棗千奈は目を開く
最近の千奈には一つ、他人に言うのは憚られる些細な悩みがある。
そう頻繁にあることではないけれど。
夜一の青い瞳を見ていると、その中に光の姿が映り込んでいるかのような錯覚を起こすことがあるのだ。
初めて会ったとき彼が光の言いそうな台詞を口にしていたからか、或いは時折見せる虚空へ向けた表情がどこか別世界の住人のように浮世離れした雰囲気を持っているからなのか。
自分でもはっきりとした理由はわからない。
けれど、彼を見ているといつの間にか、すぐ近くに光がいるような気分になる。
特に、ここ数日はその傾向が顕著で、夜一と話しているだけでもふとした瞬間に背後に誰かの気配を感じて振り向いてしまう。
そう、たとえば今も、後ろには冷え冷えとした空気を纏う誰かが……。
「どうしたんだ? ぼうっとして」
「あ、いえ、何でもないわ」
隣から聞こえてきた声に反応して、千奈が後ろを向きそうになっていた顔を再び正面に向ける。
「少し、姉さんのことを思い出していただけ」
「光のことを?」
「ええ。あなたと話していると、姉さんのことをよく思い出すの。まるで似ていないのに、不思議よね」
夜一が僅かに驚いた表情を浮かべてから、小さく息を吐き出し目を伏せる。
口元はもどかしそうに動いているけれど言葉は出てこないままで、歩みは遅々として進まない。
「……やっぱり僕は、お前に光のことを見つけて欲しいんだろうな」
千奈に聞かせるためというよりは思ったことがそのまま口をついて出たといった調子で言葉を紡いでから、夜一が瞼を持ち上げ千奈と目線を合わせる。
「お前って、もう一度光と会いたいと思ったりするの?」
「当たり前でしょう。……会えるなら、会いたいわよ」
言葉を紡ぎながらも千奈の目は青い瞳の中に再び見知った姉の顔を見つけていて、その気配は何度瞬きを繰り返しても消えるどこか寧ろ大きくなっていく。
夜一はそんな千奈を前に困ったように眉尻を下げてから、やがて意を決した様子で口を開いた。
「その、もしもこの先、お前が信じられないようなものを見たとしても、できればそれを信じてみて欲しいっていうか……お前があいつの姿を見つけたら、それは夢でも幻でもないから。だから!」
「待って、何の話?」
不安定に瞳を揺らしながらもいつになく必死な様子で言い募る夜一を前に、千奈が戸惑いを覗かせる。
夜一はそんな彼女を見て少しだけ気まずそうにしたものの、残った気力を振り絞るようにして閉じかけた唇を持ち上げた。
「半分は僕にも責任があるけど、これはお前たちの話だよ。お前と、ひ――」
周囲の窓ガラスを震わせる突風と、風に乗って舞う白い粒たち。
突如として千奈と夜一を飲み込んだのは季節外れにも程がある吹雪で、夜一の台詞は途中で風に飲み込まれて消えていく。
最初は、必要な話を聞きそびれたと思った。
けれど、愕然とした表情を浮かべる夜一の視線を追って背後を振り返ったことで、すぐにそれが勘違いなのだと気づく。
肩にかかる程度に伸ばされた青みがかった黒髪は自分より幾らか短くて、身に纏う制服のデザインは自分が着ているそれと何ら変わらない。
顔立ちは、他人にはよく似ていると言われていたけれど、こうして目にすればやっぱり自分より愛嬌があって可愛らしいと思う。
「……姉さん」
大きく見開かれた千奈の目には死んだはずの姉、棗光の姿がはっきりと映っていた。