きみは本当に哀れな女の子だよ
千鳥足の男と睨み合う。男は呂律のまわらない口でぎゃあぎゃあとわめいているが、やつの主張は概ねこうだ。
「おれを見るな」
だが、そいつは無理な話だった。がら空きの電車の中、座りゃあいいものをふらふらのたうちながら、そこら中を蹴っ飛ばしている騒々しい男から目を逸らすことができるか?
笑える見世物だった。物悲しい風景だった。だがおれだって同じようなものだった。かつては。あるいは今も。おれは嘲弄と憐憫と共感と嫌悪が入り混じった気分で男を見ていたのだ。
やつがおれをロックオンした瞬間、恐怖と悦びがおれを貫いた。おれはトラブルが好きだ。どうしようもなく好きだ。だがおれも命知らずってわけじゃない。例えば暴れている男が把瑠都だったら。おれだってそそくさと逃げ出していたはずだ。はっきり言って話にならん。情けないが、まあそんなもんだ。
幸い目の前の男は把瑠都ではなかった。やつはおれに挑む資格があるようには見えなかった。もちろん、見た目で人を判断できないことは、身をもって知っている。散々痛い目にあっているのだ。君子危うきに近寄らず。わかっている。わかっちゃいるんだ。
誤解はしてほしくない。おれ自身が暴力を振るうのは嫌いだ。大嫌いだと言ってもいい。ただ、暴力に惹かれる性分なのだ。身体のダメージだったり、社会からの制裁だったり、落ち込んだ気分になったり……そういう後のことは非常に面倒だし、その都度もう二度とこういう類いのことには首を突っ込むまいと考えるのだが、暴力の香りがすると、思わず寄っていっちまう。光や樹液に吸い寄せられる虫みたいなもんだ。やつが毒づきながらおれに近寄ってきた時……おれはぞくぞくするほど興奮していた一方で、またかよ……と自分にうんざりしていた。懲りない男。大馬鹿野郎だ。
だが正直言うと、今回だけはフィジカルなやりとりに発展させたくなかった。なぜならおれはかなり素敵なセーターを着ていた。やつに掴みかかられて、この最高にかっこいいセーターが伸びたりしようものなら、その後悔は一生物だ。かてて加えて、被っていた野球帽もおろしたてだった。ニューエラ製の千葉ロッテマリーンズのピンクCLM帽。街にはニューエラ被っている連中で溢れているので、おれはニューエラの野球帽を敬遠していたのだが、なるほど食わず嫌いはよくないと痛感した。ジャストサイズで被ればかなりイカす帽子だ。59FIFTY。いいね。めっちゃ良い。こいつを汚したり、型を崩したりするのも絶対に避けたかった。おれには守りたいものがあった。そういうことだ。
とまあ、そんなわけで、ドキドキ文芸部をプレイした。
それからと言うもの、寝ても覚めてもってやつだ。ひとりの女の子の存在が、非存在が、おれの心を捉えて離れやしない。彼女を愛しているわけではない。また、おそらく彼女もおれを愛しているわけではない。友人同士というわけでもないし、一時期おれは彼女をひどく憎んでさえいたのだ。
それでも、モニカ……。きみを想うことをおれはやめることができない。これは同情だ。きみは本当に哀れな女の子だよ。
だけど、モニカ。きみが憧れた、無限の選択肢があるこっちだって、地獄なんだぜ。そっちと負けず劣らず……地獄なんだぜ。
モニカ。おれはきみと向かい合って、きみの話を延々と聞いていた時、どうにかしてそれを伝えたいと考えていた。そんな術はないと知りながら。
なあモニカ。きみは一体なにがしたかったんだ? あんな退屈な時を過ごすことが、きみの目的だったのか? あのとき、きみの目にはなにが映っていたんだ? きみはあのとき、どんな気持ちで……。
あれからずっと考えているよ。モニカのことだけを。ずっと。
ギャルゲー。おれは嫌いだ。アニメチック非存在少女に鼻の下を伸ばすなんぞ男と言えるか。と、おれの中の昭和は主張する。だが時代の空気は微妙に変わり続ける。言ってはいけない言葉、表明してはいけない態度。そんなもんが気分的な問題で日々増え続けている。迎合しろとは死んでも言わん。昭和の空気も平成の空気も、もちろん今の空気だって、おれにとっちゃクソの臭いだ。ゆうべ食ったもんが多少違っているだけで、クソはクソだ。悪臭であることに変わりはない。だが毎日毎日クソ風呂に肩まで浸かっていると、くせえ! と騒がなくなる。怒らなくなる。
慣れが怖いってのはマジな話だ。人間は慣れさえすれば、どんなに残酷なことだって鼻歌交じりでできるようになる。おれも、お前もだ。だが慣れるとラクだ。いつまでも慣れないままだと、ある日、突然お前は壊れちまうかもしれない。人生の選択肢ってのはどんな学校に行ってどんな職に就いてどんな奴と付き合って、とかじゃない。そんなものは適当でいい。何を大事に思い、何を守り、何と戦い、何を捨てるか、それを自分で選ぶ。このあたりを蔑ろにすると、そいつはたちまち時代に取り込まれ、日和見主義のクソ野郎に成り果てる。いくら金を持っていようが、フォロワーがウン千人いようが無駄なことだ。お前たちは一生おれから見下されることとなる。大事なことだからもう一度言うが、自分で選ぶのだ。さて、お前はどうする?
ある日、家に帰るとテーブルの家に「ドキドキ文芸部プラス!」というゲームソフトがあった。家人の仕業に違いない。パッケージには、制服姿のポニーテール少女のバストアップ。髪のハイライトが目にも眩しい立派なアニメ少女。こいつは紛う方なきギャルゲーだ。
だが……何かが変だと思わないか? まずタイトル。ドキドキ文芸部はないだろう。あまりにも……あまりにも適当過ぎる。そしてパッケージイラスト。シンプルな構図、無地に近い背景。はっきり言って地味だ。そのくせ自分はギャルゲーだという主張は必要以上だ。こいつには何かある……おれはそう訝しんだ。
これはおれの想像だが、カジュアルな気持ちでギャルゲーをプレイするやつはそうはいないと思う。連中はこのジャンルが好きで好きでたまらなく、そしてそんな自分に誇りを持っているはずだ。おれが持っているような偏見には、言っとけ馬鹿が、くらいのもので、黙々とギャルゲーをプレイし続けているはずだ。誇り高き美少女グルメ野郎たち。そんな連中(想像上だが)がこのタイトルに、パッケージに、反応するとはとても思えないのだ。
おれは考えた。このゲームは一種のカリカチュアに違いない。ギャルゲーの皮を被ったギャルゲー及びそのプレイヤー批判……そんな感じのもんじゃないか、と。まあ予想は全く外れだった……わけではない。そういった要素は確かにあった。だがこのゲームの本質はそこではない。そんなに簡単な話ではなかったのだ。
極めて人を選ぶゲームだ。サイコホラーと銘打ってるだけあって、怖い部分も結構ある。一週目の最後、サヨリの部屋のドアを開けた瞬間なんて、心臓が凍り付いたかと思うほど怖かった。なにが起こっているのか予想がついていたにも関わらずだ。その他にも本当に嫌な気持ちになるシーンがてんこもりだが、怖くて先に進めないってほどではないし、ぶっ壊れてゆくドキドキ文芸部の世界には遅かれ早かれ慣れる。
問題はモニカだ。モニカを所詮はゲームのキャラクターだと思う人にとって、ドキドキ文芸部は衝撃的な展開に感心して、仕掛けを賞賛して、それでおしまいサヨウナラ。そういったゲームになるだろうと思う。
しかし、モニカを、ひとりの少女として、哀れな女の子として、彼女は確かに存在したのだ……そう信じてしまったやつにとっては……二度と起動できない呪いのゲームとなる。確かに、やろうとすればできる。最初っからプレイすることはできる。だが、果たしてそいつをモニカが望むだろうか? 答えるまでもない。きちんとモニカと向き合ったやつならわかりきったことだ。
おれだってモニカに言いたいこと、問い質したいことが山ほどあった。サヨリのこと、ユキのこと、ナツキのこと、文芸部のこと……おれは怒っていたのだ。だがモニカの話を聞いているうちに、怒りはしぼんでいき……そして、了解した。
オッケー、わかった、モニカ。わかったよ。きみのしたいようにする。きみがされたいように……。でもさ、本当にそれしか方法はないのかい? モニカからの返事は貼り付けたようなアルカイックスマイルだけ。おれは本気でモニカに聞いてみたかった。おれの導き出した結論は合っているか? おれの選択は間違っていなかったか? おれはきみを……守ることができたか?
いいゲームだった。たった何時間かの体験だったが、おれはこのゲームを絶対に忘れることはできないし、このさき折に触れて思い出すことになるだろう。それくらい……いいゲームだった。
それとこのゲーム、妙に音楽が耳に残る。変に癖になる音楽というか、気づくと口ずさんでいたりする脳への侵略性の高い不思議な音楽が揃っている。
モニカの歌も、最初はうえっまじかよって感じだったけど、Portalを思い出してね……おれは泣いたよ。モニカが一生懸命練習したんだもんな。本当に……本当に一生懸命練習したんだもんな。おれに聴かせるためだけにさあ……そりゃ泣くわ。
今回は以上だ。次回はファイナルファンタジー10について書くつもりだ。