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72話

 陳王(ちんおう)陳勝(ちんしょう)は誰もいない謁見の間の王座に座り、これまでのことを考えていた。


 大沢郷(だいたくきょう)での決起。

 自ら先頭に立って戦った日々。

 (ちん)を落とし張楚という国を建て、王となった。


(もう十分ではないか)


 そんな言葉が頭の中で浮かぶ。


 日陰にしか住めず、税も払えなかった自分が王を名乗るまでになったのだ。


(失うのが怖い)


 また頭の中で浮かぶ。


 陳勝は頭を振り、その言葉達を掻き消す。


 秦の打倒を掲げているのだ。

 その旗を上げているからこそ、これだけの力が集まって来たのだ。


(ここで旗を下ろす訳にはいかん)


 臣下達は軍を率いて支配地を増やしている。


(そうだ、未だ我が軍は勝ち続けているのだ)


 ()へは周市(しゅうふつ)をやり、順調に進撃している。

 (ちょう)の地は武臣(ぶしん)張耳(ちょうじ)陳余(ちんよ)を付け、魏よりもさらに早い勢いで平定を進めている。


 南は会稽(かいけい)で旧()の大将軍項燕(こうえん)の子が起ったようで、そこは様子見である。


 ここで待っていれば、力の差を目の当たりにして、向こうから(こうべ)を垂れに来るのではないか?


 思考が楽観的な予想に甘える。


 今やこの地(ちん)で王座に座しているだけで、各地に領地が拡がっているのだ。


 項燕の子が望めば、それなりの役職を与えてもいい。なんならそのまま会稽郡の郡主を任せてもよい。

 有能で自分に忠実であるならば令尹(れいいん)にもしてやろう。


 反乱直後、項燕の名を騙ったこともあり、後ろめたい気持ちがある。

 まして楚人にとって項燕将軍は英雄だ。

 陳勝は無意識に、英雄の子相手に気後れを感じている。



 西以外は順調に勢力を伸ばしている。


 西征へと向かった仮王(かおう)呉広(ごこう)は難攻不落の城、滎陽(けいよう)に籠る李由(りゆう)を攻めあぐね、その足を止めていた。

 滎陽を包囲し、無為の日々を過ごしている。


 秦の本拠が西にあるので、その抵抗が激しいのは当然である。

 当然ではあるが、陳勝は呉広に軽く失望した。


(呉広は仲間想いの気のいい奴だが、上に立つ者の器には足りぬのかもしれん)


 王には王の、人の上に立つ者にはそれ相応の振舞いが必要である。侮られてはいけない。


 陳勝はそう考える。


 そこへ一人の男が別軍による西征を願い出た。

 その男の名を周文(しゅうぶん)という。


 周文は、項燕将軍の(もと)視日(しじつ)の官に就き、またその後、戦国四君(せんごくしくん)の一人春申君(しゅんしんくん)にも仕えた。


 占卜(せんぼく)の官で軍を指揮したことはないが、常に項燕の側にいて戦の呼吸を学んだという。


「私が一番、項燕将軍の戦を知っております」


 そう語り、自分に西征の命を下すよう要望する。


 実はなぜか秦軍の最大戦力である北方の守備隊が、未だ上郡(じょうぐん)から動いていない。

 もし、この軍が南下し滎陽を攻めている呉広の軍に迫れば危険である。早く滎陽を落とさねばならん。


「よかろう。滎陽の仮王を(たす)けよ」



 ここで手を振れば、将が動き、兵が走る。


 これで、よいだろう。

 これが、王なのだろう。



 ◇◇◇



 周文は西征の命を受け、その胸を熱く震わせていた。

 項燕将軍に付き従い幾度と知れぬ戦を経験した。秦の二十万の大軍相手にも打ち勝った時も従軍していた。

 そして秦の王翦おうせんに破れた時も。


 王翦は六十万もの兵を率いてやって来た。

 いくら項燕将軍が名将で楚兵が精強とはいえ、秦の知将と圧倒的な数の前に、楚軍はなす術なく溶け去った。


 しかし今こそ復讐の時だ。

 秦に名将はおらず、北の主力が来ようとて兵数はこちらが勝っている。


 項燕将軍の仇を討ち、秦を滅ぼす。

 我が槍を咸陽まで貫き通す。


 私が項燕将軍の後継者なのだ。



「目標は函谷関(かんこくかん)だ」


 仮王呉広が攻めている滎陽を超え、洛邑より西。

 この関所は戦国時代に建設されて以来、未だ破れたことのない。あの信陵君(しんりょうくん)でさえ突破を諦め、軍を返した真の不落の砦である。


「滎陽の仮王を援軍に行くのでは……」


 仮王呉広は滎陽を攻めあぐね、軍を止めている。それを無視してさらに西へ進むのか。


 部下の常識的な問いに周文は応える。


三川(さんせん)郡は滎陽に兵力を集中し手薄である。この機に一気に攻め上がる。洛邑(らくゆう)を押さえ函谷関に至れば、滎陽は挟まれることになり動揺しよう。それが仮王の援助となる」


 おおっ、と部下から感嘆の声が上がる。


「函谷関の兵も、滎陽を無視して向かうとは思っていまい。その隙を突く。三川郡まではゆるりと募兵をしながら行く。郡に入ってからは速さが命だ」


「おおっ、さすが項燕将軍の戦を知るお方だ」


 周文は気を良くし、さらに続ける。


「函谷関を落とせば秦の首都咸陽(かんよう)は目と鼻の先。喉元に刃を突きつけた様なものだ。我らの命運を賭けた戦いである。心せよ」


「はっ」


 部下の張りのある声に、周文は満足気に頷く。

 従軍経験は豊富であるが、視日の官であった。

 将として初めて軍を指揮する高揚感に頭の奥が痺れる。


 仇討ちの熱い想いと、大軍を率いる全能感に酔いそうになるが、冷静にならねばと自戒する。


 咸陽に兵は少なく主力も未だ北の地で、間に合ったとしても二十万。

 こちらは道々集めて進めば四、五十万にはなろう。


 いくら一人一人が強かろうと、倍以上の兵には勝てない。

 王翦との戦いで学んだことだ。


 どこかから兵が湧き出ぬ限り、必ず勝てるはず。



「西へ!」


 周文は軍を発した。

令尹 (れいいん)

楚国の宰相。


視日 (しじつ)

戦争時、吉兆の日を占う。


春申君 (しゅんしんくん)

戦国四君の一人。名を黄歇(こうあつ)。戦国時代、楚の政治家。

主に外交で活躍し、秦の人質となっていた楚の太子(かん)(後の考烈(こうれつ)王)を密かに楚に帰国させ、王として即位させた。この功績により、令尹と領地を与えられ、春申君と号した。

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