◆ 1・手紙 ◆
目覚めてから、フランの世界は緩やかに回っている。
ユージェニーというメイドのお陰だ。家事などの雑事から解放され、コニーの監視下ならば外出も許可、金銭面はコニーが姉の財布から支払いをしているお陰で二十四時間監視体制の割りに自由だった。
すでに一週間が経とうとしている。
最初こそどこから襲撃犯がくるのかとビクついていたが、すでにその緊張感も遠い過去のものだった。姉の姿をあれから一度も見ていない事以外で、フランが違和感を覚える事はない。
ユージェニーの計らいで部屋からソファは消え、寝台が追加されたお陰で寝台の譲り合いもなくなった。
パーテーションで仕切った手前の空間にはダイニングテーブルと椅子があり、ベランダ側にはベッドを設置している。
こんな場合でもなければ気分は旅先だろう。
「坊ちゃま、お手紙が届いていますよ」
早朝の日差しを浴びながら起き上がったフランに、盆に載せた手紙を差し出すユージェニー。
「坊ちゃまはやめて欲しいんだけど……」
「お好きな呼称に脳内変換なさってくださいな。さぁどうぞ」
フランは何度目と数えるのもバカらしい会話を繰り返し、手紙を受け取った。キッチンへ去るユージェニーを見送り、封の裏を見るとギル・パーカーの署名。癖の強い文字は間違いなくギルのものだ。
初日に出した手紙は無事届いたようだった。
『 フラン、俺の頼んだ手紙の事は気にすんなよ。
捨ててくれていいからさ。
残念ながらまだ実家には顔を出せてない。
むしろ、ブラッドとノーマンがあんな事になって……。
そんな気分になれなかったんだ。
養成所の全員でミツギを見送ったよ……二人の遺体とは対面できなかったけど。
見る勇気もなかったかもな。
爆発でひどい様だったらしいから。
お前も重傷の怪我をしたと聞いてたから、手紙を貰って驚いたよ。
無事で良かった、本当に……!
どこの病院に入院したのか教官たちも教えてくれなくて……。
ホントは同室のメンバーで見舞いに行こうって話してたんだけどな。
怪我が治れば養成所に戻ると聞いてる。
早く良くなるように祈ってるぞ。 』
手紙を読み終えたフランは、懐かしい同室の面々を思い起こす。
ギルも驚いたろうな……。
そうか、ミツギはちゃんとされたんだな……。
心底ホッとして、サイドテーブルに載せたままにしていた血染めの封筒を手に取る。捨てていいというギルの言葉通り、ゴミ袋に突っ込んだ。
「さぁ、朝ご飯ですよ」
ユージェニーは二つの盆を手にキッチンから姿を現し、ダイニングテーブルに設置する。口々に礼を言えば、彼女は恒例のゴミ出しに部屋から出て行った。
ユージェニーの手にはゴミ袋。部屋から出た彼女はそのまま二つ隣の部屋へと入る。
ビニールの張られた部屋には一週間前までフランの部屋にあった籐のソファと椅子が一脚あるだけだ。
ソファには殺人鬼が寝転がっている。
窓が厚い紙とビニールに覆われているせいで室内は暗い。
「アイヴィーはどこですの?」
「バスルーム」
ジョザイアは寝起きらしく眠そうに目を擦る。ユージェニーがあからさまな舌打ちをした。
「そのソファはアイヴィーの為の物ですわ。犬は床にでも寝ていればいいものを」
「僕はボスの犬だけど、他から指摘されるのは気に入らない。噛み千切るよ?」
「悪気はないんですのよ? ただ、身の程知らずの駄犬を躾けたくなっただけですわ」
瓶底眼鏡を外したユージェニーはエメラルドグリーンの瞳で、男を見下ろす。ジョザイアも体を起こし、ユージェニーを不機嫌そうに見る。
温かみの抜け落ちた表情のユージェニーは十分に美人だ。ジョザイアは彼女の髪型や眼鏡、そばかす、体型を隠すメイド服さえもフェイクであると知っている。
「うまく化けてるね、お似合いだよ」
「当然ですわ。わたくし、変装には自信がありましてよ? 仮面すら被れない駄犬と一緒にしないでもらえます?」
「僕だって仮面くらい被れるし」
「へぇ?」
不穏な空気をまとう二人にうんざりとした声が降る。
「止めろ、朝から犬のじゃれ合いなんざ見たくねぇ」
バスルームから出てきたアイヴィーは濡れた髪もそのままにバスタオル一枚でペタリペタリと歩くとソファに腰掛けた。
「ユージェ、報告」
「ああっ! アイヴィーったら、なんて格好をなさってるのっ、朝からそんな大胆なっ。素敵よっ、なんて綺麗なの! でもダメですわっ、風邪を引いてしまったら大変っ。早く髪を乾かさないといけませんわっ」
叫ぶユージェニーの頬は薔薇色に染まっている。息も荒く、興奮しながら足元に跪くメイドに彼女はため息をついた。
「ユージェ、あたいに用あったんだろ?」
「ええっ、勿論! 色っぽいアイヴィーごちそうさまです!」
「まず仕事しろよ」
「はいっ、報告致しますわ!」
ゴミ袋に手を突っ込みかき回し、ユージェニーは手にした物を取り出す。
「まずはコレ。前々から言ってたでしょ、フランシスが取っておいたギル・パーカーに託されたという手紙ですよ」
血に染まり穴の開いた手紙を手にしたユージェニーに、ジョザイアが血に反応する。
「それ、ほしい」
「ジョザイア、黙りな」
アイヴィーは手紙を受け取るとジョザイアに投げて渡した。
「ワンッ」
「昨夜ギル・パーカーから手紙が届きましたので、先ほど坊ちゃまに渡しました。そちらは用済みのご様子で」
「手紙の内容は読んだか?」
ユージェニーは頷く。
「そちらはまだですが、ギル・パーカーの方の手紙は深夜にこっそりと。ですが、これといって特筆すべき話がありませんの。同室の仲間の死を悼み、病床の友人を心配しているといった……ありふれた内容ですわね」
「他には?」
「聞き取りの結果、ブラッド・ロウ、ノーマン・ペイスと共にシーシァン通りにある明楼亭に向かっていた事。そして店を紹介したのがギル・パーカーである事。また、彼は店の近くに実家があり、地理に明るかった為に地図をくれたとの事」
「偶然か?」
「判断は任せますわ。調べた所、ギル・パーカーの実家は確かに半年前まで付近にありました。州軍警邏部所属の兄グレンは二年前のモドリモノ戦役に出兵し死亡。以来、母のマリーは精神を病み、元々強くはなかった心臓を悪くして入院」
「モドリモノ戦か。州軍兵なら一溜まりもねぇーだろうな」
世界には一つの集約国家があるのみだが、三百年前の前時代国家を一つの州として区切っている。州には州軍が配備され、自衛と各州府の治安維持を担っていた。彼らはモドリモノと戦う事は想定していない。あくまで対人である。
モドリモノが出現すれば、州軍はすぐに国土保全機関調査部検分課へ連絡し、検分課から国土保全機関軍事部保安課へ連絡。その後、保安課による確認が行われ等級が付けられたのち、掃討課に回されアイヴィーたちのような掃除屋が派遣されるのだ。
その間に、死んでしまう人員は防ぎようがない。
「高額医療費と介護で父ダンカンが経営していた雑貨店も立ち行かなくなり閉店。今は住み込みの工場に再就職してますの。残った息子のギルは養成所に入る事で生活の保護を受けたというわけですわね」
アイヴィーは首を傾げる。
「わかんねぇな。本来モドリモノと戦う事を想定してねぇ州軍で長男が死んだってのに、次男を態々モドリモノと戦う為の養成所入りさせるなんざ……可笑しかねぇか?」
「そこは何とも。わたくしには一般家庭の情緒感性といったものは理解の外ですもの」
「あたいなら家族には軍と無関係でいて欲しいもんだ。まぁ見事に裏切られたが」
苦笑いを浮かべれば、ユージェニーが肩に掛かったタオルを手に取り髪を拭き始める。
「訓練所でのギル・パーカーには外部からの接触はありません。あの道を通らなければ明楼亭には行けなかった事は事実ですが、クィン家の経営する葬儀屋は十二年間そこにあったそうですから、……いつ襲撃が起きても可笑しくはなかった、と推察しますわ」
「そっか。ただの不運とは思えねぇーとこだが考えすぎか」
「確かに、狙ったにしては坊ちゃまの外出日とかち合せる事は、運要素が強すぎますもの。アイヴィーが思うのも無理ありませんわ」
「フランが外出届けを出したのは早朝だろ。で、襲撃を決めたのがその直後のはずもねぇーし。まして、ギル・パーカーにそんな政治事情を動かす力があるとも思えねぇ」
ブツブツと呟くアイヴィー。
あらかた拭き終わったユージェニーは、思い出したようにゴミ袋を漁る。
「……それとコレ、私達の保護しているシャノン・クィンの髪の毛付きのブラシと、彼女の書き損じの紙ですわ。葬儀屋の事で調べていて面白い事がわかりましたの。こちらが本命のご報告」
「あのガキ、やっぱりかよ」
毒づく姿に、ブラシ片手に首を傾げる。
「アイヴィーの『やっぱり』が何を指すのか分からないけれど、本来のシャノン・クィンは栗色の目と髪の持ち主で、この金髪は染めたものではないと確認済みですの。加えてこの金髪は地毛。また、こちらが取り寄せた役所での文字のコピー。明らかに別人の字である事は一目瞭然。そして何よりの情報は、シャノン・クィンは妊娠していたとの事ですわ」
アイヴィーはため息をつく。シャノン・クィンを自己申告した娘は最初からアイヴィーに違和感をもたらしていた。
「……あの『シャノン』に、その素振りは?」
「ふふっ、違うのよ、アイヴィー。悪阻やらの確認は必要ありませんわ。なぜならシャノン・クィンは二十歳の妊娠九ヶ月で、来月が産み月との事。あのお嬢さんは、どう見ても違うでしょう?」
シャノン・クィンを名乗る少女は何もかもがチグハグだった。
まず十代の娘とは思えないほどに世慣れない素振りが目に付き、次は彼女の動きが目に付いた。
足音を立てずに歩き、常に気配を殺している様が普通とは言い難かったのだ。明らかに戦闘の訓練を受けた者の所作が見て取れた。
それだけならばユージェニーと同様の成り立ちかと切って捨てるだけだが、ここで分からなくなったのが彼女があまりに無垢に見えた事だ。
「新聞には、身元不明の女と嬰児の死体があったっけな」
「ええ、本物はその死体でしょうね」
少女はいつもアイヴィーを前に緊張と恐怖で雁字搦めだ。まさに、出来の悪い嘘を必死でつき続けているのだろう。
「コニーが言ってましたわ。『殺し屋だとしたら落第』ですって」
「殺し屋じゃねぇよ。あいつの目を見た。ガキだったよ、人なんか殺したことのねぇ目だ」
「アイヴィーが言うなら、そうなんでしょうね」
血に染まった手紙の臭いを嗅ぎ、うっとりとしては舐めたりしていたジョザイアがポツリと呟く。
「羨ましいな……」
「何がだ?」
「だってさ、腹を裂いて赤子を取り出した上で個別に殺したって事でしょ。ソイツに嫉妬しちゃうよ」
相変わらず殺人鬼の視点は特殊だ。
「念がいってるよな。会ったらぶち殺していいぞ?」
「うん、それは嬉しいけど……やっぱり羨ましいよ」
「ではゴミを捨てて、お部屋に戻るわね。アイヴィー、早く服を着てくださいね? 風邪を引いてしまうわ」
ユージェニーは眼鏡を装着するとゴミを手に颯爽と部屋を出て行く。アイヴィーはジョザイアと残された部屋で置かれた書き損じの紙を手に取る。
それは暗号のようにさえ見えるうねった汚い文字だった。
アイヴィーが教えたミルク粥の造り方が書かれている。
「全く面倒臭ぇーな。あのガキどもは、どんだけこっちに苦労かけりゃいいんだか」
「ねえ、ボス」
「なんだよ」
「これ、インクの臭いしないよ」
「あ?」
ジョザイアはひらひらと手にした封筒を見せる。彼は器用に血液によって張り付いた紙と紙を引き剥がし、封筒の中の物を取り出した。
赤黒くなっている紙をペラリと開いた彼は褒めて欲しそうな目をしている。
紙には何の文字も書かれていなかったのだから――。
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