あこがれ
初日は七時,十二時,十八時の三話投稿。
それ以降は、最終日以外は午前七時に一日一話予約投稿してあります。
「ほお、ほぉおお!」
興奮した子供がガラスに張り付く。掌や顔の肉を全て押しつぶさんばかりに、食い入るように見つめている先は、一体のロボットが飾ってあった。
何の変哲もない人型ロボットだ。シリコン製の人工皮膚で覆われた無機質な肌に、内部の筋肉を再現していないため無表情な顔。手足も人工皮膚で覆われてはいるものの、球体関節の形が実際の人体と異なるため、どこか違和感がある。
内蔵された人工知能により簡単な受け答えを行い、それに伴い唇を動かし笑顔を作る。だが、その動作の端々に、人間ではないということがありありと現れていた。
その展示を見に来た大人たちは一応の感嘆の息を吐くも、やはり落胆は否めない。
最先端のテクノロジーを使い、女性アナウンサーを再現したと聞いた。だが、この程度か。
やはりまだ、人間の再現は不可能なのだ。皆そう思った。
そのガラスから、輝く瞳で目の前の女性を見つめ続ける男の子を除けば。
男の子の名前は牧原伊織。今年十一歳になる少年だ。
運動も勉強もそこそこ。趣味もこれといってない。
だが、この瞬間、憧れが出来た。
理由があったわけではない。ただ、瞳に映るのはガラスの向こう側にいる女性。今はまだ到底人間には見えないその存在に、可能性を感じた。
作ってみたい。自分も、ロボットを作りたい。いや、もっと精巧な、ロボットではなく、アンドロイドを作りたいと、そのとき初めて彼はそう思った。
もっとも、それはまだ遠い未来の話だ。
今の彼には技術も知識もなく、そして肝心の資金もない。
夢がなくては何も出来ない。
だが、夢だけでも何も出来ない。
彼にはまだ、力不足なのだ。
父親の運転する車の中で、彼はずっと喋り続ける。
一人興奮冷めやらぬ中、父に母に、いつか自分はロボットを開発するのだと。市民となってアンドロイドの開発に携わるのだと、そう訴え続けた。
子供の言葉である。両親も、明日明後日にはその夢も立ち消え、違う夢を追うようになるのだろうと考えていた。
その伊織の決心の固さを知らなかったのである。
彼はその後、社立の中学に入学、それなりの成績を修めて同じく社立の高校、大学と順調に進むことになる。
うららかな春の日。
エデン社の入社式会場。数千人の新入社員が並ぶ中。
牧原伊織の姿もそこにあった。
その目はあの日ロボットを見たその目と寸分も変わらず、ただきらきらと輝いていた。
二十二世紀の地球。
二十一世紀に起きた世界大戦の結果、世界は二十世紀までのものとは大きく様変わりしていた。
それまで人々のアイデンティティの一部であった国家。それは争いの種となるということで解体され、今は企業がその役を担っている。
概ね人口五百万の都市が世界の各地に立ち、その都市の頂点に一つの企業が座す。
各企業はそれぞれ業態が異なるが、その本社の社員を一等市民、子会社の社員を二等市民と呼ぶ会社が多い。
企業からあぶれた者はどの都市でも一律で市外民と呼ばれ、人権や自由などを極度に制限された状態で管理されていた。
牧原伊織の父親は二等市民だった。
二等市民の生活は二十世紀とあまり変わりはない。変わったことといえば、社員である間は都市外に出ることは許されず、そして一等市民との間の婚姻が許されない。その程度だ。
市民の等級は、その世帯の一番高い者に統一される。
故に、仮に市外民が二等市民と婚姻すれば二等市民扱いとなるし、その子供も二等市民となる。
教育を受けていない者は、成人である二十歳。もしくは教育を修了したところで世帯からは外され、一度審査を受けることになる。
各都市は戦争で荒れた土地を開拓しつつ拡大しているものの、それでも受け入れられる人口には限りがある。全員が、そのままというわけにはいかないのだ。
各都市、各企業に向けた就職活動。一年以内に就職することが出来ればよし。その就職先により、その都市の一等市民または二等市民へと再登録される。
しかし、どこにも行き先がなくあぶれてしまったら。その時は、市外民だ。
都市はみな、巨大都市ともいうべき特徴を備えている。
このエデン社は、ある種ノスタルジーすら覚えるその古典的な形だ。
天を衝くアーチに組み込まれた防衛機構に守られ、道路の各地に配置された空気清浄機で正常な空気を吸うことが出来る。
地上千メートルを超える塔が乱立し、そこを縦横無尽に繋ぐ橋。二十一世紀に完成したといわれるサグラダファミリアよりももっと複雑で、もっと大きな一つの群。
夜の灯りは消えることなく、塔の上層に上がれば街に夜空を見ることが出来る。その灯りと汚れた大気のせいで、本物の星空を見ることなど出来はしないが。
強磁性体が組み込まれた薄い道路が、ケーキに飴掛けするようにその都市を囲む。車に組み込まれた電磁石の力で、傾斜を無視して走ることが出来るのだ。
そして道路端に並ぶのは、企業が作った製品を並べる商店。
もっとも、そこにあるのはディスプレイで、実際に買うのは現地に行かなくてもよい。
電子パネルでほしい家電を選べば、平均十二分で家へと配送される。決裁は全て報酬からの天引きで、社員証をかざせば一秒未満で終わるのが常だ。現金を持ち歩く市民は、一人として存在しなかった。
全ての企業は、力を入れているところに差はあるものの基本的には複合企業だ。
家電を造り、文房具を造り、食糧を造り、重機を造る。
勉強を教え、リラクゼーションのマッサージを施し、一等市民に限られた贅沢ともいえる手料理を振る舞うというサービスまで。
その全てを、市民なら誰でも、企業からのポイントの許す限り手に入れることが出来た。
快適な街。全てがある街。
しかし市外民は、そんな巨大都市を出て荒野ともいうべき地上に降りなければいけない。
もちろん、住みづらいというわけではない。二十一世紀の古い民にとっては。
二階建てや平屋の一戸建てが並び、夜には灯りもともる。
巨大都市の治安にも影響するということで巨大都市からは警備員が出張し、警邏している。
出回る食品や商品は巨大都市の廃棄品や型落ち品ということでそれなりに安価で、市外民へアウトソーシングされた労働で支払われる安い賃金でも生活することは出来た。
巨大都市からあまりにも離れてしまえば、トタン屋根に穴だらけの壁という貧相なバラックが並ぶようなエリアもあるが、それでも、生活は出来た。
市外民ならば、その生活も普通のことだ。甘受することが出来るだろう。
しかし、市民として生まれ育った者にはそれは耐えられない。
何故、建物間を移動するのに歩かなければならないのか。
何故、食物を自分で調理しなければいけないのか。
何故、季節や時間により服を替えなければならないのか。
そういった日々の煩わしさと劣悪な環境に落とされることは、彼らにとっての死刑宣告に等しかった。
牧原伊織の話に戻る。
「諸君はこれより栄えある市民としてー、より一層の企業への忠誠を誓いー」
太った壮年の男性が、空調の効いたドームの中央で新入社員たちに語りかけている。彼は栄えある一等市民であり、エデン社の重役でもある。
古い民でいうところの、国会議員に相当する要人である。
ドームの観客席は三層に分かれており、その座っている者の差を如実に表していた。
重役から離れた二階席三階席に大部分の社員が座り、遠巻きに重役を見ている。彼らは二等市民。中央を見つめるその姿に、いつか自分もそこに行きたいという憧れと、立場が上の者への嫌悪感と諦観があった。
対して、一階席。主に重役が語りかけているその席にはドーム内の六分の一ほどしか座っていない。そこは一等市民の席。身なりもよく、明らかな上流の雰囲気が漂う。
当然だろう。
市民階級は子供へは引き継がれない。しかし、その子供への教育には雲泥の差があるのだ。教育ばかりではない。親のコネや、賄賂。そういったものも横行している中、やはり一等市民の親は一等市民、という構造が出来上がっていた。
彼らは貴族。上流階級。
国家を否定し、階級も貧富の差も髪の色も目の色も、何もかもをかき混ぜたはずの社会。
しかしその社会の上澄みは、確かにそこに固定されていた。
牧原伊織は二等市民の出である。
親は微生物を使い合成肉を作る業者の平社員であり、困窮はした覚えがなかったが裕福とも言い難かった。
そして案の定、彼は二等市民の身分を勝ち取っていた。
優秀でなかったわけではない。ロボット工学を志し、励んだ勉学に偽りはない。
しかし、やはり縁というものがあるのだ。
方々の都市を回り、頭を下げて就職活動に励む日々。
まず回ったのは、機械工学に力を入れている都市。伊織の生まれ育った都市の近くにもそういった場所はいくつもあったが、どれも成果は芳しくなかった。
当然だろう。そこでロボット開発に携わるためには本社、つまり一等市民の座を勝ち取る必要があるのだ。その座を求める道は、厳しく険しい。かといってそれ以外に興味のなかった伊織は、二等市民に甘んじることは出来なかった。
ならば、と回った先は今度は機械工業に関係のない場所だった。
しかし、それも間違いだった。
地底深くに埋められた地底都市は鉱石加工に力を入れていた。湖に浮かぶ水上都市は、高級品の魚の輸出が主な産業だった。
基本的な開発はどの都市でも行われている。しかしそれらの都市は、高度な機械の多くを他都市から輸入して賄っており、自社での研究はしていないのだ。
故に、そこでの就職は無意味と悟り、伊織は自らそこの競争から降りた。
そんな両極端を経験し、そして伊織が辿り着いた都市が現在入社式を行っているエデン社である。
エデン社は大戦前は製薬会社として活動しており、そして大戦中はその技術を生かして兵達の治療に協力していた。
そしてその経験を生かし、現在力を入れている事業は生命工学。細胞を活性化し傷を癒やし、培養した人工臓器で病を取り除く。そんな会社だ。
そんな技術を持っているからこそ、この都市には医療施設が多く作られ、そして他都市からも多くの患者が集まってくる。
もっとも、前述の都市の入出場規制により、そんな最新技術を享受できるのは一等市民の特権だったが。
このエデン社の東の端にある小さな部署が、伊織の就職先だ。
エデン社衛生研究部。
そこでは、数々のロボットやアンドロイドが研究されている。
重役の退屈な挨拶など、伊織の耳に入っていない。入ったとしても右から左へ抜けていく。
年度目標や新生活の注意事項などどうでもいい。
エデン社の業績が華々しいのはわかる。他都市登録のまま一時移住してくる者を含めた人口の成長率は、北半球でもトップクラスだ。
だが、そんなことは伊織はどうでもいい。
まるで夢に夢中になる子供のように、彼は夢想する。
ようやく、夢が叶うのだ。
夢が、叶いつつあるのだ。
入社式も終わり、同期の顔合わせも済み、入社までの短い休み。
社会人となるまでの、数日の猶予期間。
そこで、なにも感じない者は少ない。
慣れぬ環境に飛び込むのだ。不安になる者もいるだろう。
失敗し、解雇されれば市外民からのやり直し。そんな未来を想像し、その先の備えを考えておく者もいる。
新しい生活が楽しみな者もいる。
間違いなく、伊織はこのタイプだ。布団を頭まで被り、眠れぬ夜を過ごした。不安からではない。期待からだ。
会社から渡された千ページ以上にも及ぶ社外秘のマニュアルには目を通した。
社外秘といっても、まだ適性も知れぬ新入社員に渡されるものに機密情報などは書いていない。ただ、新入社員としての心得と、業務上必要になるほんの基礎的な知識。
それを読むだけでも辛い社員はいるだろう。
けれど、伊織はそんなことを難なくこなした。
ただ、楽しみだった。遠足を待ち望み、しおりを熟読する子供のように。
この先、順風満帆な社会人としての生活が訪れると、信じて疑わなかったのだ。
そうして、伊織の社会人としての生活がようやく始まる。
明日が初出社。
寝ぼけ眼で出るわけにはいかない。
寝坊など以ての外だ。
今日は寝なければ。今日こそは、寝なければ。
そう考えて、夕食後にシャワーを浴びて、ベッドに入る。早めの就寝。
しかし、寝付けない。
ようやく伊織の瞼が閉じられたのは、日付が変わる頃だった。