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90話

 秦将章邯(しょうかん)という男に奪った函谷関(かんこくかん)が奪い返され、それでもじりじりと退きながら抵抗を続けた周文(しゅうぶん)がとうとう力尽きて散った、と陳勝(ちんしょう)は知らされた。


 (ちょう)へ向かった武臣(ぶしん)陳余(ちんよ)張耳(ちょうじ)と謀り、王を名乗って自立した。


 ()へ派遣した周市(しゅうふつ)からは、反乱に参加して(ちん)に留まる亡()の公子、(きゅう)(ひょう)を迎え、魏の平定の柱としたいと何度も使者を寄越す。

 五度に渡る使者の往復に根負けし、二人を周市の元へ送った。

 これも独立するのであろう。


 (つど)った者達が離れていく。


 小作人であった頃の友人が訪ねてきたが、王の威厳を損なうようなことばかり喋るので斬り殺した。

 そのことが知れ渡ると、また多くの者が陳から立ち去った。



 陳勝は崩壊し始めた国を見詰め、玉座に座っていた。


 そしてまた、破滅の一音が聞こえてきた。



 呉広(ごこう)が殺された。


 ◇


 滎陽(けいよう)李由(りゆう)を攻める包囲軍は、周文が敗れた報を受け危機感を募らせた。周文を破った秦軍がここ滎陽に援軍に来る日は遠くないだろう。

 しかし包囲軍の帥将(すいしょう)呉広は特に新たな指示を与えるでもなく、これまで通り包囲を続けさせた。


仮王(かおう)に戦略の才はなく、()(もと)ではこの危機は打開できん」


 呉広に従う諸将は囁き合う。

 この滎陽も犠牲を覚悟で猛攻を繰り返せば落とせたかもしれない。

 しかし彼は人が良く仲間を愛する男であった。平和な時と違い、その非情な判断が下せぬ彼にはやはり軍才はなく将足りえない男であった。


「このままでは滎陽の軍と周文殿を破った軍に背後を突かれてしまうぞ」


「滎陽に少数を残し迎撃に向かう方が良い。援軍を破れば滎陽の士気も落ちよう」


「しかし仮王の用兵では……」


「……仮王にはご退場願おう」


 将の一人、田臧(でんぞう)は陳王へ使者を送った。


 ◇


 陳勝は田臧から送られてきた使者の話を聞きながら呉広を想う。


 共に挙兵し、各地を駆け回り、王と名乗るまでになった。彼のおかげでこの玉座に座れたのは間違いない。確かに将才も知略もない寡黙で平凡な男であったが常に一歩引き、自分を立ててくれた男。


 ――いや平凡なのは俺も同じか……。


 使者の語る呉広がいかに怠惰で無能かを聞いているうちに、自身の虚勢を張った心根も枯れていく。


 ここで将達を反逆の罪に問えば呉広が殺されるのはもちろん、続いてその矛先はこちらに向くだろう。


 どこで間違えたか。

 それすらもわからぬ。


「挙兵からの(よしみ)ではあったがこの戦時、無能な仮王は害悪であった。その上申(じょうしん)を赦す。また田臧に令伊(れいいん)の位を授ける。軍を率いよ」


 こうなれば二人で始めたこの陳を一日でも長く……。

 陳勝は呉広の死と自分の行く末を思い、心で泣きながら使者に令伊の印を預けた。


 ◇


「命によりその首、陳王に献上いたす」


 田臧は冷たく語り、呉広に剣を向けた。


 ――つまらん人生だったが、一時はマシな人生となったかもしれぬな。黄泉で遠くなく来る奴を待ち、笑って迎えてやろう。


 抵抗もせず、何も語らず。

 呉広の首は斬り飛ばされた。



 令伊の印を受け取った田臧は気を良くし、意気揚々と軍の指揮をとる。


「援軍を迎え撃つぞ!」


 幾人かの将を滎陽の監視に残し、章邯の迎撃に向かった。



 章邯の黒い兵装の大軍が見えても田臧は臆さず、


「野戦こそ将の見せ場。攻城戦でたまった鬱憤を吐き出そうぞ!」


 と全軍を突撃させ、黒い波に挑んだ。しかしその波は田臧の想像を超えた激流であった。


 元囚人と奴隷達であった章邯の兵は、強敵周文との連戦に次ぐ連戦の極限状態で忍耐力、団結力、そして章邯の意のままに行動することのできる精強な軍へと成長していた。


 一気呵成に攻めてくる田臧軍を受け止め、いなし、呑み込む。

 田臧は大河に舞う木の葉のように踊り、散っていった。



「滎陽へ」


 章邯は短く言い、反乱軍であった物の上を通り過ぎていく。


 滎陽を包囲する残りの反乱軍は章邯の軍が迫ると、我先にと逃げ霧散した。わずかに残る兵と将は捕縛されその場で処刑された。



 四か月の長きにわたる籠城から解放された三川(さんせん)軍の群守李由(りゆう)は歓喜し、章邯を歓迎した。しかし章邯はその歓待を受け入れず、


「まだ鎮討は終わっておりません。陳王を討つため、先を急ぎます」


 そう理屈付け、滎陽を後にする。



 李由は丞相李斯(りし)の長子である。

 現在李斯は失意に暮れ、屋敷に引きこもっているが李由が助かったこともあり息を吹き返し趙高との権力闘争に復帰するかもしれない。

 その時にここで歓待を受けたことで李氏と近しいと、趙高(ちようこう)にいらぬ想像をされることは避けたい。


 それに駆け続けてきた我が軍が腰を下ろし落ち着けば、再び立ち上がるかどうか。

 漸く軍らしくなってきたところだ。このまま考える間もなく駆けさせるのが善い。

 初めて軍を率いている自分自身にも。


 ――生きている。


 宮中での過不足ないが誰にも疎まれぬよう息を潜めている生活より、己の才覚を試し埃と血に塗れ、この広い大地を駆け回る方が何倍も生きていると実感する。


 ――誰にも邪魔されたくはない。


 趙高にも、李斯にも、皇帝にも。

 敵がおり、戦場があり、そして勝ち続けている限り。

 警戒はされようが軍を取り上げられることはないだろう。


 まずは陳王を討つ。

 今更陳勝を討ったところで全ての反乱が鎮まることはない。が、反乱の象徴のような存在である陳勝を殺せばまとまりは失われるだろう。後はそれを各個撃破すればよい。


 その間に兵を増やし、地方を従わせ、誰にも文句を言わせぬ功績と武力を身に着け、咸陽へ凱旋する。


 ――あの宦官の蛇を喰い千切ってやる。


 章邯はそう考えながら転戦し、冬の寒風を追い風にして陳まで十日もかからぬ(きょ)を攻め落とした。


 陳が近づくにつれ、章邯軍はその士気と強さを増した。

 常に陳勝の傍らにいた蔡賜(さいし)までもが軍を率いてこれにあたるが、勢いの増した秦軍を止めることはできず、粉々に砕け散った。


 ◇


 章邯が陳の目前まで迫った時、陳勝は陳防衛の軍と南に退却する軍に分けた。

 陳のすぐ傍を流れる潁水(えいすい)に沿って南の汝陰(じょいん)まで逃げた陳勝は思う。


 ――俺自身にはすでに価値はない。しかしこの首が繋がれておれば張楚は続く。


 汝陰も追撃され、そこから東北へ(のが)下城父(かじょうほ)の山野をさすらっている頃にはすでに軍の体をなさず、少数の兵と数乗の馬車だけであった。


 そして陳勝の首に価値を信じていた者は彼だけでなく、彼の御者(ぎょしゃ)もそうであった。


 ――あの首を秦軍に差し出せば……。



 荘賈(そうか)という名の御者は、突然馬車を止めると陳勝を刺した。


「ぐっ! あっ、あ、ぁ……これで……、こ、んな……」


 陳勝の、か細く切ない最後の声が響いた。


 余りの突然の出来事に周りの者達は何もできずそれを見守った。

 やがて陳勝の遺体から首を切り取った荘賈がその首を掲げて、声を上げた。


「この首をもって俺は秦に(くだ)る。お主らも秦に殺されたくなければ俺に従った方がよいぞ」


 食うも困難な現状の今、その言葉に反抗する声は上がらなかった。

 それは賛同の沈黙ではなく、ただただ疲弊し逆らう気力もなかったのかもしれない。



 陳勝はなぜか汝陰からは更に南へ逃げなかった。

 下城父から更に東へ行くと大沢郷(だいたくきょう)に着く。


 大沢郷は彼と呉広が旗を上げ、挙兵した地である。



 こうして陳勝の死をもって張楚は滅びた。建国されて僅か六ヶ月のことであった。

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