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楽しい会話

 



「牧原、出来たか?」

「もうちょい……」

 伊織はキーボードをひたすら叩く。支給された小型パソコンで現在作っているのは、大野へ提出する人工知能培養体の教育に関する稟議書だ。

 教育する項目と、その期日。それにより期待される効果や場合によっては必要な資料まで、事細かに要求されるこの書類。

 それぞれの項目は一行二行で済む。文字数的には、けして多くもないものだ。けれど、その作り方は昨日聞いたばかり。そして、例となる文書もない。そんな不慣れ故に、そして学生時代に使っていた報告書のフォーマットと全く違う形式の書類に、伊織は戸惑い苦労していた。


 それから、苦心の末出来上がった一枚の書類を送信する。今は出社直後、にもかかわらず伊織はそれだけの作業で椅子にもたれ掛かり溜め息をついた。

「俺こういう作業苦手だー……」

「へえ、意外だな」

 自前で持ち込んだ合成コーヒーを啜りながら、堂本は笑う。まだ入社二日目にもかかわらず、既に堂に入った様子だった。

「論文とかならいいんだけどさ。こういう機械的なやつはなんか苦手で……」

「んじゃ、こっからは俺がやるよ。記録係も」

 困った様子の伊織に、堂本はそう申し出た。

 本来二人で交代でやる作業ではある。だが、それも適材適所というものか。そう、深く考えず伊織は頷いた。もう一つの仕事が伊織にとっての適所かどうかはわからないし、そうであるとも本人も思えないのだが。

 これから行われるのは、人工知能培養体への教育。そこに携わる二人には、それぞれ係がある。堂本がやると言ったのは、そのうちの一つだ。

 まず一つ目は、教育係。人工知能培養体へ情報の入出力をする係だ。そしてもう一つの係が、その様子を随時記録しまとめ、報告書を作成する係。すなわち記録係である。

「俺が入力か」

「おう。よろしく」

 簡単な挨拶で、その取り決めが行われる。もはやそういった裁量権は大野を通じて二人に任されていた。

 伊織は知らない。堂本が言う『こっから』というのは、これから専属で、という意味だということを。



 とはいうものの、堂本の役割も重要で、そして確かに適材適所でもある。送信した稟議書に関しての不備や不明点を補足し、付け加えて上司の許可を取る。まだその上司は主に大野だけであるが、これからその範囲が広がっていくことは想像に難くなかった。そういった社会人として必要な対人スキルは、たしかに堂本のほうが適している。


 オペレーターに実験許可状を提出し、扉を開けてもらう。報告書の紙ベースでの保管という慣習は、この時代でもまだ残っていた。

 二人は、人工知能培養体1717号の部屋に足を踏み入れる。

 木目調の床に、木のテーブルと茶色のソファが置かれている。本棚にあるのは研究者が用意した本ではあるが、彼女自身、手を一切付けていないのがその綺麗な表紙から読み取れた。

 高性能な空気清浄機が稼働し、埃などがなくそして匂いなども一切ない部屋。無味無臭の部屋、といえばいいだろうか。

 ここで彼女は生活しているはずだ。なのに、この家具や家電が置かれた部屋に、伊織は一切の生活感を見出すことが出来なかった。


 観察は良いだろう。それよりも、と伊織は一歩踏み出す。自分の仕事はこの人工知能培養体とのコミュニケーションだ。生活環境を整えるのは、別の係がいるはずである。

 第一声のために、咳払いが必要だった。

「ええと、昨日会った牧原だけど、覚えていますか?」

「牧原研究員。個体名牧原伊織。覚えています」

 質問に端的に彼女は答える。その人間味の一切ない無表情にも、伊織は一歩たじろいだ。


 気を取り直し、伊織は彼女に部屋の椅子を指し示す。

「座って下さい。今日の午前の実験時間は三十分。自己紹介の続きと簡単な会話だけです」

「了解しました」

 滑らかな動作で人工知能培養体1717号は座る。まるで工業機械が部品を削り出すように。


 ちらりと伊織は部屋の隅の堂本を見る。それから、ガラス窓の外からそっと覗いている大野に目を向ける。

 助けを求めたわけではない。しかし、心細さにそうしたというのも間違いではなかった。

「今回の会話は、貴方の現在の状況を計るためのものです。リラックスしていいですよ」

「リラックス。緊張を解し、くつろぐこと。私は緊張などしていません」

 鈴を鳴らすような声。その否定は本心からだろう。そう伊織は読み取る。

 しかし、伊織も別に本気で言っているわけではない。適当に選び出した社交辞令に近い慣用表現だ。それを、本気で受け取った。そう解釈した。

「では、貴方のお名前と、簡単な自己紹介をお願いできますか」

 それも、全て資料で知っている。しかし、どういう反応をするか見ておきたかった。

「人工知能培養体1717号。表出性別は女性。身長161.3センチメートル。重量55キログラム。現在搭載されている髪色はバターブロンド。肌は…………」

 それから、人工知能培養体は眉一つ動かさずに滔々とカタログスペックを吐き出していく。表情も声音も一切変えず、なのにたまに瞬きをするのがかえって伊織には不自然に思えた。 

 外見的な仕様を、まるで仕様書を読み上げるように言い終わった1717号は、パタリと口を閉じる。

 明らかに、次の伊織の指示を待っていた。


「では、内面的なものを」

「内面。内側の面。この場合適切なのは心理的な面という意味でしょうか」

「そう。好きなものとかはある?」

 少しばかり砕けた口調は、堂本のアドバイスによるものだ。それも、今まさにされたもの。口の動きだけで伝えられたその指示を見て、オペレーターも声を出さずに笑っていた。

 オペレーターには、質問の意図がわからなかった、というのもあるが。

「好きなものはありません」

 その1717号の返答を聞き、オペレーターの笑いが苦笑になる。その場にいた全員が予測していた答えだった。

 それを今は、深く追及しない。それが、今のところの伊織と堂本の方針だ。

「……では、嫌いなものは?」

「ありません」

 端的に告げられるその言葉。冷たい響きではあるが、冷淡なわけではない。抑揚を付けようという気が1717号にはないのだ。


 笑顔を向けると、多くの人が好印象になるという知識は持っている。そうしたほうが好ましいシチュエーションや、した方がいい立場の者も知っている。けれど、それをしなければいけない意味がわからなかった。

 今は実験中だ。そして、目の前にいるのは研究員。

 誰からも、好かれた方がいいのは知っている。しかし、目の前の研究員には向ける必要がないだろう。そう考えてのことだ。


 そこに、悪意や悪感情はない。それがまた、厄介なのだが。


「今まで、テレビ映像や音楽をいくつも視聴してきたと思うけど」

「はい」

「どんなものを、また見たいと思った?」

「どれも等価値です」

 即座にそう返ってくる。話題をそれ以上広げる気はない。全てに興味がないのだ。

 伊織は頷き、そしてさらに質問を重ねながら手元のノートを開き書き込んでいく。今のところ確認した、1717号の全てを。


 発達状況はまだ未熟。チューリングテストを行っても、まだ合格ラインには達しない。

 そういった状況を書き込んでいく。客観的な記録をとる堂本とは違い、主観的な記録を。


 そうしながら、伊織は思う。

 これは、1717号と話しての印象だ。それを、どうにかして技術者らしい言葉に言い換えただけの。

 コーディングや設計ならば、自分の専門なのでよくわかる。けれど、会話をして、そのプログラムの内面を推し量るこの実験は、果たして自分の専門分野なのだろうか。

 まだ、実験を開始してから十分ほどしか経っていない。初めての仕事で、初めての実験。それなのに、伊織の心には既に戸惑いがあった。



「では次に……」

 動作性の試験に移ろうと、伊織が話題を切り替えようとする。しかし一瞬、誰も気付かないようなわずかな時間だけ、1717号は停止した。

 その場にいる誰も気付かない。1717号を全ての人間が見つめているのに。

 ただ一人、違和感を覚えたのは伊織だった。その1717号の見つめる先にいた、牧原伊織ただ一人が。

 その違和感に、伊織の言葉も止まる。堂本が、それに気付いて片目を見開いた。


 そして、1717号が口を開く。

「牧原研究員の好きなものはなんでしょうか」

「わ……俺の?」

 変わらぬ抑揚のない声だが、確かにその瞳は伊織の両目をしっかりと捉えている。だが、意図が掴めなかった。

 しかし、意図が掴めずとも答えなければならない。せっかくの1717号の反応なのだ。他の誰もがそうは思わなかったが、ここで答えなければ失礼だと伊織は思った。

「好きなもの……、生姜焼き味のマイトキューブかな。本物の豚肉の生姜焼きは食べたことないんだけどね」

「では嫌いなものはなんでしょうか」

 伊織の答えに反応せず、1717号は次の質問を口にする。

 そこでようやく伊織は気がついた。これは、1717号が興味を持ってした質問などではない。

「パソコンがエラーを出したときのビープ音だね。あれは心臓に悪いよ」

「では……」

 伊織は、とりあえず答えて次の質問を待つ。だが、この後の質問も予測できた。


 これは、単なるミラーリングだ。


「牧原研究員は、実験などされているのでしょうか」

「仕事ではこれが最初だよ。……で、次は?」

 面白がるように伊織は尋ねる。しかし伊織の思ったとおり、そこで1717号は言葉に詰まる。口を閉じて、無表情のまま二秒ほど静止した。

 やがて、桜色の唇が開く。

「……質問。こういった場合には、どのように続ければいいのでしょうか」

「それよりも、まずは話題を広げるところから始めたほうがいいかもしれないね。質問を重ねるよりも、ずっと印象はいいと思うよ」


 伊織は確信した。

 まだ、1717号の中では会話術のルーチンが確立していないのだ。

 相手のしてきた質問を、自分からも発する。相手の言動を真似て、それとなく同じ動作をする。それは、ミラーリングとも呼ばれるコミュニケーションの常套手段だ。なので、そこまでは一応コーディングされているのだろう。けれど、それをどのように応用したらいいのかわかっていない。

 例えば伊織が同じ実験を受けている人工知能培養体ならば、同じ質問を繰り返してなんとか会話らしいものをしたのだろう。

 しかし、伊織と1717号では境遇が全く違う。故に、失敗して硬直した。

 それから、その後について質問をしたのは単なる予備行動だろうか。それとも、彼女が実際にそれを知りたいと思ったからだろうか。そこまでは読み取ることが出来なかったが。


「更新。更新。登録。登録」

 1717号が唱えるように呟く。きっと、今ここで学習しているのだろう。なるほど、それが自分の仕事なのだ。

 それを確認し、また伊織は思う。やはり、こういった仕事は技術者の仕事ではない。こういった仕事は、心理カウンセラーや、そういった講師が担当するべき仕事だ。

 自分の仕事ではない。けれど、自分の仕事は今はこれだ。会社から命令され、そして否応なく従事している。


 これが本当に、自分がやりたかった仕事なのだろうか。アンドロイド制作に関わる仕事を選び、ここまできた。なのに、任されている仕事がこれとは。

 まさか、社会人としての仕事はずっとこうなのだろうか。これからずっと、そうやって夢を目の前に堪え忍ばなければいけないのだろうか。

 二日目である。なのに、もう会社に不満を抱いている。それを考え、伊織は誰にも悟られないように笑った。




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