エピローグ
夜一が光を殺した日の翌日、間矢峰学園一年三組の教室でいつもの如く頬杖を突いている夜一は珍しく窓の外ではなく内側に目を向けていて、とある少女の登校を待っていた。
「宵宮君、少し二人だけで話しましょう」
最悪、声をかけても無視されるかもな。
そんな夜一の懸念が当たることはなく、千奈は登校してくるなり夜一に声をかけ返事を待たずに歩き出した。
夜一としても彼女とは話したいと思っていたし、提案に乗らない理由はない。
◇
千奈に連れられてたどり着いたのは校舎で最も高い場所、つまりは屋上で彼女はフェンスに肘をかけ髪を風にたなびくのに任せながら校門を通る生徒の群れに視線を向けた。
夜一はどこに立つべきか少しだけ迷ったけれど、結局は彼女から一メートル程離れた場所に陣取り同様に生徒の群れを眺め始めた。
「本来なら、お礼を言うべきなんでしょうね」
暫しの沈黙を経て紡がれた言葉を聞き、夜一が視線をずらし横目に千奈の表情を窺った。
複雑そうな表情を見るに、本心では礼どころか恨み言の一つでも浴びせたいのだろうけど。
今のところ、彼女が放つ雰囲気は険悪という程に刺々しくはなく、ただ寂寥感だけが漂っている。
「けれど、私は性格が悪いから。感謝はしてもありがとうとは言わないでおくわ」
「僕だって、そんなの求めてないっての」
「でしょうね。あなたは、あなたが正しいと思ったことをしたのでしょう。間違っているとわかっていながら、それでも足掻こうとした私とは違う」
千奈はそこで言葉を切ってから、自嘲気味に微笑んだ。
「わかってはいるのよ。あなただって、姉さんが憎いわけじゃない。わざわざ神様に詳しい仕組みを教わらなくても、あの状態の姉さんを放っておけばどんなことになったかくらい想像はつく」
光を殺した後、眠る千奈を祠の前に放置しておくわけにもいかないので夜一は彼女が起きるまで待とうとしたのだけれど。
酷い顔をしていて見るに堪えないから今日は帰って寝ろと言う煉理に追い出されて、あの後千奈がどうなったのかは知らないままだった。
まあ、そうだろうとは思ったけれど。
この様子だと、ある程度は煉理から説明を受けたらしい。
もちろん、光がどうなったかについても聞いたのだろう。
「けれど、度し難いことに私の中には確かにあなたを憎む気持ちがある。筋違いも甚だしい逆恨みだとわかっているのに、あなたの顔を見ると心を乱される」
「別に、それでいいだろ。……僕も、お前が嫌だって言うなら無理に近寄ったりはしない」
「いいえ、それでは困るわ」
夜一がフェンスから肘を離して千奈の方へ向き直り、困惑に揺れる青い瞳でいつの間にか自分と向き合っている少女の姿を見やる。
「本当なら、私にこんなことを言う資格はないのかもしれない。けれど、偽らざる本音を伝えた上でそれでもあなたに頼みたい」
千奈が腰を折り曲げ、夜一に向かって深々と頭を下げた。
夜一はそんな彼女の行動に驚き、ただ目を瞬かせている。
「私をあなたの弟子にしてください。……もしまた昨日のようなことがあったとき、何もできない無力な人間でいるのは嫌なんです。どうか、お願いします」
弟子というのはつまり、幽霊だの妖怪だのに関するあれこれを教えて欲しいということなのだろうけど。
千奈からこんなことを言われるとは思っていなかったせいで、夜一は暫し挙動不審な態度で頭を下げる千奈を見つめ続けてから、やがて諦めたように息を吐いた。
「……あー、まあ、わかった。僕に教えられることなら、好きなだけ教えてやる。ただ、一応言っとくが、弟子とか敬語とかそういのはなしだからな。お前がそんな態度でいると、気持ち悪くて仕方ない」
「そう。では、師匠とは呼ばないけれど。これからよろしくね、宵宮君」
千奈を見る夜一の目はまだ怪訝そうないろを残していて、まだ彼女の心情を計りかねているのがわかる。
「にしても、お前よく僕から教わろうって気になったな。普通、目的のためでも嫌いなやつとは話したくないだろ」
「嫌い、ね。……いっそ、そう言い切れれば楽だったのかもしれないわね」
意味深な千奈の物言いに、夜一が首を横に傾ける。
千奈はそんな彼を見て微かに笑っていて、どうしてもそれが嫌いな人間に向ける表情だとは思えない。
「今はまだ自分でも気持ちの整理がつかないけれど。あなたが姉さんのために正しくあり続けたのは理解しているつもりだし、そういう姿には憧れを抱いてすらいるの。だから、いつか、あなたへ素直にありがとうと言える日がきたら、そのときはもう少しマシな物言いで気持ちを伝えるわ」
「は? どういう意味?」
夜一の疑問には答えず、千奈は遠くに広がる街並みへと目を向けた。
釣られて夜一も視線を移すと、見慣れた街並みの一部から突如として青い火柱が立ち昇る様が目に入った。
「ハァ……今度は何だ?」
トラブルの予感にため息を吐き出してから、夜一が視線を隣に立つ少女へ向ける。
今まで、夜一の目に映る景色は彼一人のものだった。
これから先も、目の前の景色に抱く感想が誰かと完全に一致するなんてことはないのだろう。
ただ、それでも、彼女の瞳に自分と同じ青い火柱が映っているのだと思うと、ほんの少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。