46話
買い物を終え、屋敷へと帰ると門の前に馬車が停まっている。
「広殿、突殿」
俺は二人に注意を促す。
「はい」「はっ」
塀の陰から様子を伺う。
まさか、官兵か?跡を付けられ先回りされた?
「ええ、その商人から買い取り、今は私共が暮らしております」
門の前で家僕が馬車の御者相手に答えている。
馬車に乗っているのは……女性だ。
どうやら追っ手ではないようだ。
いつの間にか握っていた掌が汗で湿っている。
胸を撫で下ろし、馬車を通り過ぎ、門へと向かう。
門の陰から田横と蒙恬が出てきた。警戒していたのだろう。帯剣している。
そして田横は、なぜか固まっていた。
「虞姫……」
田横の呟きに、馬車の女性が顔を上げる。
「田横様……」
女性も出てきた田横に気付き、驚いている。
その女性は。
陶器のように白い肌、それと対照的な黒く、いや翠にも見える艶のある髪。長く濡れたような睫毛に隠れた漆黒の瞳と紅い唇。その中心に収まる通った鼻筋。
蒙琳が春の日差しのような美しさなら、その女性の美しさは秋の夜の月のようだ。
つまりは、美女だ。
もう一度いう、美女だ。
となればやることは一つ。
「横殿、お知り合いのようですが、門前では目立ちます。中に入って頂いては」
美女が来たなら屋敷に招く。これ常識。
「あ、ああ」
放心していた田横は気を取り直し、
「事情がある。とにかく中へ」
と虞姫と呼ばれた女性を促した。
虞姫を客間へと通し、俺達も向かう。
凄い美人さんだったな。蒙琳さんも美人だけどまたタイプの違う、何ていうの?ミステリアスというか、陰が濃いというか……。
はっ、視線を感じる!
あ、蒙琳さん!えぁ、プイッて。
いや、え、ちょっと、いや横殿のお知り合いの方みたいで。
え?鼻の下?伸びてないですって、やだなぁ、誤解ですよ。
あ、ちょっと、待って!蒙琳さーん……。
隣で田広と蒙恬が笑いを噛み殺している。
おまえら……。
~~~~~
「以前狄で暮らしていた元斉の貴族の出で、虞姫殿という」
田横が虞姫さんを紹介し、彼女は頭を下げた。
あーあれか、上郡へ向かう途中、田横がいっていた昔の恋人か!
確か一家で狄から出て、それっきりっていっていたな。
「……」
「……」
田横も虞姫も話さない。
あれかな?久しぶりだし、皆見てるし、照れ臭いのかな?
「んんっ、あれですね。積もる話もあるでしょうし、私達は席を外しましょうかね、爺様、広殿」
俺が口火を切る。
あとは若いお二人で、みたいな。
「おおう、そうじゃな」
そういいながら俺の脇を小突く。
(誰が爺様じゃ)
(貴方はお尋ね者でしょう。用心に越したことはありませんよ)
「ふん」
蒙恬が鼻を鳴らす。
「そうですね」
田広も賛同する。
「では、ごゆっくり」
困った顔の田横を残し、俺達は席を立ち部屋を出る。
そして蒙恬と迷わず隣の部屋に入り、壁に耳を当てる。
田広が後ろから小声で怒る。
「なにやっているんですか!」
俺と蒙恬は口に人差し指を当て、しーっと静かにさせる。
「下衆ですな、蒙恬様」
「お主にだけは言われたくない」
田広は、
「はぁ、お二人共知りませんからね」
ため息を吐き、そういって出ていった。
んー、まだ何も話していないようだな。てかこれ土壁だな、聞こえるのか?
俺の後ろで誰かが部屋に入ってきた気配がする。
なんだよ、田広もやっぱ気になるんじゃん。
振り返ると、
耳を壁に押し当てた蒙琳さんが。
「も、蒙琳さん?」
「しーっ」
あ、はい。
そうだよね。娯楽の少ないこの時代だし、蒙琳さんも年頃の女子だし、人の恋バナが気になるよね。
「久し……」
「田横様も……」
くそ、やっぱりほとんど聞きとれないわ。
「なんだと?………るのか?」
あ、田横がびっくりしてますね。
「……」「………」
その後も二人は静かに語り合っているようだが、全然聞こえない。
やがて二人は話を終えたようで、席を立つ気配がした。
「客人のお帰りだ」
田横の声が響き、二人は部屋を出た。
俺達もその跡を追う。
門の前で二人は、言葉なく見つめ合っていた。
オゥ、これは茶化せる雰囲気ではないな……。
馬車が現れ、虞姫が乗り込む。
田横は一歩前に出たが、そこで足を止めた。
「達者でな」
そう一言だけ。
「はい」
虞姫も一言だけ、少し微笑みながら応え、馬車は走り出した。
田横は走り出した馬車を見送る事なく背を向け、屋敷へと歩き出した。大岩の様な大きな背中が少し肩を落とし、いつもより小さく見えた。
「お二人共、とても悲しそう」
蒙琳が呟く。
俺達は、屋敷へ入る田横の後ろ姿を見送った。
……こんな時は酒かな。
その夜、俺は田横の部屋に酒を持っていった。
彼は虞姫の事に触れず、俺も聞かず。
俺達は静かに酒を酌み交わした。
ひとしきり呑んで、部屋を出る。
「中」
少し顔の赤い田横が俺を呼び止める。
「悪いな」
俺は空の酒瓶を抱え、苦笑いで応えた。
「不味い酒でしたね」
「まったくだ」
田横も少し笑った。
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