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教育哲学




 パタン、とロッカーが閉まる。

 伊織は午後の教育のための資料を更衣室のロッカーに忘れたことに気付き、急ぎ取りに戻ってきていた。社外秘など何もないただの教養の資料は、およそ人工知能の研究者が持っているものとも思えないものだ。だが、必要なもの。伊織はその図鑑のような分厚い参考書を見て、溜め息を吐いた。


 本当にこれでいいのだろうか。

 何の気なしに植物図鑑のページを開きながら伊織は考える。

 ヤマブキの色など、人工知能が知ってどうするのだろう。ひまわりとタンポポを見分けて、何がどう成長したというのだろう。

 これでは、本当にただの教育だ。外注し、教師でも雇った方がまだマシだと思う。プロの教師でなくとも、教育学部を出た者であれば、きっと伊織以上に上手に彼女の教育が出来るだろう。

 力なく図鑑が閉じられる。

 これでは、情報技術や機械技術として学んだ知識のほとんどが役立たずだ。


 堂本だってそうだろう。そう、仕事上の相棒のことを考えて伊織はまた溜め息を吐く。

 堂本も、まがりなりにも機械工学の専門家だ。電気工学や情報工学にも通じ、だからこそこのエデン衛生管理部開発課に配属された。ならば、今のこの仕事は不本意なはずだ。彼や自分のスキルを最大限に活かした仕事が、きっと違う形であるはずなのに。

 

 伊織はそこまで考えて、ロッカーに片手をついて俯く。


 本当にこれでいいのだろうか。

 本当に、ここにいていいのだろうか。今自分は、子供の頃夢見た道をきちんと走っているのだろうか。

 そう自問した。


 


「だ、大丈夫?」

 そんな伊織の様子に、声がかかる。二つ隣のロッカーを使いに来た木村は、伊織の顔を覗き込みながらそう問いかけた。

 その下がり眉に、自らへの心配を見て伊織は背筋を伸ばす。

 そうだ、こんなところで人に心配をかけてはいけない。そう、思い直して。


 木村はそんな伊織の様子に、それが肉体的なものではなく心因性のものだと察した。

 そして、納得する。

 今は新社会人が入社してまだ一月足らず。だが、そろそろ出始めるだろう。

 新社会人にとってありふれた病。理想と現実の狭間で押しつぶされ、精神に失調を来す病。


 いわゆる、五月病の時期だ。


 伊織は吐きかけた弱音を飲み込み、木村と自らに言い聞かせるように言う。

「大丈夫です。ご心配おかけしました」

「そんな、全然だよ」

 何もしていない、気にするな、と木村は言外に含み、それから自らのロッカーを開けようとする。伊織の目に、そのロッカーの鍵の部分が目についた。

「あの、それ……」

「ん? あ、ああ、これ? 気にしなくていいよ」


 二十三世紀のロッカーの鍵は、生体キーをつかった電子鍵が主流だった。

 それは、物理的な鍵よりも便利なことが多い。

 鍵を持ち歩く必要もなく、そしてコピーも本人の許可なくしては難しいという堅牢性がある。指紋を採取し偽造鍵を作ることも出来るが、その他の生体反応がなければ開かない。

 そしてエデン社製の電子鍵にはどんな小さな鍵穴にも機密技術が最低二つ以上含まれている。そんな信頼性の高いエデン社製の電子鍵は、近隣の都市の多くで採用されていた。


 しかし、どんな便利なものにも落とし穴はある。


「……いつものことだからね」

 木村は、一枚の古布を取り出す。そこにまた鞄から取り出したスプレーを吹きかけ、生体認証のセンサー部分を拭き取る。

 その指紋を読み取る検出器であるはずの部分は、べっとりと油性のインクで汚れていた。

「君も気をつけた方がいいよ。目を付けられると、やられるから」

 検出器というのは堅牢であるほど偽装には強くなるが、妨害には弱くなる。油性インクで汚されたそのセンサーでは、木村の指紋を読み取ることは出来ない。

 布が汚れ、カメラ前の黒色ガラスが透き通ったことを確認した木村は、そこに人差し指を当てる。軽い電子音の後、扉が開く音がした。


「目を付けられる、って……」

 伊織は言いよどむ。それでは、その言い方ではまるで……。

「嫌がらせじゃないですか。誰か、上司に報告を」

「したところで無駄だから、君も騒がないで。やってるのは、上の奴だから」

 伊織の言葉を首を振って制し、木村は上を指さす。それは、物理的に上にいる者、という意味ではない。

「一等市民……」

「君は何も見なかった。そうしてくれればいいよ。大丈夫、もう二年以上こうなんだから」

「でも」

「いいから。ね?」

「…………」

 重ねた制止に、伊織の口が閉じられる。諦観が木村の顔からはっきりと感じられた。



 重たくなった空気を変えようと、木村は努めて明るい笑顔を作り、顔を上げた。頬に白い光が当たる。

「そういえば、ロッカー近いのに初めましてだね。僕は木村。君は多分、1717号の開発チームの新人だよね」

「はい。牧原伊織といいます。先輩は……」

「僕はタイタ……1609号の開発チームだよ」

16(せんろっぴゃく)……というと、土木作業用の」

「うん。君らと同じく、エワルドの壁を越えるべく人工知能培養体を使った教育中さ」

 同じ仕事。ただそれだけで、伊織は木村にシンパシーを覚えた。実際に行っていることは、全く違うことだったが。

「君らが羨ましいよ。女性型のガイノイドだろ? 僕らの相手は無骨な建築機械だからね」

「……そちらは、実際に土砂とかを扱うんですよね。大変でしょう?」

「本当に。毎日泥だらけだよ」

 木村は苦笑する。だがその笑顔は、伊織には苦しさとは無縁に見えた。言葉とは正反対に『自分は充実している』と心から言っている気がした。


「でも、研究ナンバーだけでよく部署がわかったね」

「近隣の業務は一応覚えています。15は医療用。18は女性慰安用、でしたか」

 人工知能に割り当てられた番号は、全て意味を持つ。そんな研究室に対応した番号を、伊織は覚えようと努めた。何か意味があると信じて。

「そうそう。僕もうろ覚えなのによくやるね。またどうせ再編されて変わるのに」

「そうなんですか?」

 伊織は眉を上げる。その驚きは、木村にとっても意外なものだった。

「知らなかったの? 前は二文字のアルファベットを使ってたんだ。機密保持のために定期的に変わってるんだよ。前の方がわかりやすかったなぁ……」

 溜め息を吐き、木村が弱音を吐く。その仕草に、伊織は初めて木村の疲れを見た。

「ま、そんな感じで。隣の実験室だし、また会うかもしれないから、その時はよろしく」

「はい、よろしくお願いします」


 ぺこりと二人は頭を下げあう。

 部署は同じでも、所属は違う。会ったところで、何をどうするわけでもないのに。二人ともがそう思ってはいるが、よろしくという挨拶を交わすくらいの社会人としての社交性は、やはり双方ともに持っていた。




 木村と別れて伊織は自分の実験室に急ぐ。

 仲間というわけではないが、話せる人が増えた。それだけで、伊織の足取りは少しだけ軽くなっていた。

 だが問題はまだ残っている。

 それは午前中、1717号と約束した『宿題』のこと。人とガイノイドの同定について、まだ伊織の中には答えがなかった。

 

 そもそも、やはり外見上は双方に違いがないのだ。アンドロイドやガイノイドは、人に見えるように作られることが多い。その上、設計思想からして彼女はまさにその典型だ。

 人と見分けがつかないように作られた。そんな彼女を、人と見分けることが出来るだろうか。


 ならば、表情や仕草などの動作から、といってもやはり難しい。それすらも、違和感なく動くように作られているのだから。

 今現在ならば、話せばわかるかもしれない。特有のルーチンに、事務的な口調。それに、食事として使われてる無線給電のデバイスからも、人間ではないと思える。

 だがそれは、写真や映像からでは映そうとしない限りわからない。 


 イヌとタヌキは見分けられる。イヌとネコならば簡単に。

 カラスとネコはそもそも類からして違うため、異なる要素が多すぎる。


 しかし、人間と彼女はどうやれば。

 そう、伊織は悩んだ。




「……なるほどな。難しい問題だ」

 研究室に戻り、1717号との接見前に伊織が訊ねた先は、上司である大野だった。

 午前は席を外していた彼は、伊織に尋ねられた問題に、端的にそう答えた。

「今現在、教育は君たちに一任している。何と答えても構わない」

「しかし、これは答えること自体が出来ませんので……」

 突き放すような言葉に伊織が食い下がる。研究室の窓から1717号を見つめる大野は、伊織の方を向かなかった。


 1717号の部屋の扉が開く。出てきたのは1717号ではなく、恰幅の広い中年男性だったが。

 ワイシャツの腹の部分をピンと張り、幾条もの皺を強めている彼は、伊織たちを見るなり溜め息を吐いた。

「君が、1717号の教育担当か?」

「……は……」

「はい。牧原伊織、私の部下です。どうかされましたか?」

 答えようとした伊織の言葉を遮りながら、大野はそう答える。大野なりの気遣いだった。

「もう少し真面目にやりたまえ。あれでは、未だに無機質なロボットではないか。こちらからの質問には悩む様子もなく即答し、少し性的な質問をしても未だ理解できていないではないか」

「しかし、1717号はまだ一般常識と概念の教育中です。そこまで求めるのは時期尚早かと」

 男性の言葉に伊織が答える間もなく、大野がつらつらと答えていく。

 その質問に、伊織の胸がざわついたのをこの部屋の誰も察してはいなかったが。


「……そういったものを優先してくれなければ君たちに予算を与える意味がないではないか」

「それは申し訳ありません。しかし、人工知能培養体を使う試みは17シリーズでは初めてなので、歩みの遅さはそれで寛恕していただけないかと」

 わずかに頭を下げながら行われた大野の釈明に、男性は鼻を鳴らす。明らかに納得のいっていない様子で。

 

「それに、先ほどから聞こえていたよ。人とガイノイドの違い? 馬鹿じゃないかね。そんなもの、見ればわかるだろう」

「……失礼ですが、どのように見分けられるとお考えでしょうか」

 堪らず伊織は問いかける。答えがほしい、という切実な理由と、ねちっこい口調が腹に据えかねたという理由が半々だった。

 しかし表に出ているのは、困っているという切実な面。それすらも一瞥し、鼻を鳴らして男性は答えた。

「そんなもの、君たちで考えたまえ。科学者なら、当然のことだろう」

「…………」

 その意味を読み取り、その裏の意味まで読み取り、伊織の頬が引きつる。

 伊織の感情の変化を察した大野は、その表情を見せないように一歩踏み出した。


「大野、勉強会でも開いて科学者の一層のレベルアップを図りたまえ。今のままなら、予算は削らざるを得ないぞ」

「申し訳ありません、早急に企画します」

 大野の頭を見下ろし、そしてまた鼻を鳴らして男性は立ち去る。男性が部屋を出るまで、大野は頭を下げ続けていた。




 扉が閉まり、ようやく大野は頭を上げる。その後ろ姿に、伊織は問いかけた。

「……どなたですか」

 あの男は、と口にしそうになって慌てて伊織はその言葉を止める。大野は、その健気さに微笑んだ。

「北条さん。この研究室を管轄する、上役の一等市民だ。下手に出ておいて損はないから、あの顔を覚えておくといい」

「……はぁ」

 気のない返事に大野は苦笑する。気持ちはわかっていた。


「まあ、あれが技術に無知な一般市民の意見というものだ。我々が日夜、どれだけ努力を重ねているかを知らない。動作の違和感を消し、精密な制御を行うためにどれだけ工夫を重ねているかは読み取らない」

 大野は窓に歩み寄る。そこには、上役が出て行った後ほとんど動作をしていない1717号の姿があった。

「だが、ああいう社内政治に強い者も必要なのだ。あの人がいるから、この研究室に予算が下りてくる。この研究室がたとえ私物化されそうであろうとも、な」

 私物化。その言葉に伊織は顔を曇らせる。仕事への不満がまた一つ積み重なり、肩がズシリと重くなった。



「……それで、人とガイノイドの同定だったな」

 窓枠を人差し指で叩き、大野は表情を固める。考えるときの、この男の癖だった。

「やはりそれは難しい問題だ。私たちが今動物をどうやって見分けているのか? その延長線上で考えると、その罠にはまるだろう」

「違う分け方があると?」

「エワルドの壁がある。プログラム人格である以上、彼女に残った大問題が」


 伊織は首を傾げる。だが、そこまで予期していたように大野は続けた。教授が出来の悪い学生に抗議するように。

「彼女はそのアイデンティティごとコピーできる。そのために起こる問題だろう」

「……ああ、なるほど。それに対して、人間はコピーできない、と」

「そういうことだ。今現在、人間の意識の他デバイスへの移動はまだ実用化されていない。それが可能ということが、彼女と我々の違いだろう」

「ですが、それは今後可能になる可能性もあります」

 伊織は大野の言葉に反論する。まるで、1717号のように。


「だから、難しいと言ったのだ。私にも明確な答えは出せない。今のように、どのような仮説を立てても必ず疑問が出てくるだろう。感情や一般常識をプログラミングされていない、1717号は特に」

 伊織の言葉に、ふと大野の顔に影が差す。実際には、何も変わってはいない無表情のままだ。しかし伊織には、その顔に影が見えた気がした。

 

 黙って1717号の方を向いたまま、大野は謝罪の言葉を口にする。

「悪いな。未だこの研究室にはその質問への公式回答がない。しかし、17シリーズにおける人工知能培養体の教育の先例自体がないため、今のところ君たちは自由にやって構わない。いずれどんな結果になっても責任は取ろう。好きにやるといい」

「……いえ」

 その大野の微笑みに、伊織は首を振る。たった今、何となくわかった気がした。

「先ほどのお言葉で、少しわかった気がします。ありがとうございました」


 そうだ、教育者としてではなく、科学者として返そう。

 そう伊織は、頭の中で回答をまとめる。

 

 先ほどよりは幾分か力強い足取りで踵を返す。ちょうど前室に入ってきた堂本とオペレーターに挨拶をし、1717号の部屋に足を踏み入れた。




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