48話
建国記念日
「き、貴様ら田横を助けに来たのか!?」
剣を手にしている田栄を見て、県令が慌てて叫ぶ。
県令の兵達が前に出る。
「この男は皇帝暗殺を手助けした大罪人だぞ!いくら一族とはいえ、その罪人を助けるということがどういう事か、分かっているのか!?」
県令は叫びながらジリジリと下がって兵の中に埋もれていく。
「落ち着き下され、県令殿。私達はその男を裁きに来たのだ」
田儋が厳しい顔のまま、前に出る。
「は、なに?」
県令が呆けた声を出す。
「我が田一族から出た罪人。我が一族で始末をつける。兄に斬られるならこの男も本望であろう」
田儋はそういい、兵の中に分け入り田横の繋いでいる縄を取る。
そしてグイと引き、田横を立たせると県廷の方へ歩き出した。
「ちょ、ちょっと待て」
その後を県令が追う。
県廷には狄の田家の親族や従者、そして通りを引かれていく田横を見て、集まった野次馬が溢れていた。
その中心に田横を引いていき、乱暴に抑えつけ座らせた。
「待て、待て!私刑で裁くでない!中央に引き渡すのだ!」
県令は慌てて止めに入るが、田儋は取り合わず、
「手配には生死不問とあった。中央へは首を塩漬けにでもして渡せばよかろう」
「し、しかし」
戸惑いながらも阻もうとする県令を田儋は鋭い目で睨み付け、田栄の剣を指し示し、大声で叫ぶ。
「これは狄の田家の名誉のためだ!我が一族の未来は、運命は、あの剣が定める!」
「ひっ」
田儋の迫力に県令は後退り、尻餅をつく。
「栄!」
「はっ!」
田栄は座った田横の後ろに立つ。
そして厚く雲の覆った天に剣を掲げ、よく通る声を発する。
「我が一族の信のため、狄の民の仁のため、この国の義のため、この剣が悪を断ち、正義を執行する!」
そう叫ぶと、田横に向かって剣が振り下ろされた。
野次馬から悲鳴が上がる中、
断たれたのは彼を縛っていた縄。
自由となった田横は立ち上がった。そして田栄から剣を受け取り、大型の豹のように素早く県令に近づき、その肥満した体を抑え込み、首元に剣を当てる。
「動くな!」
田横が一喝し、兵の行動を止める。
建物の陰に潜んでいた田家の私兵が、官兵を取り囲んだ。
「き、貴様ら、計ったな……」
呻く県令を無視し、田儋が集まっていた民衆に向かって演説を始めた。
「聞け!狄の民よ!
二世皇帝の治世になり、税や賦役は増え、過酷な法は弱者である民だけを縛り、公官は法の網を抜け私服を肥やしている。
我が従弟、田横と忠臣蒙毅殿は、皇帝暗殺の罪を着せられ、真の首謀者、宦官趙高は宮中の影で嘲笑っている」
田儋は言葉を切る。民衆はまだ呆気にとられているのか、静かだ。
ポツリ、ポツリと雨が降ってきた。
「民よ!狄の民よ!まだ耐えるのか!?まだ、耐えられるのか!?」
田儋は天を指差す。
「天が泣いている。人も泣いている。これ以上、涙で濡れた地を歩く気はない。
それが、血で濡れた大地を歩くことになろうともだ!」
雨が強くなってきた。
しかし誰もこの場を離れようとしない。
「今これより我等、斉の王族の子孫である田家は秦に反旗を翻す!斉を再び興し、秦を打倒する!
狄の民よ!力を貸してくれ!」
降りしきる雨の中、雨音を吹き飛ばすような歓声が上がった。
今日この日、歴史の中に斉という国が再び現れ、斉王田儋が誕生した。
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「父上、斉王即位おめでとうございます」
田市が斉王田儋に祝言を述べ、揖礼をした。
俺達もそれに倣った。
てか、田市さんお久しぶり。君さっき何処いたの?
それより父親が王になったから、ますます傲慢になってしまうかもなぁ。
「うむ、しかし全てはこれからだ。今この狄は八十年程前の莒や即墨だ。ここから始めよう」
以前、田栄が語っていた。
湣王の時代に楽毅率いる五ヵ国の連合軍に攻められ、ほとんどの城や邑が奪われ、最後に残ったのが筥と即墨の邑だ。
そしてその二つの邑から、斉はまた強国へと復興した。
それに倣い、俺達もこの狄から始まる。
その後邑の外で待っていた蒙恬達を引き入れ、県廷を仮の本拠とし、軍義を始めた。
「先ずは近隣の中小の邑の公官を追い出して支配下に置きましょう」
田栄が提案する。
狄を手中に収めたとはいえ、兵は少ない。田家の私兵と合わせても千人を超えるくらいだ。
俺達は即座に行動に移り、各邑を説得するために田儋と田市と蒙恬、田栄と田広、田横と俺と各組に別れ、それぞれ兵を引き連れていく。
幸い、狄の田家の名声もあり、大した戦闘もなく、反発する官史は追い出され、近隣の邑は支配下に置けた。
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「漸く軍と呼べる規模になりました。しかし臨淄を取るには、まだ足りませんね」
田栄がいう。狄の県廷でまた軍義だ。
「そうじゃな。狄では防衛に難がある。多くの兵を受け入れる大きさもない。
なるべく早く斉の首都であった臨淄を、また首都として構えるのが最善であろう」
蒙恬が応える。
ところで、
「南の反乱軍とはどうしますか?連係した方がよいと思うのですが」
俺が質問すると、田儋は、
「今はまだ接触しない方がよい。臨淄を取ってある程度の規模にならんと、足元を見られるであろう」
うーん、確かにそうかも知れんが。
「しかし、使者くらいは出してもよいのでは?協力せずとも、対立するつもりはないと示していた方が」
俺が再び意見する。
「王よ、中の言葉、一理あると存じます。聞けば各地に足を伸ばしているようです。こちらに向かわれ争っては秦を助けることになります」
田横が助け船を出し、俺は付け加える。
「それに扶蘇と項燕の正体を見てくるのもよろしいかと」
田儋は顎を擦り、
「ふむ、それもそうか。よし、では中、お主に任せよう。栄、書簡を用意し中に持たせてくれ」
「えっ、私だけですか?横殿は?」
ヤバくないか、俺一人って。簡単に死ねるぞ。
「横は今や貴重な将だ。今ここを離れる事はできん。それに横や広がお主の弁才を絶賛している事を聞いた。従者に突ともう一人つける、行ってこい」
田儋の表情を見る。
俺を捨て駒にしようって感じではないが、完全に信頼して任せる感じでもないな。
上手く話がまとまれば儲け物、くらいか。
まぁしょうがないよな、田横と違ってそんなに長い間一緒に居た訳でもないし。
田突がいたら少しは安心かな。御者や情報集めも上手いし。
「わ、わかりました。行ってまいります」
すげー不安だけど。
外交デビュー、してきます。
用語説明
義 (ぎ)
中国思想の一つ。儒教の主要な倫理。堅く正義を守り、わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くすことを指す。
楽毅 (がっき)
中国戦国時代の将。中山国出身で祖国滅亡後、燕国の昭王の招きに応じ、仕官した。
当時秦と並び最強国であった斉に対抗するため、韓、魏、趙、秦の連合軍を率いて即墨と莒の二邑を残し斉全土、七十余の城を攻略した。
政治感覚も優れた春秋戦国時代最高の武将の一人。




