こいつはパーティーには向かない
前回、Slay the Spireの説明をするとぶち上げながら、結局は抽象的な物言いに終始し、なんの説明にもなっていなかった。薄々気づいてはいたが、おれはどうも……ああいった文章しか書けない体らしい。こいつは一体どんな病気だ?
気を取り直す。引き続きSlay the Spireについて書こう。前回と同じ轍は踏まないよう、腰を据えてじっくりと書くつもりだ。おれも成長しようともがいている。ちょうどお前と同じようにだ。だが心配するな。ひと筋の光明は差している。
昨晩、おれはこの一連の文章「おれはゲームで皇帝で」をいちから読み返してみた。最初の方を少し読んで、思わず飲んでいたカンパリソーダを吐き出しそうになった。下手クソ過ぎる……。緊張しているのかなんだか知らんが、肩に力ががちがちに入り自分で自分のスタミナを削りにかかる自殺行為。腰の入っていないパンチは大振りで、足を使うことも忘れたようだ。反応はすこぶる悪く、勘が鈍っていることに気づいてもいない。
なんちゅう有様だ、こりゃあ1ラウンドももたんぞ……。
日々の鍛錬を怠ったツケの大きさを、おれは今更ながらにまざまざ思い知らされた格好だ。そこで目を逸らし、逃げ出すこともできた。無様な自分を見続けるほど辛いことが他にあるか? だがおれは目を逸らさなかった。痛みを伴わない成長などありえない。古い考えかもしれないが、おれ自身にはその考えを適用させている。
吐き気を催しながら読み進めるうちに、おっ、と思える瞬間があった。脇が締まりはじめた。間合いが見えてきて、考える余裕も出てきている。思い切りも悪くない。徐々にではあるが、文章作成筋肉が鍛えられてきたのがわかる。そうだ。この調子でいこう。頑張るぞ。
一体おれはなにを書いているんだ。Slay the Spireはどこにいった? まあまあ、落ち着いて。ちゃんとここにある。
前回、おれはこんなことを書いた。Slay the Spireは、ローグライクカードゲームである、と。
カードゲームの部分は前回ちょっとだけ触れた。ではローグライクの部分は? 一応、書いたつもりだったのだが、読み返してみてあれじゃ何も伝わらんとおもったので(カードゲーム部分も酷いもんだが)もっとちゃんと書く。
ローグライク。たぶんゲームをするやつはよく聞く言葉だと思う。だが、色々と問題を孕んでいる言葉だということは知っているか? ローグライクゲームとは「ローグ」みたいなゲームという意味なのだが、昨今のローグライクと呼ばれるゲーム群は、本家ローグとはまったく似ていないじゃないか、と勝負審判から物言いがついたらしいのだ。言われてみれば納得できる話ではある。例えばSlay the Spireとローグを比べてみれば確かに別物だからだ。だが手触りというか、根底にある精神には共通するものがある。じゃあそういうゲームは、これからはローグライクと呼ばずローグライトと呼ぼうぜと言いだすやつが出てきた。きみはどう思う? おれは正直どっちでもいいと思う。だがローグライクとローグライト、響きがかっこいいのはどっち? と聞かれたら、ローグライクだと答えるので、Slay the Spireはローグライクとする。
まあ、どっちでもいいとは言ったが、そういうことに拘る気持ちもわかる。この勢いじゃ、猫も杓子もローグライクにされちまう、そいつはよくねえ! そう思うやつがいて当然だろう。おれもそれはよくないかもなとぼんやり思った。
では現状ローグライクとはどんな感じのジャンルか? 上記のとおり元々の定義からは外れているが、おれのざっくりとした認識では、死んだら最初からやり直し、マップや敵配置などランダム生成の環境、難しい、こんな感じだろうか。簡単に言ってしまうと一筋縄ではいかないやばいやつらだということだ。
そんな連中の中にあって、ひときわ異彩を放っていたのがSlay the Spireというわけだ。なにしろこいつはカードで戦う。カードと言っても、6ニムトとかごきぶりポーカーとかを想像してもらっても困るぞ。当然UNOなど以ての外だ。こいつはパーティーには向かない。なぜならSlay the Spireのカードには死のにおいが芯まで染みついているからだ。
カードデッキ構築。この言葉で胸躍らないやつは端的に言ってどうかしている。一掴みのカードの束に、各々の理念や思想の全てが詰まっているのだ。デッキ構築はかなり純度の高い自己表現であると言える。芸術行為だと言ってもいいだろう。
Slay the Spireでは電脳空間の中でそういうことをして、ゲームを進めていく。最初は貧弱なカードの束だ。そこにコンセプトと美学を好きなように足していけ。はっきり言って、Slay the Spireのカードには超強力なやつがたくさんある。中にはこれって強すぎるんじゃ……? と心配になってくるものもある。だがそんな心配はするだけ無駄だということにすぐ気づくだろう。なぜならSlay the Spireはかなり難しいからだ。
例えばお前がものすごいシナジーを持つカードの組み合わせを一つ思いついたとする。あれとあれとあれを組み合わせれば、さながら永久機関、負ける要素は万に一つもない。これは勝てる、お前はそう思った。たぶんお前の言うことに間違いはない。だがそんなもの所詮は机上の空論、絵に描いた餅、現場を知らない外野のたわ言でしかない。塔の頂上を目指すなら、そんな都合のいい考えは捨てろ。邪魔だ。この塔では全てが不確かだ。足下も定かではないし、次に手に入るカードが何なのかすらもわからない。そんな中であれとあれとあれが揃うまで敵が待っていてくれると思うか? あれとあれはなんとか揃った、あとはあれ、あれさえあれば、超強力なあれさえあればおれは勝てる、勝てるんだあ! そう叫んだまま消息を断つ戦士は後を立たない。あまりにもありふれた光景だ。
またこんな例もある。序盤で超強力なあれがごろっと出てしまったのだ。戦士は、こんな幸運があっていいのか? そう小躍りしてもはや敵なしの最強気分、どこからでも掛かってこいと肩をいからせずんずん歩を進める。だがなにかおかしい……体が重い……。当然だ。超強力なカードは消費カロリーが非常に高い。塔の中はコンビニではない。おにぎりやサンドイッチで気軽にカロリーを摂取できる環境にないのだ。また超強力なカードは、条件が整っていないとその真価が発揮できない場合が多い。序盤の貧弱なデッキでは使いこなせるわけもない。件の戦士はみるみるうちに痩せ細り、悶え苦しんで死んでいった。これもよくあることだ。
わかったか? パーツの揃う確率がおそろしく低いデッキにこだわるのもいいだろう。だがその分物言わぬ骸が塔のあちこちに積み上がっていくことになる、そうおれは予言しておく。
では一体どうすればいいのか? 残念ながら正解はない。荒れ狂う混沌……ケイオス……なにが起こったって不思議ではない塔の中で頼れる確かなものはお前の魂以外になにがある? 数えきれないほどの敗北……屈辱と後悔の泥濘の中で、そのまま朽ち果てていくのか黄金を掴みとるかはお前次第だ。知識を蓄え、経験を積み、判断力を研ぎ澄ませろ。Slay the Spireにはそれだけの価値がある。
では、塔に登ってくる。