プロローグ 復讐のはじまり
眼前に拡がるのは紅蓮の炎。
僕は無意識のうちに地面へ膝をついてしまっていた。
頬に飛び散った泥は、あたりをつつむ炎気のせいで、すぐに固く乾いてしまう。
「いったい何が──」
呆然と呟く僕に応える者はいない。
なぜなら、周りにいるこの街の住人は、全員物言わぬ死体になっていたから。
僕が所用で旅立つ前、この街は明るい活気に満ち満ちていた。
人間、魔人、獣人、精霊──あらゆる種族が互いの存在を認め合い、住人として受け入れ、どの国にも頼らず自分たちの力で切り拓き、発展させてきた新興街ノーヴァラス。
──ガサッ!
不意に後方で何かが動く気配を感じ、僕は慌てて振り返る。
「あ……領主の旦那だったかい、帰ってたんだね……」
そこにいたのは、ボロボロになった大斧を杖のようについて歩み寄ってくる獣人の姿だった。
「ミセロス!? 無事だったの──!?」
僕が駆け寄ると、彼女、虎人族のミセロスは力尽きたのか、その場に片膝をついてしまう。
「ミセロス! しっかり! いったい何が起こったんだ!?」
ミセロスはこの街の守備隊を率いていた女傑だ。豪快な性格と誰も寄せ付けない無双の斧の技で、若いながらも住人たちから畏れと敬意を持って姐さんと呼ばれていた。
だけど、今の彼女にはそんな面影など微塵もなく、満身創痍の身体で僕の腕の中に弱々しく倒れ込んでくる。
「領主の旦那、まさかもう帰ってきてるなんて……それで……首尾はどうだったんだい……?」
「もちろん成功だよ、ほらっ、ここに魔皇帝直筆の承認書が」
僕がカバンから書状を取り出そうとするのを、彼女はそっと押しとどめた。
「そうかい……よくやったね。旦那はよくやったよ……それに引き換えアタイは……ドジ、踏んじまった。この街を守れなかった……ゴメンよ、許しておくれ」
震えながら差し出してくるミセロスの拳をそっと、そっと握り返す。
「いったい、何があったの?」
「軍隊に急襲された……本当に突然だったんだ……アイツら自分たちのこと勇者軍だって」
「──勇者!?」
ミセロスがゆっくりと炎に燃える街の向こうを指さした。
それにあわせて視線を上げると、炎の間に二十人程度の人影が視認できた。
「アイツら──!!」
風に煽られて燃え上がる炎や崩れ落ちる瓦礫が、彼らの姿を遮ろうとする。
だが、僕にはハッキリとわかった。
だって、彼らは一緒にこの異世界ノクトパティーエに転移させられたクラスメイトたちだから。
一人一人の顔が脳裏に浮かび、同時に黒い炎が包み込んでいく。
「旦那……」
ミセロスの声がか細くなり、瞳から光が失われていく。
抱きかかえる僕の腕が、彼女の血で赤黒く染められていく。
「ミセロス、ダメだ……死なせない、死なせないからっ!」
急いで勇者の治癒の力を発動させようとする僕。
だが、ミセロスは力なく微笑んだだけだった。
「いいよ、もう手遅れだ……アタイ、最期はベッドの上でって……ここまで来たけどさ……まさか旦那の腕の中で逝けるなんて思ってもいなかった……何事も最後まで……あがいてみるもん……さね……」
抱きかかえていたミセロスの身体から力が抜けた。
ズシッと彼女の重みだけが両腕に残る。
「ああ……うああああああっっ!」
僕の口から絶叫が迸る。
ミセロスだけじゃない、周りに放置された住人たちの一人一人に面識がある。
だって、この街──ノーヴァラスの領主は僕なんだから。
何もなかった深い森を切り開き、住む場所、行く場所を失った人、魔族たち。そんな彼らを住人として受け入れ、新興の街として新たな歴史を歩み始めるはずだった。
「ゆるさない……ぜったいにゆるさない」
僕は冷たくなっていく虎人族の身体を抱きしめたまま、繰り返し繰り返し呟き続けていた。
炎の向こうへ去っていく、かつてのクラスメイトたち、その背中を睨みつけて。
朝になり、灰色の空から降り出した土砂降りの雨に炎たちが鎮められるまで──ずっと。