の魔獣がまだまだ切り分けた状態で詰められていた。


「おお、良い感じで血抜きもできてるな。おい、そこの人、これみんなで食べててくれ。ここに塩も置いとくから使ってよ。まだまだたくさん狩ってくるから、どんどん食ってくれ! 食べないと、すぐ痛んじまうからな。いっぱい食えよー!」


何て言って、足取り軽く陽気に森に向かう男は、その後すぐにまたイノシシのような猛獣を狩って来た。皮を剥いでまたひょいひょい切り分け、森に向かう。


どの魔獣も熊より大きく獰猛で、村人達が束でかかっても一頭も倒せないのに、男はいとも簡単に倒してくるのだ。


村人90人全ての胃袋が、急激に満たされていく。

いつぶりの満腹、そして新鮮な美味しい肉のオンパレード。

みんなが泣いていた。

満たされて、安心して、希望が持てて・・・・・

絶望から救われた瞬間だった。


「お、もう良いのか? じゃあ、狩りはまた明日にするか!」


彼はボルイック侯爵家の次男ハヤト。休暇を取ってストビース子爵家に隣接している魔の森で、魔獣狩りをする為に来ていた王宮近衛兵の副団長。要人の警備にもあたる為か、筋肉質であるが顔もめちゃくちゃ整っている。黙っていれば王子様のようだが、喋るとヤンチャすぎる(誰とでもタメ口な)為、婚活市場では人気薄だった。 “いつかやらかす” と思われていたから。


本人はそれに全く気にしておらず、顔と親の爵位と役職(軍務大臣)で与えられた地位に飽き飽きしていた。本当は己の技量を試すべく、子爵の隣にある辺境騎士団に入りたいと願っていた。各地にあると言われる “魔の森” の近隣は人の被害が多い。彼はそれを救いたいと常日頃思っていたのだ。


「ああ、ありがとうございます。私達は生き延びることができました。………でもお礼できる物がなくて。今はお金も食料も何もないのです。ですができる限りの物を献上致しますので、どうか」


ストビース子爵当主グラドーは、丁寧に感謝し頭を下げた。それも討伐してくれたのは、侯爵家の子息だと言う。

他の領地でも同様だが、魔獣討伐の依頼料は高額だ。この地全てを渡しても、痩せた土地の子爵家では払いきれないかもしれない。前提条件として、魔獣を討伐できる者が少ないのだ。

でも覚悟は決まっている。

助けに来てくれた、捨てられたこの地に希望を与えてくれたのだ。満たされたこの状態なら、この地を離れることになっても良い。今なら力が漲っているし、領民と何処までも歩いて行ける程の、動き出す力をくれたのだから。


もう自分の身を売ってでも(生涯奉公に行く等して)、お金を工面しようと考えた当主だったが、騎士はキョトンとしていた。


「お礼なんていらないよ。依頼なんてされてないし、好きでしたことだから。でも可能ならばもう少し魔獣を狩りたい。すごくたくさんいて、みんなが危険だからさ。暫くここで暮らしたいから、家とできれば可愛い嫁さんがいると良いな。………ウソウソ嫁は冗談だよ。俺がさつだから、全然モテなくてさ。トホホ。家だけあれば助かるよ」


「私で良ければ、貰ってください!」

「え、マルガリーテ?」


すかさず食いついてきたのは、グラドーの一人娘マルガリーテだった。嫌な表情なんて微塵もなく、いや逆に獲物を捕獲しようとする、狩人のようなギラついた目を一瞬見せた。ハヤトはみんなを救ってくれた英雄で、何よりとんでもない美形である。それなのにモテないとしょぼんとして、可愛みしかない。

すぐ行かなきゃ奪われると思い、このスピードだった。

でもハヤトと顔を見合わせると、赤面し途端に恥ずかしくなった。

慎み等欠片もなかった行動だから。でも・・・・・


「本当に嫁に? うわー、可愛いな。不束(ふつつか)な俺だけど、一生大事にするからな」

「はい、よろしくお願いします」


さすが敬語が使えない男は、愛情表現も直球だった。

マルガリーテが照れまくったのは、言うまでもない。

グラドーも僅かに硬直後、意識を取り戻して笑った。

(まあ、良いか。マルガリーテが幸せなら)


そんなマルガリーテを素早く抱き上げて、クルクル回るハヤトは本当に嬉しそうだ。マルガリーテもソバカス顔をくしゃりと崩し、微笑んでハヤトの首に手をまわす。

彼女の黄色い髪が日に当たり、王子と姫のように二人は光輝いていた。


ハヤトに憧れを抱いた少女達に、「あの時出遅れた、悔しい!」と冗談混じりにマルガリーテが詰られたのは、言うまでもない。


そんなこんなでハヤトは、ストビース子爵家に婿入りした。生涯を此処で生きていきたいからと言う理由で。

王宮の近衛では彼の腕を振るう機会がなく、彼の実力を知る者はいなかった。生家の父親達でさえ、気づかない程だった。父親はマナーも身に付けない愚息を、監視下に置けるように王宮に就職させたが、家族としてとても愛していた。馬鹿な子程可愛いのは本当だと、体現するように。


ストビース子爵当主グラドーより、娘との結婚を許して貰えないかとボルイック侯爵家のブロンクスへ手紙が来た時、何の冗談かと思った。王都の端にある子爵家だから、会いに来るのは一月はかかるし、貧乏貴族が来るには困難が伴う。だから直接来ないことで怒ることはない。問題は内容だった。

あの問題児のハヤトが英雄のように魔獣を屠っており、彼自身もその地で暮らしたいと言う。勿論グラドーからは低姿勢で、侯爵家の子息様に申し訳ないと言う言い回しで溢れていた。だがグラドーはハヤトを救世主のように思っていて、誠心誠意尽くすので了承して欲しいと引き下がらない文言に続いていく。


「ハヤトが救世主? 嬉しいことを言ってくれるが、(侯爵)家の支援を期待されても困るぞ」


ニヤニヤしたり裏を探ってみたり、執務室で一人表情筋を忙しくするブロンクス。やはり息子が褒められると嬉しくなっちゃうようだ。


そして最愛の息子からも手紙が来ていた。

どれどれと徐に手紙を読み出すと、笑い出していた。

「あいつは、馬鹿だ! あはははっ」


異変に気づき、ドアがノックされる。

許可を得て入室してきた執事は驚愕した。


いつも厳つく鋭い瞳の強面ブロンクスが、満面の笑みで声をあげているからだ。


「どうなさいましたか、ブロンクス様」

困惑を隠せない執事に、ブロンクスは愉快に伝えた。


「あの馬鹿息子の結婚が決まったのだ。既に同衾済みだそうだ」

「なんと。あの坊ちゃまが、婚前にそんな。……でも好きあっておられるのですね。いつの間にそのような方が」


「いつまでも子供で、庇護が必要だと思っていたのは誤りだった。己のことを考えて見ても、もう17歳は大人だよな。ああ、嫁となる娘はストビース子爵家の長女マルガリーテで、休暇で出会ったらしいな。ほとんど惚気たことしか書いておらん。結婚に反対するなら籍を抜いてくれだとさ。それに王宮近衛の仕事は、既に辞める書類を送ったらしい。まあそれは妥当ではあるな」


楽しげな口調が続き、ハヤトを幼い時から見てきた執事も頬が綻んでいた。

(坊ちゃまには、ここは窮屈過ぎますからね。他の高位貴族に絡まれたり、出世しないように手をお抜きでしたが、剣技はかなりの腕前でございますから)



◇◇◇

侯爵家の執事は主人の身を守る為に、知力の他、武力も求められる。執事ヤマトは東国出身の元忍者で、前当主自らスカウトしてきたらしい。ブロンクスが金髪碧眼で隣に並ぶヤマトは黒髪黒眼のコントラスト。ヤマトは10歳程上だが、同年代に見える若々しさだ。


西洋の血が混じるヤマトの顔は目鼻立ちがクッキリしており、東国の特徴はあまり感じられない。くの一の母親ネルバがハニートラップ後に気づいた時には、既に手遅れで産むしかなかった(腹部の膨らみが乏しく、悪阻もなく月日が流れていたのだ)。髪や眼は黒いものの容貌が東国離れしており、母親以外から虐められ貶められ辛い子供時代を送ったヤマト。時には本気の殺意を向けられ母親が死守することさえあった。そんな母親の愛に応えるように、たゆまぬ努力で才能を開花させた。


通常ならとっくに殺されていたヤマトだが、その美形により役立つとふんだ首領がやり過ごしたのだ。


皮肉なことにその才を男児を持つ首領の妻に妬まれ、首領には内密に数多の暗殺者を向けられたことで、母親と共にボルイック侯爵領に逃げ込み、母子で冒険者をして糧を得ていた所をスカウトされたのだ。


ネルバは黒髪黒眼。東国のクールビューティー的な切れ長の眦で、此方の人間より鼻梁は高くないが、そこはかとなく漂う色気があった。そして不埒な者に抗う、または屠る能力も持ち得ていた。


「俺はここの侯爵家の当主テリーだ。あんた達を雇いたいと思ってここに来た。暫く俺を調査した後でも良いから、返事が欲しい」

当時の当主であるテリー(ブロンクスの父)は、驚くべき短期間で冒険者ランクをかけ上がる母子に注目していた。


丁度依頼を終えて冒険者ギルドに来ていた二人に、テリーは頭を下げて護衛になることを打診した。本来身分のある者が、流れ者にすることではない。けれどテリーは、どうしても二人を逃がしたくなかったのだ。何というか、当主の勘と言うものだった。


その後二人は、テリーを徹底的に調べた。断るにしても受けるにしても、相手を知らなければ後手に回るからだ。彼らとて、東国からの手が及ばないこの国のこの場所は心地良かったので、出来るだけ円満にこの場所で暮らしたいと願っていた。勿論、最悪時は逃走も視野に置く。


調査の結果、テリーは良い領主であり、領民に親しまれていることが解った。その反面、税を高く取り立てたり、高利の借金で娘を拐う・売る商人達を優遇して暴利を貪る周辺領地の当主からは、目の敵にされていた。

領民も出来るならそちらへ行きたいと思い、実際にフットワークの軽い単身者は移住している最中だった。


「一人だけ格好つけやがって」

「昔からこうやって生きてきてるんだ、俺たちは」

「奴隷(領民のこと)を奪いやがって、クソが!」

「うぜえ奴だ」等々。


昔は確かにまかり通っていただろうけれど、現在は周辺国と比較しても時代錯誤だと言っても良いのに、彼らの思考は楽をすることと民を同じ人種と思わないことで成り立っていた。


なので、テリーへの暗殺者が半端ないのだ。

そんな様子を見ると、ヤマトとて人ごととは思えない。


母親は任務の際、油断を誘う為に標的と性交し俺を宿した。

憎まれても可笑しくない俺を、母親は愛してくれた。


そんな人への愛を、テリーにも感じたのだ。

「この人は死んではいけない人だ」

「お前がそう言うなら、この母も従おう」


そうして護衛となった母子。

ヤマトは従者に、ネルバはテリーの妻ビスクと話し合い愛妾と言う立場をとった。勿論仕事上の名目で、肉体的な関係はない。近くでテリーとビスクを守る為の地位だ。


周囲からは仲の良い、妻と愛妾と映っていた。


下衆な奴らは妻や愛妾を拐って、人質にしたり痛め付けようとする。それこそ返り討ちである。忍者は暗器を常に仕込んでいるから、例え周囲に護衛が居らずとも否逆に隙を作り、誘き寄せて敵を屠るのだ。


実行役とその周囲に監視役がいるのが、暗殺の常。

実行役が殺られ、報告に動く敵を屠るのがヤマトの役目に成りつつあった。


報告もなくどんどん暗殺に送った者が帰らず、焦りだす周辺の悪辣な領主達。

「もし全ての刺客達が殺られたのであれば、今度は逆に俺達が危ないのではないか?」


そして疑心暗鬼に陥り、常に周囲を警戒するようになった悪辣な領主達。彼らは権力で人を屈服させるが、自らが暗殺の的になることに耐えられる精神は持ち合わせていなかった。所詮“小悪党”なのだ。


まあそんな感じで、逃げるように当主を子供に譲り隠居していった。子供達も親からの話を聞き、悪事を減らしていった。横領や僅かな税金の引き上げ等は変わらずで、清廉には遠く及ばないが人身売買や高利の騙しうちは止めたようだ。


暗殺の頻度が減り、ますます侯爵領は栄えていく。

そのタイミングでネルバは愛妾の立場を退き、40代で村の男マーサルと結婚した。ヤマトはそのまま侯爵家に残り、当主を支えることになる。変わらず、ヤマトとネルバの仲は良好である。

「ヤマト、私は幸せだよ。私は孤児で忍者の首領に拾われて、一生人を陥れたり殺す操り人形で死んでいくと思ってた。そこにヤマトが来てくれたんだ。幼い時は辛いめにあわせて済まなかったね。でもヤマトがいたから私はずっと楽しかったの。だからヤマトも、もう自由に生きて良いんだよ。この地なら、護衛以外の職でも生きていけるから」

いつも穏やかな母は、少し悲しげにヤマトに呟く。


「俺はずっと幸せだったよ。里を見たって、俺より幸福な奴はいなかった。綺麗で優しい母さんがいたのだもの。十分幸せだけど、これから好きなことを探してみるよ。それまでは護衛を続けるよ」

ヤマトもまた、瞳をうるわせて母親の懺悔を受け止めた。


二人は微笑み、お互いを抱き締めあった。

ネルバの夫マーサルも、陰でテリーを守る使用人に扮した護衛で、普段は馭者をしている。

彼は二人の経歴を知った上で、快く受け入れた。


「俺もテリー様に救われた者だ。俺の母が切り殺された時、たまたま通りかかり救ってくれたんだ。俺が生きているのはテリー様のお陰なんだ」



◇◇◇

新しい刀を戦闘前に使う、試し切りと言うものがある。普通は藁を束ねた物で行うが、実際に人を切る貴族も存在していた。その貴族はたまたま町で見かけたマーサルの母親を標的にした。美しい女が苦しむ姿はどんなだろうかと興奮して。


「マーサル、逃げて! ひぐっ、うっぐ」

苦しみよりも息子を守ろうと言葉をつぐむが、すぐに命の火は消えていく。

背中を切られた母親に縋るマーサルにも、刃先が迫る。

「お前も我が刀の糧になれ!」

刀が振り上げられた所で、テリーは現れた。

「坊主、ここらに饅頭は売っていないか? 案内して欲しいのだがなぁ」


一瞬戸惑うマーサルと、試し切りをした貴族。

だが貴族は、テリーの鋭い眼光に腰が退ける。

非難の言葉はないが、その眼は雄弁に語っていた。

『迅速に去れ!』と。


貴族がお付きの者とその場を去ったのは、言うまでもない。

そしてテリーは、マーサルをガバッと強く抱き締めて、優しく呟いた。

「同じ貴族として謝ろう。申し訳なかった」

マーサルは、安堵と悲しみで嗚咽をあげた。それをいつまでもいつまでも抱き締めていたのだ。


亡くなった母親を丁重に荼毘に伏し、天涯孤独となったマーサルはテリーと共に侯爵領に来た。村人の養子となり成長したマーサルは、テリーの使用人になった。彼は自ら侯爵家の騎士に頼み、空き時間で戦う術を磨いた。その努力が実り、更に強く賢くなった彼は執事になる。その後も強さに磨きがかかり、筆頭執事に登り詰めた。



◇◇◇

そんな(テリーの孫の)ハヤトの孫に当たるアメリアは、昔の現状を伝え聞いていた。祖父ハヤトが婿に来てから、自衛団が組織され領民達は鍛え上げられた。彼らは自分達の為に、また将来の子供達の為に立ち上がった。へなちょこな農民達は筋肉の塊となり、日夜魔獣討伐で肉を食べ、素材をパーツ毎に売りさばき利益を得ていく。魔獣が減少することで魔素の影響を受けない地が増え、その地に野菜も育っていった。最強のハヤトの指導で強くなった領民の男衆は、辺境伯家の魔物討伐にも参加し資金を得られるようにもなった。逆に資金が乏しく討伐隊を呼べない領地には、現在も無償で援助に向かっている。生前のハヤトにいらないと言われた、自分達の受けた恩を返す為に。



◇◇◇

本来魔獣討伐対策は国が資金を領地に配分したり、討伐隊を派遣するものであるが、パステル国では官僚が腐敗し横領を重ね、困窮時の資金は辺境地の領主に分配されない。軍務大臣である侯爵家当主グラドーは、不正を正したいと思っていたが、なかなかうまくいかなかった。もし自軍を送れば他の派閥から、土地の簒奪だと叫ばれかねない。かと言って帝国の傀儡である国王には、兵団を動かす命令権はないのだった。動かすにも帝国のお伺いを立てねばならず、立てたとしても快い返事は多くない。帝国側からすれば、パステル国の力を削げる方が良いからである。




◇◇◇

ストビース子爵家は、昔から国に捨てられた地であった。怠慢な国の中枢貴族は、今も昔と同じ認識でいた。アストロラ辺境伯やストビース子爵家及び、魔獣の出るようなその近辺の地域は貧しき田舎者だと。彼らがその認識だった為、帝国からの間諜もそうだと疑わず侮っていた。結果、国からの税の徴収は昔のまま少なく、領地の収入は増えていった。特に他国と境界する辺境伯の産業は順調で、独自に帝国とは別の国との国交が盛んになっていく。ストビース子爵家も業務を提供しており、辺境伯とその近辺の領地で独立できる軍事力と資金を蓄えられていたのだ。


未だに魔獣は多く現れ、冒険者や騎士団が討伐に追われる。だが討伐による魔物の活用が他国とも行えることで、外貨も入り生活も安定してきた。明確な規則の下、冒険者が傍若無人に振る舞うこともなく、確実に利益を得られる場所として更に整備されていく。


その為アメリアは、自由な領地で気ままに過ごしたかった。次期侯爵夫人では、家の雑務や社交に追われそうだったから。

でもアーモンや侯爵家の目的を知った後では、後妻となることを断れなかった。この国の未来の為にも。




◇◇◇

マリーアナの娘リズマリーは賢い子であった。

その出生を悔やむほどに。


「私の(マリーアナ)がいなければ、アメリアさんが後妻などにならなかったのに。なぜこんな私にも優しいのかしら」


本気で悩む彼女だが、アメリアもアーモンも本当に気にしていなかった。彼らにとって魔獣との戦いで命をかけている生活だったので、殆どのことが些細なことだったのだ。さすがに侯爵と侯爵夫人になった今は、容易に討伐には行けないが。


ひょんなことでマリーアナと夫婦になったアーモンは、「人生でこんなこともあるんだな。あんなべっぴんが嫁さんなんてさ。可愛いんだよな」なんてアメリアに言っていたくらい恋愛感情はなかった。

だから本当に、リズマリーが悩まなくても良かったのだ。どちらかと言えば、アーモンとアメリアの方が政略的な結婚だった。


まあでも、結婚間近で割り込めば、普通は気にする案件だろう。


アメリアの娘、異母妹のサンベルナも、美しく優しいリズマリーが大好きだった。アメリアの容貌は “ザ・普通” である。娘のサンベルナも同様だ。茶髪茶眼の鼻ペチャの可愛らしい童顔である。現在16歳のリズマリーより4歳下のサンベルナは、いつもリズマリーの後を追っていく。それがどんなにリズマリーの慰めになったか解らない。


控え目に言って、リズマリーもボルイック侯爵家の人達が大好きだった。マリーアナには反抗気味な使用人達も、育児放棄されて残されたリズマリーには同情的であった。

それに正義を通す侯爵家には敵が多く、アストロラ辺境伯やストビース子爵家から雇っている屈強な使用人が男女共に多く、殆どが脳筋。ただの脳筋か、賢い脳筋しかいないのだ。


そんな中、亜麻色の髪とエメラルドの瞳の、マリーアナ似の美貌を持つ儚げなリズマリーは大人気だ。

この容姿で優しいのだから、惚れない脳筋はいない。いや、脳筋以外も虜になるだろう。



パステル国の中枢は滅茶苦茶だった。ローラン公爵(隣国のリズマリーの祖父)が王都の貴族を懐柔する為に作った大きな商業施設は、そこに住む貴族だけが優遇される値段での売買が成されていた。


野菜は帝国産の物が、パステル国の半額の値で売られた。さすがに痛みやすい葉物野菜はないが、安い物を購入する者は多い。平民はもとより、貴族家の料理人だとてコストは低い方がありがたい。


貴金属も衣類も帝国産の物だけが並び、価格も安めに設定されていた為、購入量も増える。



その結果パステル国の野菜は売れ残り、農民が困窮する。貴金属や服飾業者も帝国の物を選ばれれば、廃業するしかない。そうして失業者がどんどん増えていくのだ。

一部の貴族はそうならぬように、自国の物を買いも求めても焼け石に水だった。


王家が帝国の暴挙に咎めることも止めることもできず、むしろ積極的に場所を提供し関税率も下げている状態。店の従業員も帝国の者で、文句さえ言うこともできないのだ。


不満の矛先が、パステル国の貴族に向くことは可笑しくないことだった。


リズマリーが6歳の時、サンベルナの誕生日プレゼントを買いに商業施設に来ていた。綺麗な建物に飾り付けられたお城のような場所だった。プレゼントを購入し、馬車で帰路を移動してきた時、馬車の窓に“ゴツン”と何かがぶつけられた。それは子供の投げた石だった。すぐに護衛に押さえつけられた子供の目は憎しみに満ち、体は痩せて汚れてぼろぼろの服を纏っていた。


「お前は帝国の人間だろう? 敵の国をボロボロにして満足か」

「な、何を言うの? 私はこの国の人間よ」

「騙されるかよ。もしそうなら売国奴だな、この悪魔め!」

「っ !?」

「どうせ俺は殺されるんだ。なら好きなことを言ってやるよ。お前らのせいで、どれだけの人間が地獄を見ているかを。俺の母さんは服を作っていたけど、商業施設は帝国の物しか置かない。値段も帝国の物が安くて、太刀打ち出来ずに店は潰れた。借金だけが残って、母さんは身を売って体を壊して死に、俺は奴隷みたいに働かされている。…………死んだ方がマシなんだよ! せめてお前は、俺の死に顔を焼き付けて生きろよ。ああでも、冷血には虫けらなんて記憶にも残らないか。あははははっ」


子供は町の警備兵に、刀で肩を撃ち抜かれて倒れる。

「ぐわぁぁぁああああっ!!!」

「っ、止めて、殺さないで! その子を助けて、お願いだからっ!!!」 

リズマリーの悲痛な叫びを聞き、警備兵は動きを止め子供を何処かに運んでいく。


「ああ、なんてこと・・・・・」

リズマリーは子供が刺され痛みに呻き血が迸るのを、泣きながら止めたのだ。


すかさず別の警備兵が、体を折り曲げるような形で頭を下げた。

「申し訳ありません、ボルイック侯爵令嬢。今後はこのようなことにならぬようにしますので、お許しください」

侍女はリズマリーを庇うように前に出た。

リズマリーは震えながらも、警備兵に告げる。


「あの子の借金を払うわ。だからあの子を解放してあげて、お願いよ。それに、私への不敬はないものとするわ。ねえ、いくら払えばあの子を救えるの? 貴方お名前を教えて、そしてあの子供を必ず助けて…………」


(解っているよ、もう既に遅いことも。命が助かっても心だけは傷ついたままで生きるだろうことも。でも、私に関わった人だけでも、生きていて欲しいの)


キルトと名乗った警備兵は、責任を持って子供を助けることを約束した。リズマリーに定期的に報告することも。


リズマリーはこの時、聡明故に自分の立ち位置を理解していた。そして独自に調査ギルドや執事から、隠さずに教えを受けたことで、自分の立場とこの国の現状が明確になった。


その後は自分への維持費や、ローラン公爵(隣国の祖父)からの高額であろうプレゼントも換金し、教会やスラムでの炊き出しを開始した。最初は貴族のお遊びだと思われていたが、何年もの年月が経過していた。父親であるアーモンも学校を目立たぬ空き家で開設し、民に読み書きを無償で提供していく。この意味を民は理解していた。国や帝国に目をつけられたら、妨害されることを。その活動には、アメリアやサンベルナも参加していた。協力者には他にも、ボルイック侯爵家に賛同する貴族や商人達もいた。水面下でその影響が出始めていく。有望な人材はボルイック侯爵をはじめとした、協力者の貴族達が取り込んでいったのだ。




「帝国の血を持つ自分が王太子妃、何れ王妃になれば、帝国民が侍女や文官・武官等として容易に入り込み、ますますこの国の立場が弱くなるでしょう。私だけはその地位に就いてはいけない」と、誰にも相談できず一人きりで自室で葛藤しているリズマリー。



そうして彼女(リズマリー)は、息を切らす程に異母妹サンベルナに吐露したのだ。リズマリーは、サンベルナもアーモンもアメリアも信じて愛していた。でも自分が帝国の血を持つことで、民衆の恨みの的になっていることも知ってしまった。家族のイメージを悪くしていることも。でもどうしても気持ちが溢れ、心配するサンベルナの気持ちに甘えて伝えてしまった。王命なら、断ることさえできないのに。



ただ王太子のスティーブンはその立場ではあり得ない程、人柄の良い優しい男で、リズマリーもその誠実さを好み密かに淡い憧れを抱くも、叶わない夢と諦めていた。ちなみにスティーブンも “ザ・普通顔” である。彼女は経験上、人を見る目に長けていた(顔なんかでは誤魔化されないのだ)。



アーモン達はいろんな所に協力者がおり、リズマリーの気持ちも知っていた。普通の国ならリズマリー程、王太子妃に相応しい女性はいないだろう。幼い時から母親に見放され、死別され、死後に母の愚かな行いを知り、一人悩みながらも挫けずに侯爵家に恥じない教育を習得してきたのだ。侯爵家や帝国の血筋であることを自慢するようなこともなく、却って己の出生に申し訳ないとさえ思ってきた。だからこその抵抗だった。


最悪の場合、自死さえも考えていたのだ。




◇◇◇

ここはある酒場の2階にある個室。

酒類は飲酒せず、円卓のテーブルを囲み食事だけを黙々とする10名。


「なあ、何とかならないかな?」

「何が?」

「リズマリーお嬢さんのことさ。もしこのまま王太子妃になっても本人があの調子じゃ、帝国の公爵(リズマリーの祖父)が無理を通そうと関わっただけで、自死して抗議しそうだぞ」

「ああ、そう思うよ」

あの子(リズマリー)には、自分を責めないように接してきたつもりなのだが、逆に負担をかけたんだろうか?」

「そんなことはないぞ、アーモン。俺達から見ても、お前は娘に差をつけず愛でてきた。ちゃんと父親してたぞ」

「そうだな。ただリズマリーが聡明過ぎるのだ。もっとこちらに頼るとか、我が儘であれば良かったのに。16歳で老成している感じだもの」

「俺はリズマリーを幸せにしてやりたい。子供の未来を守るのが親の役目だろう。俺達がして貰ったようにさ」

「ああ、解っているさ」



陰で見守る大人達も子供時代に大人に守られてきた。それを同じように返すことで、誇れると信じ生きてきたのだ。過去に生死の境で誰が助けてくれたのか、自分が守るべきなのは誰なのかは明確である。それなのに特殊過ぎる環境で悩みながら成長させてしまった。


「もう、頃合いだな」

「やっと、取り戻せる」

「長かった・・・・・」

「ずいぶんと我慢させてしまった」


それぞれの思いを胸に、再び自分の場所へ戻る大人達。

これからこの国に、大きな異変が起こるのだ。


リズマリーもサンベルナも、まだそれを知らなかった。


11/7 ヒューマンドラマ(完結済) 13時、22位、21時、18位でした。ありがとうございます(*^^*)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ