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78話

書籍版本日発売です!

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どうかよろしくお願いいたします。


「中、待たせた!」


「横殿!」


 誰より信頼している男が数十騎の騎馬と共に現れた。

 互いに馬上で再会を喜ぶ。


「子細は東安平で聞いた。蒙琳殿は?」


「縛られ馬車に乗せられていますが、無事の様です。先行の二人が見張ってくれています」


 田横は間に合った安堵か、少し息を吐いた。


「兵は騎馬だけ?」


 俺は田横が率いてきた兵を眺め、疑問を口にした。


「いや、この三十の騎兵だけ先行している。歩兵は華無傷(かぶしょう)が率いている。数は五百だ。急ぎで出せたのがこれだけだ。東征の兵も急ぎ準備しているが、そちらは編成出来次第だな」


 田安達五十人を相手なら十分な数だ。問題は……。


「歩兵が間に合うか?」


 彭越が俺と同じ懸念を口にする。

 五百人と五十人では多い方が行軍速度は落ちるだろう。


「歩兵と合流しても無理をすれば即墨(そくぼく)までに追い付けるかも知れんが、奴らの勢力地に近づくぞ」


 田安達は即墨だけでなく、その周辺も抑えていると考えていた方がいい。

 あまり近づくと敵兵が増える可能性がある。

 それに無理をして疲労が溜まった歩兵がまともに戦えるかも危うい。


 不安要素が多く、それを払拭する案が出てこない。

 そんな沈黙に包まれる中、蒙恬が歩み出る。


「奇襲で騎馬突撃をかけ、混乱のうちに蒙琳を助ける」


 そう低い声が響き、俺達は蒙恬を見る。


「それしかあるまい。どのように策を弄しても危険は伴う。騎馬の速さに賭けるのは、そう分の悪い賭けではないと思う」


 十倍の兵で囲んでも、田安が逆上して蒙琳さんを手にかける危険は大いにある。

 それよりは騎馬の速さで相手が動転している間に助け出す方がリスクが少ないか。


 田横も彭越も同じ結論に達したようで、俺達は無言で頷きあった。



 先回りして身を隠せる場所から集団の横腹へ突撃。

 隊列を斬り裂き、混乱のうちに最短距離で蒙琳さんまで駆ける。

 蒙琳さんを奪い返したら、そのまま一気に離脱して華無傷の所まで撤退。

 合流し、改めて即墨攻略を目指す。


「もうすぐ川がありましたよね」


「ああ、濰水(いすい)が流れている」


 俺の問いに田横が応える。

 俺は東への遠征のため見せて貰った地図の記憶を手繰る。


「そこで待ち伏せはどうでしょう」



 ◇◇◇



 田安達を追跡している二人を残し、俺達は騎馬隊を率い大きく迂回して先回りをする。


 東安平(とうあんぺい)と即墨の中間に濰水という南北に流れる川がある。


 田安達が濰水を渡ろうと、舟に分乗するであろう時を狙う。

 逃げようとしても前方は川に阻まれているため、即墨方面には逃げられない。それが混乱に拍車を掛けるだろう。


 川を背に戦うのは不利だというのは現代人の俺でも知っていて、蒙恬からも改めて聞かされた軍運用の一つだ。

 背水の陣って例外はあるが、基本的には避けるべき事だろう。


 そういえば背水の陣ってこの時代の戦いだったかな。

 いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。




 偵察を出し、川の手前の小高くなった丘の影でその時を待つ。




 まだか……まだ来るわけないか。結構馬で駆けたもんな。

 それにしても時が経つのが遅い。


 ……まだ来ないのか。



 不意に肩に手が置かれ、俺はビクリと振り返った。


「田安達はまだそう進んでいまい。ここを通るのは夕刻だろう。今から気を張っていてはことが起こる前に疲れ果ててしまうぞ」


 振り返った先には、田横が柔らかく微笑んでいた。


「分かってはいるのですが……」


「焦る気持ちは分かる。俺も実は叫び出しそうなほど焦っている。しかし今は待つ時だ。中、お主も臨淄から駆け通しだろう。張りつめて疲れを感じていないかもしれんが、少し休め」


 田横にそう言われた途端、身体がジワリと重たくなるのを感じた。

 自覚していなかったが、かなり疲れていたようだ。


「少し休んでおれ。お主はわしらと比べ体力に乏しいからのう」


 蒙恬が話に入ってくる。蒙恬もその時に備えて努めて気を休めているようだ。


 随分体力はついたと思ったんだがなぁ。まだ彼等と比べるべくもない。

 それにこの人達のように休める時には休むという精神の太さというか、強さはなかなか身に付くもんじゃないな。


「では申し訳ありませんが、少し休ませてもらいます。何かあったら教えて下さいよ」


 俺は二人に断りを入れ、休む場所を探そうと歩き出した。

 いかん、自覚したら疲労感が酷い。頭もフラフラしてきた。相当気を張ってたんだな……。



「おお、そうだ田中よ」


 蒙恬の呼び掛けに気怠く振り返る。


「なんでしょう」


「うむ。これが終わったらな、琳を娶ってくれんか」



 あーはいはい、終わったらね。今は蒙琳さんを助け……。


「はあぁ!?」


 めとっ、娶る?娶るって結婚するってこと!?

 嫁?蒙琳さんが奥さん?蒙琳さんが俺の嫁!?


「な、ななななにを」


 蒙恬は俺の動揺を余所に、真面目な顔で話す。


「まぁあれだ、先祖には申し訳ないが蒙家もわしで終わるだろう。ならば姪の琳にはしがらみ無く、好いた相手に嫁がせてやりたい。お主も蒙琳に惹かれておるのだろう」


「ま、まぁそれは……そうなんですが……」


 今さら隠せるものでもなく、俺は応える。


「お主はいつか遠く東の地に帰るのかも知れんが、その時は遠慮なく琳も連れて行って貰いたい。ああ見えて芯は強い。お主が付いてこいといえば地の果てまで付いていこう」


 そう言うと蒙恬は、今までに見たことのないような柔らかな顔で笑った。



 地の果てどころか、時空の果てなんだがなぁ……。

 俺が言葉に窮していると、蒙恬は少し困ったように言葉を続けた。


「それにな……。今回こうして(かどわ)かされたと噂になれば、事実はどうあれな……」


 (けが)された。と見られる、か……。


 今までも髪色のことで奇異の目で見られ、そして今回の誘拐で、更におかしな目で見られるってことか……。



 ……俺は、…………俺なら。



「まぁ、まずは助け出さねばならん。すぐに答えを出さんでもよい。考えておいてくれ」


 俺は無言で頷き、その場を離れた。



 少し離れた場所に腰掛けた。色んな思いが頭を過る。


 日本での便利で快適な暮らし。

 苦しくも順調だった仕事。

 女手一つで育ててくれた母親。

 こき使ってくる姉、そのコピーのような姪。気のいい母国の歴史が好きな義兄。


 命の恩人で、兄のような親友のような田横。

 慕ってくれる可愛い弟のような田広。

 寡黙だが、いつも気遣ってくれる田突。

 親戚の頑固でうるさいおっさんのような蒙恬。

 父親の記憶が乏しい俺に、厳格で、優しい父親を感じさせてくれた蒙毅。



 そして、蒙琳さん。


 容姿も心も、いつも暖かい陽光を受けているような人。美しく可愛らしい人。

 何故か俺を好きになってくれて、そして俺が好きな人。


 もう出会って何年経つのかな。


 ……応えなきゃな。

 絶対無事に助けて、俺から言わないとな。



 そう心に決め、一つ息を吐く。

 まだ青く広がる空を仰ぎ、


「フラグじゃねーよな、これ」


 誰にも聞こえない声で呟いた。



 やがて今日もまた日が傾き始め、夕日が空を紅く染める。

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