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今さらどうすれば

 ただならぬ様子で自分を見下ろしている夜一を前に、あくまで雑談の一環として先程の寒さを話題に出した千奈はひたすら困惑しているけれど。


 夜一の内心で発生している混乱は彼女の比ではない。


 なにせ、彼がどれだけ探しても霊感を持った人間なんて他に見つからなかった。


 光の姿を見ることのできない千奈だって、その例外ではないはずだ。


「もう一度聞くぞ。棗千奈、寒かったってのはどういう意味だ。さっきのを寒いと感じる人間は僕だけだ。お前が、あれを寒いと思うはずない」

「そう言われても……実際に首筋の辺りへやたらと冷たい空気が当たっていたもの。というか、あなたも寒かったの? それなら、特に疑問に思うようなことはないと思うのだけれど」


 千奈の返答を聞いた夜一は表情をより一層険しくし、苛立ちを示すかのように左足で意味のない足踏みを始めた。

 

「あの、どうしたんですか?」


 事情が飲み込めない様子の光が、やたらと機嫌の悪そうな夜一へ恐る恐る声をかける。

 すると、彼は一瞬だけ光へ睨みつけるような目を向けてから、彼女の委縮した表情を見て僅かに表情を和らげた。


「……そんなの、こっちが聞きたい」


 額に手を当てた夜一はか細い声を絞り出しながら力なく椅子に腰を下ろし、広げた指の隙間から千奈の顔を見やった。


 先程の冷気を感じ取ったと宣っておきながら光を一顧だにしない千奈の態度は、表面上は他の人間と変わらない。


 さっきのは、ただの偶然?


 答えは誰に聞かずともわかっている。

 もちろん、そんなわけはない。


 納得なんて欠片もできないけれど、先程のほんの僅かな時間に限って言えば千奈が夜一と同じものを感じていたのは紛れもない事実だ。


 けど、じゃあ、それがわかったところでどうすればいいのだろう。


 千奈がどうやって夜一と同じものを感じるに至ったのかを調べる?

 冷たい思いをした同士として、先程の現象について語り合う?


 でも、そんな風に他人に近づこうとした結果が過去の肝試しであり、家族の終わりだったはずだ。

 

 千奈は幽霊でも妖怪でも、ましてや神様でもない。

 物心ついた頃から夜一を支え続けてくれた彼女たちとは違う、他人という名の理解の外にいる生き物だ。


 それなら、やっぱり最初から何もしない方が……。


「宵宮君? 大丈夫?」


 青い顔で俯き荒い息を吐いていた夜一が気づかわしげな千奈の声に反応し、びくりと体を震わせる。


 この前、夜一は千奈に助けられた。

 そこにどんな理由があったのかはわからない。


 ただ、夜一を嘲るだけの名前も覚えていないクラスメイトと、棗千奈を同じだとは思わなかった。


 それはたぶん、今も変わっていない。


「ちょっと調子悪いから、保健室行ってくる」


 残っていた惣菜パンを一口で食べきってから、夜一が下を向いたまま立ち上がり誰のことも視界に入れず歩き出す。


 千奈が気づくことはなかったけれど。

 彼女の隣に佇む光がふと体の前で組まれた夜一の手に目を向けると、まるで余計な考えを頭から追い出そうとするかのように夜一は右手の甲を左手の親指と人差し指で強く抓っていた。

 


 ◇



「というわけなんだけど、煉理はどう思う?」


 短剣に囲まれた祠が鎮座する空間にて、鞄を近くに放り出し地面に座り込んだ夜一が学校での一幕について語り終える。

 巫女らしき装束に身を包んだ赤髪の女、煉理は夜一の話を聞き終えると驚いた様子で目を見張ってから、顎に指をあてゆっくりと口を開いた。


「ふむ。我は実際に見たわけではない故、確かなことは言えぬが。察するに、その千奈とやらの霊力は著しい成長の最中にあるのじゃろう。冷気を感じ取れたのも、成長に合わせて感覚が鋭敏になった結果じゃな」

「……成長? 霊感とか、そういうのって、成長するものなの? 僕、物心ついた頃から今と同じくらいお前らのこと見えてたけど」


 煉理の推測を聞いた夜一は納得いかなそうに声を上げ、煉理に怪訝そうな視線を向けた。


「お主の場合、霊力だけなら生まれつき完成しとるからの。成長する余地なぞ微塵もないが、普通は己を錬磨し力を高めてゆくものじゃ。ま、それで上がる霊力にもおのずと限界は生じるし、大抵の人間はどれだけ訓練を積んだところで妖怪なぞ一生見えぬがな」

「ふーん」


 気のない返事を口にしてから、夜一が仰向けに倒れ込み上目に彼のことを真顔で見下ろす煉理と視線を合わせた。

 青と金の瞳の交錯は数秒間だけ続き、やがて不安定に揺れる青色が微動だにしない金色から逃げるかのようにゆっくりと横に逸れていく。


 煉理は逃げていく青色に不満そうな吐息を漏らしてから、白のブーツを軽く持ち上げ銀色の頭を爪先で小突いた。


 抗議の声でも上げるつもりだったのか夜一は僅かに唇を持ち上げたが、自分を見下ろしている煉理の顔に遊びの色がないのに気づくと気まずげに黙り込み、そのまま体を丸めた。 


「それで? お主はどうするつもりじゃ?」

「……どうって、何が?」

「言わずとも、わかっておろう」


 諭すように言葉を紡ぐ煉理に対し、夜一の態度は一貫して白々しい。


「……光の異変なら、心当たりはあるよ。たぶん、あれは成りかけだった」

「ハァ……ま、それも大事ではあるがな」


 煉理は話をはぐらかす夜一に対し呆れを滲ませているが、話の途中に出てきた光の変容も見逃せない事柄なのは確かだ。


 不安定な存在である幽霊は存在を維持するための燃料である現世への未練をあっという間に燃やし尽くし、大抵の場合は一週間もあれば成仏する。


 だが、全ての幽霊がそうかと言えば些か事情は異なり、中には一年以上の長期に渡って存在を維持する者も存在する。


「とはいえ、心配はあるまい。今日初めて異変が出たと言うのなら、そやつが死ぬのは今日明日の話ではなかろう。何に成るのか見極める時間は十分じゃし、いざとなれば我が介錯してやる」


 幽霊は一度死んだ人間の魂である。

 それは確かだ。


 けれど、自己の喪失をそう呼ぶのなら、彼女たちにも死は訪れる。


 ほとんどの幽霊にとって、それは成仏という穏やかな終わりだけれど。

 一部の例外にとって、それは一度死に別の存在に生まれ変わることを意味する。


「それはわかってるけど……前は、質の悪い鬼になって大変だったろ」

「あれはお主と出会った時点で既に変質が進んでおった。此度とは事情が違う」


 未練を燃やし尽くし、それでもなお現世に留まる幽霊は正負の入り混じった人間の感情や、他の霊や妖怪が発する力を糧に存在を保ち、やがて糧としていたはずのそれらに存在を引っ張られ変質する。


 どう変わるかは取り込んだ感情や力の質によって千差万別だけれど、一度別の存在に変わればかつての記憶は失われ姿形も異なるものになる。


 或いは、どれだけ変わろうとそこにいるのなら生きているのだと言うやつもいるのかもしれないけれど。

 少なくとも夜一は、それを死と呼ぶ。


「でも、何でいきなり二人して……」


 光の変化だけなら夜一にも理解できる。


 夜一が伝言を伝えた時点で、光が抱えていた未練は少なからず解消されたはずだ。

 燃料が減れば外部から取り込む力の量も増えるし、そうなれば自然と変化も早まっていく。

 このタイミングで目に見える変化があったのもおかしなことではないだろう。


 しかし、幽霊でも何でもない千奈の身に起きた異変については、その理由に皆目見当もつかない。


 夜一が学校での一幕について改めて考えこんでいると、それを見た煉理は事も無げに口を開いた。


「そんなもの、お主の影響に決まっておろう」

「は? 僕?」


 間の抜けた声を漏らした夜一が上体を起こし、煉理を見つめながら瞬きを繰り返す。


「僕は何にもしてないけど?」

「そんなことは知っておる。じゃが、そもそもお主は我の契約者となれる程に膨大な霊力を抱えておるんじゃ。たとえ扱う術を知らぬ宝の持ち腐れであっても、それだけ強い力を持っておれば感情を向けるだけで一種の(まじな)いとなる」


 正直、夜一には呪いの詳しい仕組みなんてわからないし、煉理が言うことなら大抵は無条件に信じるけれど。


 今回ばかりは彼女の言い分に納得できない。


「そんなわけないだろ。もし僕にそんな力があるなら、出会って日の浅い光や棗千奈より先に母さんに影響が出てる」

「そこに関しては、半分は素養の差じゃな。元々、宵宮の家系は見鬼の才を持った子がでなくなって久しかった。何の因果かお主を産みはしたが、血に宿る才はとうに枯れておる。姉妹揃ってお主の影響を強く受けておる辺り、棗の家はどこぞで混じった陰陽師の血が宵宮よりは濃く残っておるのじゃろう」


 煉理の言うことにも一理あると思ったのか、夜一は不満気ではあるものの特に反論を述べようとはしなかった。


「……で、残り半分っていうのは?」

「簡単なことよ。光を存続させ、千奈には共感を求めるお主の願望は遠い昔に関係を諦めた母へのそれより強い。それだけの話じゃ」


 理由に心当たりがあったというわけではないはずだけれど。


 煉理から答えを告げられた夜一に驚いた様子はなく、彼はただ視線を明後日の方向に逸らしながら眉間に皺を寄せた。




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