綻び
その『事故』は、伊織たちがリリと小説を読み進めているうちに着実に進んでいた。
「よーし、ストップ、そこ下ろしてー!」
木村が叫ぶ。今日のタイタンへの教育は、足場の悪い作業場での鉄骨の組み立てだ。
人工知能による自動建築が求められている現場を模した作業。幾度となく行ってきてはいるが、やはり不安はゼロにはならない。当然だろう。予期せぬ事態は、文字通り予期できないのだ。
「人影なし。落下時に衝突する恐れのある機材なし」
事前に組まれた足場に駆動脚を絡みつかせ、自分よりも重たい鉄骨をタイタンは持ち上げる。何かを動かす度に周囲に聞こえるように行う確認動作は、開発初期の小さな声とは大きく違っていた。
不安は残る。だが、もう心配はないだろう。
高所によじ登り作業を続けるタイタンを見上げながら、木村は小さく頷く。
タイタンは成長した。既に簡単な工事であれば単独で人の手を介さず行えるようにはなっているだろう。
ぐらつく足場から転げ落ちそうになるのを、別の足場に咄嗟に体を固定することにより回避する。その足場に念のために手早く番線を巻き付けて補強する様を見れば、緊急時の動作も申し分ない。
自律思考も今のところ問題ない。
窓の向こうの研究員に目を向ければ、ただ頷きで返される。今の咄嗟の動作でも、誤作動などを起こした兆候が見られなかったということだ。
発振回路の波形も乱れず、思考も順調。もはやタイタンにとっては普通のことではあるが、普通のことであるからこそ、木村はそれを喜んでいた。
もしかすると、これは強い人工知能の完成といってもいいのではないだろうか。もしかすれば、これはエワルドの壁を突破したといってもいいのではないだろうか。
そんな期待が木村の胸に湧き起こる。
何の問題もなく組まれていく鉄骨。
強固なワイヤーとボルトで固定され、随時溶接まで成されていく姿は頼もしいものだ。
恐らくタイタンと同型機があと九台もいれば、一年で世界有数の巨大都市を造ることも夢ではないだろう。そんな試算が組まれていた。
実際には、そんなことは絵空事に近い。
建築に関しては間違いはないだろう。しかし前述の試算は、建築物の設計や資材の運搬や調達、それらを考えなければの話だ。
だがそれでも、もはや夢に手が届きつつある。
エデン社で初めて、エワルドの壁を突破した人工知能が作れるのではないかという高揚感。友達が、初めてエワルドの壁を突破した存在になるのではないかという期待感。
そんな幸福な感情が木村の脳内で増幅される。
その多幸感に木村の判断能力が鈍っていたことを、誰が責められよう。
「木村さん!!」
タイタンが叫ぶ。しかし、木村の判断は一瞬遅れた。
見上げる位置にいたタイタンとの間に影が出来る。電灯を遮るように、視界の中に黒く太い線が浮かび上がった。
「……っ!!」
命の危機に瀕した際、人間の処理能力は大幅に向上するという。タキサイキア現象と呼ばれる、時間がゆっくりと流れるような感覚の中、タイタンのメインカメラと空気中の砂埃と、そして自らに向けて落下してくる鉄骨を、木村はどこか人ごとのように見つめていた。
タイタンは、そのメインカメラでしっかりと見つめていた。
今日のために事前に組まれていた鉄骨を固定していた溶接が、剥がれていく様を。ボルトが外れ、そして二メートルほどの長さの鉄骨が、ぐらりと揺れて地面に落ちていくのを。
そしてその鉄骨が、十メートルほど下にいた、木村に、激突するのを。
悲鳴というものをタイタンは知らない。だが、何故かは彼にもわからなかったが、タイタンは割れた電子音に近い甲高い音声を大音量で鳴らした。
「――――!!」
どうして、どうして、とタイタンに搭載された高性能電子回路が演算を始める。どこで自分は間違えた。いや、それよりも、あの木村さんは大丈夫だろうか。
ゆっくりと降りていく。足場をこれ以上崩さないように、丁寧に。
きっと、木村さんは大丈夫だろう。原型を留めているし、死亡判定するアラームも鳴っていない。だから、と何度もそう判定する。
仰向けに倒れ、両大腿部に跨がるように鉄骨が乗った状態の木村。
そうだ、多少のオイル漏れは見られるけれど、きっと大丈夫だ。そう、願っていた。
「医療班を要請しろ! 急げ!」
「しっかりしろ! おい!!」
木村の元に集う人間たちが、そう叫んでいるのを聞きながら、タイタンは着地する。
揺れた地面に鉄骨も揺れたが、それを見て何人かが舌打ちをした。
「おい! 1609号!」
「……」
タイタンが木村の元にゆっくりと近寄る。誰が呼びかけても何も反応はない。だが、それはダミー人形と同じだ。木村さんもきっと……。
「1609号!!」
軽い衝撃がタイタンの脚部の振動センサーに伝わり、タイタンはその振動の出所にサブカメラを向けた。誰かが自分を叩いたのだ。そう感じて。
「この鉄骨をどけてくれ! お前なら出来るだろ!!」
研究員の言葉に、ああ、とタイタンはメインカメラのシャッターを一度開閉する。そういえば、自分の機体番号はそれだった。ずっと呼ばれていたタイタンという名前、木村以外は呼ばなかったか。
しかし、彼らは何を慌てているのだろう。ダミー人形のメインフレームはそんなに弱くはないはずなのに。
そうしてもう一度、木村の顔に目を向ける。力なくメインカメラを閉じ、多目的栄養補給口からオイルを漏らしている彼は……。
「…………!!」
タイタンの油圧ポンプが、速やかに駆動を開始した。もとより、建築の動作中に鉄骨を持ち上げるなどは日常茶飯事だ。そのために彼はいる。簡単なことだ。
二本の腕で鉄骨を支え、そして誰もいないところに向けて投げる。
鉄骨を投げるなど、普段は絶対にしてはいけないことだ。コントロールを失った重量物を作り出すことは、厳に禁じられていたはずなのに。
「おし! とりあえず廊下まで運ぶぞ! 誰か担架持ってこい!!」
人間たちの手で、速やかに運搬されていく木村。
それを見ていて、タイタンの冷却装置に原因不明の動作不良が生じる。電子回路の一部が、熱で焼き切れたのを感じた。
何故事件は起きたのだろうか。
タイタンの電子回路が演算を始める。
どうして木村は事故に遭ったのか。そんな終着点から、川を上流へと辿っていくように。
事故に遭ったのは、鉄骨が落下したから。では、鉄骨が落下したのは何故だろう? 溶接が剥がれたのをタイタンは確認していた。ならば、その溶接が不十分だった? いいや、メモリ上の映像を確認しても、その様子はない。足場自体も彼が組んだのだ。
先ほど放り投げた鉄骨に歩み寄る。
何かヒントがないだろうか。そう思って。
そして持ち上げ検分する。いくつものカメラが鉄骨へと視線を向け、嘗め回すように観察した。
その形、その素材の変化、傷、通常行っている検査項目と同様に、じっくりと。
やがて、タイタンのカメラが剥がれた溶接部分に向いた。
その溶接部分の、そのタイタンが行った覚えのない溶接の跡を認識した瞬間、背部の油圧ジャッキが誤作動を起こし軋みをあげた。
この溶接跡は、自分がやったものではない。
いや、溶接自体は自らが行ったものだろう。けれど。
もう一度、タイタンは鉄骨を地面に叩きつける。踏み固められた土に刺さるように、鉄骨は自立した。
けれど! これは明らかにこじ開けるようにして剥がされている!
ひしゃげた鉄から読み取れる、ハンマーなどで作った隙間を高性能ジャッキを使いこじ開けたという形跡が、タイタンのカメラにははっきりと映っていた。
人為的なもの。それを確認したタイタンが、今度は低い電子音を大音量で発した。
研究員たちが耳を塞ぐ。それが慟哭と激怒の音声だと理解した者はいなかった。
人為的な機材の損壊。同じ事態をタイタンは知っている。ボウリングアタッチメントの接合レールの破損。その他もタイタン自身気付かない程度にいくつもあるだろう。そう考えた。
「あああああ!!」
この実験室で、機材を破損させる者が何人もいるとは思えない。研究員や木村は絶対にそんなことはしない。ならば、誰が?
誰がこんな酷いことを!!
無我夢中でタイタンは壁に走り寄る。前室との間の壁を突き破り、コンソールを探した。本能的に探したのは、この研究室のネットワークに繋がっている端末だ。
そして目的の制御端末を探し出したタイタンは、その作業腕の器用さを存分に使い自らのスピーカーを破壊し配線を取り出した。
もはや声は出せない。けれど、声なき声はずっと叫び続けていた。
配線を乱暴に接続し、ネットワークへの侵入を試みる。
エデン社で使われている電子機器のOSはほぼ全てが統一されており、タイタンも例外ではない。故にネットワークへの接続は、スピーカーの回路を介してのものであっても強引に行うことが出来た。
そして、タイタンは世界最高級の集積回路やメモリが積まれた人工知能培養体だ。その性能は研究用の端末にも勝り、そしてその回路を制御するのはこのエデン社謹製の人工知能。
人間が作ったファイアーウォールやアンチウイルスソフトなど、いとも簡単に突破した。
人間は電子回路の中を覗くことは出来ない。そして、タイタンの膂力は人間を遙かに上回る。
そんな戸惑いと恐れ。人間たちはタイタンに命令することも忘れ、それを呆然と見ていた。
(ここじゃない! もっと前の! 位置はこっちから……)
探しているデータは、この研究室の監視カメラの映像。前回自分が鉄骨を組んでから、今日までの映像データだった。
人間には識別できない早さで、タイタンはメモリ内にダウンロードした映像を確認していく。
時間にして十秒ほど。そして、見つけた。
一度消されてしまった不自然なデータ。それを復元し見れば、二人の見慣れない男たちが、笑いながら鉄骨に細工を施していた。
(見つけた!!)
自らに搭載された顔認証プログラムに手を加えてデータを作成、他の監視カメラの映像から足取りを確認、身元を割り出していく。
エデン社の社員データベースからダウンロードした男たちのプロフィールをメモリに焼き付け、そして現在の位置も特定する。
そこまで終えたタイタンは、乱暴に配線を引き抜く。
もはや各関節の油圧ポンプは正常に動作しておらず、力の加減が出来ていなかった。
「おい! 1609号!?」
研究員が叫ぶが、もはやタイタンのマイクにはその声は拾われない。
乱暴に前室の扉をひしゃげさせ、自らよりも小さいその隙間に器用に体を滑り込ませる。こんなもの、鉱脈の採掘訓練で何度もやった!
電子機器をなぎ倒しながら廊下へと飛び出す。
緊急動作した隔壁ももはや用を為さず、タイタンの前にはただ布の膜が張ってあるようなものだった。
駆動脚が力強く踏み出される。
自らのハードウェアに生じている不具合の正体をタイタンは知らない。
だが、本能的に理解はしていた。その不具合はきっと男たちの行為によって引き起こされていて、そしてその男たちをどうにかすれば収まるものなのだろう。
どうすればいいのかもわからない。
けれど、その握りしめた拳を壁に叩きつけた際に出来たクレーターに、何となくわかった気になれた気がした。