55話
「今は忙しいのだ!後にせよ」
県廷へと赴いた俺達は役人に県令への面会を乞うが、一蹴された。
これはさっきの偽の文のせいだな。
「そこをなんとかお会いできませんか。こうして皆で来ているのです」
俺は後ろに続く大勢を指し、役人に告げる。
「それにお忙しいのは劉邦の件ではごさいませんか?私共もその件で伺ったのです」
役人は、住民達の多さに少し怯みながら応える。
「劉邦の居場所のことならすでに知れた。そんな大勢で来なくともよいではないか」
俺は頭を振りながら、口に手をかざし密やかに話す。
「いえいえ居場所のことではございません。今、この邑で劉邦の内通者が集まっているのですよ。それで皆不安で不安で……。ですから連れて来てしまいました」
「な、どこだ!」
役人は慌てて、俺を掴んで揺らす。
「ま、待って下さい。お役人の中にも内通者がいるかもしれません。県令様に直接言わなければ」
俺は左右を見回し、役人の耳元で囁く。
「く、わかった。お呼びしてくるので待っておれ!」
役人が駆けていく。
「わざとらしいの」「いや、上手くないか?」「悪徳商人のようだ」
長老からの演技批評を受けながら待っていると、先程の役人と神経質そうな痩せ枯れた男がやって来た。この男が県令だろう。
「内通者の集会が行われているそうだな」
俺達は手を組み、頭を下げ、
「はい、今まさに集まって良からぬ事を企てている様です」
「そうか、劉邦達の前にそいつらを捕らてくれる!どこだ!」
俺は顔を上げて、笑顔で答える。
「はい、ここに」
その言葉と同時に、俺の両隣から影が素早く飛び出す。
田突と華無傷だ。
二人は県令と役人の首を狙い、剣を払う。
首から血飛沫を撒き散らし、込み上げた血が口を塞ぐ。首を必死に押さえるが流れる血は止まらない。
悲鳴は血でゴボゴボという泡にしかならず、一歩二歩後退ると、崩れ落ちた。
うぶっ、やっぱキツイ。けど今は……。
「んくっ。さぁ、城門へ行き県令が死んだ事を宣言し門を開けさせましょう、うぼっ」
込み上げた吐瀉物を飲み込み、俺は住民に語りかける。
華無傷は倒れて動かなくなった県令に歩み寄り、その髪を掴み首を切り離す。
「証拠として首を持って行きましょう」
うぶぼっ。か、華無し……オロロロロロロ。
我慢していた物が再び込み上げ、押さえた手の隙間から溢れ出す。目からは涙が落ちる。
たしかに……、確かにその方が効果があるけど。頼むよ、ホントに。目の前では……。
いや、華無傷が正しいのはわかってるよ。
見れば住民の中にも吐いてる者がいる。
皆が皆、斬った張ったに慣れているわけじゃないよな。
俺は近くにあった瓶から水をもらい、口を漱いで袖で拭う。
濡れた袖口から胃酸の臭いが漂ってきた。
あー、くそ、情けないのか、しょうがないのか。
俺は涙で充血した目を擦り、歩き始めた。
あおっ、こっち口を拭った袖だ。目に染みる!
城門までの道を、県令の死と劉邦を迎え入れる事を、喧伝しながら歩く。
「お前達が従っていた県令は我らが討った!」
「劉邦殿を主として、この沛は脅威と闘う!」
「我らは劉邦殿を迎え入れる!門を開けよ!」
城門前で華無傷が県令の首を掲げ、長老達は大きな声で宣言する。
それに続く住民達も口々に門の解放を叫ぶ。
いくら武装していようが住民と門番の数の差は圧倒的だ。
住民の中には門番の親族も多くいるだろう。
ここで戦うって選択肢はないはずだ。
門番達はしばし戸惑っていたようだが、やがて門の閂を外した。
それを見た住民から「わっ」と声があがる。
そして城門は大勢の住民の歓声に押されるようにゆっくりと開いていく。
未だ一人喚いている門番がいるが、他の門番達に取り押さえられた。
あ、あれ門番長だ。後で俺の小遣い返してもらおう。
俺は門番長が手放した槍を拾い、劉邦から預かった文の書かれた布を先端に括りつける。
「田突殿、これを」
それを田突に手渡し、田突は城門を駆け上がる。
城門の上に立った田突はその旗を大きく二度三度と振った。
これで俺達の仕事は終わりだ。
というか劉邦のおっさん、全部丸投げじゃん。
まぁ俺達がいなくても、長老達は動いたと思うけど。俺の説得なんて少し決断を早めたくらいだろう。県令の呼び出しも偽者の文で忙しくなければ普通に面会できたと思う。
なんにせよ、とりあえず上手くいってよかった。これで劉邦から解放されて本来の目的に……。
「あ、待て!」
突然の声に俺は振り返る。
押さえられてた門番長が、門番達を振り切り、俺へ猛然と駆けてくる。
「お前が……お前のせいで!」
避ける暇もなく、門番長がそのままの勢いで飛び掛かってきた。
腰を掴まれ後ろに倒される。ヤバい、頭を……。
咄嗟に体を捻る。
間に合わな……
ガン、という音が耳の奥から響く。同時に一瞬視界が暗くなる。
揺れる視界に門番長が拳を振り上げるのが見えた。
あたま、やばい。
思考がぐらつく。両腕で頭を抱えて目を瞑る。
腕越しに頭に衝撃が伝わる。ゴッという音と共に暗闇が揺れる。
また衝撃が走る。何か喚いている。また衝撃がきた。
そして、
次は来なかった。
その代わり門番長の上半身が、俺の体を力なく覆った。
熱く滑った物が顔にかかる。
朦朧とする意識の中、目を開くと頭から血を垂れ流す門番長と、血濡れた剣を持つ華無傷と、その先にある曇った空が見えた。
田突が俺の上から門番長を引き剥がし、俺の顔の側で跪き、何か叫んでいる。
体を起こそうとしたが、止められた。
近くで話しているのによく聞こえない。だんだん声が小さくなる。
灰色の濁った空がどんどん遠くなる。
こえが、きこえなくなった。
めのまえも、まっくらだ。
お読み頂きありがとうございます。
後2話ほど更新したら、書籍化に向けて編集作業の方を優先させようと思います。
更新を休止するか、頻度を下げる程度でもいけるかやってみないとわかりませんが、なるべく早く元のペースに戻れる様、頑張ります。
続きを楽しみにして下さっている方々、申し訳ありません。そして本当にありがとうございます。




