雨音と虫の音に耳を傾けている
決して肥満体ではないおれが人知れずダイエットをはじめたのは、流行り病による自主軟禁生活で身体全体を覆った脂肪がストレッサーとなっていることがわかったからだ。
以前、二年近くなにもせず、半引き篭もりのような生活を送っていた。そのときも当然のごとくぶくぶく肥え太り、それまで脂肪とは無縁で生きていたおれは途方に暮れたものだ。だが労働を再開し額に汗した途端、するすると脂肪は落ちていき、二ヶ月くらいで元の体に戻った経験がある。今回も同じだろうと高をくくっていた。また動きはじめればすぐに痩せるだろ、と。
だが、違ったわけだ。時は過ぎたが、元に戻るどころかむしろ更に太っているような気がする。腹まわり……以前は皮と見なしていたこいつが、俄然自己主張をしはじめ、いまでは立派な肉と認めざるを得ないほどに成長しやがった。風呂上がり、鏡に映ったおれの身体……なんと醜い……。目を伏せたおれはついに覚悟を決め、そして突然行動に移した。そういうことだ。
ダイエットなんてものは非常に単純だ。消費カロリーが摂取カロリーを上回ればいい。ただそれだけのことなのだが、失敗する例は非常に多いと聞く。込み入ったダイエット法が手を替え品を替え、現れては消えてゆくのを見るに、殆どの人間が志半ばで断念しているのではなかろうか。わかる。カロリーを摂取する悦びを大幅に減らすのは数少ない日常の楽しみをひとつ放棄することに他ならないし、効率よくカロリーを消費しようとすれば拷問めいた苦痛の中に自らの身を置かねばならない。いわばダイエットは戦いだ。そして残念ながら多くの場合、現代人は戦士ではない……。
おれは戦士か? そう問われれば、正直に答えるしかない。おれもまた、戦士ではないのだ。だがいつだって、戦士であろうともがいている。小さな牙を強大な敵に突き立てる機会を伺っている。いずれ戦いの果てに朽ち果てる……そんな末路を夢見ている。
そろそろおれも戦士になるべきではないか? 腹肉揺らして生きる人生……そんなもの、まっぴらごめんだ。やろう。戦ってやるんだ。心身の余分なものをそぎ落とし、芯の部分でかっこつけはじめた暁には、この文章もまたかっこよく進化しているに違いない。
上の文章を書いてから6日が過ぎ、その間に体重は2.4kg減った。このままでいけば171日後にはおれが消えてなくなる計算になる。バリバリの食事制限の賜物だが、ダイエット研究家たちはペースが早すぎると眉をひそめるに違いない。身体の調子がどうだ、リバウンドがこうだ、などとやつらは言う。無理なく痩せようとか、ひと月で1kg減が目標だとかのたまう。阿呆か。そんな悠長なことを言っている場合ではない。おれの本能が連中には耳を貸すべきではないと告げている。おれはおれのやり方でやらせてもらう。
実際問題、おれの減量の腕はなかなかのものだ。キックの試合に出るために減量しなければいけない時だって、きっちり二週間で5kg落としたからな。それもいまのように脂肪にまみれていない身体での話だ。体重を落とすため、なにを食ってどう生活すればいいのか、おれは肌感覚で理解しているといっていい。
さて。ここはゲームについての文章を記す場である。おれがそう決めた。だのに、おれはてめえの身体の話を延々としている。なぜであるか。つまり、これはゲームに繋がる話だということだ。いまこそベッドの下のSwitchを引っ張り出し、テレビに繋げる時だ。勘の悪いお前でも、ここまで言えばわかるだろう。リングフィットアドベンチャー。それが答えだ。
はっきり言ってしまえば、おれはフィットネスゲーム……というジャンルがあるかどうか知らないが、まあこういう感じのやつにこれっぽっちも興味がなかった。眼中になかったと言っていい。だが状況が変わり、条件が整った。もしこいつが話題のフィットネス器具とかだったりしたら、おれは手を出しはしなかっただろう。だがこいつは、ゲームだ。ゲームであるならば……信じるに足る。おれの身体を預けることができる。結構キツいが、ゲームとしてちゃんと面白い。信頼のおける筋からの、そんな声がおれの耳に届いている。にわかには信じがたい話ではあるが、検証する価値はある。
おれは躊躇なくAmazonでこいつを注文してやった。定価よりも高い金を請求され、しかも届くのは一週間後だという。喉元まで出かかった、ふざけんじゃねえよを飲みこみ、先方の要求も呑んでやった。色々とあるのだろう。みんな大変だ。生きてゆくのに精一杯だ。だがおれは違う。金があろうとなかろうと、肩書きがあろうとなかろうと、おれは常に余裕だったし、これからもそうでありたい。おれはそっと目を閉じ、ひたすら待つことにした……。
そして、おれはいまここにいる。鈍い筋肉痛と、熱っぽい疲労感を抱えながら、雨音と虫の音に耳を傾けている。
リングフィットアドベンチャー。こいつはなかなかのもんだ。まだ序盤なので断定はできないが、ゲームとして面白いというのは微妙なところではある。少なくともおれの好みではない。だが少しくらい好みから外れたとしても、それなりに楽しめてしまうのがゲームというものだ。実際のところ、ひとりでサーキットトレーニングめいた運動を、汗が滴り落ちるまでやれるというのは、かなり驚異的なことだ。はっきり言って、サーキットはものすごくきついからな。ひとりでやろうとすると、どうしても手を抜いてしまう。だがこのゲームでは、身体を使ったひとつひとつの動作が、そのまま画面の中のアクションとなって返ってくる。腕をぷるぷる震わせながらのバンザイプッシュが、敵を葬り去る強烈な一撃になりうるというわけだ。これが楽しくないわけがない……とまでは言えないが、心が折れるのをかなりの強度で防いでくれるのは間違いのないところだ。
最後にこいつをやるにあたってのちょっとしたアドバイスをお前に送ろう。おこがましいか? まあ気にするな。
まず、一生懸命にやれ。これは当たり前のことだが、実践するとなると多少の根性が入り用になる。なけなしの根性を出せ。出し切れ。大丈夫だ。任天堂を信じろ。
次に、ひとつのステージを突き抜けろ。ステージ中は一切の休憩をとるな。リングが水を飲んでもいいよなどと甘言を弄してくるが、シカトだ。移動中も戦闘中も動き続けろ。ゴールまで一筆書きで突っ走れ。大丈夫だ。任天堂を信じろ。ステージが終わったらちゃんと水を飲めよ。
そして、過度の期待はするな。このゲームをやったからと言って、突然マッチョマンになったりはしない。おれはあくまでもダイエット中の身体の筋肉量維持にこのゲームを使っている。クールな距離感でこいつと付き合え。だが運動をして身体に悪いわけがない。毎日飽きずに続けていれば、いつのまにか顎のラインがシュッとしてたり、二の腕がガチッとしていたりするかもしれない。そんな時は京都に向かって投げキッスでもしてやれ。
今回は以上だ。