64話
田横視点です。
俺は今、従兄で斉王の田儋と、兄田栄と共に臨淄を囲んでいる。
斉を復興し、狄とその周辺を治めた。
その後、俺は兵を率いてその範囲を拡大し、さらに勢力を広めた。
斉王の名声か、打倒秦の渇望か。
殆どの邑は、抵抗する県令や役人を追い出し、俺達を迎えてくれた。
兵として参加する民も多く、斉軍は瞬く間に万を超えた。
そして兵の数が三万を超えた今、臨淄を再び斉の首都とするべく、軍を進めた。
臨淄は現在、この郡の郡都でもある。郡都が落ちれば斉国の拡大はさらにやり易くなろう。
臨淄の外壁を囲み、降伏の使者を郡守へと送る。城の中にも協力者は多くいる。説得が成り、明け渡す可能性は大いにあるだろう。
門に睨み、旅立った友を思う。
旅立って一ヶ月余り。奴は首尾よく反乱軍の首領に会えたのだろうか?
「田横殿、南へ向かった口達者の心配かね」
蒙恬殿が俺の横に並びかけ、同じように城門を眺める。
「あやつが出かけてから琳も元気がない。あの貧弱な男のどこが良いのか」
蒙恬殿がため息を吐く。その様子に俺は苦笑いを浮かべた。
「田広も話し相手がおらず、淋しそうです。いつも蒙琳殿と、あの男の取り合いをしておりましたからな」
あの男は奇妙で奇抜で面白い。しかも語り口が上手いのでついつい引き込まれる。
故郷に伝わる物語なぞを話し始めたら、田広などは夢中になって稽古の時間を忘れるほどだ。
三国に別れて英雄が争う戦記物や、学者が猿の仙人、豚の怪物、河伯を供に貴重な書を貰い受けに行く冒険譚などは、俺も不覚にも時を忘れて聞き入った。
「それにしてもあの男は不思議よのう。戦なぞ縁の無い様子であるのに、軍学についても多少の覚えがあるようであった。まぁ机上の事だけのようだが。一体故郷でどんな地位にいたのか」
荒事にはまるで向いていない。襲われたら守りに徹するように言ったが、大丈夫だろうか。
どこかで、やられたりはしていないだろうか。
武芸は素人だが、知識は豊富で学があり、算にも長けている。立ち振舞いも形が違えど洗練されている。政争に負けて追放された卿位の者かとも思ったがそんな暗さはない。
そして誰にでも腰が低く、貴賤の区別も無い。
小心者かと思えば、落ち込む俺を怒鳴り、奮い起たせる熱い心も持っている。
なにか言い出せぬものを抱えているようだが、俺にとっては大したことではない。
どんなことであろうとも、俺とあの不思議な男の関係が壊れることは無いと思える。
奴との出会いを思い返そうとしていた時、臨淄の門が開き始めた。
「説得できたかの?」
蒙恬殿が期待に声を漏らす。
臨淄が本気で抵抗すれば、周辺の邑と合わせ、兵の二、三万は動員できる。周辺は抑え、内部に協力者がいるとはいえ、厳しい戦いになるだろう。
「無用な血が流れずに済めばよいですが」
俺は、蒙恬殿と共に軍勢の前に出る。
門から使者と共に一人の男が出てきた。一人か……、記憶している郡守とは違う。
二人は我らの前まで歩み寄り、使者が語る。
「臨淄の民の代表で高陵君、顕様です」
男は拝手し、深く頭を下げ、説明を始めた。
「小胆な郡守は狄の斉軍がこちらに向かったと聞き、既に逃亡しました。これを好機と民を集め、貴軍を迎えようといたしておりました。しかし郡守不在に乗じて田假達が臨淄を治めようと、城を占拠しております。傲慢で私欲に囚われた彼らですが、従う者も少なからずおります」
旧斉最後の王の弟、田假とその一族か。この機に奴らも動いたか。しかし血統貴くとも、悪評高く我欲にまみれた奴らに、この斉を任せるわけにはいかん。
「しかしながら心ある多くの民は、仁徳篤い斉王、田儋様の到着を待ち望み、現在臨淄は紛糾しております。幸いにも外門は我らが抑えております。仮初めの悪徳の王を放逐すべく、斉王のお力にすがりたく思います」
この高陵君は、田假達に対抗している側の代表か。
外門を抑えて我らを待つ辺り、なかなかの手腕であるのだろう。
「わかった」
高陵君を連れ、軍の中程に居られる斉王の元へ向かいながら、臨淄やまだ治めていない周辺の様子を聞く。
彼の語り口は、装飾が多いが清浄で華がある。あやつの弁舌とは正反対だがこれもまた弁才だろう。いや、これが正道か。
馬車に乗った王の姿が見えた。
その姿は、歴代の王にもひけをとらぬ威厳と、生来から持つ包容力を感じさせる。
斉王を名乗ったその時から、日に日に風格が増している。
従兄の王の器が大きくなっている。
高陵君はその王の威容に打たれたのか、自然と膝をつき、頭を垂れ恭順の意を示した。
「田假達に対抗する臨淄の民の代表、顕殿です。高陵君と呼ばれておられるそうです」
俺は王へ、高陵君に聞いた経緯を説明する。
王は緩やかに頷き、馬車から降りると高陵君へと歩み寄り、低く深い、しかし柔らかな声で語りかけた。
「門を開けてくれたのはお主か」
その声に頭を垂れる高陵君の肩が震えたが、一拍の後に落ち着いた声で臣従を誓う。
「ははっ、かつての王族に連なる血胤として、非才なれど微力を持って臨淄の平穏を守りたく、斉に安寧をもたらす王の御来光、心待ちにしておりました。この臨淄の民を代表し、斉王に忠誠を誓います」
王は高陵君の肩に手を掛け、彼を立たせる。
「うむ、我らを迎えてくれたこと、感謝する。これからは我の元でその才を振るってほしい」
その言葉に感激したのか、高陵君はまた肩を震わせ拝手した。
「王よ、田假達を」
「うむ、腐敗していようと、奴らも王の血族だ。協力する者達もいるようだ。栄」
傍らに控えていた兄上が進み出る。
「高陵君殿、田假達の兵力、状況は」
「斉王の軍が現れたと知り、手勢は全て城へ集めたようです。その数は多くとも二千には届きますまい。多くの民、兵は事の行く末を静観しております」
兄上の問いに高陵君は淀みなく応える。それを聞いた兄上は
「蒙恬殿、横。兵を率いて城を囲み、田假達を捕らえよ。抵抗するなら斬り捨ててもかまいません」
「それは、……いや、それでよい」
王は言いかけた口をつぐむ。
王の躊躇が見えた。一族を斬ることに抵抗があるのだろう。
一族思いで、寛大なご気質だ。それが弱味になることもあるが、従兄はそれで良いと思う。
それが魅力なのだ。俺や兄上が引き締めればよい。
まぁ、俺も甘いので、主に兄上がか。兄上には損な役回りをさせているな。
俺と蒙恬殿は軍中へと戻り、兵を門へと進ませた。
河伯 (かはく)
黄河の神。河童の元となったという説がある。
「西遊記」の沙悟浄は日本では河童(岸部シロー)だが、中国では河伯とされている。




