見て見ぬふり
高校生活二日目を迎えた生徒たちが新しい人間関係を模索し活発に声をかけあう朝の教室にて、夜一は窓際最後尾の一つ前に位置する自席で頬杖を突きながら窓の外に広がる景色をぼうっと眺めていた。
銀髪碧眼という目立つ容姿故か、夜一に視線を向ける人間はちらほらいるけれど。
あからさまに他人を拒絶するオーラを発し友達候補としては一目で不適格とわかる彼へわざわざ声をかけようと思う人間はいないらしく、今のところ教室での彼は完全に孤立している。
できることなら、このまま何事もなく一日を終えたい。
そんな思いが夜一の視線を教室の内側から逸らし、現実逃避気味に外を眺めさせているのだけれど。
現実というのはそれが嫌なものであればある程に早足で追ってくるものらしく、一人の女子生徒が彼の隣の席へ鞄を置きそのまま座ることなく正面に回り込んできた。
「おはよう、宵宮君。どうやら、同じクラスになれたようね」
かけられた声が自分に向けたものであるというのは当然に理解しているのだけれど、夜一は敢えて聞こえないフリを敢行し千奈の声を無視して窓の外の景色を眺め続けた。
無視された千奈は夜一の反応に少しだけ目を細めたものの、特に声を荒げることもなく淡々と続く言葉を口にした。
「一応聞くけれど、昨日の伝言について本当のことを話すつもりはあるかしら?」
「……ハァ」
深々とため息を吐き出してから、夜一が観念した様子で正面へ向き直り伏し目がちな瞳の中に青みがかった黒髪の少女を二人映し出す。
千奈の背後に立ち申し訳なさそうな表情を浮かべている光は既に死んでいる幽霊で、夜一以外には見えていない。
夜一は見えないものに向かって話しかけるのがおかしいことだと知っている。
だから、衆人環視の中で光へ声をかけようとは思わないし、光の方も夜一に迷惑をかけたいわけではないらしく今日は口を噤んだままだ。
「何度聞かれても、僕の答えは変わらないぞ。なにせ、僕は本当のことしか言ってないからな」
「そう」
昨日の一幕を経て夜一の返答には予想がついていたのか、千奈は特に驚いた様子もなくその場で小さく頷いた。
「あなたがそういう態度を取るのなら、残念だけれど姉さんのことを教えてもらうのは諦めるしかないわね」
台詞だけなら夜一に対する詮索を諦めたとしか思えないのだけれど。
夜一が恐る恐る千奈の顔を見つめると、そこには不敵な笑みが浮かんでいる。
嫌な予感がする。
夜一の全身を悪寒が駆け巡り、腕には鳥肌が立ち始めた。
できることなら、耳を塞いで何もかも聞かなかったことにしてしまいたいけれど。
夜一を呼び止め伝言を託したときの光と同じ強い意思を宿した瞳を見るに、きっと千奈はそんな子供騙しの逃避が通じる相手ではないだろう。
「仕方がないから、あなたには頼らず自力で探ることにするわ」
「ひ!?」
言いたいことを言い終えた千奈が最後に不自然な程愛想よくにこりと微笑むと、夜一は顔を引きつらせながら小さく悲鳴を漏らした。
「お、おい、探るって、何する気だ? 言っとくが、どこを探したってないものは出てこないぞ」
明らかに腰の引けた夜一が震え気味の声を振り絞るが、もはや千奈が取り合うことはなく彼女は夜一に背を向けるとそのまま教室を出ていってしまった。
「もう、何なんだよ」
夜一が自分を見て気まずそうにしている光へ恨みがましい目を向けると、彼女は困り顔で頬をかいた。
「いやー、あはは。まあ、その、千奈って昔から自分がこうと決めたら譲らない所があるっていうか」
「これ、そういう問題じゃないだろ。だいたい、何でここまで拘るんだよ。仮に僕が生前のお前と知り合いだったとしても、そんなの大したことじゃないだろ」
もはや周囲の目を気にする余裕などないらしく、夜一は続けざまに光へ向かって愚痴染みた言葉を吐き出していく。
光の方はそんな彼の様子を見て何と答えたものか暫し決めかねていたようだが、やがて小さく息を吐いてから少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「きっと、千奈は私のことを忘れたくないんだと思います」
「は? どういう意味だ?」
光は何やら千奈の心情を察しているようだが、夜一からすれば別に自分に絡んだりせずとも実の姉を忘れることなんてないだろうとしか思えない。
「ある日、妹の千奈も知らない私の知り合いが唐突に現れて、自分たちしか知らないはずの喧嘩について言及する。それって、何だか意味深じゃないですか?」
「そりゃ、そうかもだけど。じゃあ、何だ? あいつ、僕がお前に関して何かすごい秘密を隠してるとか思ってるのか?」
夜一の疑問を聞いて、光が苦笑を浮かべる。
「どうでしょうね。そういうのも、ちょっとは期待してるのかもしれませんけど。たとえ何も出てこないとしても、千奈は私に関することで見て見ぬふりをするのが嫌なんですよ」
未だ意味を測りかねている夜一が訝し気な表情を浮かべ首を傾げると、光はどこか辛そうな表情を浮かべそっと窓の外に視線を向けた。
「だって、私の名前を出されたのに何もしないでいたら、私のことがどうでもよくなったみたいじゃないですか。……死んで会えなくなったから、次第に記憶から薄れ関心もなくなっていく。そういうのを許せる程、器用な子じゃないんですよ」
光の説明を聞いてようやく彼女のことを忘れたくないという言葉の意味を理解した夜一は、つまらなそうに息を吐き出し再び頬杖をついた。
「よくあいつがそんなことを考えてるなんてわかったな」
「わかりますよ。これでも、お姉ちゃんですから」
「……あっそ」
正直、夜一には家族の絆とかそういうのはよくわからないし、目の前にいる光に目を向けず自分なんかに絡んでくる千奈の行動は的外れもいいところだと思うけれど。
見て見ぬふりをしたくないものもあるというのは何となくわかる。
「馬鹿らし」
既に死んだ姉に拘り続ける千奈に向けてか、或いはそんな彼女にほんの僅かでも共感したつもりになっている自分自身に向けてか、それさえもわからないまま夜一はそっと独り言を漏らした。
◇
間矢峰学園の新入生の一人である和柳康介は自分のような平凡な人間が高校生活でよいスタートダッシュをきるためには、最初の席順が大切だと考えている。
席が近い相手というのは話しかけても不自然な雰囲気になりにくいし、授業などで共に作業をする機会もあるだろう。
友達を作るため近くの席に座る相手を攻めるというのは王道の作戦であり、そこを起点にして交友関係を広げていくのが康介の最初に思い浮かべていたプランだった。
しかし、不幸なことに窓際最後尾に配置された彼の座席の隣に座るのは銀縁の眼鏡をかけすまし顔で黙々と本を読んでいる早川という女子生徒で、無難に興味のある部活を尋ねたところ本から顔を上げることもなく帰宅部という答えを返され、そのまま会話は終了した。
いや、まあ、理解はできる。
康介だって自分の振った話題が彼女の読んでいる本より面白いものだったとは思わないし、向こうからすればよくわからんやつから退屈な話をされても会話を続ける気にはならないだろう。
だから、早川のことはこの際構わない。
本当に問題なのは、彼の前に座っている宵宮夜一とかいう男子生徒だ。
彼は昨日の入学式では顔すら見せず、今日は登校するなり無言で窓の外を見つめだした。
正直、この時点で康介は自分の運のなさを呪っていたのだけれど。
夜一は康介が心の中で密かに開催していたクラスの可愛い子ランキングで堂々の一位に輝く棗千奈と何やら意味ありげな会話を繰り広げ始めたのだ。
別に千奈のことを狙っているとかそんなことは一切ないのだけれど、彼女どころか友達を作ることにさえ苦戦している自分の前で可愛い女子と話す男子というのはそれだけで康介の心を荒ませる。
とはいえ、それだけなら康介が心の中でリア充爆発しろと叫んで終わる話だ。
今回の席順は運がなかったと諦めもついたろう。
だが、千奈がいなくなってからの夜一の様子は明らかに常軌を逸していた。
なんと、彼は虚空に向かって声をかけ、延々と独り言を漏らし始めたのだ。
康介は自分の小市民的な性分を自覚しているし、それ故にこれまでは多少性格に難のある相手がいても臭いものには蓋の精神でてきとうに受け流してきたけれど。
流石にこれは無理だ。
近くの席に座る友達へ声をかけるみたいな気軽さで意味不明な独り言を虚空に向かって口にし続ける夜一の姿は、控え目に言ってめちゃくちゃ怖い。
康介の勘が告げている。
夜一は何か法に触れる系のお薬をキメているに違いない。
絶対に関わり合いになってはいけないタイプだ。
「早川さん! 助けて!」
耐えきれなくなった康介が涙目で隣の席で読書を続ける早川へ助けを求めると、彼女は鬱陶しそうに顔を上げてから、一人で話し続ける夜一の姿を見て絶句した。
偶然にも、光と会話する夜一の姿は二人の同級生に共通の話題と恐怖を与え、それをきっかけに新たな友情が芽生え始めたのだけれど。
もちろん、そんなことは夜一にとって知る由もない話だ。