興味
「ねえ、宵宮くん。どうかしたの?」
瑞希が夜一の異常性にドン引きしている内心を表に出さないよういつも通りを心がけながら声をかけると、夜一は顔を上げ声をかけた瑞希と隣で彼に視線を注ぐ鈴の顔を順に見回した。
「どうって、何が? 別に、僕はどうもしてないけど」
口にする言葉とは裏腹に夜一の目は泳ぎ続けており、何かを掴むような仕草を見せていた右手は慌てた様子で開かれた。
「いや、さっきから独り言ヤバかったよ。正直、あれはちょっと引いた」
冗談というよりは本音に近そうな鈴の発言を聞いて、言い訳のため開かれようとしていた夜一の口は閉じ目は微かに伏せられた。
別にショックを受けているというわけでもなさそうだけれど。
どことなく、彼の表情には諦観が滲んでいる。
「そっか。……まあ、不快な気分にさせたなら謝る。ごめん」
おざなりに謝罪の言葉を口にしたきり夜一は口を閉じ、そのまま下を向いて黙り込んでしまった。
正直、意外な反応だ。
昨日の夜一は迫ってくる千奈に対し激しく拒絶の意思を示していたし、少し目を離せばその隙に走って逃げ出すような良くも悪くも思い切りのいい行動を見せていた。
否定的なニュアンスだったとはいえ、この程度の軽口でしおらしい態度を示す今の彼は瑞希のイメージとは少し離れている。
鈴の方も瑞希と似たような感想なのか、夜一に向ける目を細め怪訝そうな表情を浮かべていた。
◇
夜一にとって自分以外の人間は等しく理解の外にいる存在であり、誰であろうと本当の意味で親しくなることはない。
それを忘れたわけではないのだけれど。
夜一が思うに、瑞希や鈴はたぶん善良な部類の人間なのだろう。
内心でどう思っているかまでは知らないが、小鳥と話す夜一を見てこの程度の感想で済ませてくれるということは、彼女たちがそれだけ夜一を尊重してくれているということだ。
だから、といってしまうと些か未練がましい気がするけれど。
彼女たちと話していると、ほんの少しだけ彼女たちと自分の間にある絶対的な差異を意識の隅に追いやってしまう瞬間がある。
いざ自分にしか見えない妖怪を前にすれば、口にする言葉は全て虚空に向けた独り言として受け取られ、手のひらにある他者の感触は空気を掴んでいるのと同列に扱われるというのに。
一瞬でも彼女たちと自分の間に何らかの繋がりがあると錯覚するなんて、何とも虚しいことだ。
瑞希と鈴は何も悪くないし、夜一だって別に悪意があるわけじゃない。
それなのに、彼女たちと夜一の会話はどこまでもかみ合わず、その場凌ぎのごまかしばかりが増えていく。
わかってはいたはずだけど、本気で自分の態度に困惑している様子の二人を見ると改めて他人との会話がいかに不毛なものかを思い出す。
これなら、たとえセクハラ大好きのロクでもない鳥であろうとも、同じ景色を見ることのできる相手と喋っていた方が百倍マシだ。
結局、その後の夜一は二人からの呼びかけに生返事ばかりを繰り返し、委員会が終わるまでの時間を青い小鳥が飛び立っていった窓の外に目を向けながらすごした。
◇
夜一たちが間矢峰学園に入学してから一週間が経過し、一年一組の教室では徐々に人間関係が固まり始めていた。
たとえば、鈴は垢ぬけた雰囲気の女子やいかにもスポーツマンらしい体格のいい男子と喋っていることが多いし、千奈はよく総務委員の二人と昼食を取っている。
もちろん、まだ学校生活が始まってから日は浅いし、部活などを通じて人間関係を広げる余地は幾らでもあるだろう。
だが、それはあくまで人間関係を広げる意思のある人間に限った話であって、最初から関係の構築を放棄している人間には関係ない。
夜一はそう考え、ある意味で安心していたのだけれど。
事は、そう単純でもないらしい。
「なあ、宵宮って霊感あるんだろ?」
聞こえてきた声に反応して夜一が食べかけの焼きそばパンから顔を上げ、彼の近くに立つ三人の男子生徒を瞳に映す。
彼に声をかけてきた生徒は小麦色の日焼けした肌の持ち主で、名前は知らないがどことなく顔に見覚えがあるのでたぶんクラスメイトなのだろう。
彼の近くにはトラウマ気味の宿泊体験学習でも見た覚えのある坊主頭と全く印象に残っていない小太りな生徒が佇んでおり、三人揃って薄笑いを浮かべている。
「よくぶつぶつ一人で何か言ってるけど、あれって幽霊とお話してるんだよな?」
高校入学以前の同級生がいる時点で察しはつくが、やはり彼らは夜一のことをからかいに来たらしい。
今では他人にそんなことを言うことはなくなったが、昔の夜一は霊感があるということがどれだけ異常なのかを自覚していなかった。
だから、何をしているのか聞かれて幽霊や妖怪と話しているのだと答えたことも一度や二度じゃない。
銀髪碧眼という容姿は目立つみたいだし、ある程度気をつけているとはいえクラスメイトならば光と話す夜一を目にする機会もあっただろう。
かつての同級生がいるなら話のネタには事欠かないだろうし、夜一は恰好の暇潰し道具というわけだ。
「……またか」
小さく独り言を漏らしてから、夜一は窓の外へと向き直り再び焼きそばパンを咀嚼し始めた。
夜一にとって、こういうことは初めてじゃない。
今までだって、何度もあった。
だから、自分なりの対処法についても確立している。
彼らは……いや、夜一以外の全ての人間は見た目が似ているだけの宇宙人のようなものだ。
同じ景色を見ることも、まともに会話を成立させることもできはしない。
そんな未知の相手に対処する方法は二つ。
相手を徹底的に叩き潰し無力化するか、余計な被害を受けないよう一切関わらないようにするかのどちらかだ。
こういうとき、夜一は大抵後者を選択する。
単純に格闘技だの護身術だのには覚えがないからというのもあるけれど。
何より、宇宙人と関わることには意味を感じない。
相手が幽霊や妖怪なら河原で殴り合いをした果てにわかり合う未来もあるかもしれないけれど、意思の疎通すらできない宇宙人相手では最初から友情が芽生える余地などないに決まっている。
「おい、無視か?」
やってきた男子生徒たちは夜一の反応が面白くなかったらしく語気を強めて詰め寄ったが、それに夜一が反応することはなく彼はただ黙して窓の外を見つめ続けている。
「こっちが話しかけてるんだから、ちゃんと――」
「うるさい」
余計に気を悪くした様子で何事かを口にしようとした男子生徒の声を遮るようにして、辺りに冷え冷えとした声が響く。
驚いた様子で固まっていた男子生徒がゆっくりと視線を声のした方へ向けると、そこには椅子を後ろに向け総務委員の早川心の席に弁当を広げていたらしい千奈の後ろ姿があった。
「急に入ってきて何なんだよ。これは俺たちと宵宮の――」
「まだ続けるつもりかしら?」
立ち上がった千奈は聞くに堪えないと言わんばかりに自分の声で男子生徒の台詞を掻き消すと、目線を共に弁当を食べていた総務委員の二人やこちらの騒ぎに興味を示し始めているクラスメイトたちへ向けた。
「あー、その、宵宮君はまだお昼ご飯の途中みたいだし、今話しかけるのは可哀そうじゃないかな?」
急に目線を向けられ驚いた様子の康介が肩を大きく跳ねさせてから、とりなすような口調で男子生徒たちを夜一から遠ざけようとする。
浮いた存在の夜一ならともかく、クラスの中で一定の信頼を得ている総務委員や堂々とした態度で彼らに非難の目を向ける千奈を相手にこれ以上騒ぎを大きくするのは旗色が悪いと踏んだのか、男子生徒たちは不満そうにしながらもそれ以上夜一に構おうとはせず黙って教室を出ていった。
「こんなことしても、僕から言えることは――」
「関係ないわ。彼らの言動に関しては、私が不愉快だったからやめさせた。それだけよ」
警戒と感謝がない交ぜになった表情で戸惑い気味に声を発する夜一に対し、千奈は言葉少なに自分の意図を伝えるとそのまま彼に背を向け後ろを向いた椅子に座ってしまった。
本当に、ただの正義感から出た言葉だったのだろうか。
やっぱり、夜一には他人が何を考えているのかなんてわからないけれど。
千奈の後ろ姿を眺めているうちに、それを知りたいと思う欲求が微かに胸の内に湧いてくるのを自覚した。
こんなのは随分と久しぶりだ。
一体、いつ以来のことだろう。
夜一をあちこちの病院へ連れまわした両親が泣きながらどうして普通にできないのか聞いてきたとき? 或いは、自分では仲がいいつもりだった同級生に気持ち悪いと言われたときだろうか?
他人にこんなことを思うのはあまりにも久しぶり過ぎて、もう答えはわからない。