44話
後書きでご報告があります。
ここは陳郡、名もない小さな邑。
その邑の門を守る二人の門番。
一人の年頃は五十代か、額が広く大きめの布で髪を纏めている。身体は小さく、門番には頼りない。しかし、一重で鋭い目には門番らしからぬ知性を感じさせた。
もう一人は三十半ばであろう。こちらも門番というには線が細いが、丸く大きな目と高い鼻が精力的な印象を与えている。
二人は親子ほど歳が離れているが、その会話は親友同士のそれであった。
「おい、聞いたか陳さん」
息子ほど離れた男に、親しみと尊敬の念を込めて呼ぶ男。
彼の名は張耳。
「あの噂ですか、張さん」
その張耳を、父親同様に敬う男、陳余。
彼らは、『お互いに自分の首を斬られてもかまわない』という『刎頸の交わり』を誓う親友同士で、また秦から懸賞金をかけられた元魏の国の重臣であった。
二人は魏の滅亡の際に逃れ、偽名を使い、この田舎の邑で門番として隠遁生活を送っていた。
「おお、宦官の趙高という者が皇帝を暗殺し、その罪を上卿の蒙毅に被せ、胡亥を太子に立てたという、あれよ」
張耳は興奮しているのか早口に捲し立てた。
「蒙毅の説客であった者達が触れ回っているようですが、事実なのですかね?」
逆に陳余は冷静に疑問を呈す。
「事実であろう。なんせ蒙毅は忠義の臣として有名であった。大方その宦官と丞相の李斯が組んで、陰謀を巡らせたのだろう。李斯は元太子の扶蘇とは対立があったようだしの」
「その扶蘇は自害、蒙恬も捕縛され咸陽で処刑されると聞きましたが」
「らしいな。扶蘇と蒙恬が内乱を起こしていれば、我等も混乱に乗じてこんな田舎から脱け出し、魏王の末裔を探し出して立てたのだがな」
張耳は肩を落とす。しかし直ぐに前を向き、
「だがこの国が乱れ始めたのは確かだ。陰謀によって帝位に即いた者の先は暗い。必ず国が揺れ動く何かが起ころう」
陳余はその言葉を受け、背筋を伸ばす。
「そうですね。その時が我等の勇躍の時です」
張耳もその様子を見て、気を漲らせる。
「うむ、それまで後暫くの辛抱だ」
二人の門番が、決起に向け論じ合っていた時、門に兵士を連れた馬車が近づいて来た。
役人の馬車である。
二人は黙り、役人を迎える。
「おい、最近この邑に怪しい者は来なかったか。五十ぐらいの固太りの爺だ」
張耳が答える。
「いえ、ここ暫く住人以外の出入りはございません」
役人は尊大にそれを聞き、
「ふん、そうか。万が一怪しい者を見かけたら直ぐに知らせろ。張耳、陳余という手配者もこの辺りに潜伏しているとの噂もある。こんな田舎の門番には荷が重かろうが、報せる事くらいはできよう。よく見張っておけ」
それを聞いた二人は笑いを噛み殺しながら応える。
「ははっ」
「んん?何がおかしい。まぁよい、おいそっちの若いの」
役人は陳余を呼び、手の平を出す。
「何か?」
陳余が問うと、役人は不機嫌に出した手の平をヒラヒラと動かす。
「何かではない。こんな田舎まで捜索に来てやったのだ。その私の心遣いに応える物があるだろう。礼を尽くせ!」
役人は賄賂を要求しているのだった。
こんな田舎の門番からも搾り取ろうとする。
それがこの国の役人の姿である。
陳余は憮然として言い放った。
「手配者の捜索は役人の職務ではありませんか。それに対する給金は国から支給されているでしょう。我等民から取る物ではない」
「貴様!」
カッとなった役人は笞を取り、陳余を強かに打った。
「ぐっ」とくぐもった声を吐き、陳余はその場に倒れこむ。
「田舎の、門番の、分際で、私に、意見するなどと!」
役人は一言毎に倒れた陳余を打ち据える。
陳余は痛みと怒りの限界に達し、立ち上がり反撃しようとした。
しかし誰かが膝の裏を踏みつけ、立つ事が出来ない。
陳余は振るわれる笞の中、後ろを見るとそこには自分の足を踏んでいる張耳の姿があった。
なぜ!
と声をあげそうになる陳余を、張耳は目で制し、
(耐えろ)
と口だけが動いた。
「はぁ、はぁ。思い知ったか、この木っ端め。もういい、とんだ無駄足だ。帰るぞ!」
小さく丸まり耐える陳余に唾を吐き捨て、役人は馬車に乗りこむ。
役人が去っていく中、張耳は陳余を抱き抱えた。
「大丈夫か、よく耐えたな」
「張さん、なぜ」
陳余は痛みからか、屈辱からか唇を噛み、責めるように張耳に問う。
「反撃すれば兵も黙っておらぬ。あんな小物のために命を賭けてはならん。我らには魏の復興という大望があるであろう」
張耳は、陳余の肌が裂けて滲み出る血を、布で拭いながら優しく諭した。
「そう……ですね。しかし……我らはいつまで……」
陳余の目に涙が浮かぶ。
それは痛みからの涙ではなかった。
彼らが逃亡生活を始めて、すでに十四年が経っていた。
「もうすぐだ。必ず……時は来る」
張耳の目にも光るものが浮かんでいた。
用語説明
刎頸の交わり (ふんけいのまじわり)
戦国時代、趙の藺相如と廉頗が交わした、お互いに首を斬られても後悔しないような仲の事を指す。
いつも読んで頂きありがとうございます。
この度「項羽と劉邦、あと田中」の書籍化が決定致しました。
詳しくは活動報告の方で書かせて頂きますが、これもひとえに読んで下さり、応援してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
これからも完結目指して頑張りますので「あと田中」をよろしくお願い致します。




