委員会
入学二日目のホーム―ルームらしく担任教師の溝口が委員会活動について説明するのを聞きながら、千奈は隣の席に座りこちらの様子を控え目に窺ってくる夜一について考えを巡らしていた。
千奈が彼と顔を合わせたのは昨日が初めてだ。
それは断言してもいい。
そして、自分が初めて顔を合わせたということは幼稚園から高校まで全て千奈と同じ場所に通っていた光が彼と学校で知り合った可能性は極めて低い。
光が定期的に通っておりなおかつ千奈は行ったことがない場所となると、光が友達に誘われ小学四年生のときから通っていた習字教室辺りだろうか。
もちろん、当初はSNSを通じて匿名でやり取りしており光の名前は後から知った、なんて可能性も否定はできないし夜一が実際に光と顔を合わせたことがあるとは限らないけれど。
何となく、彼の話しぶりは光と直に話したことがある者のそれだったような気がする。
とりあえずは、間矢峰学園の現三年生で姉の同級生だった顔見知りの先輩に話を聞き、そこが空振りに終わるようなら姉の通っていた習字教室を訪ねてみるとしよう。
「それでは、総務委員の男子は和柳君、女子は早川さんにお願いしたいと思います」
千奈が考え事に耽っている間にいつの間にか中学時代の学級委員に相当する総務委員の選出が終わったらしく、教室のあちこちから拍手の音が響き始めた。
正直なところあまり委員会活動に興味はないのだけれど。
決して自分と無関係な事柄ではないのだし、流石にもう少し真面目に話を聞くとしよう。
千奈は考え事を中断し、周囲と同じように総務委員となった二人へ拍手を送り始めた。
◇
「最初はグー、じゃんけんポン」
覇気のないかけ声と共に三つの手が同時に繰り出される。
開かれた手のひらが二つと、握りこぶしが一つ。
それらが意味する結果は明白で、パーを出した二人はほっとした様子で息を吐き出し、グーを繰り出した一人はこの世の終わりのような表情で項垂れた。
「残念ながら、男子の美化委員は僕がやることになった……いや、ホント、何で僕がこんなこと」
敗者となった銀髪の少年は事前の取り決め通り重い足取りで黒板まで歩いていき、そこでチョークを手に立っていた総務委員の和柳康介へと声をかけた。
康介は声をかけられた瞬間になぜだか怯えるように肩を跳ねさせていたけれど、すぐに担任から進行役を任されていることを思い出したらしく美化委員の文字の下に宵宮の名前を書き記した。
これで、もはや言い逃れの余地などなく夜一が美化委員を務めることが決定した。
委員会に立候補する者が現れなかったときに行われる選別の儀式、もとい貧乏くじを押し付け合うじゃんけん勝負で敗北したからには仕方がないと理解してはいるけれど。
夜一としては学校での用事なんて一分一秒でも早く終わらせて帰りたいのに、これから先は美化委員として余計な仕事に駆り出されるのだと思うと憂鬱で仕方ない。
「へえ、宵宮っていうんだ。昨日は休んでたけど、かぜでも引いてた?」
唐突に横からかけられた声に反応して、先程の康介の如く夜一の肩がびくりと跳ねる。
ぎりぎり茶髪と言い張れそうな範囲で金色に染められ緩く波うっている髪に、マニキュアを塗っているらしい鮮やかなピンクの爪、そして印象に残りやすそうなはっきりとした目鼻立ち。
夜一に声をかけてきたのは教室の中でも一際派手な見た目の女子で、彼女は夜一が狼狽気味に自分から距離を取ったのを見ると軽く首を傾げてみせた。
「どうかした?」
「別に、どうもしないけど。……誰だ? お前」
夜一からの問に対し、女子生徒はチョークを手に取るとこれが答えだと言わんばかりに黒板に書かれた宵宮の文字の隣へ赤羽と書き記した。
「私は赤羽鈴。宵宮と同じでじゃんけん負けちゃってさ。女子の美化委員やることになったから、これからよろしくね」
「え……やだ」
思わず本音が漏れたといった声音で夜一が自分を拒絶する言葉を口にしたのを聞くと、鈴は暫しきょとんとした顔を浮かべてから、やがて面白そうに笑い声を上げ始めた。
「あはは、やだって! 宵宮ってば、正直すぎでしょ」
鈴は何やらツボに入った様子で笑い続け、時折右手で夜一の背中を叩いてくる。
夜一からすれば何が面白いのか皆目見当もつかないけれど、幸いと言うべきか見たところ鈴の機嫌は悪くないように思える。
「うん、見た目からして変わってるなーとは思ってたけど、そういう頭おかしいのって嫌いじゃないよ」
結局、鈴は笑うだけ笑った後で自分の席へと戻っていき、それを見送った夜一はようやく緩慢な動作で動き出し自分の席へ戻るなり机に向かって突っ伏した。
「あなた、誰に対してもあの調子なのね」
夜一と鈴のやり取りを遠目に見ていたらしい千奈が隣の席から声をかけてくるが、夜一には既に応える気力などなく彼はそのまま深い眠りへと移行した。
◇
「あれ? 宵宮どこ行くの?」
放課後になり夜一が迷うことなく昇降口へ向かおうとしたところ、背後から彼を呼び止める声が響いてきた。
嫌々ながらも夜一が振り返ると、そこには委員会決めのときに絡んできた鈴の姿がある。
「どこって、帰るんだけど」
夜一が鬱陶しそうに言葉を返すと、鈴は何やら考え込むような仕草を見せてから夜一を見る目に呆れを滲ませ始めた。
「もしかして、先生の話聞いてなかった? 今日は委員会の集まりがあるから、美化委員の私たちはまだ帰れないよ」
「……は?」
夜一にとってはに寝耳に水の事実であり、思わず口を開けて立ち尽くしてしまう程の衝撃展開なのだけれど。
鈴はそんな夜一の困惑には一々構わず、彼の制服の袖を掴むとそのまま目的地に向け歩き出した。
「というわけで、諦めて一緒に行こっか」
そう簡単に諦められるか。
そんな風に叫んで逃げ出すことも一瞬だけ脳裏をよぎったけれど、たぶんその結果待っているのは委員会を休んだ自分に対する教師からの説教だろう。
どのみち自分には地獄しか待っていないことを悟った夜一は、この過酷な現実に対するせめてもの抵抗として買ったばかりの制服を引っ張り早速皺を刻もうとしている鈴へ向かって声を上げた。
「わかった。なら、どこに集まるのかだけ教えてくれ。そしたら、後から一人で勝手に行く」
「そんなことしなくても、どうせ同じ場所に行くんだし今日はこのまま私が案内してあげる」
「いや、僕はお前と一緒に行くのが嫌だから言ってるんだけど」
「あはは、わかってるって」
一体何がわかっているのか、鈴は笑うばかりで夜一の要求に応えてくれる様子は微塵もない。
「ねえ、宵宮って友達いないでしょ」
「は? 何だよ、藪から棒に」
突如として投げかけられた問に夜一が怪訝そうな声を上げると、鈴はようやく彼の制服から手を離し体の向きを反転させた。
夜一と向かい合った鈴の顔には薄ら笑いが浮かんでいて、たぶんからかわれているんだろうとは思うけれど。
その割に、鈴の声からは嘲りの色を感じない。
「だって、宵宮ってば露骨に私のこと避けようとしてくるじゃん? 普通、初対面の相手にここまではっきり言えないよ。だから、宵宮は友達いなさそうだなーと思ってさ」
「と言われても、一応僕にも友達はいるぞ」
「え!? 嘘!? 友達いるの? その性格で?」
正直、自分でも驚かれるのは当然だろうと思うけれど。
夜一には一人だけ、大切な友達がいる。
まあ、もっとも、大昔には神さまだったらしいその友達は鈴の目には見えないだろうし、幼い頃両親に連れて行かれた病院ではあろうことかイマジナリーフレンド扱いされた。
鈴の口にした友達がいないという指摘も、あながち的外れではないだろう。
「そっか。……宵宮でさえ友達がいるなら、あの子も放っといて大丈夫、なのかなあ?」
鈴は何やら思案顔で独り言を呟いているけれど、夜一としては彼女の事情に興味はないし行き先がわからないのに立ち止まられても困るだけだ。
「委員会、行くんじゃなかったのか?」
「ああ、ごめんごめん」
結局、担任が話している時間を寝てすごした夜一に他の選択肢があるはずもなく、彼は鈴に先導されるがまま重い足を動かし続けた。