58話
(田中さん、また契約取ったらしいですよ)
(あー、口だけは巧いからなぁ。上司に媚び売ってるしな。こないだも契約取れそうな所回してもらったんだよ)
少し離れたデスクからコソコソと聞こえる。
同期と後輩の声だ。
アホか。上司が回してきたのはとんでもない頑固爺で自分じゃ手に負えなくて、俺に振ってきたんだ。
陰口を聞きながら見積書を作成していると、スマホが鳴る。
件の頑固爺だ。
「はい、田中です。ああ、島田様お世話になります。え、気持ち悪いってひどいなぁ。はい、わかりましたよ。それでお爺さん今日は?」
この頑固爺は他人行儀を嫌う爺さんだった。懐に入れば、口は汚いが悪い人ではない。ツンデレ爺さんってやつだ。
「あー、わかりました、ではこれから向かいますから待ってて下さいよ。自分で全部しちゃいけませんよ、絶対腰痛めるから」
俺の仕事はアパート、マンションの賃貸経営、管理の営業だ。
「ウン十年一括借り上げ」とか、アパートやマンションを建てて大家として老後の生活を楽にしましょう、というアレだ。
まぁ、金を持ってる老人を騙してるとか評判は良くないが、ちゃんと場所を選んで、ちゃんとした住居を建てて、ちゃんと経営すれば、ちゃんと利益は出るんだ。
今回は爺さんの持ち家がアパートになる。説得には時間を要したが、何とか契約に持ち込めた。
今日は引っ越しの準備で、家にある物を整理をするらしい。
引っ越しの手伝い?いえ、個人的なお掃除のお手伝いですよ。
俺の仕事の範囲外ではあるが、わざわざ電話してきたんだ。手伝わねばなるまい。
「ちょっと島田様のところで荷物整理手伝ってきます」
俺に丸投げした上司へ嫌みな視線と共に、一言いって事務所を出る。
(契約交わしたんだから、もうご機嫌伺いなんかいいのにな。なにやってんだか)
同僚と後輩はまだ言っている。
そういうところだぞ。契約交わしたら終わり、なんて思ってるから取れないんだ。
メンテ、リフォーム、後々の事考えたら、良好な関係を築いていた方がいいに決まってる。
それができてないから、おまえらクレーム処理ばっかじゃん。
まぁ、それだけじゃないけど。爺さんを放っておけないてのもあるしな。
車に乗り込み、爺さんのもとへ向かう。
「おう、来たか」
「はい、島田様、本日はお呼びいただきありがとうございます。私、田中に何なりとお申し付けください」
「やめろ、気持ちわりぃの。爺さんでいいって言ってんじゃろう」
「ははっ、まぁあれですよ。一応、一言目はちゃんとしないとね」
この爺さんは敬語もやめろと言ったが、そこはけじめだ。売り手と買い手だ。
「そういやちょっと契約の確認じゃがの」
「あ、はい」
俺は持参していた契約書を取り出し、爺さんと二、三契約についてのやり取りを交わす。
「ところで田中よ」
「はい?」
「お前のう、もう少しマシな判子を使わんか。高額の契約しとるんだ、それなりに見栄えするもんの方がいいぞ」
爺さんは俺の判を指しながらいう。
ああ、この判子って大学の入学祝いで親戚にもらったやつだな。そういや自分で判子造ったことないな。
「そうですねぇ。お爺さんの契約はもうこの判で押してしまいましたが、今度造りますよ」
今度の休みにでも造りに行こうか。
「では、荷物の整理をしましょうかね」
住み慣れた家を取り壊し、隣の畑も潰して、新築するアパートの一室に入る爺さんの残す荷物は少ない。
「はぁ、すっきりしたわい。ご苦労だったの」
大量の処分品を整理し、漸く一息つく。
「でもこんなに捨てていいんですか。思い出の品とかあるんじゃないんです?」
爺さんは苦笑いを浮かべ、
「あっても荷物になるだけじゃし、どうせ取って置いても忘れる。どうせわしが死んだらこの家ごと全部ゴミじゃしな。まぁアレじゃ、終活ってやつじゃな」
「……そうですか」
俺は部屋に並べられた段ボールを眺める。
爺さんは一人暮らしだ。奥さんも亡くなられ、子供はなく、親戚付き合いも薄いようだ。
この家もなくなる。爺さんの生きた証のような家も。
俺が潰すようなもんだな。
「まぁ十分生きて、後は死ぬだけだと思っておったが、アパートの大家でもすりゃ少しは生活に張りが出るわ。寿命が伸びるかもしれん」
そう言って爺さんは、ニヤリとした笑みを向け、俺と一緒に荷物を眺めた。
「はぁ……」
帰りの車で盛大にため息を吐く。
俺、この仕事に向いてないのかなぁ……。
確かに人より契約取ってるけど、なんかいつもああいう場面に落ち込むなぁ。
悪いわけじゃない、爺さんも生活に張りが出るって言ってたし。
いや、でも本心じゃないよな。
生きた証か……。
そんなもの残せる人ってそういないよなぁ。
歴史上の人物とか?そんなもんだよな。
なんかとりとめのないこと考えてるな。それより仕事……転職しようかな。
でも成績いいから給料はいいんだよなぁ。
うーん、ああ、なんか考え過ぎて頭痛くなってきた。
あー、痛いわ、これ。
って、え?なんか凄く痛いんだけど!ヤバいくらい痛いぞ!てかこれ頭の中が痛いというより、外が痛い!どこかで打ちつけたみたいに痛いぞ!
気付かないうちにどこかで打ったのか?いつ?どこで?イテテテッ。
あ、そうか。
俺は部長にタックルをされて。部長か?いやいや部長がタックルするか?しそうだ。「田中ーー!!よくやったー!」とかってタックルしてきそう。学生時代ラグビー部だったって言ってたし。
いやいや。まだなんか記憶が混乱してるな……。
そうじゃなくて。門番長だ。
うん、そうだった。
今、俺田中じゃなくて、田中だったわ。
俺は痛む頭を抑え、ゆっくりと目を開けた。
「田中殿!」
「中殿、気がつかれましたか」
俺の起きた気配に華無傷と田突が側へと駆けてきた。
だよな。夢じゃない。
俺はこの古代中国で、「田中」やってるんだな。
心配そうに覗き込んでくる二人に、俺は少し笑顔を見せる。
華無傷は泣きそうな顔で、田突はまだ心配そうだが、彼らは俺の笑顔に笑顔で応えた。
ご先祖様、田中でありがとうって言ったけど、「田中」のおかげで凄く大変なんですけど。
でもまぁ、やっぱり、ありがとう。
次回投稿もなるべく早く出来るよう頑張ります。




