責任
「聞いたよ。壊されたってね」
木村がベッドの上で溜め息をつきながらそう口にする。伊織と堂本には、それが意識的に無感情に口にしているように見えた。
巨大都市エデンの医療技術は世界屈指のものだ。たとえ手足を失おうとも元通り以上に軽快に動く筋電義肢はあるし、時間はかかるが再生させることも出来る。
内臓が潰れようとも、生きてさえいれば人工内臓や外科技術を駆使して命を繋ぐことは出来る。
いずれは死者すら蘇らせることが出来るともいわれている。もちろんそれは、ただの空想とキャッチコピーの暴走だったが。
木村もこのエデンの恩恵を存分に受けていた。
鉄骨に押しつぶされ、下部肋骨や腰椎は全て粉砕し、腸管や肝臓など、下腹部の内臓に深刻な損傷を受けていた彼だったが、一週間も経てばベッドの上で話が出来るようにはなっているほどだ。
鎮痛剤と再生促進剤の点滴が、ゆっくりとチャンバーを滴り落ちた。
伊織と堂本はこの一週間、避難勧告の無視と隔壁設備の勝手な解除の責任をとらされて謹慎処分となっていた。本来ならばもっと重い処置になるはずだが、それだけで済んだのは大野の尽力と堂本の人脈によるものだ。
謹慎が解けた今日。二人は木村を見舞いに医務室を訪ねていた。
タイタンの暴走から一週間後。
タイタンの起こした殺人は、開発中の人工知能の誤作動による事故ということで落ち着いた。
その人工知能は開発中のもので外部に配布されているものはなく、今現在世界中で使用されているエデン社製の人工知能に問題はない。そう速やかに火消しが出来たのは優秀な広報部の成果だろう。
だが、それにより十六実験室での人工知能の開発は一時中断しており、再開時期も未定となっている。
そんな、伊織たちも知っている状況。それを木村の口からもう一度聞いた二人は、沈痛な面持ちで押し黙る。
当の木村はゆっくり休めると口にするが、それすらも二人に対する気遣いだと、痛いほど感じていた。
タイタンの最期。それを見ていた自分が、何かを伝えなければ。そう思ったが、そもそも何を伝えたら良いのかわからない。それでも懸命に伊織は口を開こうとする。
だが、なかなか言葉が出ない。まるで唇が凍り付いたように。
「……あの……」
「ごめんね」
そして必死で絞り出した伊織だったが、木村に機先を制された。
木村は伊織の言葉など聞いていないように、笑った。
「ごめん、僕の友達……いや、開発中の人工知能が、迷惑をかけた」
「いえ、そんな……」
迷惑だなんてとんでもない。むしろ、自分は余計なことをしただけだ。自分が行かずともリリは無傷だったし、堂本にも迷惑をかけた。そう続けたかったが、木村の視線がそれを許していないと感じ伊織は口を噤む。
「人間関係……情動とか、社会的な立場とか、そういうのも教育しておくべきだったんだ。僕の責任だよ」
木村が自嘲するように唇を歪める。そこに至ってもまだ、後悔しているのはタイタンの死に関してで、死んだ一等市民のことでないのは彼に残った意地だった。
タイタンが一等市民を殺した理由を伊織も堂本も知らない。だが伊織は木村に対する一等市民の嫌がらせを知っており、そして今まさに口にされた『社会的な立場』というその木村の一言で、なんとなく察することが出来た気がした。
代わりに、励ますように堂本が口を開く。エワルドの壁に焦点を当てて。
「あれは仕方ないっすよ。次は、そういうことがないものを目指しましょう」
挑発にも聞こえるその言葉の意味を、木村は正しく受け取った。
だけど、と木村は窓の外を見る。窓といっても、ここは表層ではない。精神衛生を保つための風景まで含めたイミテーションだったが。
「いや、僕もう辞めるから。次はないよ」
「え?」
木村の言葉に伊織は驚く。
「仕方ないでしょ。担当している人工知能がエワルドの壁に引っかかって、二人も殺しちゃったんだし。辞めるだけで済んだのは奇跡だよ」
木村の言葉の通りだった。
本来ならば、彼の責任は甚大だ。
担当していた人工知能が人間を殺害した。それも、一等市民を。
刑事罰を受けてもおかしくない事態ではあったが、それがなかったのは殺された一等市民の親の要請だ。木村を厳罰に処して息子たちによる嫌がらせを公にしてほしくないという司法取引のようなものだった。
子供が子供なら、親も親だ、と木村は思う。彼らは子供が死んで悲しむよりも、その事件を期に『可哀想な親』として名を売る方を優先した。そして人工知能開発における顧問的な役職まで得ているのだから。
「それに、やっぱり責任はとらなくちゃ。誰かが罰されなくちゃいけないんだったら、それはやっぱり僕だろう」
「木村さんのせいじゃ……」
「ごめん。これから忙しくなるから、今のうちにきちんと休んでおきたいんだ。帰ってもらっていいかな」
木村は顔を背ける。本当は、怒鳴り散らしてでも一人になりたいのだろう。その泣きそうな顔に、そう察した伊織は力なく頭を下げる。
「失礼、しました」
ならば、邪魔するわけにはいかない。誰にも、一人になりたいときはある。もう話すことはないというふうに返事もしない木村を咎めることもなく、伊織は堂本に目配せする。
堂本も頷いた。沈痛な面持ちで。
それから伊織は部屋を出る。一歩遅れて堂本が出てくるまで、伊織は壁の配管に目を這わせて時間を潰した。
思考が止まらない。
一等市民の嫌がらせで、木村は大怪我を負った。タイタンの暴走は、木村への嫌がらせに対する報復だろう。だからリリも自分も傷つけることなく、彼は去っていった。そういうことなのだろうと背景を察する。
酷い話だ。そう思った。
「わり、待たせたな」
「いや」
部屋を出てきた堂本と並んで歩き出す。その足取りは重い。
どちらともなく溜め息をつく。
伊織は廊下の先を見つめて、堂本に話しかける。自分に言い聞かせるように。
「リリは、失敗しないようにしなくちゃな」
その言葉に堂本は即答できない。エワルドの壁について伊織よりも幾分か考察を進めている彼は、伊織のその態度こそが危ういと、そう思っていた。
しかしそんなことは伝えられない。この熱心な同僚の歩みを止められない。止めたくない。
堂本は両手を後頭部の後ろで組み、天井を向く。
「ああ、そうだな」
それだけ返すのが、精一杯だった。
どうじつ はちじ じわが とうこう されます