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91話

地図職人あーてぃ様から秦の郡地図を頂きました。

各地図のページに掲載しております。是非ともご確認ください。

あーてぃ様いつもありがとうございます。

 陳勝(ちんしょう)を殺した荘賈(そうか)は陳を占拠した章邯(しょうかん)へ使者を送り投降した。


「賞を賜るであろう。ここで咸陽(かんよう)からの沙汰を待て」



 章邯は荘賈へ冷たく言い放ち、陳の駐留軍へ組み込んだ。

 荘賈への嫌悪感が漏れる。


 ーー気持ちはわからんでもないが、己が助かるために主人の首を斬る、か。自分にそのような事態が起こればどうする……。まぁ、今考えても詮無きことか。


「次は魏だ」


 荘賈に対する興味はそこで失せた。

 そして次の戦地へと想いを馳せ、短い休息をとり陳の守りを配下に任せ、北へと軍を進めた。



 その後陳は一旦張楚の残党に奪い返され、裏切り者の荘賈は陳王の仇として惨殺される。



 ◇◇◇


 会稽の郡守となった項梁(こうりょう)とその甥項羽(こうう)は江南全域を鎮撫(ちんぶ)し、江水(こうすい)の対岸の混沌とは無縁の落ち着きを見せていた。


 特に項羽は将でありながら馬に跨り騎馬隊を率いて疾走し、反抗する者は(ことご)く斬り飛ばした。

 これからの時代、兵車ではなく騎馬が戦闘を左右する。

 項羽はそれを確信し、身を以て証明していった。


 そんな項羽に鍛えに鍛えられた精兵。

 中原(ちゅうげん)に比べ人口は少ないが、稲作で食糧は豊か。


 江南の地は項梁を王とした小さな王国の様相を呈していた。

 そんな項梁達が満を持し、江水を渡る時がやって来た。

 始まりは陳の使者を名乗る一人の男であった。



 その男、召平(しょうへい)は陳勝配下で江水の北、広陵(こうりょう)の人であり、その出身地の平定を命じられていた。

 しかし彼には将才も人望もなく、広陵は落ちなかった。


 誇りだけは人一倍高い彼は、援軍を請えず、かといって陳に逃げ帰ることも出来ずにいた。

 江水沿いの邑を彷徨い歩き食い繋ぐ日々の中、配下の兵は減り続けた。


 そんな中、陳が攻められ陳王も行方が知れぬと知った。

 間もなくこの辺りにも秦兵が溢れ、このままでは反乱の火は衰えやがて消えゆく。


「どうにか……何か手はないか……」


 陳王の命を果たせぬばかりか、反乱自体が鎮静されてしまう。

 江水近くで頭を悩ませる召平の耳に、対岸の噂が流れてきた。



 旧楚の項燕(こうえん)将軍の子が秦から派遣された会稽郡の郡守を殺し、江南の地を隆盛に治めている。


 これを聞いた召平は覚悟を決め、少なくなった兵に命じる。


「馬車を装飾し、身なりを整えよ」


 彼には人望も将才もなかったが、世知(せち)と胆力があった。



 身なりをそれらしく飾った陳王の使者と名乗る一団が、江水を渡り会稽郡へと向かった。


 ◇◇◇


 中原から遥か南東にあり、江水に(へだ)てられた江南の地にいる項梁は、陳勝が敗退し御者の荘賈に殺されたということを未だ知らなかった。


 陳勝が亡き楚の復興を掲げ、『張楚(ちょうそ)』という名の国を起こしたこと。自身が王を名乗り『陳王』と称されている。

 このことについては報告を受けている。


 これを聞いた項梁は甥項羽、異母兄項伯(こうはく)と語り合った。


「単に()とせず張楚という名にしたところ、楚王を名乗らず陳王としたところに陳勝のいじらしさが見えますな」


 項伯が苦笑を浮かべながら言う。


「亡楚の王公や我らのような遺臣が異を唱えぬように配慮したのだろう」



 楚が滅んでそれほどの年月が経っているわけではない。楚王の血族もどこかに潜み、生きているだろう。

 それを無視して楚王を名乗れば偽者と亡楚の民に白い目で見られるだろう。


「ある程度は考えられる知恵があるか。或いはその程度の智者がいるということだ」


 ーーただ、その程度の知恵だ。


 咸陽を占拠してから楚を号し、楚王を名乗ればどこからも文句をつけられなかったであろう。

 王となるという権威欲に抗えなかったか。



「……梁叔父上は、この地で王となるつもりですか?」


 今まで黙って聞いていた項羽が、大胆な問いを鋭く放つ。



「ふむ……」


 核心を突き、尚且つ繊細な問題である。


 江南地方は今、磐石に治められていて中央からの威信も届きにくく食糧も豊富で項羽を中心に兵も精強。

 江水を天然の要害として戦えば、例え攻められようとこの地を守り抜けるだろう。


 実質すでに国のようなものだ。

 このまま遺恨を忘れ、ここで王を名乗れば幾代数百年も続く小さな王国ができるかもしれない。



 しかし。


 秦に挑んだ名将項燕の子である。

 楚の将家、項氏の長である。

 秦への怨讐(おんしゅう)を忘れぬ楚人(そひと)である。




 この身に流れる血が平穏な建国を否定する。沸き立つ血は秦が滅ぶまで冷めることはないだろう。

 今、ここで王となればこの地を守ることに縛られる。



 暫く無言であった項梁が口を開いた。


「準備は整いつつある。後は兆しが江水を越えてくるはずだ」


「そうですか。ならば良いのです」


 問いに直接応えた言葉ではないが、項羽は満足そうに頷いた。


 この甥が心に持っているのは秦への恨みなのか、それとも中華全土を統べようとする途方もなく大きな野心なのか。

 項梁はふと気になったが、口にはしなかった。

 どちらにしてもこの若虎と共に中原を駆け抜けるのを想像すれば、胸のすく想いが込み上げる。



 そして陳王からの使者と名乗る一団が現れたと聞いた時、その想像が現実のものとなると強く感じた。


 ◇◇◇


 召平は呉までの道のりを見聞し、邑も人も色が濃く、まるで別の国に来たかのような印象を受けた。対岸の広陵が出身であるが、河を隔てればこうも変わるものなのかと驚いた。

 また同時に、平静な人々の様子に項梁の手腕への期待を膨らませた。


 項梁の見事な統率力とその甥、項羽の武威があちらこちらで聞こえる。


 項梁達という新たな混沌を呼び込み、秦へとあたらせる。

 項梁の名は旧楚の地を沸かせ、人が集まり、陳の奪還も叶うだろう。

 例え上手くいかなくとも、時間を稼げば何処かに逃れた陳王も姿を現されるはず。


 召平は虚言を用いてでも項梁を引き入れる覚悟で、呉の門へ向かう。


 門で出迎えたのは騎馬に跨がり、巨体でありながらしなやかな体つきをした若者とその配下数名であった。

 若者は騎乗したまま、恐ろしく鋭い眼を向け召平を見下ろす。


「陳からの使者殿か」


 張りがあり重く響く声で問われ、馬車に乗る召平の身体は押されたように圧力を感じ、転げ落ちそうになる。

 だが召平は、持ち前の胆力でぐっと腹に力を入れて威を正し、


「如何にも。郡守の項梁殿へ陳王より(ちょく)を賜ってきた。ところで使者に対し騎乗のまま、礼もとらぬとは如何なものかな」


 周りの配下の顔が蒼白に染まる中、言われた本人はハッと気付いたように馬を降り、手を組み頭を下げた。


「郡守項梁の甥、項羽です。田舎者にて儀礼に疎く、また使者殿の到着を待ち遠しく思い、気が急いておりました」


 そう言って恥ずかしそうに微笑み、頭を掻いた。

 その紅顔の笑みは若者らしく、年相応の顔に見える。


 ーーこれが項羽か。狂暴な風貌に似合わず、素直で可愛げがあるではないか。


 これに気を良くした召平は項羽に親しみを持って応える。


「お気にされるな項羽殿、ここは遠く南の果て。礼が育たぬのも無理はなかろう。それより私の到着を心待ちにしておったこと喜ばしく思う。さぁ、郡守の元へ案内を頼む」


「承りました」


 一言多い召平の言葉をさして気にも留めず、項羽は再び馬に乗り召平の馬車を先導し始めた。


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