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52話

 沛公、漢の創始者、高祖、人たらし、項羽に負け続け、逃げ続け、最後の最後に勝った男。

 この時代の主役。


 この(とぼ)けたおっさんが、劉邦。


 惚けてはいるが、あの目。

 強く惹き付け、人の心まで覗くような目だ。


 そしてどこか恐ろしい目だ。



「事の起こりは俺が賦役(ふえき)の引率役になったところからだ」


 劉邦が語り始めた。


「俺は沛の小役人でな、それまではまぁ、カタギでなく、その辺のゴロツキをまとめておった」


 そういって劉邦は苦笑いで髭を撫でる。


「ここにいる蕭何と曹参が推薦してくれて亭長(ていちょう)にはなったが、任侠(にんきょう)を気取っていたのでな、よく思ってない者も多い。特に役人の中にな」


 蕭何と曹参が頷く。

 ヤクザがいきなり警察官になったようなもんか。

 そりゃ敵もいるわな。


「そこで賦役の引率役がまわってきたってわけだ。

 しかも出発していきなり数日で十数人が逃げた。

 ありゃ仕込みだな。賦役の数が揃ってなければ良くて官職はクビ、悪けりゃ実際の首が飛ぶ」


 彼は自分の首をポンポンと叩く。


「実際焦ったぜ。もう官職どころじゃねえし、沛には帰れない。しょうがねぇから、ほとぼりが冷めるまで賊でもやるかと、ここよりもっと北の山だったんだが、そこに篭ることにした。

 んでその事を残りの奴らにいったら皆俺と残るってな。

 まぁあいつらも同じ状況だからな。行くも処刑、帰るも処刑だ」


 カカッと笑う。


「その山は水も豊富で獣も多いがそれでもこの人数を食わすにゃ足りん。俺の正妻の実家は金持ちでな、密かに人をやって食料を手配してもらっていたんだが、それを蕭何が嗅ぎ付けた」


「主が消えた後、何らかの連絡があるだろうと、こちらも呂公の周辺を見張っていた」


 蕭何が話を引き継ぐ。


 呂公というのが劉邦の正妻の父か。

 確か劉邦の正妻って凄い悪女で有名じゃなかったっけ。


「しかし、居場所を見つけたが逃亡者になってしまった主を沛へ戻す術がなかった。

 そんな手をこまねいている時、南の大沢郷(だいたくきょう)で反乱が起き、瞬く間にその規模を広げていった」


 口調に熱がこもる。


「私と曹参は沛の県令に、『このままでは沛も反乱軍に飲み込まれてしまう。この辺りの無頼(ぶらい)に顔のきく劉邦を呼び戻し、兵を集め、軍を指揮させ守りましょう』と諭し、承諾させたのだ。それを……」


 蕭何は口惜しそうに口をつぐむ。

 再び劉邦が口を開いた。


「俺が呼び戻され沛に着く直前、県令は俺が沛を乗っ取ろうとしていると誰かに(そその)かされたのか、心変わりして沛の門を固く閉じやがった。

 まぁ実際乗っ取ろうとしてたんだがな、カカッ」


 彼は悪びれることなく笑う。


「で、肩をすかされた俺達は今さら戻るわけにもいかず、近くのこの山で待機中ってわけだ」


 今まで黙っていた曹参が肩を(すく)めて話す。


「そして俺と蕭何殿は裏切り者として捕らえられそうになり、慌ててここに逃げてきた」


 劉邦は二人を見て、


「ちと詰めが甘かったな。まぁ過ぎたことはしょうがねぇ」


 蕭何は悔しそうにしているが、曹参はあまり気にしていない風だ。


「で、三人仲良くお尋ね者になったんで、是が非でも沛を取らねばならん。幸い県令は民に好かれておらんし、俺は(ゆう)のゴロツキどもに顔がきく。蕭何は情け深く真面目で、曹参も公平な官吏として人気がある」


 劉邦がこちらを見る。


「邑の長老に俺達の文を届けて説得し、門を開けて貰えれば俺達の勝ちなんだがなぁ」


 はぁ。


「その文を届ける役目が私達、ということですか」


 俺がため息混じりに応えると、劉邦は膝を打った。


「カカッ、そういうことだ。一つ頼まれてくれないか。頼まれてくれれば素性も聞かぬし、大人しく通そう」


 俺は話を聞きながら別の事を考えていた。


「それは断れば、捕らえて素性を暴いて、身代金でも取るか身元を脅す、ということですかね?」


 劉邦は笑顔をつくったままだ。


「どうだろうねぇ、お前さん、どう思うよ」


 田突と華無傷が再び警戒する。

 俺はそれを抑え、


「わかりました。ご協力させて頂きます」


(田中(でんちゅう)殿!よろしいのですか、こいつらが成功するとは限りませんよ、危険過ぎませんか!)


 華無傷が慌てて耳許で囁く。


 そうだよな。普通はそう思うよな。

 でも協力しないと放してくれそうにないし、そして俺は知っているんだ。こいつらが、劉邦が沛を取って勇躍することを。



「但し、条件がございます」


 俺は一つ息を吐き、先程まで考えていたことを話し始めた。


「まず私達は(せい)の者です。狄の田氏が蜂起し、近隣を治め斉を復興しました」


「ほう」


 劉邦が片眉を上げる。


「田中殿!」


 華無傷が鋭く俺の名を呼ぶが、俺は彼に向かって頷き、落ち着かせる。


「先程、劉邦殿が仰った通り、南の反乱軍にご挨拶に伺う途中です」


「やはり反乱軍に加わるつもりか」


 蕭何が誰ともなく呟く。劉邦も予想が当たり満足そうだ。


 俺は首を振り、


「我等は反乱軍の傘下に入る訳ではありません。こちらに兵を向けない様にと、彼等の首領の正体、目的、同盟するに足るかを見極めるための訪問です」


「ほう、すでに斉は反乱軍と同等の勢力なのかい。それにしちゃ何も聞こえてこないが」


 劉邦が面白そうに聞いてくる。


「今はまだ数千といったところでしょう。しかし我等が斉に帰る頃には臨淄を落とし、旧斉の殆どを手中に収めているでしょう。斉の王族であった田氏が起ったのです。秦の圧政を嘆き、斉の治世を懐かしむ民は多いでしょう」


「大きく出たな。しかし、でしょうでしょうと仮定の話をされてもねぇ」


 そういってニヤニヤと肩を竦める。

 俺もニヤリと笑い、


「仮定の話はそちらも同じ。長老を説得できれば、沛の門が開けば」


「なに!」「待て、蕭何」


 蕭何がいきり立つが曹参が抑える。

 広い額に青筋が立っている。ハゲしいな。



「まぁいいさ、それで条件とは」


 劉邦も笑顔だが、先程より低い声で聞いてくる。


 うう、これをいったら怒るだろうか。

 でもいう価値はある。


「はい、条件というか、お誘いなのですが沛を奪った(あかつき)には斉の元で戦っていただけませんかね」

用語説明

 任侠 (にんきょう)

 仁義を重んじ、困窮する人を、時に法を犯してでも助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す。



お読み頂きありがとうございます。

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