59話
「今の状況は?劉邦殿達は?」
俺は痛む頭を抱えて、上体を起こす。
「田中殿が気を失って、ほどなく劉邦殿達は沛へと入場いたしました。大きな混乱もなく迎えられ、今はこの県廷で政務の引き継ぎと今後についての会議をしておられます」
田突が応える。
そうか、ここは県廷の一室か。外を見ると曇り空から光が見える。まだ夕方にもなっていないようだ。
「俺はどのくらい寝ていたのでしょう」
「今が昼を超えたところなので、二刻程でしょうか」
一刻が二時間だから四時間か、結構寝ていたようだ。昨日夜が明ける前に出たから寝不足もあったかな。
「田中殿!頭は大丈夫ですか?!」
劉邦の部下に俺が目を覚ましたことを伝えた華無傷が、また駆け寄り心配そうに聞いてくる。
華無傷よ、心配してくれるのは嬉しいけど、その聞き方は誤解を生むぞ。俺が頭おかしいみたいじゃん。
改めて自分の頭を触る。こめかみの上辺りに大きなたんこぶができている。腫れてるってことは大丈夫かな?
「まだ少し痛みますが、大事ないでしょう。大きなこぶができましたが、それくらいかと」
後は両腕に痣ができている。あの門番長の拳から頭を庇ったからだ。
「田中殿、申し訳ありません!」
華無傷が膝をついて頭を下げる。え?なんで?
「護衛の俺が防がなければならなかったのに!田突殿が振っていた旗に気を取られて……」
華無傷は鼻声で何度も謝ってくる。
あー……この若者、軽い感じだけど、責任感は強いのな。熱いね。
「華無傷殿、あなたのせいではありませんよ。完全に俺の油断です。あの男が襲って来るのをぼうっと見ていた俺が悪いんです。横殿に持たされた剣も抜かずにね」
そうだ、俺が悪い。咄嗟のことに逃げもせず、剣も抜けず。
甘く見ていた。まだ心のどこかで、斬るのも斬られるのも他人事だと思っていたんだ。
もし、あの男が剣を持っていたら……。
「華無傷殿は俺をすぐに助けてくれましたよ。だから頭を上げてください」
「しかし」
赤い目をした華無傷がこちらを見る。
「これからは俺の稽古に付き合ってください。無手の相手ぐらい自分で何とかしないとね。皇帝くらい護衛の人を付けてくれるなら別ですが」
俺は苦笑いで応えた。
華無傷は一度鼻をすすり、立ち上がって、
「わかりました!一緒に訓練して立派な武人を目指しましょう!」
いや、武人にはならないから。護身のためだから。
俺と華無傷が話していると、
「おう、目が覚めたようだな」
劉邦が訪ねてきた。後ろに蕭何と夏侯嬰が控えている。
「最後の最後でやられたんだってな。カカカッ、死なずにすんでよかったな」
劉邦は他人事のように笑う。
あんたの依頼でこうなったんだが。
まぁ完全に自分の落ち度だ。こんなことで恩着せがましいことは言うまい。
「そうですね。油断しました。私も詰めが甘かったようです」
チクリと皮肉をいうが、劉邦は気にもとめず、上機嫌だ。
「しかし随分早い占領劇だったな。長老や門番から聞いたが、なかなかの小芝居だったようだ」
「それはどうも」
ふと、劉邦の頭を見ると、今までは布で結っていただけだったが、冠が乗せられている。
俺の視線に気付き、劉邦は少しばつの悪そうな顔をして、
「これか?いやぁなに、沛の主になったんだからよ、そのうちもっと良い物を造るが今はこれしかなくてな」
なにやら恥ずかしそうに早口で言い訳を始める。
「竹ですか?珍しいですが、模様や色合いに独特の風情があって、渋くて良いですね」
俺が竹でできた冠を誉めると、劉邦はカッとその大きなギョロ目をさらに大きく見開き、口の端を歪めた。
「お、おお、まぁな。わかるか、この冠の良さが」
そう言って咳払いをし、目を細めた。鼻の穴がピクピクと膨らんでいる。
「はぁ、竹の自然な模様や光沢を生かしていて、見事な物だなと思いま」
「聞いたか!お前ら!どうだ、わかる奴にはわかるんだ!」
劉邦はいきなり振り返り、蕭何達に捲し立てる。
「いやぁ、こいつらは雅味ってもんがわかっちゃいねぇ。嬰なんざ昔、この冠を見て『何かの呪いですか?』なんて言いやがるから半殺しにしてやったぜ」
なにそれ怖い。冠を馬鹿にしたら半殺しって……どん引きなんですけど。
夏侯嬰は苦笑い。いや半殺しにされて苦笑いですますんかい。
「田中よう」
劉邦が笑みを収めて、俺を呼ぶ。
「お前、俺の下に付かんか?」
いきなりの発言に蕭何、夏侯嬰は驚き、戸惑う。田突、華無傷は公然と行われる引き抜きに怒気を膨らませた。
「蕭何は内向きの事にゃ並ぶ者がいねぇ。曹参は文武とも申し分ない。嬰も御車と気概は誰にも負けねぇ。他にも頼りになる奴は多くいる」
劉邦は振り返り、蕭何達に聞かせるようにいう。そしてこちらに向き直り、
「だが、お前のような弁舌と策謀を持つものがいねぇ。多分お前は大きな戦略も観えてるんだろう?」
いや、戦略ではなく薄い歴史の記憶なんだけど。
「もし、うちに来るなら俺の補佐として次席の地位をやる。どうだ?」
周りの者達の息を飲む音が聴こえる。
劉邦の次の地位か。
漢が中国統一するのを待って、現代に帰る方法も探しやすいだろうな。
もし帰れなくても、次席っていったら丞相か。優雅で豪奢な暮らしができるな。
何だかんだで、このおっさんのことも嫌いではない。なんとなく相性もいい気がするし、正直付いていきたいという魅力も感じる。
これが田横と出逢う前なら。
田家に、蒙家に、他の皆に出逢う前ならな。
「劉邦殿」
「おう」
俺はニヤリと笑い、
「この田中を見損なわないで頂きたいですね。狄の田氏として一族を、世話になった人達を見捨てるような真似はしませんよ」
「そうか、言ってみただけだ。この竹冠の良さがわかる奴が欲しかったんだがなぁ、カカッ」
劉邦もニヤリと笑った。
周りの空気が弛緩する。
田突と華無傷、あからさまにホッとしてんじゃん。行くわけないじゃん、今さら。
……ちょっと惜しい気もするけど、今さらだな、コンチクショウ!
俺は、俺しか知らない将来を約束された勧誘を断った。でも何故か気分がいい。
俺は二人に向かって笑顔を見せた。
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