お姫様を迎えに
二人は実際に行うのは初めてではあるが、手順は知っている。
壁のスイッチを特定の手順で叩き、本棚を脇に寄せる。
「……せーっのっ!!」
伊織と堂本が力を合わせて本棚を動かそうと引っ張り、押す。非常時に使うものであるため、平常時に不意に使えないようにある程度露出しづらくされている扉が、少しずつその姿を現した。
銀色の扉についた円形のハンドルを回し、ロックを解除する。引き戸を開くようにその扉を開ければ、人が一人ようやく入れるほどのロッカーのような空間が姿を現した。
リリは嚥下用の人工筋肉をわずかに動かし、そこに踏み込む。
くるりと回るのも難しい狭い空間。奥の壁により掛かるように立てば、伊織と真正面に目が合った。
「じゃあ、あとでまた迎えに来るから」
「お願いします」
狭い空間、だが堅牢なシェルター。たとえ核戦争が起きようとも中にいれば戦火からは完全に身を守れることが保証されているその構造は、かつてヨーロッパと呼ばれていた地域にある小さな都市の特許となっている。
壁に取り付けられた無線給電の装置により、リリにとっては食糧などの問題もない。呼吸の必要もない彼らに適しているはずのその小さく堅牢な城は、人工知能培養体用に設計配置されたものだった。
重たい扉を思い切り引っ張り閉ざす。徐々に暗くなっていくシェルター内。
リリはその扉が閉まるまで、暗闇の中から伊織をずっと見つめていた。
リリを格納した二人は頷きあう。あとは自分たちの避難だ。
「私たちは食堂棟へ避難! 急いで!」
オペレーターの声がかかり、二人は走り出す。未だ何が起きたかはわかっていないが、避難コード三番の発令は命に関わる事態だ。それも、災害やパンデミックなどではない。発令される避難コードを決めるのは総合管制塔であるが、その基準は公開されている。それは、事件もしくは犯罪などに当てはまるもの。
たとえば、意思を持った何者かが、破壊活動を行っている。そんな場合だ。
急ぎ逃げる必要がある。二人は支給された掌サイズの携帯端末を確認し、避難ルートを確認する。
そのために伊織の視線が携帯端末を向いたところで、わずかな事件が起きた。
「忘れてた」
その声と同時に、伊織の携帯端末が奪い取られる。その軽やかな手際は、そうした犯罪に手を染めたことがあるのではないかと思うほどだった。
ふざけている場合ではない。伊織はその声の主に文句を言おうと顔を上げるが、視線を向けられた堂本は我関せずの態度でその端末をリリの入ったシェルターに押しつけた。
電子音が鳴る。
その音とともに携帯端末の画面に浮かんだ文字を確認した堂本は、伊織に端末を投げて返した。
抗議の視線を受け流し、堂本は伊織の端末を指さす。
「スマートロックキーは一応お前の端末にセットしといたから」
「今はそんなことしている場合じゃないだろ!?」
伊織の携帯端末に登録されたスマートロックキーは、文字通りリリのシェルターの鍵の役割をしていた。
スマートロックにも様々な機能があるが、主たる機能は登録した端末を扉に接触させれば開くようになるというもの。今回は伊織の携帯端末を扉に接触させれば解錠されるというものだ。
もちろん、そんなものは本来不要だ。通常は壁のスイッチをまた特有の順番で叩いて開けるものだし、それが故障しても扉の両面にある緊急時用のコックのどちらかを引っ張れば開く。
その機能自体は現在のシェルターに基本装備されているものではある。それに、登録自体は今堂本が行ったようにごく短時間で済むが、避難マニュアル上それを行わなければいけないわけではない。
それを堂本もわかっている。わかっていてやっている。
それに対する伊織の抗議も封じる言葉を用意しながら。
「もうやっちまったし。それより、こんなとこで立ち止まってる暇もないだろ?」
その笑い方に伊織はまた違和感を覚えた。食事の参考資料を用意したときと同じ笑み。
だが、たしかに言い争っている暇はない。何が起きているかは知らないが、やはり一刻を争うのだ。
「正規の解除方法忘れたし、お前それで迎えに来てやれよ」
「お前、それか!」
前半部分にだけ反応し、走りながら伊織は負け惜しみのように言葉を吐いた。
端末の避難経路通りに避難場所に到着した伊織たちは、その入り口で溜め息をつく。
混み合う食堂内。椅子は足りず、有志の手で予備のものを並べてもまだ立っている者がほとんどという有様だった。
がやがやとした室内。未だ、多くの人間が避難させられた事情をわかっていなかった。
「うはぁ……」
伊織はその並んだ人の頭の数を見てまた溜め息をつく。これではここで長い間待機するのも難しい。一応机を撤去した上でマットは敷かれているが、足を伸ばして座ることなど到底出来ようもなかった。
「あの辺でいいだろ」
「……ああ」
堂本が指し示した先は、ほんの少し空いた人の隙間。座る人を掻き分けて頭を下げながら、足下の人の足や手を踏まないように大きく足を上げながらそこに移動する。
ようやくそこに落ち着けたと思ったが、そこで振り返った部屋の入り口付近の密度が増している気がしてまた二人はげんなりと肩を落とした。
何もすることがなく、公式の発表がないためただ噂話が不安を煽る中、二人はじっと待っていた。
「……何が起きたのかな?」
「知らね。火事や地震じゃねえ事はたしかだろ」
「最近テロリストなんていたっけか」
「いや……? 俺美人のニュースにしか興味ないし」
世間話程度にそう話しながら、二人は顔を見合わせる。二人だけにわかる冗談。双方ともに、時事には疎いのだ。それをわかっているから、堂本の言葉に二人は鼻で笑い合った。
やがて、チャイムのような音が鳴り響く。それと同時に、上部に取り付けられた大画面の液晶テレビが人の姿を映す。そのコンピューターグラフィックで作られたアナウンサーは、誰しもが見慣れているはずのものだった。
「現在避難されている方々にお知らせします」
その明朗で中性的な声に、続けられていた避難民の囁きが止まる。皆の視線が、液晶画面の一点に集まった。
「現在、エデン西部の実験施設群で、開発中のロボットによる大規模な破壊活動が確認されています。ロボットは西部地上棟での破壊活動の後、地下施設に移動中の模様です。現在確認されている被害者は二名。ロボットの破壊もしくは沈黙が確認され次第、皆さんの避難は解除されます。繰り返します。現在、……」
一連のアナウンスが終わり、また同様の言葉を繰り返すアナウンサーの声を尻目に、皆にまたざわりとどよめきが広がる。
何故自分たちが逃げなければいけなかったのか、その理由を知った驚き。それともう一つ、被害者の一文についてだ。
「げ、二人もかよ……」
堂本も驚きの声を漏らす。何か危険なことが起きている。それを知ってはいても、既に被害者がいると聞けばやはり動揺するものだ。
だが、伊織はまたもう一つの場所に着目した。
「開発中の、ロボット?」
ん、と伊織は首を傾げる。ロボットによる、被害者? それはどういうことだろうか。エデン社で開発中のロボットには全て、変更不能のプログラム基幹部にロボット三原則がプログラミングされているはずだ。
ロボット三原則は、二十世紀に一人のSF作家により提唱された三原則だ。
一つ。ロボットは人間を傷つけてはいけない。
二つ。第一項に反しない限り、ロボットは人間の命令に従わなければならない。
三つ。第一項と第二項に反しない限り、ロボットは自らを守らなければならない。
そのプログラムがある以上、ロボットやアンドロイド、ガイノイドなどは人間の命令に逆らえないはずだ。止まれという命令を認識すれば止まるし、命令されても意図的に人間を傷つけることは出来ない。
しかし、現実に二人死んでいると聞く。
ならば、破壊工作が目的だろうか? そう推測する。
破壊工作の最中に、偶然二人が事故に巻き込まれた。そうであれば原則には抵触せず、そのロボットのプログラムには矛盾をきたさない。
だがそれならば、そうであれば、その破壊工作はどんな理由で?
「牧原?」
「何でだろうな……」
誰に答えを求めたわけでもないが、伊織は呟く。暴走ロボット鎮圧のために警備ロボと武装兵が向かったというニュースを聞いて、安堵しながら。
ふと、伊織の背中に誰かがぶつかる。
「あ、すみません」
振り返った伊織に頭を下げるのは、顔も知らない女子社員だった。様子を見れば、ただよろけて伊織の背中に膝が当たってしまったのだろう。
「いえ」
伊織も理解し会釈を返す。この狭い中に人が密集しているのだ。そうなっても当然だし、怒る方がおかしいだろうと、そう思った。
しかし、と周囲を見渡し伊織は不快感を改めて覚えた。
本来、社会的な付き合いの中で人に必要な心理的パーソナルスペースは狭い者でも一メートルはある。知らない個体とそれ以上に近づくのは甚だ不快感を覚えるものであり、今周囲を確認してしまった伊織はそれをまた強く感じた。
だが、と伊織は思い直す。
そういえば、それ以上に強いストレスを覚えていそうな存在がいたはずなのに。
今更ながらに伊織は思う。リリの、あのシェルターの狭さについて。
「リリ、大丈夫かな。あの狭い中で」
不安を紛らわせようと、堂本に尋ねるように言う。世間話程度だと本人は思っていたが、堂本はその表情にそれ以上のものを読み取った。
しかしそれに言及はしない。本人が気付くまで。
「大丈夫だろ。ガイノイドだし、人間とは基準が違うし」
「まあ、かな」
伊織はその言葉に頷く。そう納得したかった。
けれど自覚しつつもあった。あの、人間を入れるのには過酷な環境について。
手を前方に伸ばすことも出来ない狭さに、内部に電灯もない暗闇。外部の音も鈍くなり、現状を確認も出来ない。
人工知能培養体用に設計されたため、本来人間に必要ないくつもの要素をオミットしてしまった造り。その不完全さを思い返し、伊織はどこか危機感を覚えた。
そしてその膨れかけた危機感に更に拍車がかかる出来事が起こる。
伊織の携帯端末がアラームを鳴らす。聞き慣れないアラームに、ポケットから携帯端末を取り出しつつ伊織は眉を顰めた。
そして、画面を見つめた伊織の表情が凍り付く。一瞬で、最悪の事態を想像して。
「どうした?」
「まずい」
怪訝に思い尋ねた堂本に、伊織は詳細を明かさず画面を向ける。その画面の文章に、堂本の表情も硬くなった。
『シェルター外壁に強い衝撃あり』
スマートロックに登録された端末に届く警告文章。その文章は、どう見ても穏やかなものではなかった。そういえば、暴走したロボットは地下実験棟に向かっていると先ほどニュースで言っていた。
伊織は立ち上がる。力強く、だが顔は怯えが見える。
「……いかなきゃ」
「おま、馬鹿!」
小声で堂本はそれを制する。手を引き座らせようとするが、それに抵抗する強い力を感じた。
「お前が行ってどうするんだよ!? 相手は二人も死なせてるロボットだぞ!?」
「……携帯端末からハックをかける。破壊は出来なくても、動作を一時止めるくらいなら……」
「それが出来ない形式だったら?」
「どうにかして注意を引いて、リリを連れ出す。それくらいは出来るだろ」
「馬鹿なこというなって。間違って助けに行ったお前がやられたら、本末転倒じゃねえか」
「リリを見捨てろってのかよ!?」
実際は彼らはそこで何が起きているかは知らない。けれど、そこで何が起きようとしているのかはわかっていた。シェルターに強い衝撃が与えられたのはたしかなのだ。シェルターは簡単に壊れる素材でもないが、それでも中のリリは別だ。
また伊織の携帯端末に警告が届く。不気味なほどに同じ文章だった。
繰り返される衝撃。明らかに、何者かがシェルターを破壊しようとしている。それを見て、伊織が奥歯を噛みしめた。
「それに、お前、今廊下にいくつもシャッター下りてんだぞ。どうやって通るってんだよ」
「それもハックする。多分、何とかなる」
伊織はすぐにその案を出す。実際にはそれほど簡単なものではない。エデン社で使われているファイヤーウォールは強固で、高度な人工知能でもない限り、専用のハッキングソフトを今から組むのは難しい。
しかし、自宅のパソコンに入っているソフトをダウンロードし組み合わせれば、目の前の電子回路を誤認させる程度ならば数分でそれは可能だ。大学で高度な情報技術とネットワーク技術を修めている彼は、それが出来る自信があった。
いや、そうしなければいけないと思った。
何せ、人の命がかかっているのだから。
「それに、……そうだよ。あんな暗くて狭い場所に、リリを閉じ込めておいていいわけないだろ」
「まあ、それは、な」
堂本もたしかにそれはそう思う。この状況にならなければ、問題ないと看過したけれど。
「じゃあ、まず大野さんに連絡して……」
「それじゃ間に合わない!」
伊織の大きな小声。抑えてはいるが、周囲に漏れるのは時間の問題だろう。堂本は少しばかり焦り、そしてふと笑った。
可笑しかったわけはない。目の前の必死になっている同僚が、一瞬科学者に見えなかったからだ。
案外、自覚も早いかもしれない。堂本は伊織の内心の評価を修正した。
「……わかったよ。じゃあ、警備と大野さんには俺から連絡しておく。事後みたいになるけど」
「悪いな、ありがとう」
堂本の説得は出来た。ならば、あとはリリのもとへ向かうだけだ。そうだ、走りながらでも思考は出来る。ロボットの形式ごとに対応できるよう、いくつかのプログラムの仮パターンを頭の中で組み上げながらにしよう。まずは扉からだが。
「あと、俺も行く」
部屋を出ようと足を踏み出す伊織を呼び止めるように、堂本も立ち上がる。その言葉に伊織は目を丸くした。
「早く、行くぞ」
「……お、おう」
元々混雑している室内だ。誰も二人の行動を気にも留めない。二人は苦労しながらも、廊下へと転がり出る。それからそろりと足跡を忍ばせながら走り出した。
背後に誰もいないことを確認しながら、監視カメラのなく距離も短い経路を整理する。二人ともが、声をかけずともそれくらいは出来た。
「俺が壁の配線を組み替えて扉のロックを解除する。お前がハックするより大分速いし確実だろ?」
「……本当に、悪いな。バレたら俺のせいにしていいからさ」
走りながら、二人とも笑顔を浮かべる。既に二ヶ月以上一緒に過ごした仲ではあるが、初めてだろう。双方ともに、相手が信頼できると思えたのは。
そして伊織の言葉を堂本は笑い飛ばす。
「足りねえな」
「えぇ……?」
非難がましい目つきを伊織は堂本に向けた。堂本はその目に、更に笑顔で返したが。
「あとでラーメン奢れよ! 煮卵付きでな!!」
「……仕方ねえな! チャーシューもつけてやるよ!!」
走る手足に力が入る。
避難命令違反のことも忘れ、伊織は体が幾分か軽くなった気がした。