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74話

少し遅くなりました。

『得意の口を働かせろよ』


 俺は先程の彭越(ほうえつ)の言葉を理解した。


 彭越が拷問役で俺が交渉役。

 ……やるしかない。やらなければ蒙琳(もうりん)さんが。


 俺は小さく息を呑み込んだ。

 そしてふっと短く吐いて、賊の側にしゃがみこみ話しかける。


「今、あんたの足の指を切り落とした男は、ある事情で雇っているあんたらの同業だ。官吏(かんり)じゃない」


「グ、グ……」


 聞いているのかいないのか、賊は痛みに(うめ)くばかりだ。


「これ以上何をするか、俺にもわからない。その指が全てなくなった後も。純粋に人を傷つけるのが好きな男なんだ……」


 その言葉に賊の身体が、ビクンと跳ねる。


「あんたは貴人(きじん)(さら)った。死罪は免れないと思っているだろう? しかしここに王族の田横(でんおう)様がいらっしゃる。素直に話すなら、俺が田横様に貴方の助命を頼んでもいい」


「おい、まだ一本目だぞ。次のに行かせろよ」


 彭越が押さえつけている膝に力を入れたのか、賊は恐怖に歯を打ち鳴らす。

 流石、いいタイミングで脅しをかけるな。


「ちょっと待って下さい」


 彭越を止め、再び賊に声を掛ける。


「たとえ命が助かっても、歩くのもままならなければ苦労するだろう? 今ならまだ一本だけだ」


 醜く歪んだ顔からその痛みを想像し、恐怖と憐憫(れんびん)が湧いてくる。

 しかし蒙琳さんを拐ったことへの憎悪で打ち消し、冷静に、そして優しく問いかける。


「今ならまだ間に合う。誰に雇われた?」


 ガチガチと歯を震わせる音がこだまする。


 彭越がそっと足の人差し指に刃を当てた。


「や、やめてくれ! やめさせてくれ!」


「誰に雇われたんだ?」


「グ、そ、それは…………ギッーーー!!」


 賊が言い淀んだ瞬間、彭越の小刀が動き始めた。


 ……賊の足の人差し指が落ちた。俺はため息を吐き、話しかける。


「わかったろう? 雇ってるとはいえ、俺もあの男が怖いんだ。今みたいに俺が止めてもヤっちゃうんだ」


 俺は困ったように、頭を振りながら賊に言う。


「俺もこれ以上あんたの指が無くなっていくところを見たくない。あんたが話せば、止めることができるんだ」


 汗と涙と鼻水と、そして(よだれ)にまみれた顔が懇願するように俺を見る。


「次だな」


 彭越の短い言葉に、賊はまた大きく跳ね、震える声で叫ぶ。


「や、やめ、いう、言うから! やめさせてくれ!」


 小刀が中指に押し当てられる。


「さぁ早く!今ならまだ間に合う! 誰だ?」


 必死に助けようとする仲間の様に問うと、賊がガタガタ頷き、泣き叫ぶ。


「ででで、でんあっ、で、田安(でんあん)に! 田安に頼まれた! 田安だ! やめて! 止めて! 止めてくれ!」


 田安。

 旧(せい)最後の王、(けん)の孫。

 臨淄で旧王族なことを鼻にかけ、傍若無人な振る舞いをしていた男。


 賊は予想外の人物の名を叫び、俺に彭越を止めるよう叫んだ。


 ◇◇◇


 その後も足の指に刀を当てながら問いただした結果、大まかな全容が見えてきた。


 田安は斉を奪うことを諦めておらず、田儋(でんたん)達、現王族の親族を人質にしようとした。


 しかし田儋、田栄(でんえい)の家族は屋敷から出ることが少なく、護衛も多いので誘拐するのは困難。

 そんな中、独り身のはずの田横(でんおう)の屋敷を度々訪ねる女がいるという情報が手に入った。


 その女は美しく、これは田横の愛人に違いない。


 王や宰相の親族程ではないが、(てき)の田氏で一番の勇将である田横の愛人である。

 人質に取れば、まともな指揮はできまい。


 さらには情に厚い田横のこと、一人きりで取り戻しに来いと呼び出せば、のこのこやって来るかもしれぬ。

 直系ではないにも関わらず王を名乗り、臨淄に居座る傲慢な狄の田一族。

 その一族であり有能な将が、一人減る。


 どう転んでも、事を有利に運べるはずだ。


 そしてこの策を図るため賊が雇われ、誘拐は実行された。



 なんてことだ。田安の見当違いな憶測で……勘違いで拐われたのかよ……。


「蒙琳殿は(ちゅう)からの文が届いていないか、度々我が家を訪ねて来ていた。それを見張っていたのだろう……」


 田横が悔しげに手の平に拳を打ち付ける。


 蒙琳さん……。


「よく調べもせずに、なんとも間抜けな話だ。田安という者の底が知れるな。おい、拐った後の予定は」


 一度話始めた賊は観念したのか、彭越の問いに泣きながらも素直に応える。


「うっうっ、ひ、東へ……東安平(とうあんぺい)の邑で田安達に受け渡す予定で……」


「……臨淄をどうやって出るつもりだ。人一人隠してどう運ぶのだ? たとえ隠せても門番に改められるはずだ」


 田横がさらに問う。


「ひ、人が入れるほどの水瓶(かめ)を用意していて、それに隠して……。門は、東門の門番を買収している……」


 どこかに潜伏して、臨淄を出るのは夜まで待ってかと思っていたが下準備はできていたようだ。


「くそっ、用意周到な!」



 俺が悪態をついたその時、誰かが猛然と近づく音が聞こえた。


「賊はどこだ! 琳は!」


 息を切らせた蒙恬(もうてん)が飛び込んできた。

 うつ伏せに倒れた賊を認め、荒い息も整えず駆け寄り、頭を押さえつけ叫ぶ。


「蒙琳を! 我が姪をどこへやった!?」


「ぐぅっ、うっうっ、ぜ、全部話したっ!も、もう勘弁してくれっ!やめてくれっ!うっうぅ……」


 賊は、蒙恬の鬼気迫る声と頭を押さえる圧力に、再び嗚咽を漏らし始めた。


「蒙恬殿、大方の事情は掴めました。外で話します。時間が惜しい」


 田横は蒙恬の肩に手を掛け、賊から引き離す。


 急ぎ俺達は外に出、衛兵らと共に馬車で東門へ向かいながら賊からの情報を蒙恬に伝える。


「勘違いだと!?」


 蒙恬は憤る。


「田安の思惑は外れましたが、蒙恬殿の姪と分かれば、また人質として利用されてしまう」


 少しだけ冷めた頭が、回り始めた。この後の行動を考えながら蒙恬に応える。


「雇い主は頭が足りんが、雇われた賊の奴らは人拐いに慣れておるようだ。すでに買収した東門を抜け邑の外かもしれんぞ。わしは一度宿に戻り手下を連れて来よう」


 彭越は鋭い目を細めると、馬車の速度を落とさせ、飛び降りた。


「この臨淄もまだ完全な統治には遠いということか……急ごう」


 田横が悔しそうに呟く。

 斉が建国され、田儋が即位して間もない。首都臨淄自体も最近統治下に入った。

 人が足りず、秦の支配下の時から継続して任じている役人も多くいる。汚職に手を染めていた役人がいる中で全て把握するのは困難なことだ。


 馬車はまた速歩(はやあし)に速度を上げ、東門へと向かった。

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