65話
引き続き田横視点です。
六千の兵を蒙恬殿と率いて門から入場し、城へと向かう。
城までの通りは人が少なく、皆家屋に避難しているのだろう。
高陵君の言うとおり、田假は手勢を全て城へ集めたようだ。
油断なく兵を進め、城門の前へとたどり着いた。守る兵が慌ただしく叫んでいる。
「き、来たぞ!」
門前に戟や槍を手にした者達。さほど高くない城壁の上に弓兵がいる。その数は千程か。
「では手筈通りに」
蒙恬殿は兵を広げ、城門を囲うよう指示を出し、俺は兵達の前に歩み出る。すでに矢が届く距離だ。
そして守備兵達に向けて大喝する。
「門を開けよ!」
門前の者達に動揺が広がる。
「あっ」という声と同時に一本の矢が飛んできた。
俺はそれを剣で払う。力のない矢だ。
極度の緊張からか、弓矢を構える手が滑ったのだろう。
後ろの軍が殺気だつ。それを振り返らずに手で制し、もう一度さらに大きな声を発した。
「戦力差は明らかだ!投降すれば命はとらん!武器を捨てよ!」
今、敵味方に別れているとはいえ、彼らも臨淄の民、斉の民だ。できることなら争いたくはない。
暫くの沈黙の後、一人の男がカランと戟を落とす音が響き、周りに何かを語った。
それが引き金となり、守備兵達は次々に武器を捨て、その場に膝をついた。弓兵もその手に持つ弓を城壁から投げ捨てた。
俺は心の中で一息つき、
「彼らを捕らえよ。手荒な真似はするなよ」
兵達が駆け出す。蒙恬殿が包囲を縮めるよう指示を出す。
「蒙恬殿はここで包囲の指揮を頼みます」
「承った」
俺は駆ける兵達の中、城門へと歩き出した。
連行される守備兵達の一人、最初に武器を捨てた者に近づき、話しかける。恐らくここの指揮官だろう。
「無用な血を避ける英断であった」
縛られた指揮官は、膝立ちで胸を張り、堂々とした態度でこちらを見上げ、
「ここを守っていた者達は、様々な理由から田假、田安に従わねばならなかった者達でございます。どうかご配慮賜りたい」
恐らく家僕や小作、または借金か。
「わかっている。無下にはしないと誓おう。奴らはどこか」
俺は膝を折り、指揮官と目線を合わせ約束し、田假達の行方を問う。
「私どもはここを守って時間を稼げ、と申し付けられただけでございます。まだ城内に居るかも定かではございません」
捨て駒か。舌打ちしたい感情を抑える。
非情な……。
頭では理解できるが、心が沸き立つ。
「手勢はまだ多いか?」
怒りと憤りを自覚し、なるべく声を低く抑えて、問う。
指揮官は部下達の処遇に安心したのか、静かに語る。
「役人と城内の守備で二百ほど。別れて警備をしているはずです。後は彼らの親族、近しい従者とその護衛が百足らず」
「わかった」
俺は立ち上がり、兵の元へと戻る。
それにしてもあの指揮官、部下を無駄死にさせぬ判断力、物怖じせず助命を嘆願する肝の据わり様、簡潔で的を射た報告、なかなかの男だな。後で俺の元で働かぬか尋ねてみるか。
兵の中から二千を引き連れ城内に入る。
収まらぬ感情を声に乗せ、兵達に指示を出す。
「伍を組み、城内を捜索する!組同士はあまり離れるな!田假達を見つけたら速やかに報告だ!」
兵達は五人一組になり、城内へと向かう。
荘厳で重々しい雰囲気の城内は、今は喧騒に包まれている。
俺も兵を伴い、田假達を探す。武器を持たない役人が逃げ惑う中、守備兵数人と鉢合わせた。お互い剣を構える。
「大勢は決した。武器を捨て投降せよ」
「うるさい!」
玉砕覚悟かやけくそか、そう叫ぶと襲いかかってきた。
これ以上の勧告は無理だ。やはり一滴の血も流さず、とはいかないようだ。
俺は振り下ろされる剣を半身で躱し、最短距離で喉を突く。
「グッ」とくぐもった音と真っ赤な鮮血が口から漏れる。素早く剣を引き抜き、崩れ落ちる敵を横目に部下と剣を交わしている一人を斬り伏せる。反転してもう一人。
「今の騒ぎで守備兵が集まってこよう。増援を呼んで来てくれ」
その場の敵を倒し終え、部下の一人に声をかけた。
部下は拝手し、駆け出す。
俺はその場に留まらず先へと進む。
長い廊下を渡り、謁見の間へと入ると、そこには二十人ほどの兵と、一人の質の良い鎧を着けた男が待っていた。
「お主は……田都か」
指揮官と思われる鎧の男の名を呼ぶ。臨淄の田氏の一族で田假、田安の護衛。
「田横か」
こちらは十人余り。雑兵達だけなら、なんとかなるかもしれんが、田都は武人として名が通っている。
負けるつもりはないが、ちと不利だな。しかし増援が来るはず。
「お主らの敗けだ。降れば命は助けよう」
俺の言葉を田都は鼻で笑い、剣を抜く。
「信じると思うか?」
「田假達はどこだ」
「言うと思うか?」
田都は剣をこちらに向け、
「臨淄を出る手土産に、お前の首をもっていくとしよう!」
兵が駆け寄ってくる。
くそっ、あの男の煙に巻くような弁才があれば、増援を待つ時間稼ぎができたものを。俺にあやつの真似は無理だな。
この不利な状況で、なぜだか笑みが零れた。
仕方がない。俺は俺らしく、あやつの真似できんこの剣で時間を稼ぐとしよう。
「もうすぐ増援が来る!守りを固めろ!」
励ましながら、剣を振るう。部下と一つに固まり、攻勢に耐える。
一際鋭い斬撃が襲ってくる。田都。
剣を弾き、横凪ぎに振るう。が、一歩退がられ避けられる。
隊列を崩せないために踏み込みが甘い。
「噂ほどの腕ではないではないか。田横」
ニタリと笑い、挑発してくる。腹立たしいが、乗る訳にはいかん。
それにしても、あの余裕は……。
「この包囲の中、逃げられると思っているのか」
田都はニヤニヤと笑いを治めず、
「思っていないと思うか?」
こやつっ……!
いや、落ち着け。あやつの煽り口よりマシだ。
俺はふぅ、と息を吐き肩に入る力を抜く。
その時、
「田横様!」
増援の声と足音が聞こえる。よし、これで、
「攻勢に出るぞ!」
その言葉と同時に、増援の組が部屋に入ってきた。味方の士気が上がる。
徐々に押し返し、乱戦となった。
俺は再び襲ってきた田都の剣を躱すと、今度はしっかりと踏み込み斬り払う。
「くっ」
田都は、かろうじて剣で受けるが力負けして、たたらを踏んだ。
追撃を掛けようとするが、田都はよろけた勢いのまま頭から飛び、転がって退いた。
ほう、不恰好だがなかなかやる。
素早く立ち上がった田都の顔から漸く、あの憎たらしい笑みが消えていた。
「これでも、噂ほどではないと思うか?」
田都は顔を紅く怒らせ、歯を軋ませる。
「田横にかかれ!奴さえ殺ればよい!」
田都へ向かって駆ける俺を、二人の兵が阻む。
剣を振る間も与えず一人を斬り捨てる。もう一人の突いてきた剣を躱し、脇で腕を固め剣の柄で側頭部を強かに殴る。
意識を失う兵を離し、田都を探す。謁見の間から出ていく奴の姿が見えた。
「逃がすか!」
しかしまたも行く手を兵に阻まれ、田都は視界から消えた。
次々と到着する増援に、戦局は一気にこちらへ傾いた。
俺は部下にその場を任せ、増援の一組を引き連れ田都を追った。
城は包囲されている。どこか城内に隠れたか。
一部屋ごとに確認するが、その姿はない。
やがて部下の一人が、俺を呼ぶ。
「こちらに!」
俺は声のする部屋へ急いで向かった。
その部屋は、床の一部の石畳が剥がされ、地下へと続く階段が現れていた。
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