蒙琳
本日の更新は2月22日に書籍版が発売されたのを記念を兼ねて、蒙琳の閑話となります。
私は私のことが嫌いでした。正確に言えば私の髪色が。
曾祖父の代に遥か西方の民族の血が入り、何故か私にだけその特徴が現れました。
髪の色が薄く、陽に当たると透けるようなこの髪。
『慎みがない』『下品』『貴人の娘として相応しくない』
幼い頃から表に出れば私を見ては密かに話す声が聞こえました。
明るい茅色のこの髪は、日の光を受けて強く私を照らし影を作り、その影は私の心を覆い隠しました。
私は外へ出ることが怖くなり、やがて自家においても家僕に何か言われているのではないかと恐れ、自室に篭りがちになりました。
そんな私を父は、
「気にすることはない、琳は美しいよ」
と言ってくださいますが、娘の私を気遣ってのこと。
その証拠に私と同年代の娘達が婚約や早い者なら嫁ぐ歳になっても、私の嫁ぎ先を探そうとはしておりませんでした。
私は髪を黒く染めようとしたのは、幾つの時だったでしょう。
より美しい黒に見せるため、髪を染めるのは貴人の女性として珍しいことではありません。
髪を染めたいその想いが他の女性より早く、強かっただけのこと。
私が父に染料をねだると、父は少し悲しそうな顔をして、
「お前がそう望むなら、それで少しでも自分に自信が持てるのなら」
そう言って染料を取り寄せて下さいました。
ところが私の髪はその染料ですら、数日で色が落ちてしまうのです。
自室で泣く私に、父は様々な染料を探してくれました。
そして漸く私の髪でも一月程は黒く染まる染料を見つけて下さいました。
その染料は宮中に卸すもので、非常に高価な物でしたが父は何も言わず、この染料を使い続けることを許して下さいました。
黒髪になった私。
遥か西方の影響を受けた私の容姿に黒髪は不自然に見えました。
それでもあの髪色のままでいるよりは。
下品だなどと言われるよりは遥かに救われます。
私は庭で花木を眺めたり、自分の染料を買いに行く程度には外へ出ることが出来るようになりました。
そんな私を見て父は嬉しそうに、けれども少し寂しそうに、
「どんな髪色であろうと、其方は美しいよ」
と笑ってくださいました。
それから幾年か経ち黒髪の不自然さに見慣れてきた頃、ある時私は病で床に臥せりました。
一月程かかって病も癒え、外へ出る気力が戻った時には私の髪は生来の茅色に戻っておりました。
私はいつものように髪を黒く染めようと家僕に染料を頼むと、病の間に染料が悪くなってしまっていて、慌てて買い求めに行ったけどいつもの商家が売ってくれないというのです。
私は、頭巾を被り商家へと向かいました。
「申し訳ごさいませんがこちらは後宮に卸す品物でして、お売り出来ないのです」
商家に訪れると染料はありました。しかし、店主は後宮へと卸す物しか数が無く、売れないと言います。
「そんな…、一つだけでもよろしいのです。どうか譲って頂けませんか?」
「宮中の厳しさはご存知でしょう。納品の数が足りないとなったら、喩えでなく私共は首を吊らねばなりません」
私が食い下がっても、店主は申し訳なさそうに断るのみです。
「……この髪をご覧になって下さい」
私は意を決して、他のお客に見られるのも構わず、被っていた頭巾を取りました。
私の心とは真逆の明るい髪が露になります。
周りの人達が息を呑むのが聞こえました。
……このような品のない色の髪を見るのは初めてなのでしょうか。
私は羞恥に耐え、泣きそうになるのを堪えながら震える声で店主に懇願しました。
「一月程、病に臥せっており髪も染められませんでした。臥せている間に染料も悪くなってしまって……。このような髪色では白い目で視られてしまいます。噂が立てば父上にもご迷惑がかかります故、どうか染料を売ってください」
「そう言われましても……」
暫く押し問答は続きましたが、店主は首を縦に振ってくれませんでした。店主の言い分もよく分かります。
私はまた染料が手に入るまで自室に籠る生活を送ることを思い、悲しくて涙が溢れました。
そんな時、
「なんて勿体ない……」
唸るような声に私は振り返りました。
そこには、全財産を誤って河水に投げ込んだような、本当に心の底から勿体ないと思っていそうな顔をした殿方が立っておりました。
顔立ちは若く、私より少し上でしょうか。
線は細く知的な雰囲気。
今は困ったようにしかめていますが、優しそうな大きな瞳と少し下がった眉。
全然違うはずなのに、私は何故か父に似た印象を受けました。
そして、その殿方は続けます。
「染められた不自然な艶のない黒髪なんかより、艶やかな明るいその髪は陽に照らされた時、まるで宝石の琥珀のように輝くだろう。いや空に輝く太陽そのものだ。そして雪の様に白く美しい肌を照らし、その姿は天女、女神の如く神々しく、見る者を魅了してやまないだろう」
わた、私の、髪のことを、こ、琥珀、太陽……。
私は火が出ているのではないかと思うほど顔が紅くなるのを感じます。
「さらにはそう、今まさに桜色に染まった頬が……」
「中殿、心の声が溢れ出してます」
同行していた少年に指摘され、その方は慌てながら、仰りました。
「いえ、あの、すいません。貴方の御髪があまりにも美しかったもので、あ、いや、もちろん御髪だけでなくお顔もお姿も美しいですよ」
……限界でした。
頭に火の塊が降ってきたように熱いです。
自身ですら嫌いな髪をあのように情熱的に誉められた嬉しさと、初めてのことに戸惑いと恥ずかしさとで、我慢出来ずに思わず店を飛び出して馬車に乗ってしまいました。
屋敷に帰った私は、あの時の言葉とあの方のことばかり考えてしまいます。
詩を歌うように私の髪を誉めて頂いた。
あんなに素敵な言葉を頂いたのに、お礼の一つも言わずに飛び出して、不躾な娘と思われたかしら。
はぁ、お名前だけでも聞けばよかった……。いえ、こちらから聞いては、はしたないと思われるかもしれない。
暴力の香りの全くしない優しげで知的な雰囲気の方。どこかの学者様かしら。
再びお会い出来たら……。
また、私のこの髪を誉めて頂けるかしら……?
私はこの髪を少しだけ、好きになれそうな気がしました。




