表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/169

87話

陳勝の王名を「張楚王」としていましたが、一般的には「陳王(ちんおう)」と呼ばれていたとの記述を見付け、編集いたしました。ずっと気になっていた部分でなるべく「張楚王」という名を使わないようにしていたのでようやく気が晴れました。

直し切れていないところがあればご指摘、誤字脱字報告などでツッコんでいただけるとありがたいです。

「はぁ……」


「またため息ですか、田中殿」


東征の行軍の中、深いため息を聞き生気に満ちた華無傷(かぶしょう)から声が掛かる。

なんか前も同じようなことあったな。


「ああ、これはこれは臨淄(りんし)ですでに新婚生活を送っている華無傷(かぶしょう)殿ではありませんか」


「き、機嫌悪そうですね……」


「べつに。そんなことありませんけど」


「蒙琳殿が臨淄へ帰ったからって当たらないで下さいよ……」



◇◇◇



彭越(ほうえつ)達に助けられ蒙琳さんを救出した後、俺達は濰水(いすい)を渡ってきた田横達と合流し、一旦近くの邑へ引き返した。


邑の長老の家で主だった面々で集まった。

蒙琳さんは別室で休んでいる。


「気が付いたら彭越達はおらず、聞けば(ちゅう)(はか)って濰水をわたったと言う。俺を除け者にするのはよくない。早く夜が明けよと胸が()がれたぞ」


田横はいつもより心なし強く俺の背中を叩く。


「いてっ! いやだって横殿へ言ったら貴方も河を渡ると言うでしょう。万が一のことがあったら人質どころの騒ぎではなくなります」


「うーん、まぁそうだがなぁ。待つだけというのは辛いものだ。性に合わんことがよくわかったよ」


田横は髯を擦り、苦笑いする。


こうして笑いあえるのも、蒙琳さんを無事に助けることが出来たからこそだ。

本当に紙一重だった。


田横の騎馬隊、彭越の渡河、蒙恬の奮戦……。


って蒙恬は大丈夫なのか? それに伝えなきゃいけないこともある。


「蒙恬殿は? 怪我は大丈夫なのですか」


「ここだ」


その声のする方へ視線を移すと、首から下げた布で左腕を吊った蒙恬が腰掛けていた。


「馬から投げ出された時に腕の骨を折ったようだが、それ以外は大事ない」


蒙恬は吊った腕を少し振り、張りのある声で応える。

折れた腕で田都(でんと)の相手をしてたのか。とんでもない爺さんだな。

しかし、そのお陰で俺も蒙琳さんも救われた。


「蒙恬殿」


「田中よ。お主のお陰で琳を救うことが出来た。礼を言う」


蒙恬が座ったまま頭を下げる。


「いえ、俺の力なんて。蒙恬殿含めここに居られる方々皆さんのお力に寄るものです」


俺も頭を下げる。


「そうだ中よ、蒙恬殿の腕を診てやってくれ」


田横が気が付いたように言う。


あ、医療の心得がある設定まだ生きていたのね。うーん、骨折か……。


俺は蒙恬に近づき、折れた腕を見る。

腫れてはいるが、不自然に曲がっている様子も皮膚を突き破っている様子もない。


「真っ直ぐな木を沿えて固定しておいた方がよいでしょう。なるべく動かさないように」


それくらいしかわからん。

田横が兵の一人に木を探して来るよう指示を出す。


すぐに見つかったようで、兵から木切れを受けとり、


「ちょっと縛り直します。動かすので少し痛むかもしれません」


「うむ、わかった。それより田中よ」


「はい?」


腕と副木(そえぎ)を縛る俺に、蒙恬は笑みを浮かべ口を開く。


「琳の様子ですぐに分かった。娶ってくれるのだなっ、おいっ、痛いではないか。そんなに強く縛られたら血が止まる」


「あ、ああ申し訳ありません」


こっちから言おうと思ってたのに、いきなりのことで動揺が……。


蒙恬にもちゃんと言わなければ。


「も蒙恬殿、娘さんを」


「姪じゃ」


「め、姪さんを私のつ、妻に……」


「うむ、よろしく頼む」


蒙恬はあっさりと了承する。


え、終わり?

……まぁ、蒙恬からも言われてたことだし、断られることはないとは思ってなかったけどさ。

なんかこう、もっと……


「娘を幸せに出来る覚悟はあるのか」


とか、いや姪だけどさ。

こう、お義父さんとの、なんかあるじゃん。いや伯父さんだけどさ。


まぁ、話が早いのはいいことだ。

これで晴れて蒙琳さんと夫婦に。


夫婦。

なんと素敵な響きか……!



「まぁ婚礼は臨淄に戻って落ち着いてからだな。わしと琳は先に戻っておる。無事に帰って来いよ」



え、あれ? 俺は?


「このまま華無傷と合流し、近隣を鎮めながら田安(でんあん)達を追う。暫くすれば東征の軍も来よう。それをもって東の憂いを一掃する」


田横が応える。


「わしは元々征行へは同行せず臨淄の守備を任じられておる。腕はこの有り様であるし、ここで別れて琳と臨淄へ向かうとしよう」


ということは。


「琳との婚礼は大分先になるが、早く戻れるように頑張れよ」


◇◇◇


と、そんなことがあり愛を誓い合った二人は引き離されたのであった。


まぁ、仕方ないけどさ……田安達を放っておけないしさ……。

新婚生活どころか結婚もお預けなんて……。


「ところで仲人は誰にお願いするのですか?」


幸せそうな華無傷が尋ねてくる。憎い。その笑顔が憎い。


「はぁ、仲人ですか」


現代日本では仲人を立てることが少なくなってきたが、ここ古代中国では仲人を立てるのが当然のことであり、仲人なしで正式な手順を踏まない結婚は『野合』と呼ばれ、忌み嫌われている。


正式な手順というのも『六礼(りくれい)』という六つの儀礼を行って初めて婚姻が成立するらしく、かなりの日数がかかる。書面一枚で婚姻が成立する現代とは違い手間のかかる儀式なのだ。


「野合なんて蒙恬様に斬り殺されますよ」


……だよな。


「華無傷殿。いや華無傷様。六礼とかその辺りの儀礼を詳しく教えてもらえませんかね」



「調子がいいですね。まぁ、俺も最近のことなのでいいですけど。そうですね、仲人は大体一族の長などに頼みますね」


俺は一応、田氏ってことになってるから、その一族の長というと……。



王じゃん。



「いやいや流石に斉王には畏れ多いというか、頼みにくいというか、御政務がお忙しいでしょうし」


「とすれば田栄(でんえい)様ですかね。それでも宰相ですね」


田栄か……田栄も忙しそうだけど、頼まれてくれるかしら。


「中殿も遠縁とはいえ王族に連なる人物ですし、仲人が宰相の田栄様。いや凄いなぁ、これは国を挙げての一大事になりそうですねぇ」


うぅ、やめてくれ。

連なってないんです……国民全員騙すような……。

小心者の俺の胃に穴が開きそうだ。


「いや、あの出来れば目立たず小ぢんまりと……」


「しかもお相手は元秦の名将で趙高(ちょうこう)の悪行を憎み、道を(ただ)すために出奔した斉の客将、義の人蒙恬の姪、蒙琳殿」


いや、もうやめて。


華無傷は調子づいて止まらない。


「父蒙毅(もうき)を手にかけた悪の宦官、趙高(ちょうこう)から逃れ、さらには伯父蒙恬も救いだし、その逃避行の最中、愛が芽生えた二人は……、いやはやこれは詩に(うた)われますね。あれ? どうしたのですか? 腹でも壊しましたか?」


今開く。今、胃に穴が開く。



なんとしても。

なんとしても、ひっそりと収めねば……。


俺は胃をおさえながら、決意を固めた。

六礼 (りくれい)

納采(のうさい)問名(もんめい)納吉(のうきつ)納徴(のうちょう)請期(せいき)親迎(しんげい)、の六つの儀式を経て婚姻が執り行われる。日本の結納の起源。

これら正式な儀式を経ない結婚を「野合(やごう)」と呼ばれた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ