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燃料チャージ



 伊織たちが配属されて一月以上たったある日のこと。


「どうだ」

「…………。いいんじゃないか?」


 伊織と堂本、それに大野や他の研究員が、前室の大きな窓からリリの部屋を覗き込む。

 今は、先日行われたリリの大幅なハードウェアアップデート、その確認作業のまっただ中である。

 本来、この業務は二人の担当ではない。しかしリリの研究における大きな一歩を踏み出す瞬間を目にしようと、示し合わせたかのように二人は集まってきていた。


 リリに実装されたハードウェア。それは、結晶化したアルコールを燃料とする内燃機関である。

 500mL缶ほどの大きさのエンジンはリリの上腹部に内蔵されており、アルコールを分解、モーターを介し電力へと変換する。分解により排出されるのはごく少量の炭酸ガスのみで、それも頭部に配置された口より呼気として排出される。

 現在使用できるのは特別に精製された乳白色のアルコール結晶のみではあるが、その氷砂糖のようなものを囓る姿はまさに『食事』と言えよう。


「では、1717号。一つ目を口に含んで下さい」

「…………」

「1717号?」

 反応の遅れたように見えたリリに対し、再度促すエンジニア。彼に示された結晶を、無言でリリは口に含む。それから口内に設置された強化セラミック製の歯で噛み砕いた。

 ゴリゴリという音とともに粉状に砕かれた結晶は、圧力により融解した液体成分と混ざり懸濁液となる。

 見た目では普通の咀嚼。だが、伊織はそれを見て眉を顰めた。


 時間にして二十秒ほど。それでようやくエンジニアは気付く。

「1717号。嚥下しなさい」

 まだ『食事』という動作について不慣れなリリである。初体験と言ってもいい。故にどれだけ噛み砕けばいいのかもわからず、そしていつ飲み込めば良いのかの判別が出来なかった。

 エンジニアの言葉で、ようやくリリの喉の人工筋肉が動作を始める。内燃機関の口が開き、中に懸濁液が押し込まれていく。

 リリがようやく飲み込んだのを見て取って、エンジニアは溜め息をついた。

 まだそこまで教育がされていなかったのか。そう少しだけ不満には思うが、それは自分の仕事ではない。そう思い直し、また二つの結晶を準備しながらリリの内燃機関の発動を待った。


 やがて、リリが無表情に言葉を発する。

「内燃機関の動作を確認しました。良好と思われます」

「味覚センサーの具合はどう?」

「異常は見受けられません」

 間髪入れずに行われる受け答えに若干躓きながらも、エンジニアはリリの反応から内燃機関の動作を確認していく。そして、一応の成功を確認して頷いた。

 それからまた、一つ結晶をリリに差し出す。

「では、1717号。こちらの結晶を口に含みなさい」


 リリが、少しだけ口元を歪める。だがその行為を誰も見咎めることなく、誰も知ることなくその口元はまた緩められた。返事をしない、それだけが彼女のわずかばかりの抵抗だった。

 細い指が結晶を摘まみ、その唇に押し込んだ。


「10秒の咀嚼後、嚥下して」

「……内燃機関の動作を確認。先ほどの燃料との差異を確認しました」

「どういう感覚か、説明して下さい」

「先ほどの燃料よりも、燃焼効率の悪化が見られます」

 エンジニアは手元のチェックシートにリリの反応を記入していった。

「では、こちらを先ほどと同じように飲み込んで」

 エンジニアの指示に無言で応えるリリ。伊織はその姿を見て、何故か少しだけ胸がざわついた気がした。


「一番初めの燃料をA、二番目をBとした場合、今飲んだのはどちらの燃料?」

「Aです」


 リリの言葉を確認し、エンジニアは壁際に立って見ていたもう一人のエンジニアに視線を向ける。テストを行ったエンジニアも答えは知らず、壁際のエンジニアの頷きによってそれが正答だということを読み取った。

 味覚センサー。それは燃焼効率を測るためにリリに実装された器官であるが、これはそのテストである。二重盲検の形をとっているのは責任者である大野の発案だ。だが、エンジニアたちはその発案の意図が掴めてはいなかった。伊織と堂本を除く、その他大勢の研究者と同じく。


 それからも細々としたテストが始まる。

 だがこれは正常な動作のためというよりも、リリを使った実験だ。実際に使用した場合の動作確認。もはや、正常な動作はするらしい。それを見届けた伊織と堂本は、頷きあって部屋を立つ。一応大野に会釈はしたものの、廊下に出るまでは無言のままだった。


「メシにしようぜ」

「そうだな」

 堂本の発案に伊織は頷く。人の食事風景を見るというのはお腹が空くものだ。今日の昼はラーメンでいいかなどと他愛のない話をしながら、二人はともに近くのラーメン店に足を向けた。



 温かいスープの表面に浮かぶ油をレンゲで寄せて、その隙間から箸を突き立てる。

 持ち上げた麺は温かな蒸気がまとわりつき、アルカリ性の水により処理された黄色に堂本の食欲がより一層刺激される。

 冷却のために蒸気を吹き飛ばし、それから勢いよく口内に押し込んだ。


「しっかしまあ、これで1717号も食事をするようになんのか」

「ああ。今のところアルコールの結晶だけだけど」

 伊織も応えながら麺を啜る。この店の合成醤油のラーメンは二人ともに好物で、よく食べに来ているものだった。

「さすがにこれ以上の複雑化は無理だろうな。人間と同じような食事っていうと、今度は残渣の問題が大きくなるから。排泄させるにしてもまた構造からのアップデートをしなくちゃいけないし」

「だけどあれじゃあ味気ないだろ。金平糖みたいな燃料だけしか食べられないなんてさ」

「オプションだからいいんじゃねえの。実際、メインはやっぱり無線給電での充電だろ」

 ナルトを口の中に放り込みながらの堂本の言葉に、伊織は頷いた。

「ま、人前で充電するより人間らしい動作だけど」


 ずるずると音が響く。咀嚼する度に麺が歯で千切られ、中から小麦粉の味がじんわりと染み出してくる。

 化学調味料により極限まで旨みが高められたスープにそれが混じり、二人の脳内に快楽物質が駆け回った。


「それよかあれだろ、1717号に食事のトレーニングもしなくちゃいけないんだろ、これから」

「そういや、さっき端末見たら、大野さんから予定が届いてたな」

 伊織はスーツの懐から、エデン支給のポータブルデバイスを取り出す。そしてその画面を覗き込めば、さきほど届いたことを確認した画面のままで携帯は固まっていた。

「そんな急がなくてもいいけど、少しずつ慣れさせた方がいいかもしれないってさ」

「そんなもんまで教え込まなきゃいけないなんて、人工知能も面倒だよなぁ……」

 口直しの水を飲み込み、堂本はそう嘆く。正確には人工知能ではなく人工知能培養体というこのコーディング方法に問題があるのだが。

「仕方ないさ。現状、エワルドの壁を突破できるかもしれない最有力の手法なんだから」

 伊織は麺を箸でかき集め、レンゲに乗せて口へと運ぶ。澄んだスープには、もう油しか残っていなかった。

「それと」

 器を直接口に付け、伊織はそのスープまでを飲み干す。体に害のないエデン社製の塩を使っているとはいえ、健康には悪いと忌避する習慣はこの時代にもまだ残っていたが。


「リリ、だよ」

 とん、と器をテーブルに置く。その底に、喜びの文字が二つ浮かび上がっていた。

「え?」

「1717号じゃない。今はリリと名前を改めたはずだ」

 咎めるでもない、だが真っ直ぐな伊織の目。その目に見つめられ、堂本は目を丸くした。

 それから、どう反応していいかわからず、とりあえず同意を返す。

「そ、そうだったな」

「一応データベース上でも報告は済んでるんだけど、なんで皆まだ1717号呼びなんだろう」

 立ち上がりながら、伊織はそう嘆く。せっかく自分が悩んで付けた名前だ。やはり、そういう呼称だとみな改めてもらいたいと思うのは人情だろう。


 伊織の問いにも答えられず、堂本はただ口元に笑顔を作る。同僚の心底を何となく察して。

 それから軽口を叩くように呟いた。だがその話題はリリのものではなく、その直前の伊織の行動に関してだったが。

「太るぞ」

「うるさいな。先、研究準備室に戻ってるからな」

 机に備え付けられた端末に、伊織は社員証をかざす。会計が完了したことを示す軽い電子音を確認し、伊織は一人席を後にした。




「……しかしまあ……」

 一人残された堂本は、伊織の後ろ姿を見ながら呟く。それから丼を持ち上げ、スープに直接口を付けた。

 伊織と同じように飲み込んでいく。いつもは塩分を気にしてそういったことはしない彼だったが、今日は少しだけそうしたい気分だった。

「そうか。俺の引っかかってたところはそれか」

 机に乱暴に器を置き、堂本は笑う。先ほどの研究室でも抱いていた違和感。それに、それ以前の教育の最中にも抱いていた違和感と自らの無意識の心理的な変化。そして、先ほどの自分の言葉に対しての違和感。

 その正体がやっとわかった。


 恐らく伊織はまだ気がついていないだろう。堂本はそう思う。

 けれど、一番その問題に無頓着で、そして唯一問題がないのも伊織だ。そうも思う。


「難しいな。エワルドの壁って」


 堂本は未熟な研究者だ。故に、今ここで違和感の正体に気がついた。だが堂本は曲がりなりにも研究者だ。だからこそ、壁を乗り越えることは出来ない。

 そしてやはり、伊織にも乗り越えることは出来ないだろう。伊織も良くも悪くも科学者で、研究者だ。

 大野はその可能性に気付いているのだろうか。人工知能の権威、アリシア・キューブリックとの私的な繋がりもあると社内で噂されている彼は

 実存接近障壁。強い人工知能に起こる動作不良の総称。

 その、科学者には絶対に突破できない性質について、彼個人はどう思っているのだろうか。

「つっても、あの人のプライベートはわかんないもんなぁ……」


 仕事場では、前と解答を変えないだろう。パーティーにでも誘えば口が軽くなるだろうか。


 そんな算段を付けながら、堂本は水を勢いよく飲み干した。



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