屈辱
ヴィシュ王国国王(俺様王)視点です。
フレイ・イア神殿の大広間の最奥には、夫婦神の像が手をつながれた状態で立っている。
若き魔王は、そこに向かって一歩一歩ゆっくりと足を踏み出している。男神フレイの像の前で本日の花嫁を待ち受ける為だ。
彼の口元には隠しきれない喜びがくっきりと浮かび上がっている。恋にのぼせ上がっているのだろう。父親が死んで半年しか経たないというのに呑気なものだ。
それはこの豪華絢爛な婚儀からも分かる。魔王はわざわざこの日の為に各国の王族をこぞって招待したのだ。おかげで広間の席は超満員だ。
これは愛しい花嫁を自慢するためなのだろうか。それとも、自分の権力を見せつけ、少しでも人間に近づこうという愚かな考えからだろうか。
人間をたくさん招待すれば、自分もその中に混じれるとでも考えているのだったら新しい魔王は愚かだとしか言いようがない。きっとすぐに彼はそれを思い知るのだろう。
人間に近づこうという傲慢な考えといえばこの神殿も同じだ。
魔族はどうやら生意気にもフレイ・イア教を信仰しているようだ。
自分達魔族は信仰が厚いですよ、というアピールのつもりだろうか。神殿はずいぶん立派に作られていた。そして像も神殿内部も毎日きちんと手入れがされているようだ。
だが、そんなものがご立派な神々に伝わるとでも思っているのだろうか。きっと男神フレイも女神イアもこの魔族の傲慢さを鼻で笑っているだろう。
それにしても、魔王がご執心の花嫁というのはどんな魔族なのだろう。入場の時の幸せそうな表情を見る限り、その女にずいぶんとのめり込んでいるように見える。
それに比べて自分は惨めだ。招待状は自分と王妃宛だったからだ。他の王族も王妃が来ているという事は同様の招待状を受けたのだろう。
まったく、鬱陶しいものだ。自分が結婚相手にご執心だからと言って、どの国の王も同じだと思う方がおかしい。少なくともヴィシュの王であるアーッレはそうではなかった。堅苦しい王妃などではなく、若い愛人を伴って来たかったのだ。
愛人と言えば、一年近く前に召喚した勇者については惜しい事をしたと思っている。あんな弱々しそうな少女には魔王討伐など無理だという事はアーッレにも分かっていた。
分かっていても旅に出したのは、きっと怖じ気づいてすぐに逃げ帰ってくると思ったからだ。そしたら罰と称して城の最奥に閉じ込めてやるつもりだった。あんな弱々しそうな娘なら、すぐに心が折れるだろう。そこで優しく慰め、飼ってやるつもりだったのだ。
あり得ないが、もし彼女が魔王殺しに成功したとしたら、ごほうびと称して適当な魔法陣に放り込み、帰還に失敗したと見せかける。そして帰れないのだと落ち込んでいる彼女を適当な言葉で慰めて、同様に愛人にするつもりだった。
なのに、勇者の少女は帰って来なかった。誰に殺されたのかは知らないが、間違いなく死んだのだろう。
だが、前の魔王も死んだので問題はない。
魔族の裏切り者から聞いた情報では先代魔王は重い病気だったようだ。
そういえば、魔王が代替わりしてから、その裏切り者からの連絡がない。新しい魔王に遠慮をしているのだろうか。そうだったら近いうちに連絡が来るだろう。魔王の即位からもう半年は経っているのだ。
それにしても、本当に勇者については惜しい事をした。あの娘は可愛らしかった。年齢よりも幼い外見、そして世間知らずそうな様子は庇護欲をそそられる。勇者には向かないが、自分の愛人にはとても向く。アーッレはそう考えていた。
だから彼は知らなかった。勇者が彼が思うよりずっと強かだったという事を。そして、二つの世界を合わせても、彼女の一番嫌いな、いや、心底『軽蔑』している人物がアーッレだという事も。
楽隊が新しい曲を奏で始めた。花嫁が入場するようだ。
ふと、視線を感じ、顔を上げる。
魔王がこちらを見ていた。冷酷な、でも勝ち誇った表情で。
先代を亡くしたばかりだというのに、アーッレに勝ったつもりでいるのだろうか。本当に愚かだ。
確かに令嬢をパーティメンバーに選んだ事でラヒカイネン侯爵の怒りを買い、勇者パーティの家族を連れて国外逃亡をされたのは痛かった。だが、そんなものは何でもない。優秀な騎士や魔術師ならまだ持っている。
魔王から目をそらし、入って来た花嫁を見る。そして目を見開いた。
花嫁自体は小柄な娘だった。顔はヴェールで隠されて見えない。髪色は普通の魔族らしく、黒のようだ。
そこまでは問題ない。問題なのは花嫁のドレスの裾を持っている侍女だ。
ラヒカイネン侯爵の末娘。
王族や貴族の結婚式では、その花嫁の一番仲の良い侍女が花嫁のドレスの裾を持つという慣習がある。つまりラヒカイネンの末娘は新しい魔王妃の『お気に入り』だという事だ。
どういう事だ、と怒鳴りたいが何故か声が出て来ない。
普通ならそこで真実に気づいただろう。だが、勇者は死んだと信じ込んでいるアーッレはまだ気づいていなかった。その代わり、仲間を亡くして失意の人間を、お人好しの魔族の女が拾って物珍しさに側に置いているという解釈をした。それでもアーッレには十分屈辱的だったのだが。
花嫁が魔王の方にゆっくりと歩いていく。魔王は満足そうな表情で花嫁を見ている。花嫁も嬉しそうにしているのがヴェール越しからも分かった。やはり二人はとても仲がいいようだ。
そして花嫁はついに魔王の所まで歩み寄る。そして女神イアの像の前に立った。
結婚の誓いは花婿が差し出した手を花嫁が握る事で成立する。目の前の像と同じポーズをとる事で自分たちを神に例えるのだ。愛し合い、一生を共に暮らした神に。
昔は、その前に、彼らがどういう風に出会い、恋に落ち、結婚に至ったのかを寸劇で見せるという事もしていたようだが、最近はもう廃れている。
だから魔王もすんなりと手を差し出すと誰もが思った。
だが、魔王はそうしなかった。先に花嫁のヴェールに手をかけたのだ。そんなに可愛い花嫁をみんなにお披露目したいのだろうか。
ゆっくり、ゆっくりとヴェールが外されていく。そうして出て来た花嫁の姿にみんなは息を飲んだ。
それは彼女の目だった。その目は黒色。つまり、魔王は『人間』と結婚しようとしているという事だ。
そしてやっと魔王は花嫁に手を差し出した。花嫁も嬉しそうにその手を握る。
そうして、二人は手をつないだまま招待客の方を向いた。
それでアーッレは思い出した。花嫁に見覚えがある。九ヶ月前に間違いなく王宮で見た女。
勇者だ。名前は忘れたが、あれは勇者に間違いはない。
魔王が勝ち誇ったようにアーッレを見つめる。それは『そういう』意味だとアーッレにはもう分かった。
——この勇者はもうおれのものだ。
間違いなく魔王はアーッレにそう伝えているのだろう。
それで満足したのか、二人は他の人に笑顔を振りまいている。
まさか、あの勇者が新しい魔王に誘惑されるとは思わなかった。彼が勇者に魅了魔術でも使ったのではないだろうか。
ぎりぎりと歯ぎしりをする。弱々しい勇者は魔王にはとても扱いやすい娘だったのだろう。
だが、屈辱はこれでは終わらなかった。
「私はここにレイカ・ヴェーアル、元『勇者』レイカ・カトウを、ヴェーアル王国の王妃とする事を宣言する」
魔王の前にひざまずいた勇者を前にされたその宣言に広間は騒然となった。
アーッレにもわかった。魔王は勇者を『勇者』のまま自分の配下にすると言っているのだ。
豪奢なティアラが魔王の手から勇者の頭にゆっくりと降ろされる。
「わたくし、レイカ・ヴェーアル、元『勇者』カトウ・レイカは、女神イアの名において、夫である国王オイヴァの治世を一番近くで支え、共に歩んでいく事をここに誓います」
裏切り者の勇者からだめ押しが来た。これで彼女は自分の意思で召喚国を裏切ったという宣告をしてしまったのだ。
裏切り者が魔王の手を取り立ち上がる。
あの娘を殺せ! と配下に命令したかった。なのに、声がまったく出てくれない。
「では我が妃に私から魔力と長寿をさずけよう。私と共に長い時を生きておくれ」
魔王が裏切り者に何かの魔術をかけている。アーッレの知らないものだ。だが、それがどんなものか聞く余裕も考える余裕も彼には残っていなかった。
ただ、魔法陣から出る光は、皮肉にもとても美しいものだった。




