89話
活動報告へ地図職人あーてぃ様から、地図動画「地図で見る項羽と劉邦、あと田中」を掲載しております。
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蒯通に説得された范陽の県令は恭順した。
『武信君は寛容の人であり、城を開け渡した県令に地位と富を保証し、また爵位を与えた』
この噂は風と共に趙国内を吹き抜け、武信君が邯鄲へ引き返す間に数十の城が門を開いた。
蒯通の奇策により、大手を振って邯鄲へ戻ってきた武信君の元に凶報でもあり、吉報でもある知らせが届く。
周文が章邯という無名の秦将に敗れ、立て籠もった函谷関も風前の灯であるという。
「今こそ王として起つ、その時です」
陳余と張耳は武信君に独立を迫る。
武信君は自身の胸に蠢く野心を抑えようと二人の言葉に抗う。
「侯を名乗ることはまだ釈明の余地あろうが、王として並び立つとなれば背信は明らか。周文が敗れた今、陳王の機嫌はことさら悪かろう。そんな中、王の勘気に触れれば陳に居るわしの妻子は殺されてしまう。」
「だからこその今なのです。いえ今しかないと申し上げます」
「なに?」
陳余の強い言葉に武信君は訝しみ、問う。
「陳勝様はすでに自ら戦うことを恐れ、陳の玉座に座り続けたいだけなのです。周文殿が敗れた今、貴方様が趙で王になったことを怒り、その人質を斬れば趙が敵となりましょう。逆襲を始めた秦と趙、二国を相手にその座が守れるか、賢明でない陳勝様でも理解できましょう」
「ううむ……」
武信君は顎鬚を忙しなくしごき、唸る。
「ここだけの話、魏に向かった周市殿も独立を図っておりますぞ」
これは嘘である。張耳は周市の動向を掴んではいない。
しかしこの推測は間違ってはいないだろう。
独立を画策しているのは自分だけではないと後押しする張耳の虚言は、武信君の心を大きく揺さぶった。
「暫し考えたい……」
武信君は呻くように応え、席を外そうとしたが張耳がそれを押し留め、大声で迫る。
「一息の間に情勢は変わる今、この機を逃しては我ら十数年の潜伏のように悔恨の日々を送りますぞ!」
「……うむ」
こうして武信君は決断し、趙王を名乗る。
そして陳余を上将軍、張耳を右丞相、邵騒を左丞相とし、趙の国が再興した。
◇
趙からの使者が陳を訪れ、趙王即位を伝える。
「武臣の妻子を殺せ! 趙を攻め滅ぼせ!」
陳勝は激怒したが、それを房君蔡賜が諌めた。
「秦が息を吹き返そうとしておる最中、家族を誅せば敵を増やすだけでございます。ここは怒りを抑えて即位を祝い、このまま秦にあたらせることが肝要でしょう」
陳勝は歯噛みをするが蔡賜の言葉の正しさを認め、どうにか怒りを呑み込んだ。
そして趙からの使者を呼び、趙王即位の賀辞を贈り、
「趙王の妻子はこの陳の宮中に移し、不足なく過ごせるよう計らおう。趙は急ぎ西へ兵を進め、咸陽をのぞむよう」
と暗に家族の軟禁を仄めかしながら、出兵を促した。
武信君は帰ってきた使者の言葉を聞き、妻子が殺されず趙王と認められたことに、先ずは安堵した。
陳余と張耳の策に乗り、時勢を掴み、賭けに勝ったのだ。
「あとは陳王の出師の要請だが……諸兄はどう見たか」
趙王は上将軍となった陳余が進み出る。
張耳の瞼がピクリと動く。
張耳は右丞相。政務の最高位の役職ではあるが、左丞相の邵騒と権を分けられた。
対する陳余は上将軍。軍務での最高位を一人で占め、現状を鑑みて動乱におけるその権威は王に次ぐ地位であろう。
趙王はどうやら陳余の言に一番の信を置いているようだ。
表情には出さない。しかし年長であり、陳余から父兄のように慕われていた張耳の胸中に僅かな澱をつくる。
そのような張耳の心情を知らず陳余は語り始め、張耳は胸の澱を掻き散らし、議に集中する。
「陳勝の本心は怒りに満ち、趙に兵を進めたいと思っているでしょう。周文の敗戦がそれを許さぬ事態にさせました」
趙王にもそれはよくわかる。飼い犬に手を噛まれたようなものだ。
「しかし敗れたとはいえ一敗。張楚の兵は多く、大局はどのように動くか未だ見えぬ状況。その中で張楚に従い秦を滅ぼせば、次の標的はこの趙ということになりましょう」
「うむ、張楚王がこの怒りを忘れるとは思えん。いつかは争うことになりましょう」
陳余の言葉に張耳が同意する。陳余は頷き、今後を見据えた方針を述べる。
「その時に備えて国の拡大を目指し、北は旧燕や代郡を、南は河内郡を制すれば河水に守られ張楚の侵攻を阻むでしょう」
そして陳で出逢った張耳の自慢話の餌食となった線の細い斉の使者を思い出し、笑みが溢れそうになる。
「東はすでに斉王の末裔が国を興し、その王は義に厚い人物と聞きます。此方が攻めねば敵対することはありますまい。それよりも誼を結べば、共に事に当たれる盟友となり得ます」
張耳も長年の友と大局を見る思想を同にする。
「うむ、王と王。対等な関係となった今、一方的な命に従う義理はありませぬ。秦に対抗するためには未だ兵が足りず。国力を高めた後、秦に当たると申しておけばよろしいでしょう」
陳余と張耳の献策に趙王は大きく頷く。
「わかった。汝らの方針でいく。わしはここ邯鄲で地盤を固め各地に将を送り、この趙を強国へと育てよう」
趙王は配下の将を呼び、各地を平定するよう送り出した。
何故誰もこの言葉に異議を唱えなかったのか。
陳勝が陳に留まり、各地に軍を派遣した結果がどうであったか。武臣がどうして趙王となったか。陳余も張耳も、武臣自身もつい最近の己の行動を忘れてしまっていた。
ある種、滑稽な冗談のような出来事が彼らの不幸の始まりであった。
燕に派遣した将、韓広が燕王を名乗って自立したのである。
武臣は自分の行いを棚に上げて激怒し、燕の韓広を攻めた。
しかし愚かにも武臣は燕を侵攻する陣中、少数で離れたところを捕らえられてしまう。
そしてその後、衆望ある陳余と張耳が王になることを恐れた燕の将によって釈放された。
武臣はこの恩に報いるため、韓広の家族を燕へ送った。
彼らの不幸は続く。
◇◇◇
李良という趙の将は邯鄲から北東に位置する恒山郡を順調に平定した。
趙王へ復命すると今度はその西隣の太原郡を攻略する命を受けた。
(労いの一つもあってもよかろう。人使いの荒い王だ……)
心で毒づきながら恒山郡へ戻った李良は太原郡へ向かおうとしたが、その間にある井陘の地で秦軍と対峙した。
反乱の実情を知った二世皇帝の勅命を受け、上郡の王離の主力軍が漸く動き始めたのである。
険しく細い地形の井陘が王離の大軍の侵攻を押し留めているが、兵力は圧倒的に不利である。
――これは援軍を請わねばなるまい。やれやれ、また邯鄲にとんぼ返りか。
ため息を吐く李良の前に一人の使者が訪れる。
『李良はかつて朕に仕え高位、寵愛を得ていた。趙に叛き秦に戻るならば罪を赦し、再び貴臣とするであろう』
そう書かれた書簡を手渡し、使者は帰っていった。
――偽書だ。
李良は鼻で笑い、秦の別動隊を警戒して三千ほど兵を率いて邯鄲へ向かった。
その書簡は何故か棄てられず、懐に仕舞われた。
この書簡と邯鄲への道が、武臣の命運を暗く閉ざすことを決めた。
◇
李良は邯鄲への道中、騎兵に囲まれた豪奢な馬車に出逢う。
それを趙王とみた李良は兵と共に道の端に避け、頭を伏した。
しかしその馬車に乗っていたのは、酒に酔った武臣の姉であった。
馬車を降りるのも億劫なほどに酔っていた姉は、騎兵の一人に対応させ武臣の姉自身はそのまま通り過ぎた。
そのことを告げられた李良は、憤怒で顔を紅く染めた。
元々は秦の貴門の出であり、趙王武臣よりも高位の生まれである。
それが武臣本人ならまだしもその姉に。直接の挨拶もなくそれどころか馬車も降りずにあしらわれた。
率いる兵の前で大きな恥をかかされた。
李良の副官は侮辱された主の怒りを共有し、懇願した。
「どうか私にあの女を追い、この屈辱を晴らすよう命じて下さい」
李良はふと懐に仕舞った物を取り出し、何度も読んだ。
そしてその書簡を握りしめ、副官に命じた。
「……行け」
武臣の姉の殺害を命じた李良は兵に向かい宣言する。
「事が知れる前に邯鄲の武臣を斬り、その首を持って秦に帰順する」
そのような事件があったことを知らぬ邯鄲の城は李良を迎え入れた。
趙王武臣は李良が剣を抜きながら押し入って来るまで謀叛を知らず、知った時にはこの世を去っていた。
左丞相の邵騒もこの突然の凶事に倒れたが、声望高い陳余と張耳にはいち早くこれを知らせる者がおり、命からがら城を脱した。
命を拾った二人は南には河水があり、逃げ道が限られるのを恐れ、北へ走った。
こうして不幸な武臣の趙王朝は幕を閉じたが、不屈の陳余と張耳はそれでも諦めない。
邯鄲から北、信都の城へ逃れた二人の下に、秦の支配に戻るのを拒む多くの趙の民や兵が集った。
賀辞 (がじ)
祝いの言葉。祝詞。
出師 (すいし)
出兵の意味。
春秋戦国時代、五百人前後の兵単位を旅と呼び、旅が五つ集まれば師、師が五つ集まったものを軍と呼んだ。
師は軍事における最小戦略単位。




