◆ 5・葬儀屋と葬祭屋 ◆
木の盆に載った白い陶器を前にフランは固まっていた。
すでに数十分が経過している。
ドロリとした土気色のスープには元は白かったであろう細切れのパンがその片鱗を見せている。パンくずは器だけに留まらず、盆の上にまで散らかっている。器には変色した葉野菜らしきものが幾重にも張り付き、見た目よりも焦げた臭いが食欲を削いでいく。
フランはシャノンお手製の食事を前に、スプーンすら手に持つ事ができなかった。赦されるならベッドに沈み込みたかった。
脇の椅子にはピンク色のエプロンをつけて座るシャノン。
戻ってきた姉に救いを求めようとしたフランだったが、さっさとバスルームに消えてしまい――再度、食事に目を落とす他なかった。
「あの、……もしかして、嫌いな食材入れちゃってた?」
困ったように微笑むシャノンは実に可愛い女の子だとフランも思っている。身近な女性がアイヴィーであるだけに感動もひとしおだった。
だが、彼女のいう嫌いな食材とはどれの事を指しているのだろうと皿を見つめる。どれもが茶色に染まっており、元の色など判別できない。
「ご、ごめん……、まだ、その、食欲が……っ」
ギュルルルと腹が鳴る。
「は、腹は減ってるのにな! どーしてかな!」
慌てて付け足すフランに、彼女の白い掌が額に張り付く。ひんやりとした手と接触に、心臓が跳ねる。
「まだ熱が高いのかも? せめて水だけでも飲んで」
「あ、ありがとう……」
腹は減っている。正直な話、普通に肉でも食べれそうなくらい食欲に問題はない。フランは心底世の中のままならなさを感じている。
姉はあんな性格とナリをしていながら、家事全般が得意だった。アイヴィーとシャノンの家事能力が逆転していれば、シャノンに恋したかもしれない。だが、この料理は酷過ぎた。死の予感しかない。
バスタオル一枚を巻きつけた姉が部屋に入ってきたのを見て、文句よりも女神の救いが降り立ったと痛感する。
たとえ、その右肩に『敵対者に死を』や左肩に『あの世への案内人』などと、派手な飾り文字で文言が刻まれていても構わない。アイヴィーは窓枠に腰掛け足を組むと首を傾げた。相変わらず、眼帯だけはいつでもどこでも装着だ。
「なんだ、お前。腹、減ってねぇーのかよ」
減ってますっっ、だから飯作って来てくれっっ。
養成所で食べた定番の根菜スープが懐かしかった。肉の切れ端しか浮いていなくても、あれは人間の食べ物だったと回想する。薄味をごまかすように胡椒を効かせていた事さえも良い思い出で、更に腹が鳴った。
「減ってんじゃねぇーか」
フランは恨めしげに姉を見る。
「姉さん、弟とはいえ男いるんだから、服!」
「解放感に酔いしれてんだよ。放っとけ」
「……」
「シャノン、その飯を盆ごと寄越しな。そのバカには無加工のパンとミルクをくれてやれば充分だ」
「え、でも」
「半死人にはその程度で充分だよ」
コクリと頷き、シャノンが盆ごとアイヴィーに渡すとキッチンへと消えていく。驚く事に姉は何の躊躇いもなくスプーンを手にして口に運ぶと、異臭を放つ茶色い液体を嚥下した。
「……ね、姉さん……だ、大丈夫?」
「何がだよ?」
「そ、ソレ、ヤバい気がする……」
アイヴィーはそれと分かるほどの笑みを浮かべる。
「ヤバかねぇーよ。作って貰ったもんにケチつけんな、お坊ちゃま」
バカにされた事だけはフランにも分かった。
文句を言うより早く、キッチンから新しい盆を手にシャノンがやって来る。姉の指示通りミルクの入ったコップと皿にはパンが二つ乗っていた。
おおっ! これを待ってた!
姉に感謝しつつ、盆を受け取る。
フランは感動たっぷりに拳大のパンに噛み付いた。久しぶりの固形物が喉を通り、異物感を感じるが二口、三口と進めれば段々どうでも良くなっていった。
淡々と食事を続ける姉弟を見ていたシャノンだったが、フランが二つ目のパンに手を伸ばすと口を開いた。
「あの……、アイヴィーさん、私……どうなるんでしょうか」
「どう、ってのは何だよ?」
「フランシスさんが起きたら、……今後の流れについて話すって言ってたから」
「あぁ、そうだっけか。実はちょっと厄介な事態になってんだ」
「厄介? そういえばさっきも姉さん、事情が込み入ってるとか何とか。一体何なんだよ」
アイヴィーは食べ終えた盆をソファに置くと窓を閉めてその横に腰掛けた。
「まぁ慌てんなって。ところでフラン、葬儀屋ってのが分かるか?」
「葬儀屋? 葬祭屋じゃなくて?」
「ああ、葬儀だ。まぁ聞きな。人が死ねば政府主導で各地に点在する国土保全機関葬祭部の人間が指揮を取り、『モドリモノ』に転化しないための手順として『ミツギ』をするだろ?」
ミツギとは死体を白い棺にいれて、ある海流に乗せて女神と称される黒い高温の球体に向けて流す事だ。必ずこの方法を取らなければ、死体はどこからともなく戻ってくるとされている。
戻ってきた死体は『ツチビト』と言われる大地を貪る害悪になるか、『ハラカラ』と呼ばれる生物を殺して回る化物になると言われている。
どちらの存在になるかは一般常識の知識外の話であり、フランも知らない。
「まぁミツギってのは生の肉をそのまま棺に入れちまうわけだが、この流す作業はバカ高い。税だけじゃなかなか賄えねぇから、高額設定すぎて庶民には無理だ。そこで非公式の葬祭屋がいる。こんくらいはお前みてぇなガキでも知ってんだろ?」
「言い方が腹立つけど、知ってるよ」
「で、だ。こっからは大人の話になる。葬祭屋は死んだ肉を燃やして嵩減らしをする。だがどういうわけか完全な灰までは行き着かねぇ」
「そう、ですね。どんなに温度を上げても完全な灰にはできないと……父も、言ってました」
「父?」
フランはシャノンの言葉に違和感を持って問いかける。そこで彼女は説明の不十分さに気付いたらしい。
「あ、フランシスさんにはまだ言ってなかったね。私の父は葬儀屋を営むウォルター・クィンなんです。その……現在指名手配中の」
そこで新聞を思い出し、同時に記憶が蘇る。
路地から駆け出てきた老人の茶色い目が驚きと怯えに染まり、フランの腕を掴んだ事。逃げるように去っていった事。そして――。
『に、げろ……逃げるんじゃっっ』
今から思えばアレは警告だったのだとフランは思った。
「あのお爺さんは君の……」
「ち、父に会ったのっ?」
シャノンが驚いたように立ち上がる。
「あ、あぁ……いや、会ったと言うか、行き合わせたと言うか、……ごめん、ほんの一瞬の事で……お爺さ、君のお父さんの消息までは」
シャノンは座り込む。
「う、ううん……いいの。無事だといいな」
ポツリと呟くように言うシャノンを見ていられず視線を逸らす。
「好き勝手くっちゃべってんじゃねぇーよ。あたいの話を聞きな、ガキども」
「あ、ああ。……葬祭屋は遺体を燃やすけど燃えきらないって事だったっけ」
「そうだ。だがそれでも嵩は減るだろ? 白い棺一つに五人分くらいは詰められる程度だっけな。非公式とは言いながらソコは、葬祭部と葬祭屋の間で取り決められた金銭の元に成り立った暗黙の了解がある。なぜならその棺を流すのは結局は葬祭部だからだ」
「え?!」
「民間で流す事はできねぇ。棺は葬祭部にしかねぇーからな。嵩減らしした死体を公式の葬祭部が取り仕切る三次便に紛れ込ませて、正規のミツギにあやからせるのさ」
道理は分かるが、違和感は付きまとう。
「でも姉さん、それ不正っぽく聞こえるけど?」
「アイヴィーさん、三次便って何ですか?」
シャノンも不思議そうに問いかける。
「三次便ってのは格安総合ミツギのこった。正便たる一次便は基本王侯貴族用。二次便は一体ずつ入れた庶民用だがコレを使えるのは実際は豪商くらいで、三次便は一つの棺にイイ感じに細切れにした死体やら生焼け肉やらを押し込む形だ。つまり葬祭屋のやり口は不正であって不正じゃねぇんだな、コレが」
なんかイヤだな。そんな押し込められて……。
「何せミツギは金が掛かる。船便にも限りがあんだよ。マトモに全て死体をミツギしてりゃ、あっという間に財政破綻だ。政府も分かってんのさ。必要な事だってな。ま、三次便が庶民の味方ってやつだ」
姉の言葉に納得が行かず、顔を顰める。
「まぁ問題は、ソコじゃねぇ。今回の問題はクィン家のしていた葬儀屋の話しだ。葬祭屋は非公式の皮を被った公的もんだ。だが、完全に一線を画するのが葬儀屋って存在なんだよ。葬儀屋は完全なモグリの死体処理屋と言っていい。つまりミツギをしねぇ」
シャノンが顔を伏せる。言われた言葉の重みにフランは思わずシャノンとアイヴィーを交互に見る。
「え? ええっ? それは、それって……モドリモノが出来るんじゃ?」
「まぁーな。ミツギ無しだと死体がモドリモノになっちまうのは世界の常識だ。つまり葬儀屋は間接的にモドリモノ製造屋ってわけだ。政府としての方針は死罪。でもな、ここで問題になるのがミツギが高価だって話しなんだ。たとえ三次便でも、人口の二割以上の貧民にはどっちにしろ高額すぎるってこった」
でも、わかんない。だって、燃えきらない死体をどうやって処理するんだよ、まさか埋めてるとか? 戸籍はどう処理されてんだ?
疑問をそのまま問えば、姉はまた、笑みを浮かべる。
「そりゃ行方不明者リストに名を連ねていくのさ。オーソドックスなのはミンチにした遺体を地中に埋めたり、海に捨てるなり、謎のバラバラ殺人事件とかな。戦場にポイ捨てして戦死者報告ってのもあるな。そこは葬儀屋の趣味じゃね?」
もう海水浴には行けないとフランは思った。
「表向き麻薬工場の爆破事件とされちゃーいるが、実際お前が行き合わせたのは葬祭部主導の葬儀屋潰しだったわけだ」
「え、あんな襲撃事件みたいなのが政府主導って言うのかよっ?! ブラッドとノーマンも撃ったんだぞっ、あいつら……!」
「元々葬儀屋潰しは、極秘で行われてんだよ。あたいも駆け出し見習い兵に一から百まで話す気はねぇ。ただ考えてみな、政府主導で民間の店舗を襲撃してるなんざ大っぴらに出来るわきゃねぇーだろ。当然、死人に口無しってやつさ」
「……それって、秘密のために殺されたって事か……? まさか、それで俺もシャノンもっ? はぁ? 意味が分からないっ。なんでそんな! それこそ犯罪だろ……っ」
違う、犯罪であるべきなんだっっ!
ブラッドもノーマンも、ただ普通に休日を謳歌していただけだった。何か意図があってあの場所に行き合わせたわけでもない。ただ同期の教えてくれた旨い飯屋に向かっていただけだったのだ。
「偶々……通りかかった奴らすら、殺すのかよ……っ」
「軍人なら命令には絶対服従だろ。歯車として行動。それが基本だ」
「姉さんは、……姉さんも、そんな事を……っ?」
「あたいは掃除屋だ。戻ってきた害虫を何度でも焼き払うのが仕事さ」
姉は立ち上がり部屋の隅にあるカバンから濃紺のバイクスーツを取り出すと、バスタオルをソファに放った。慌てて視線を剥がす。
チャックを押し上げる音が聞こえて、フランは漸く視線を戻した。
「姉さん、別の部屋で着替えろよ」
「ワンルームじゃねーか」
「……どこで寝るのさ」
「シャノンはソファで、あたいはドアの外で張り番。ゆっくり休め、一回死んでんだからな、お前」
「……いや、俺、生きてる」
姉は無視して出て行く。シャノンが二つの盆を手にキッチンへ去るのを見て、ふと気付く。
え? 同じ部屋に二人っきりっ?
いやいやいや、問題あるだろっ、姉さんっ!
戻ってきたシャノンは部屋の電気を消した。
途端に部屋が真っ暗になる。
月明かりだけの静寂にフランはベッドに身を横たえる。シャノンが白い布を手にソファに転がったのが見えて、目を閉じる。
姉さんは女の癖に、なんでこーゆーとこに意識が向かないんだよっ。普通同じ部屋に入れるか? 頭オカシイ……、いや、これは俺への信頼かっ? 姉さんは俺を信頼している? 勿論、彼女とどーこーなろうなんて、なりたいなんて思ってない。あの料理だし……いやいや、そーじゃないだろ。
悶々とするフラン。
「フランシスさん、起きてる?」
「……あ、あー、うん。フランでいいよ」
「……フラン、さん」
「呼び捨てでいいって、友達は皆そう呼ぶし」
「友達……」
シャノンがポツリと呟く。
「あ、看病してくれてありがとな。ずっと見ててくれたんだろ?」
「あ、いえ、……こちらこそ……。あのっ」
「なに?」
「た、助けてくれたっ。フランは、あの時……助けてくれた……っ。どうしてですか?」
ふいに蘇った記憶で彼女の言っている事が、あの時のゴミ袋の事だとわかった。
そうだ……あの時の女の子だ。
実際、何を考えたか覚えていない。多分何も考えてなかったのかもしれないとフランは思っている。
彼女の上に袋を手放した。結果、彼女はゴミの山に隠れた。だが、連中が近寄ってくれば見つからなかった保障はない。むしろアイヴィーがあの時、あの場に間に合った事が最大の救いだった。
「助けたのは、姉さんだろ」
「……あなたを、助けたのはお姉さんです。でもあの時。私を助けたのは、あなただった。通りすがりの、ゴミに埋もれた私を……見ないフリしてくれた。ゴミに埋もれさせてくれた……!」
「……そんな大層なもんじゃないと思うけど。あいつらが近寄ってきたら、見つかってたかもだしさ」
「……だけど、やっぱり……ありがとう、なんです」
胸の奥が暖かくなる。
そっか。……そうなのか。俺は良い事が出来てたんだな……。
姉の言う政府とミツギ、葬儀屋の話しはフランの想像を超えていた。仲間だったブラッドとノーマンの死も辛く、フラン自身が一度死んだという話も正直よく分かってはいない。
ただ、緊張し続けていた心が、シャノンの『ありがとう』で解けた気がした。
「おやすみ、シャノン」
フランはそっと息を吐き出した。
「おやすみなさい」
たぶん、俺も『ありがとう』なんだ。今、こうして誰かがいてくれなかったら、耐えられなかったかもしれないから。
1部完結まで書き終えていますので、毎日更新いたします。
気軽なコメント、☆判定、おまちしております^^