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朝の水やり

 宵宮家から間矢峰学園へ至る道のりの途中には火結山(ほむすびやま)という小さな山がある。

 

 この山は大昔には立派な神社が建ち、この地域一帯の信仰の中心となっていたらしいのだけれど。

 神社などとうに潰れた今となってはわざわざ立ち入ろうとする者はほとんどおらず、登山道もロクに整備されていない。


 そして、そんな火結山を横目にいつもより三十分は早く学校へ向かっている夜一の視界に、山の中腹に生えた木々が大きく揺れる姿が映り込んだ。


 揺れは徐々に下に向かって伝わっていき、やがて夜一から近い位置にある木の一つが一際大きくしなった。


「わ、すご」


 木々の中からまっ白な体躯が飛び出し、夜一の目の前に着地する。


「随分でかいけど、猫?」


 熊よりも更に一回り大きいのではないかと思われる大柄な体をまっ白な毛並みが覆い、尾は二つに分かれている。

 縦に長い瞳はいかにも猫らしいけれど、口元から微かに漏れ出している青い炎はどう見ても普通の生き物が吐くものじゃない。


 火結山から下りてきた目の前の相手は猫の妖怪なのだろう。


 そう判断した夜一は気楽な調子で近づこうとしたが、猫はそれを拒むかのように右足を持ち上げ夜一に触れないぎりぎりの位置へ叩きつけた。


「気安く寄るな、人間」


 猫の口から流れてきたのは高圧的な雰囲気を纏う女の声で、夜一はそれを聞くと気だるそうに息を吐いてから不承不承といった様子で歩みを止めた。


「何だよ、危ないだろ」

「聞こえなかったか? 人間風情が私に気安く――」

「わざわざ僕の前で止まったってことは何か用があるんだろ? 聞いてやるから、早く言え」


 地面に向かって猫が口から青い炎を吐き、周囲に伝わる熱気が夜一の頬を撫でる。

 間近に迫った炎を見ても夜一に怯む様子は一切ないけれど、猫にはそれが面白くなかったらしく彼女は大きく口を開け鋭い牙を剥き出しにした。


「我が名は青火(せいか)。この街を気に入った故、縄張りとすることに決めた」

「ふーん。まあ、僕が言うのも何だけど、歓迎するよ」


 何がしか含みがあるというわけでもなさそうな夜一の軽い言葉を聞いて、青火が苛立たし気に鼻を鳴らす。


「気に入らんな。貴様は人間の身でありながら、妖怪である私を恐れていない。我らが見えるというだけで、上に立ったつもりか?」

「別に、そんなつもりはないけど」


 夜一が言葉を区切り、火結山の山頂付近へ目を向ける。


「ここにいるってことは、会ったんだろ? あいつが何もしてないってことは、お前はそう悪いやつじゃないんだろうし、恐れる理由なんて一つもないよ」

「……やつといい貴様といい、知った風なことを」


 青火の漏らした独り言は夜一の耳にも届いたけれど。

 彼は敢えて何も言わず青火の横を通り過ぎると、最後に右手をひらひらと振り始めた。


「いいか、覚えておけ! 私は縄張りの秩序を乱す者を許さない。貴様が妙な真似をすれば、その時はまっ先に燃やし尽くしてやるからな」


 捨て台詞染みた青火の言葉を聞いて、夜一が少しだけ口角を持ち上げた。


 どれだけ物騒な言葉を並べていても、青火は決して夜一に攻撃を当てようとはしなかったし今の台詞だって夜一が悪いことをしなければ何もしないと言っているも同然だ。


 みんながみんな、このくらい単純でわかりやすかったらいいのだけれど。

 これから向かう先では、いつもわからないことばかりが積もっていく。


 明らかに人知を超えた力を持っている妖怪を前にしても眉一つ動かさなかった少年は、どこにでもあるありふれた学校のことを考えながら一人ため息を吐いた。



 ◇



 じょうろから流れ落ちた水が、ビオラの花が植えられた鉢の土を濡らしていく。


 別にこれ自体は大して面倒な作業でもないけれど。

 このためだけにいつもより早く学校へ来なければならないのは些か憂鬱だ。


 夜一がそんなことを考えながら美化委員の仕事である花の水やりに取り組んでいると、校門の方から見覚えのある顔が近づいてきた。


「ふぁあ、はよー」


 寝ぼけ眼を擦りながら欠伸を漏らしているのは夜一と同じ美化委員の鈴で、彼女は一度校舎に入って鞄を置くとそのまま用具入れから取り出したじょうろを手に夜一の隣へ並んだ。


「宵宮は元気そうだね。私は朝強い方じゃないからさー、もう眠くて」

「ハァ……なら、サボればよかったろ。僕は来なくていいって言ったぞ」

「んー、まあ、それとこれとは別っていうか。流石に、宵宮一人に押し付けるのもどうかと思うし」


 夜一としては押し付けてくれた方が気楽なのだけど、鈴はそんなこと言うまでもなく理解しているのだろう。


 その上で特に悪意もなく夜一の隣に並んでいるのだから、相変わらず彼女のことはよくわからない。


「あ、そうだ。宵宮ってクラスのグループ入ってないよね?」

「は? 何のこと?」


 夜一は不思議そうにしているけれど、鈴の語るところによれば彼を除いたクラスメイト全員が所属するメッセンジャーアプリのグループがあるらしく、これは彼もそれに参加しないかという話らしい。


「嫌だけど。というか、そもそも僕はそのアプリ使ってないし」

「断られるのは予想通りだけど……え? 使ってないって、本当に? それで日常生活送れてるの?」


 なぜ鈴が夜一のことを信じられないといった面持ちで見つめているのかはわからないけれど。

 夜一は今までの人生でスマホの通話機能とフリーメール以上のコミュニケーションツールを必要とした記憶がない。


 そもそも、夜一が個人的に連絡することのある相手なんて母親と煉理くらいのものだし、前者はともかく後者に関しては自前のスマホすら持っていない。

 

 煉理に伝えたいことがあるのなら、アプリに頼るよりもそこらをうろついている妖怪に伝言役を任せた方がまだ頼りになるだろう。


「うん、ちょっと宵宮のこと甘く見てたかも。本当は私だけ友達登録しとくつもりだったのに。一応聞くけど、これからダウンロードしようとかは――」

「思わない」

「だよね。じゃあ、とりあえず後で連絡先だけ交換しとこっか」


 中身がなくなったらしく、夜一の持つじょうろから流れる水は段々と勢いを弱めていきやがて傾けても僅かな水滴を垂らすだけとなる。


 夜一は水の出なくなったじょうろを暫し下に向けたまま瞑目し、どことなく疲れの滲む様子で頭を横に振った。


「やっぱりよくわからないんだけど、お前僕に何させたいわけ? 僕にできることで、お前の得になることなんて何もないと思うんだけど」


 鈴がじょうろ傾けるのをやめ、言葉を選ぶかのように宙へ視線を這わせる。


「別に得がどうこうって話でもないんだけど。まあ……敢えてこうしてる理由を言うなら、宵宮は見てて面白いから、かなあ?」

「何だそれ。お前、そんな下らない理由で僕に話しかけてるのか?」

「悪い?」

「当たり前だ」


 取り付く島もない夜一の様子を見て肩をすくめてから、鈴はじょうろを地面に置き大きく伸びをした。


 夜一は隣で鈴が動く気配だけは感じていたけれど、そちらに目を向けようとはせず終始紫色の花弁だけを見つめ続けている。


「でもさ、どうせ委員会の仕事しなきゃいけないなら、険悪な雰囲気でやるよりこうやって好きなこと喋りながらやった方がよくない?」


 鈴の言うことにも一理あるとは思う。


 夜一だって、進んで場の空気を悪くしたいわけじゃない。


 けれど、夜一と鈴たちでは見えているものが違う。

 たとえ夜一自身にその気があっても、周りに話を合わせるなんて土台無理な相談だ。


「友達同士とかならそれでもいいけどさ。僕とお前は気軽に話せるような間柄でもないだろ」

「何で? ただ話すだけなのに、そんな身構える必要ないでしょ」

「……無茶言うなよ」


 夜一がぼそりと独り言を漏らしてから、青色の瞳を揺らしながら空を見上げる。


 鈴はそんな夜一の様子を見て何か言いたげに口を開きかけたが、自分たちに近づいてい来る人影に気づくと夜一から視線を外し表情を明るくした。


「赤羽さん、それから宵宮君。おはよう」


 かけられた声に反応して困ったような表情を浮かべた夜一は暫しどうするべきか逡巡していたが、やがて無視するわけにもいかないと思ったのかゆっくりと声の主の方へ向き直った。


 声が聞こえた時点でわかっていたけれど。

 夜一の視線の先には瑞希と光に加え、もう一人。

 棗千奈の姿がある。

 

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