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苦しみ




 朝、タイマーでセットした時間通りに部屋の灯りがつく。

「痛……」

 酷い頭痛と喉の渇きに、堂本は目を覚ました。

 タオルケットをはねのけ、起き上がると目眩がする。体調不良というものではあるが病気ではない。自分のことは自分が一番よくわかっている、という言葉があるが、そういうわけでもない。その正体がはっきりしているのだ。いつもと同じ、二日酔いだ。


 目頭を押さえて、目を強く瞑る。空いた片手でベッド脇を探れば、いつも水をいれてそこに置いているペットボトルが、指先に触れて床へと落ちた。

 カランという軽い音に堂本は溜め息をつく。冷蔵庫の中を探ればいくつも予備はあるが、取りにいくのは面倒くさい。ベッドから転がり落ちるように立ち上がり、堂本は水を飲みに水道に歩み寄った。

 水道と冷蔵庫。わずか数歩の差ではあるが、朝の時間にはその数歩が何千里にも思えるから不思議なものだ。


 歯磨き用のコップに勢いよく水を注ぎ、一息に飲み干す。

 エデン社の水道は清潔であり、薬臭いなどということはありえない。精製水にわずかにミネラルを添加してあるその水は、食事の際にそのまま飲んでも問題ないものだ。

 だから、と改めて自覚した堂本は自らの体調に閉口する。

 この胃からこみ上げてくる臭いは、昨日の飲み会の残り香だ。嘔吐しそうになるその感覚をねじ伏せ堂本はもう一杯水を呷った。



「はは……ひっでぇ顔……」

 堂本は鏡に自分の顔を近づけて自嘲する。

 肌は荒れ、日焼けもしているはずだが血色の良くないその顔は青白くも見える。目の下のクマは今日も消えそうにない。

 どれもこれも、毎夜続く飲み会のせいだ。


 飲み会、といっても伊織や同期とのものではない。伊織も誘うが、来た試しが一度もなかった。

 彼が毎夜行っている飲み会や食事会。それは全て、今後の社会人生活としての活動だった。


 毎夜渡り歩く飲み会や食事会は一等市民の混ざるものだ。

 違う業種との交流会。そういってもいい。身分や業種の垣根をなくし、協力し合える者同士のコネクションを作る会は、この時代でも無数に行われている。

 毎晩、彼はそれに出向くのだ。


 目的は一つ。一等市民との繋がりを増やすため。


 彼は未だに一等市民の座を諦めてはいなかった。今の業種での地位を築くか転職するかまでは定まっていないが、それでもいつかは本社に栄転するつもりではある。そのための布石である。

 毎晩の食事会で一等市民と顔をあわせ、顔を覚えてもらい仕事に繋げる。そうしていつか、自分も一等市民に。そう思っていた。


 だがそれは、言うほど簡単ではない。

 身分や業種の垣根をなくし、と謳われてはいるが、それでも身分差は如何ともしがたい。

 一等市民は一等市民で、二等市民は二等市民で、とやはり食事会の客層も分かれてしまう傾向にある。

 堂本は、それを無視した。

 忍び込むわけではない。慣例として分かれているだけ、ならば一等市民の食事会に参加しても規則を破るわけではない。

 

 通常ならば白い目で見られる行為である。だが、堂本の根気はそれを覆した。

 一等市民には媚びを売るようにアテンドし、二等市民への愛想も忘れない。そうやって、徐々に人脈を増やしつつあった。



 しかし、それと引き替えに蝕まれていく体はどうしようもなかった。

 酒は嫌いではない。むしろ好きな方だ。だがそれも、酒量によるだろう。

 


 ワックスを手に伸ばし、髪の毛を整える。シャワーも浴びたいが、もう出勤時間だ。

 マイトキューブは簡便だが、食事の中では高価である。故に、コンシーラーで目の下のクマを隠しながら、廉価な栄養ゼリーを口に含んだ。

 形状記憶シャツを羽織り、ネクタイを結ぶ。鏡を見ずとももはや慣れたものだ。

 最後にアセトアルデヒド分解薬を一粒飲み込めば、数分後には二日酔いの症状も消えて失せる。二日酔いの解消と引き替えに内臓にダメージを蓄積させる薬ではあるが、堂本にとってはもはや手放せない薬となっていた。


 一度俯き、大きな息を吐く。

 まだ大丈夫、まだ自分は、と言い聞かせるいつもの作業だ。


「よし!」

 勢いよく顔を上げ、堂本は仕事に向かう顔を作る。

 締めたはずの蛇口から、水が一滴垂れて落ちた。





「おはようございます!」

「おはよう」

 堂本の元気のいい挨拶に、ちょうど隣のロッカーを使っていた木村が返す。伊織とは違い、出勤時間も勤務地も近い彼らは、それなりの頻度で行き会っていた。

 木村がネクタイを一度解き、ワイシャツを脱ぐ。下着の上に作業着に似たスーツを羽織りネクタイを結び直せば、それで準備は完了した。薄緑の作業着に、臙脂のネクタイが似合っている。

 堂本はスーツの上着を脱ぎ、その上から白衣を羽織る。同じような動作ではあるが、やはり両者の見た目は全く違うものだった。

 それを見て、木村は目を細める。

「……いいなぁ。洗濯簡単でしょ?」

「え?」

 堂本は木村の視線の先を追い、それから木村の作業着に目を向ける。

「あ、ああ、そうですね。形状記憶に分解触媒機能付きなんで、水洗いで済みますし。でも、木村さんのもそうでしょ?」

 堂本は、木村の汚れ一つない作業着を指さす。それにはたしかに、木村のものと同様の機能が付いていた。

「……そうだね」

 そして木村は同意する。

 けれど堂本は、その唇に自嘲の笑みが浮かんでいたのを見つけていた。


「さて、僕は先に行くよ。今日も一日頑張ろう」

「はい。よろしくお願いします」

 あえて話題を切られた。そうは思ったが、堂本は追及しなかった。代わりに、元気よく挨拶を返す。実際にはここから一日顔をあわせることもないのだが、社交辞令という便利なものは、挨拶の代わりにもなるのだ。

 軽い電子音が鳴り、木村のロッカーのオートロックが閉まる。

 自分も行かなければ。その音を合図に、堂本も木村を追うように職場に急いだ。






 重い金属扉のハンドルを勢いよく引き、木村は職場のドアを開ける。

 地下三階に設置されたその大きな部屋は、地面が土でなく雪であれば屋内スキー場のように見えるだろう。

 奥にいくにつれ坂になるように茶色い土砂が盛られ、その手前にもいくつもの小さな山が出来ている。

 壁際にはいくつもの小型重機が並び、壁からはクレーンがいくつも突き出ていた。

 

 そしてその中の一角にある三メートルほどのロボットに木村は歩み寄り、そのメインカメラのモノアイに認証キーをかざして笑顔を作った。

「やあ、タイタン。おはよう」

「おはようございます」

 カメラ横のスピーカーから、滑らかな低い声が響く。各部位に配置されたサブカメラも木村の方を向き、その動きを精細に捉えようとした。

 金属製のメインフレームを油圧で動かし、からくり人形のような動作でタイタンが立ち上がる。格納されていた四本の腕が展開し、無限軌道の履帯が地面を噛む。それを補助する足が土に軽く潜った。

「今日はどのような作業をする予定でしょうか」

「今日は岩盤の発破作業だよ。人もいるから注意してね。機材はこっち」

「了解しました」

 

 木村が歩く後ろを、器用にタイタンはついていく。

 人工知能培養体1609号、それがそのロボットの研究番号だった。


 1609号は、自律思考を持つ土木作業ロボットとして開発が進んでいるロボットだ。

 蜘蛛のような駆動脚に囲まれた、装甲車のような見た目の下半身。そこから伸びた上半身は金属の枠組みで作られ、その中に何本ものケーブルが露出している。これはメンテナンスを容易にするために壁が取り払われているだけであり、製品版では特殊な自己再生シリコンで保護される予定だ。

 そしてそこから伸びる複数の関節を持つ四本の腕は、それぞれがアタッチメントに応じて複雑な動きをすることが出来た。


 削岩機や掘削機、スクレイパーなど、様々な重機が行う役を自律思考を元に代わることが出来る。そして自律思考故に、命令すれば危険な作業場でも人間不在で工事が行える。

 現在でも似たようなものが実用化されてはいるものの、完全に人の手が要らないわけではない。完成すれば人間不要となるこの機械の開発は、他都市も含めて現在切磋琢磨している状態だった。


 タイタン、というのは木村が付けた1609号の名前だ。認証されているわけでもなく、リリのように必要があったわけでもない。ただ親しみを持つために、木村が付けた名前だ。

 タイタンは、その名前をとても気に入っていた。



 タイタンは土木作業ロボットだ。そのために機能が備えられ、そしてそのための教育が行われている。

 木村が付き添い、実際に土木作業を行う。土を削り、または盛り、発破をして目的のものを探す。坑道内に人が立ち入れるように普請をし、有毒ガスを検知し無害化や封じ込めをする。そんな教育を繰り返していた。


 土木作業は職人仕事ではあるが、ある程度体系化されている。無論、それを全てプログラミングをしてしまうことも出来る。それをしないのは、彼ら科学者が『エワルドの壁』を恐れているからだ。

 実際に土木作業ロボットでも、事故は過去に幾度も起きている。アンドロイドやガイノイドと比べて少なくはあるものの、命令違反や人への傷害など、世界ではいくつもの事例があった。


 実験室レベルの話であっても、人工知能培養体を使っても幾度となくそれは起きている。

 だがこのタイタンは今のところ上手くいっている。木村も含む第16実験室の研究員は、そう思っていた。




 実験を終え、木村はバインダーに貼り付けたチェックシートを眺めながらタイタンと対峙していた。

 粉塵で汚れた頬を袖で拭いて、それからタイタンに語りかける。

「お疲れ様。今日の仕事はこれで終わり」

「…………」

 だが、木村の言葉にタイタンは反応しない。ただ、少しだけメインカメラを下に向け、作業腕をだらりと下げた。

「今日の反省点は、わかる?」

「人が一人亡くなりました。怪我人も二人出ています」

 言いながら、上半身を少しだけ前屈みに畳む。粉塵除けとなるメインカメラのシャッターを閉じかけているのは、今現在は意味がない。

「そうだね。原因は発破を急いだこと。工期に遅れるのはマズいけれど、それ以上に人命も大切だよ」

「……ごめんなさい」

「怒っているわけじゃないから大丈夫。これから対策を考えよう」

 励ますような言葉を木村がかける。それでもタイタンの上半身は直立しなかった。


 実際には人が死んでいるわけではない。死んでいるというのは、実験用のダミー人形に死亡判定が出ただけ、火薬の爆発に巻き込まれて、人形の胸部に強いダメージを負ったというだけだ。

 だが、誰も傷つけず、工期として設定された時間が終わるまでに余裕を持って土中のコンクリートに規定の穴を開けることが出来ていれば。それが達成されていれば、木村に注意されることはなかったのに。そう考えたタイタンの油圧レベルがわずかに低下していた。


「まずは、ボトルネックの解消からだけど。どこで想定以上に時間を使ったと思う?」

「……ボウリングアタッチメントの装着に手間取りました」

 やや小さな音量で、タイタンは答える。その答えに、木村はペンの軸を唇の下に当てて頷いた。

「そうなんだよね。前回は上手くいったんだけど、ハード的な不具合がどこかにあったりするのかな?」

「気のせいかとも思ったので報告しませんでしたが、恐らくアタッチメント接合部のレールに破損が見られます。軽微なもので、修理なしで使用は出来ますが、……」

 タイタンはそこまで言ってから言い淀んだ。そんなわけがないと思って。


 木村や他のスタッフは、誠心誠意自分の教育に取り組んでくれている。

 自分が壊しさえしなければ、アタッチメントやフレームに破損が出るわけがないのだ。

 そして、タイタンのメモリにも破損の記述は残っていない。ならば、それはやはり気のせいだ。


「……どこに?」

 だが、タイタンは驚いた。一転して変化した木村の真剣な顔に。

 もしかして自分は言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。そう一瞬演算して、アタッチメントの接合部を覗く木村の後頭部に言葉を投げかける。

「いえ、やはり私の勘違いかと」

「いや、あったね」

 そのタイタンの言葉を遮り、木村は顔を上げる。指で触れたアタッチメントのレールは、固定の金具を取り外した上で、ペンチのような工具で強く挟んだように歪んでいた。


「ごめん、これは僕のミスだ。次からはアタッチメントの点検を徹底するよ」

「いえ、そんな」

 謝る木村をタイタンは声だけで止める。タイタンにとっても、居心地の悪い空間だった。




 木村は歪んだレールを見て考える。

 これは、タイタンが装着して使用した際に出来たものではない。もっと小さな力で、もっと人為的な……。


 そこまで考えて、顔を歪める。

 まさか。そう思うのに充分だった。


 何故、そんなことまで。


 心当たりのある一等市民の顔を思い浮かべて、木村は後頭部を掻き毟った。

 彼らも同じエデン社の社員なのに。自分への嫌がらせはわかるしもう慣れた。だが、これはどういうことだ。仕事の邪魔をして、何が楽しいというのだろう。実験報告書への『失敗』の記載がそんなに嬉しいのだろうか。

 ここで不利益が出てしまえば、自分たちの不利益にもなるのに。

 良識ある大人として、一度でも自らの所行を振り返ったことがないのだろうか。

 そうした思考を、口に出さないように留めることに精一杯だった。


「木村さん?」

「……ああ、ごめん。本当にごめん」


 木村の失敗を責めずに、ただ心配そうに見つめるタイタン。

 そのタイタンのカメラを見返して、木村はただひたすら謝ることしか出来なかった。




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