◆ 1・路地裏の出来事 ◆
衝撃の入所式後、フランは結局逃げる事も出来ずに日々を送る他無かった。
すでに二週間が経とうとしている。誰もが異常に優しく、ある意味フランを哀れんでさえいるのかもしれない。何せ、その後アイヴィーはあらゆる場所について回っている。
四階建ての宿舎は一部屋十二人制で二段ベッドが六台入っている。カーテンのない窓側の壁に備え付けられた机は一枚板で、椅子も一枚板の固定ベンチ型だ。寝るためだけの狭いベッドの上だけが個別スペースだった。男女の別なく詰め込まれた部屋に驚いたのも最初だけで、フランもこの生活に慣れつつある。
姉も同じ部屋に泊まる気満々だったが、教官連中との派手な言い合いのすえ断念したようだ。姉がどこで寝起きしているかは知らないし、知りたくもなかった。
ここだけが俺の安住の地だ……。
ベッドの上で寝転がるフランは自分の不幸を嘆いている。
日の落ちた部屋は星明りの他には、各自の枕元に備え付けられた豆球のみが光源だ。
「しっかし、お前の姉ちゃんはきっついよなぁ」
同室で唯一同じ年のギル・パーカーがしみじみと呟いた。風呂から戻ってきた彼は隣のベッドで黒い短髪をタオルでガシガシ拭いていた。快活な彼はアイヴィーが傍にいても普通に話しかけてくる豪胆な人物だ。
「ほん……っと、イヤになるっ」
「まぁ、アレも愛情の一種なんだろうなぁ」
「ギルは兄弟いないのか? あんなのが愛情だったら俺は要らない」
「うっは、言うねぇー。俺は兄貴が1人。でも七つ上だからかな? 喧嘩って感じには、なんねぇかなぁ」
「いいな……俺も兄なら欲しかったかも? 姉で、しかもあんなに強いと……辛い」
ギルの上の段に寝転がっているブラッドが噴出す。
「俺ならあの乳に圧死されてーよ。羨ましい限りだ」
二十代後半のブラッドは無精髭を撫でながら顔だけ出している。
「どんなエロボディでも実の姉じゃね。心底完全に無意味だって。ほんっとに、無駄!」
「うん、おっちゃんもその辺は哀れんでるぞ」
「でもアレだよな。フランと軍曹は、あんま似てないよな……って、ごめん」
ギルの言葉に、フランは首を振る。容姿に関して、姉と似てないと指摘を受けても何とも思わない。比較されるとストレスではあるが――。
「あぁ、別にいいよ。姉さんとは腹違いなんだ。育った環境も違うし……正直姉さんの存在って、俺のあらゆるコンプレックスを刺激してくるんだよな」
「コンプレックス?」
「強すぎ」
フランはごまかすように茶化した。ギルもブラッドも笑っていたが、本当の話だった。
姉はどんな状況だろうが物怖じせず、負ける事はない。常に強いのだ。
その強さがどれほど弟のコンプレックスを刺激しているか、彼女には永遠に分からないだろうなとフランは思っている。
「そういや、フランは明日の休みはどうすんの? ブラッドもノーマンも出かけるんだろ?」
「ああ、俺は酒を買い足しにな。ノーマンは本屋に行くとか言ってたな。ハンナは娘に会いに帰るらしいぞ。ギルは出ないのか? ずっとココにいたら腐っちまうぞー」
「いやー、俺は座学の追試で出られねーの」
「バッカだなー、ちゃーんとお勉強しとけよ」
「うっせーよ」
ブラッドとギルが言い合うのを聞きながら、ひそかに驚いていた。日帰りならば届け出さえすれば外出可能との噂は聞いていた。だが、すでに外出する段取りをつけているとは思わなかったのだ。
「どこ行こうと姉さんが付いて来るんだろうな……」
「じゃあ、外に出てさ。撒いちゃえよ!」
ギルの提案に、フランはため息をつく。
姉は『殲滅の野獣』と恐れられる冷酷無比の軍人である。国土保全機関軍事部掃討課所属の彼女が指揮する部隊の別名は『掃除屋』。敵対者は誰一人生きては戻れない。部下の一人一人が色んな意味で札付きの異常者であり、戦闘能力の高さ以外も噂に事欠かない。
「逃げられるわけないだろ」
「わっかんねーぞ。今から許可だけ貰って、朝一でコソッと出ちゃえば? 偶には姉ちゃんに歯向かって勝つんだっ、気合だっ」
「でも、俺は王都の出身でこの街の事はロクに知らないんだ。下手すると迷子になって戻れない可能性すらあるし」
家から離れたかったフランはわざわざ十七年間慣れ親しんだ王都を出て、旅行と称して北方の玄関口たる港町カディッサにやってきた。養成所の場所を調べ、丸一日乗った列車から降りてすぐに飛び込み登録した身の上だ。観光的な要所もいくつかあるのだろうが、全く興味を持っていなかった為、調べていない。
「んー……そうそう、俺の実家シーシァン通りにあるんだよ。大通りから離れてっけど、明楼亭って飯屋があってさ。すっげーうまいんだよ。行って見ろよ。ついでに俺の家に手紙でも届けてもらうかな。そだ、帰り道は俺の兄貴に案内してくれるように書いとく」
「……確かに、ずっとココにいても腐るし。手紙渡しついでに飯屋行って来るか……」
「うんうん、そーしろよ」
ギルの言葉に、大き頷く。
姉への反抗、それはフランにとって高揚感のある言葉だった。
翌朝一番に、教官ノエル・ランサムの部屋を訪ねたフランは、不機嫌そうな彼女から承認をもぎ取り、逃亡者さながらの素早さで裏門をくぐり抜けた。
渡された手紙を懐に、支給された養成兵を示す茶色の軍服姿で淡い水色の空を見上げる。久々の解放感が身を満たしていく。
フランはギルの描いた簡易地図を手に、シーシァン通りを目指して歩き始めた。
シーシァン通りは聞いていた通り、大通りからは何本も奥まった通りにあった。多少迷いながらも通りに入るも、治安があまり良くない事を肌で感じる。
「フランっ」
声を掛けられて振り返った先にはブラッドと眼鏡のノーマンが立っていた。
「せっかくだからギルのお勧めの飯屋を教えてくれよ。そこで昼飯にしようと思ってな」
「僕もさっきブラッドから聞いて、場所だけ教えてもらおうと思ってね」
口々に言う二人にフランは頷く。
「そういや開店時間聞いてなかったや。えーっと地図によると、この先かな」
連れだって歩き出したフラン達だったが、いくらも歩かないうちに彼は焦げた臭いに足を止めた。二人も立ち止まる。
「ん? フラン、どうしたよ?」
「ねぇ、なんか煙いね」
「ブラッド、ノーマン……あれっって……っ!」
フランは視界に入った煙を指差す。路地の奥から煙が立ち上っていた。まだ早朝の通りには人影がない。
「ど、どーしよっ。えーっと、とにかく誰か……っ」
ノーマンが慌てて、周囲を見回す。フランも声を上げようとした時、路地から老人が走り出てきた。
煙の方向からだった。
煤と血に塗れた老人が足を縺れさせ、倒れる。慌ててフランとブラッドも駆け寄る。
「おい、爺さん! 大丈夫かっ」
「大丈夫ですかっ?」
老人は二人に気付き、顔を強張らせた。それは助けを見つけた喜びの顔ではない。老人の短く刈り込んだ白髪についた血がタラリと地面に滴る。彼の震える手がしゃがみこんでいたフランの両腕を掴む。
思いの他、強い力に呻く。
「に、げろ……逃げるんじゃっ!」
後ろでガラスの割れる音がして、老人はハッとして立ち上がると再度同じ言葉を繰り返す。ハンカチを差し出したノーマンさえ押しのけて、不恰好に走り去る姿は奇異だった。ブラッドが呆然とソレを見送って呟く。
「なんだ、ありゃ。爺さ……!」
言葉が不自然に途切れ、ドサリと音がする。
「え……?」
ノーマンの漏らした声はフランの気持ちでもある。ブラッドが地面に倒れていた。地面に赤い色が広がっていく。
路地から短機関銃を手にした人影が次々に出てくる。彼らは一様にヘルメットにゴーグル、黒いアサルトスーツを着用していた。男女どころか容姿すら分からない。
どうみても異常事態だ。
「ぶ、ブラッドっ、ブラッドは、血……、血が……っ!」
ノーマンは迫る人影よりも仲間の生死の方に意識が行っており、逆にフランは血を流すブラッドの事が理解できずに――迫る人々の方に意識が向かっていた。
銃口が自分たちに向けられて初めて、自分でも意外に思う俊敏さで走り出していた。
背後でノーマンの悲鳴が呻きに変わり、聞こえなくなる。
フランは必死で走る。
王都で見たスラムよりは多少綺麗な路地を縦横に駆け抜ける。二、三階建ての建物が立ち並ぶ細い道には所々に浮浪者が染みのように転がっていた。
走って走って、ひたすら走った。
袋小路にゴミ袋の山を見つけ駆け込む。袋を二つ退かせて、三つ目を掴むと抵抗力を感じた。
そこに金髪の娘が座り込んでいる。年の頃ならフランと同じくらいの彼女は、青い瞳をしていた。蒼白な顔でフランを見つめ、唇が動く。
「は、早く、隠れて……っ」
彼女が言った。
なんで……?
「あなたも、逃げてるんでしょっ、早くっ、見つかる……!」
口を開こうとしたフランは、足音を聞きつけて振り返った。彼女もその行為の意味する所に気付いたのか、掴んでいた袋は急に抵抗を失う。フランはその袋を彼女の頭に向かって手放した。重みが彼女の姿を隠す。
路地の入り口には三名の黒装束。
フランは初めて、姉を撒いた事を後悔した。
銃は劇的なほど軽い音を三回、五回と奏でる。フランは最後に彼女が見つからない事を祈った。
誰から逃げているのかは知らないが、最後くらい良い事をしたかったのだ。
倒れる瞬間、見えたバイクと銀髪に――我知らず歓喜する。
もう大丈夫だと、体が力を手放した。
……お前ら、終わりだ……っ! そうだろ、姉さん……。
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