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ネコとカラス



 何日もかけて、1717号の教育は進んでいた。


「では、黒色のネコはカラスではないのですね」

「そうだね。ネコという時点で、カラスとは言わない。また、黒いものは全てがカラスというわけでもないよ」

「しかし、先ほどの教導では、黒色を選べばカラスでした」

 1717号は無表情で反駁する。その人形らしさに違和感を覚えていたのも、伊織にとっては過去の話だ。

「さっきのは鳥類の集合だったし、他にも判別する手がかりは色々とあったよね」

 伊織は先ほど使ったフリップをもう一度見せて、そこを掌で円を描くように示した。

 


 今は、動物の集合から適切な動物を判別し選び出す授業だ。

 大量の画像を教育画像として読み込ませて訓練させるという技術もあるが、1717号には一つ一つ丁寧に説明しながらの教育を施していた。

 そして、伊織にとっては案の定、1717号はこの類いの判別が苦手だった。


 何故か? それは簡単だ。伊織と堂本が見た記録上、今まで行っていた反応実験は、全て何かの映像を見せてそれに対する反応を記録するというもの、つまり受動的なものばかりだった。

 彼女が能動的に観察し、選び取るなどの動作をする機会は今までなかった。なので、彼女にはそういう能力が育っていないと判断したのだ。

 それは正しく、そして伊織には不可思議なことだった。

 こういった能力であれば、少々古い技術ではあるが、深層学習やそれこそパーセブトロンなどで充分実装できるはずなのに。それをしないという設計思想なのはわかる。けれど、そうであれば代用手段として何か手を打っていてもいいのに。


「では、こちらの黒い四足動物はイヌでしょうか」

「これは……タヌキかな」

 黒ネコの判別に失敗し、今度はタヌキを判別できない。もっとも、細身のイヌと言われれば納得してしまうようなタヌキの写真だったので、その判別は伊織も少し迷うものだったが。

「四足で、尻尾もあり、なおかつ肉食もしくは雑食の特徴である犬歯らしきものが見えます。タヌキと判別したのはどの要素からでしょうか」

「うん……」

 伊織は悩む。どう説明したものだろうか。

 確かに、その条件は当てはまっている。イヌもタヌキも、そう言われてしまえば一緒だった。

「……よりタヌキの類型に近いから、かなぁ……」

「類型。性質などの共通点をまとめたもの。タヌキに関してそんなものがあるんでしょうか」

「うん。えっと……」

 伊織は悩みながらも私物のタブレットを操作する。それから、内蔵された検索エンジンで適当なタヌキのイラストを検索し、そして1717号に示す。

 そこには、デフォルメされたいわゆる『タヌキ』のイラストが、エデンの北にある都市の宣伝をしていた。

「人がタヌキに関して絵を描くとき、大体こんな感じになる。大体は、尻尾は丸く、少し太めで目の周りは黒い。これと、イヌのイラストだと、多分さっきのはタヌキに近いよね」

「質問。尻尾が丸く目の周りが黒いのであれば、パンダと区別が出来ません」

「パンダの場合は、白と黒に限定されているから区別できるよ。逆にタヌキの場合、白いのは遺伝子操作でも受けていない限りほとんどいないからね」

 アルビノといわれる特異個体はいるだろうが。伊織は、その言葉を飲み込んだ。ここで情報を付け足すこともないだろう。

「……了解しました。登録、登録……」


 情報を受け取る度に、『登録』と呟く1717号を見て、伊織は眉を顰める。

 この癖も直させなければならない。人間は、こんな動作はしないだろう。そう思い込んで。

 

 様々な動物を見分ける訓練は続けられた。

 やがて一時間の訓練が終わる。終わり際には、正答率も明らかに上がっているのが誰の目にも見て取れた。


「じゃ、これで午前の訓練は……」

「質問があります」

 訓練が終わり、時間を記録して立ち去ろうとした伊織を1717号が呼び止める。瞬きもせず、伊織を真正面から見つめて口だけ動かす姿に、久しぶりに伊織は不気味さを感じた。

 それでも、笑顔で応える。彼女は何もおかしな行動をとっているわけではないのだから。

「なにかな?」

「私はガイノイドです。牧原研究員は、人間でよろしいのでしょうか」

「……そうだけど……」

 1717号の言葉に伊織は首を傾げる。先ほどまでの、動物の同定作業の続きだろう。そうは思ったが、それでもやはり質問の意図はわからなかった。

「人間、ヒト、ホモサピエンス、全部同じだからどれでもいいけど、俺はそれだよ」

「ガイノイドと人間は、どのような違いがあるのでしょうか」


 またしても、伊織は言葉に詰まった。

 それは明らかな話だ。けれど、やはり今回の実験に関わることで、真摯に答えなければいけない。

「どちらも、同じようなセンサーを持ち、手足の数も同じです。写真などでは、ほとんど見分けがつかないのではありませんか?」

「……そうだね。分解や開創でもしない限り、静止画像で見分けるのは難しいかもしれない」

「見分けるのが難しいのであれば、同じ種なのではありませんか?」

 駄々をこねるような質問。その問いに、伊織は首を横に振った。

「いいや。でも、やっぱり君と俺、ガイノイドと人間は違うものだよ」

「私と牧原研究員の外見上の差異とは。いえ、それはどのように同定するのでしょうか」

 本気で1717号は尋ねている。そう察した伊織は、浮かせた腰をまた椅子に落ち着かせた。

 それを見て、堂本は溜め息をつく。

「……次の予定が押すぞ」

「少しだけ、頼む」


 伊織はオペレーターに目を向ける。オペレーターは、渋い顔で頷いた。

 それを了承ととり、1717号にもう一度向き直った。


「君はガイノイド。アンドロイドの女性型だ。その体は人工部品で、思考や記憶は胸部にある水晶発振の電子回路で行っている。人間ならば、生体部品で形作られていて、思考などは頭部にある脳で行っているはずだ」

「人工部品ならば、一部電脳化や義手や人工関節などを用いている人間もいます。比率の問題でしょうか」

「何パーセントから、というような明確な区別はないけれど、そういうことかな」

「しかしそれは、外見から判別が出来ません」

 それを言われると、伊織も困る。例えばこの時代、使われている筋電義手は精巧に形作られ、手を握ろうとも本物とは区別がつかない。

 それに、1717号も、男性慰安用に作られている以上はその見た目からは一切の機械的なものを排除されていた。こうして目の前で見ても、伊織には生物にしか見えないほど。


 反論に詰まった伊織は、1717号の言葉を半ば無視して続ける。

「そう見えるように作られているからね。でも、君と僕らには決定的な違いがある」

「違いとは」

「君は俺たち人間に作られた。作った者と、作られた者という明確な違いが」

 ここまで言って、伊織は気付く。自分の論理の無理筋に。

 そこに気付くまでの時間は、生体脳よりも電子回路のほうが幾分か早かった。

「それならば、人間も人間が作っています。人工子宮の中で培養することもあります」

「……染色体の数が違うだろう。君は0、人間は46」

「ならば、遺伝子異常を起こし、染色体の数が変化している人間は、人間ではないのでしょうか」

 

 謎が謎を呼ぶ。1717号に悪意はない。ただ単純に疑問が連鎖し発生しているだけで、伊織を困らせようという意図はない。

 彼女は彼女の電子回路内部に生じた矛盾を解消しようとしているだけ。それは伊織にもわかっている。

 けれど、だからこそ伊織には何も言えない。

 これが悪意からであれば、怒って終わらせているだろう。対するのが分別のつく年齢の人間であれば、何を馬鹿な、と流しているだろう。

 

 しかし彼女は純粋無垢。

 本気でわからず、本気でそれを尋ねているのだ。

 しかも仕事である以上、ここで適当なことを言ってはぐらかすことは出来ない。


 そしてそれ以上に、ここで適当な返事を返しては、彼女に対して誠実でない気がして、伊織は何も言えなかった。



 ブザーが鳴る。

 次の予定は、彼女のハードウェアの点検だ。それを行う係員が到着したことを確認したオペレーターが、伊織たちを急かすために鳴らしたものだった。

「次来たから早く出て」

 スピーカー越しのその言葉に、バタバタと堂本が資料を畳む。さすがにこれ以上は長引かせられない。伊織もそう判断し、頷いた。

「ごめん。『人とガイノイドの同定方法』、それは俺の宿題にしておいてほしい」

「宿題。未解決のまま持ち越される問題。……わかりました」

 相変わらずの無表情。けれど、伊織は1717号が唇を尖らせたかのように見えた。本当に、些細な変化だったが。


 大きなガラス窓の外から、次の係員が覗く。それに一度頭を下げて、伊織も荷物を手早くまとめた。

「それじゃあ、またあとで」

「わかりました。午後の実験ですね」

「おい、早く行くぞ」

 堂本が扉に手をかけ呼びかける。それを聞いてようやく、伊織は1717号から視線を切った。

 

 扉を出た二人は、白衣姿の係員とすれ違う。

「すみません」

「いえ」

 右の目元にあるほくろが特徴的な係員は、伊織に一声だけ応えると、目も合わせず入れ違いに1717号の部屋に入っていく。

 重そうな革の鞄が目についた。中に入っているのは、電気的な信号を読み取り音声へと変換する電子聴診器や人工皮膚補修キットなど、1717号のメンテナンス用具だ。

「お疲れ様。午後も頑張ってね」

「お疲れ様っす!」

 オペレーターのねぎらいの言葉に、堂本が元気よく応えた。どんな職場でも、取り合えず大きな声で挨拶をしておけば大抵の場合良い方向に進むものだ。堂本はそう考えていたし、実際に大抵の場合はそうだろう。

 

 伊織は振り返り、窓を覗く。

 1717号が、着ていた服をパサリと脱ぎ捨てる。皺の少ないワイシャツが床へと広がった。係員の女性がそれを拾い、脇に寄せる。

 まずは電子聴診器で異音や電気系統の異常がないかの確認だ。胸に聴診器を当て、耳を澄ます動作は人間相手と何も変わらない。

 伊織はその1717号の上半身裸の後ろ姿を見て、少しだけ、艶めかしいと感じた。そういうふうに設計されているということも心のどこかに置き去って。

 それから、上肢を動かし各関節の可動部分の異常をチェックする。その際1717号と目が合って、ようやく伊織は目を外す。

 何となく感じた恥ずかしさからも、目を背けるように。




「……しかし参ったな、あれ」

 伊織と堂本は、休憩室で共に合成コーヒーのコップを傾ける。堂本のものは私物だったが、伊織は今休憩室にある自動販売機でポイントを消費して購入したものだ。

 この時代のコーヒーは、コーヒー豆などを一切使うことなく全て合成されていた。しかし、人工物とはいえ雑味など全くなく、ただ芳醇な香りと純粋な苦みと豆の甘みが口の中に広がる。仮に二十一世紀に持っていけば、最高級品として扱われるであろう品質のコーヒーだ。

「あれ?」

 堂本は一言だけで問い返す。

 喋り続け、渇いた喉を熱いコーヒーで潤し、それから伊織は続けた。

「ガイノイドと人間の違い。あんなの、哲学とかの問題だろ」

「んなことか」

 伊織の愚痴を、堂本は笑い飛ばす。目の前の同期の男の性質の一端を見抜いた気がした。

 カップ半分ほどまで飲んだコーヒーをつぎ足し、堂本はコーヒーの入っていた水筒をしまう。コーヒーも節約しなければ。未だ新入社員でポイントも碌に持っていない身だ。毎晩のように続けている飲み会でのコネクション作りの資金もバカにはならない。


「お前本当、情報工学系以外はからっきしなのな」

「……否定は出来ないけど」

 確かに堂本の言うとおりだ。伊織は反論できなかった。学生だったときにも、情報系、もしくは電子系以外の科目はけして得意とはいえない有様だったのだ。

 堂本は、ニ、と笑う。

「あれは還元主義の問題だよ。特定の要素だけ抜き出して判別しているから詰まるんだ。人間もガイノイドも、全てのパーツが揃って初めて判別できるってことでいいんじゃねえの」

「……つまり?」

 エワルドの壁について尋ねたときと、逆の構図だった。堂本の説明が伊織には理解できず、さらに噛み砕くように要求する。一時的に築かれる二人の間の師弟関係。それはここ数日でも、立場を入れ替えながら度々行われていた。

「懐中時計もストップウォッチも見た目変わんねえし、ほとんどパーツも一緒だろ。いくつかのパーツだけ見ても区別はつかねえんだよ」

「それがさっきの話だな」

「そ。でも、両者は組み上がったときの動作も名称も違う。じゃあその最終的な区別をどこで付けているかってとこなんだけど……」

 そこで堂本は言葉を止め、一口コーヒーを啜る。伊織は、次の言葉をイヌのように待った。

「わかんね」

「なんだよ」

 しかし、待っていた明確な答えが出ずに伊織は唇を尖らせる。しかし堂本も、悪びれずに補足した。

「だって、イヌはイヌだし、ネコはネコだろ? ガイノイドはガイノイドだし、人間は人間じゃん。むしろ、何で見分けがつかないかわかんねえよ」

「それを見分けがつくようにするのが俺たちの仕事だろうが」

 両手で頭を掻きながら、伊織は苦笑する。そうだ、わからないのが当然なのだ。そんな、自らの心への慰めと安堵を感じて。

 

「むしろ、逆方向から攻めてみるとかどうよ」

「逆方向?」

 合成コーヒーを飲み干し、堂本は笑いながら言う。

「人間もガイノイドも、外見と素材しか違わねえってのが1717号の主張じゃん?」

「ま、質問の形をとってるけどそういうことだよな」

「じゃさ、一緒って考えればいいじゃん。人間は、生体部品を使ったアンドロイドだって」

 伊織も空になった紙コップをくしゃりと丸めて笑う。

「根本的な解決になってないだろ」

「いいんだよ。区別はつかないね、で。そんな感じでついでにフレーム問題も解決しちまえ」

「そうか。これもフレーム問題に入る……か?」


 フレーム問題。人工知能は行動を決定する際、その動作による周囲への影響を動作前に計算する。その起こりうる影響の、どこからどこまでを演算するかの範囲を決定できないという古典的な問題だ。

 一歩歩くごとに、『その床が抜けないか』『天井が落ちてこないか』などといちいち演算してしまえば、予期せぬ事態は無限に存在するために演算は終わらない。ではその範囲を決定するために、可能性の低いものを除外すればいいかというとそうでもない。どの事象が一番可能性が高いかという計算が無限に続くからだ。


 この時代の人工知能でもそれはまだ完全に解決はしてはいない。だが、認識する物体の種類や範囲をプログラム上で制限し狭めて、残った情報のみを高性能集積回路で強引に処理するという力業で解決しているかのようには見せている。

 その事実は伊織や大野にとって、まだ強い人工知能が現れていないという自説の補強にもなっていた。


 そしてその見かけ上の解決は1717号にも搭載されていないと仕様書にはあった。

 なるほど、だから、と伊織は内心少しだけ納得できた気がする。


 もちろん、この問題とフレーム問題の類似点は『要素の範囲を絞ることが出来ていない』という一点だけで、あとは何の関わりもないのだが。


 一瞬だけ納得し、それから、いや、と首を振る。

「全然違うだろうが。なら、生物と非生物で分けるって答えた方がまだわかる」

「今度は生物の定義について聞かれるぞ?」

「…………」

 堂本の反論に伊織は黙る。

 薄々そう思っていたからこそその言説は出さなかったが、やはりそうなるか。


 難しい問題だ。午後の教育までに間に合うだろうか。

 とりあえず、今回の実験レポートを書いて、昼食をとって、その間にまた考えよう。

 そう決めた伊織は、丸めた紙コップをゴミ箱に投げ入れた。




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