73話
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一台の馬車が臨淄の門から外に出ようとしている。
門番の二人が馬車に近付く。顔見知りなのか二三、言葉を交わす。
そして門番は、御者が懐から取り出した何かを素早く受け取り、馬車を通した。
門を潜り、東に走り去る馬車の荷台には、大きな瓶が乗っていた。
そう、人が入れそうなほどの大きな瓶が。
◇◇◇
田横の屋敷で行われた宴の数日。朝から彭越が挨拶に来ていた。安邑へと帰るという。
「秦がこのまま素直に滅ぶとは思えんし、反乱軍も一枚岩ではないだろう。どうもまだ一波乱ありそうだ」
安易に陳勝に与することは避け、安邑で漁師をしながら情勢を見守るそうだ。
そういえば今日は蒙琳さんも俺の文の練習のためにやって来るはずだ。
そろそろかな?
蒙琳さんは彭越のこと怖がってるよな。明らかに苦手なタイプだ。
まぁ、これでもう蒙琳さんが彭越と顔を合わせることはないだろう。たぶん。
庭で田横と彭越と話しているその時、凶報は届いた。
「田横様! 蒙琳様の御者の方が!」
田横の家僕が駆けてきた。
え、蒙琳さんの御者? 御者だけ? 蒙琳さんは?
俺達は門へと急ぐと、そこには腕を切られたのか袖から血を流す蒙琳の御者と、それを支える臨淄の衛兵か?
御者は俺達に気付くと衛兵の支えを振り切り、縺れる足で田横の前に跪く。
「蒙琳様が! 蒙琳様が!」
俺の胸がドクンと波打つ。
蒙琳さんが……?
「蒙琳様が、拐われ、ました……!」
血の気が引く。
気が付けば俺は、震える手で御者の胸ぐらを掴み、大声を上げていた。
「どこだ! 誰が! なぜ!?」
「落ち着け! 中!」
田横に肩を掴まれ、引き剥がされる。
「離せ!」
「落ち着け!」
「蒙琳さんが! なんで!」
田横を振りほどこうと暴れる俺の頬に衝撃が走る。
吹き飛ばされ地面に這いつくばった。頬が熱い。
「落ち着け、絶望よ。本当に絶望してどうするのだ。まず話を聞け」
拳を作った彭越が、俺を見下ろす。
彭越に殴られたのか……。
「感情で知を曇らすな。お主の無二の武器だろう」
田横が助け起こしてくれる。
ああ、そうだ、落ち着け……話を聞かないと。
「すまん。取り乱した。詳しい話を!」
敬語もままならないが、また御者に駆け寄る。
「私の方からお話しいたします」
衛兵が冷静な声で近づく。その顔に田横が軽く驚いていた。
「お主は、臨淄の城へ攻め入った時、門の守備をしていた指揮官か」
「はっ。田假達に捨てられましたが、田横様のお陰で命を拾い、こうして衛兵からやり直させて頂いております」
どうやら顔見知りらしい。が、今は。
「それで蒙琳殿は!」
「はい、御者殿の話ではこちらへ向かう途中での凶事で、賊は七人程。私達が駆けつけた時、すでに蒙琳様の姿はなく、蒙琳様の下女は息絶えておりました」
衛兵は簡潔で明確に状況を説明していく。
「そんな中、御者殿と護衛の方が賊に斬られながらも追い縋り、我らで一人を捕獲しました。現在、獄に繋いでおり口を割らせている所です。なお、護衛の方も……」
衛兵の冷静な口調のお陰で、少しずつ落ち着いてきた。
命を懸けて止めようとしてくれていたんだな。荒く詰問して申し訳ない……。
俺は心の中で謝罪し、上手く回らない頭を必死に働かせる。
「各門の門番に通達と蒙恬殿には」
田横が問う。
「すでに人をやっております。街中も衛兵が捜索しております」
田横は控えていた家僕を呼び、
「そうか、お前は兄上にこのことを伝えてくれ。獄に向かう。彭越、悪いな。またどこかで会おう。中、行くぞ」
田横は彭越に謝り、考え込む俺を呼び、門外へと向かおうとする。
「かまわん、行け」
頷き、払うように手を振る彭越。……彭越!
「ちょっと待ってくれ。彭越殿、帰るの延期できるか? 仕事を頼みたい」
蒙琳さんを誘拐する可能性がある一つは、秦。初代皇帝暗殺の罪を着せられた蒙毅の娘で、逃走した蒙恬の姪。
一族の連座の罪のため、それから蒙恬を誘い出すためか。
もう一つはただ単純に賊の誘拐。身代金か、蒙琳自体が目的か。
他にも可能性がありそうだが、今この状況では思い付かない。
なんにしても、誘拐のような賊的なやり方だ。彭越に手伝って貰うのが有効かもしれん。
「銭はあるのか?」
彭越が顎を擦り、俺を見つめる。
言うと思ったよ。
俺は急いで自室へ走り、そこにあった袋を掴み皆の所へ戻る。そしてその袋を彭越へ投げ渡す。
じゃらり、と鈍く音が鳴る。
「臨淄に家を持つための銭だ」
つい先日、家を持つためにもらった準備金だ。蒙琳のためなら惜しくもない。
彼は中身を見、少し考えた後ニヤリと笑い、
「まぁ前金にはなるか。よかろう、わしも行こう」
こうして俺達三人は、衛兵の案内で獄へと向かった。
◇◇◇
獄に着いた俺達は、足早に捕らえた賊の元へ向かう。
賊は井戸のような穴の側で縛られ座らされていた。あの穴が牢なのか。
この時代、鉄格子なんかないからな。円形に穴を掘ってそこに入れておけば、登れないから逃亡は難しい。
賊は衣服を引き裂かれ、そこから覗く身体には血が滲み、赤く腫れた跡が見える。
笞で打たれていたのだろう。
「田横様!」
笞を持った獄卒が田横に気付き、拝礼する。
「うむ、どうだ。何かわかったか」
「いえ……それがなかなか口が固く……」
獄卒は申し訳なさそうに応える。
「どれ、わしがやろう」
後ろで控えていた彭越が使いに行くような軽口で言い、俺の側を通り過ぎる。その時、
「得意の口を働かせろよ」
と小声で囁き、賊の側に立った。
獄卒は止めようとするが、田横が制した。
「ここは任せてみよう」
田横も、なりふりかまっている場合ではなく、彭越の賊ならではのやり方が有効かもしれないと判断したようだ。
賊は、前に立った明らかに堅気でない雰囲気の男に少し怯んだ様子であったが、笞で打たれた身体をよじって笑う。
「へっ、どんな強面が来ようと口はグヘッ!」
彭越は話している賊の頭を、後ろから踏みつける。
「別に話さんでよいぞ」
彭越はそう言いながら、うつ伏せ倒れた賊の膝の裏と足首の上に乗り、裸の足をしっかりと固定した。
「な、なにを!」
「気にするな。しっかり耐えて、ゆっくり楽しませてくれ」
後ろ手に縛られ頭を上げられない賊は、なにをされるのか見えない恐怖に駆られる様だが、彭越は飄々と応える。
そしていつの間にか取り出した小刀を足の親指に当て、ゆっくりと切り始めた。
「ギャッ」
賊の悲鳴にも動じず、
「小刀では骨を切るのに苦労するのう。骨の隙間を狙って……」
そう言いながら小刀を前後に動かしたり、捏ね回したり、少しずつ親指の根元を切っていく。
「イーーッ! やめっ! ガァッ!」
エグい……。ゆっくりなのが余計に痛みと恐怖を感じるだろう。
俺は胸が悪くなりながらも、その様子から目を逸らさずにいた。
吐いたりなんかしてられない。
蒙琳を助けるために。
やがて赤く染まった地面に親指が切り落とされた。
「う゛う゛う゛」
「ふう、まず一本。あと九本か、いや手もあるから十九か。まだまだあるな」
痛みで呻く賊を余所に、彭越は酒瓶の数でも数えるように楽し気な声を出す。
そしてチラリと俺を見て、顎をしゃくる。
『得意の口を働かせろよ』
俺は先程の彭越の言葉を理解した。
次回は木曜日に更新予定です。
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